スペイン(07.05.29〜06.05 マドリード、トレド、バルセロナ、モンセラート) |
5月29日(火) 成田→ミラノ→マドリード
阪急交通社の「スーペリア 高速列車で巡るマドリッド&バルセロナ自由旅行8日間」を利用して夫婦二人で成田から出発です。
ミラノ経由でマドリードで3泊しそこからバルセロナへは列車で移動し3泊、バルセロナからミラノ経由で帰国、これが旅行社に依頼した日程です。他に、マドリードからトレドへ日帰り、バルセロナからモンセラートへの日帰り旅行は個人で企画し現地で切符も買っていく予定です。
今回は長女も行く予定でしたが、4月から働き始めてさすがに1週間は休めないため、二人だけの旅です。成田へは前日に都内の実家に泊まり、日暮里から京成の特急電車に乗って行きました。二人程度ならこれが一番安くて便利です。去年は4人なので車を成田のパーキング業者に1週間4千円程度で預けて空港まで送迎してもらいましたが、帰りの運転が眠くて眠くてしんどかったです。やはり電車が楽チンですね。
成田では、液状の機内持ち込みが制限されており、自前の焼酎は事前に買い込んでバッグに入れて預けました。ミラノ行きのアリタリア航空はJALとの共同運航便ですが、JALのマイルは付きません、それでカウンターでアリタリアのマイルを登録して見ました。有効に使えるでしょうか?
ミラノへは予定通り着きましたが、マドリード行きが30分遅れて出発し、マドリードには24時ごろ到着。荷物はすんなり最初に出てきて、送迎サービス付きなのでホテルまでは楽チンです。去年のローマでは荷物が出てくるまで1時間待ち、乗ったタクシーがフルスピード運転で焦りましたが、慣れもあるのでしょうか無事に中央駅のアトーチャ駅近くのホテルにチェックインしました。
下の地図で今回の大まかな行程を説明します。
5/29 成田→ミラノ→マドリード
5/30 マドリード市内観光
5/31 トレド、フラメンコショー
6/1 マドリード→バルセロナ(列車)
6/2 モンセラート、ピカソ美術館
6/3 バルセロナ市内観光
6/4 バルセロナ→ミラノ→成田(6/5)
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 13:00発アリタリア航空でミラノへ

早速機内食、もちろんイタリアン+ワイン

ミラノで乗り換え30分遅れ、合間にビール

マドリードの夜景、真ん中は王宮の森? |

B777 去年パリ行きで乗ったエアフランスと同じ

曇り勝ちのアルプスを越えてミラノへ

MD50 小型機でマドリードへ

荷物受け取り 時計は24時です |
5月30日(水) マドリード市内(修道院、王宮、プラド美術館・・)
ホテルの朝食はチーズ、ハム、サラダ、パンにパテ、オムレツ、そしてジュースにカフェオレ。朝食はたっぷり食べて、食事には余分なお金を使わないのが私たちのモットーです。
おなかが落ち着いたので早速、ホテルを出て近くの地下鉄の駅へ。マドリードは人口300万人余り、1561年にスペイン王国の首都なり、その主要な観光地は半径2KM内に固まっています。そこを12本の地下鉄が走っており、地下鉄を乗りこなせば好きなところへ自在に移動できます。先ずは券売機で1日10回乗れる回数券を6.4ユーロで購入し、二人で使います。(マドリードの駅構内は全て撮影禁止です、2004年3月の連続列車爆破以来、アトーチャ駅ではかばんのチェックもやってます。)
最初に、太陽の門と言われるプエルタ・デル・ソル(東京の日本橋で距離のゼロ地点)まで3駅。ドアは手動ですが人のの後からついておりました。ボタンで開くもの、ノブを回して押すと開くものと車両によって違います。
ソル駅から最初の目的地「デスカルザス・レスアス修道院」へ。地図とにらめっこしながらウロウロしてると古い壁沿いに20人ほどの列が・・・10:30開館を待っている人たちでした。
次に王宮の隣にある「エンカルナシオン修道院」どちらの修道院も専門のガイドさんが10人程度のグループ単位でスペイン語で院内を1時間かけて案内してくれました。王家の女性たちが過ごした修道院だけに数々の美術品が展示されており、特にルーベンスが下絵を描いたタペストリーはすばらしいですし、ダビンチやルーベンスの絵が何気なく壁にかけてあります。
その後、王宮へ行きました。現在の王家はここに住んでなくて国家的な行事で使われるようですが一部、開放されて見学できます。日本の皇居と思えばいいでしょう。それからスペイン広場でセルバンテスとドンキホーテの像をみて、また地下鉄でプラド美術館へ向かいます。
2006年に東京都美術館で行われた「プラド美術館展」を見て、マドリードへ行ってみようと思いました。正面にベラスケスが絵筆を持って向かえてくれますが入り口は左のゴヤ門から。さすがルーブル、エルミュタージュと世界3大美術館と称されるだけあって、館内にはスペイン王家が集めた3000点の美術品を所蔵されており、特にゴヤ、エル・グレコ、ベラスケスの絵が多く展示されています。
2時間プラド美術館で過ごすとさすがに疲れてお腹も空いてきました。美術館前の通りを挟んだカフェで軽い食事を取り、そのままアトーチャ駅前にある「国立ソフィア王妃芸術センター」へピカソの「ゲルニカ」を見に行きました。それから明朝トレドへ向かう列車の切符を買うため駅に行き40分待ってAVE(新幹線)の切符を購入。もうくたくた、駅前の酒店でワインとつまみにチーズ、缶詰を買ってホテルで軽い夕食を済ませました。こちらは夜10時まで明るいので1日がすごく長い、明日も早いので早めに就寝。

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朝食で1日のエネルギーを補充

デスカルザス・レスアス修道院の入り口、列が無いと通り過ぎてしまいます。

王宮、この右に広大な森があります

シベール広場、正面は郵便局でその右がプラド通り、プラド美術館へ

バスは2台連結でタイヤが6本、地下鉄も便利だしマイカーは少ない?

カフェでライスサラダとビール(遅い昼食) |

地下鉄の入り口、中へ入ると撮影禁止

エンカルナシオン修道院前、ここで13:30になりました。

スペイン広場のセルバンテス像

プラド通りは幅100M。緑が多く周辺にはリッツ、パレスなど一流ホテルが

プラド美術館正面のベラスケス像の前で学生が記念撮影

今夜の夕食、ワインがあれば満足 |
5月31日(木) トレドとフラメンコ
9:20発のトレド行き高速列車に乗り30分でトレドへ到着。向かいの席にはニュージーランドからの夫妻が3週間のバカンスで、私たちは1week only 寂しい。
トレドはマドリードから南へ60kmの15世紀までスペインの中心都市。現在もタホ川を三方に囲まれた旧市街はその面影が残っています。駅から20分ほど歩き、アルカンテ橋を渡り城砦の旧市街に入ります。街は外周はバスが走ってますが、中に入れば、迷路、地図を見ても目的地になかなかたどり着けません。スペイン・カトリック総本山のカテドラルの周りを1週してやっと入館。中では賛美歌を歌っている部屋もあります。 そこからエル・グレコが終生住んでいたという館を目指しましたがやっと探し当てたら工事中で休館でしたが、サント・トメ教会ではエル・グレコの「オルガス伯の埋葬」を見ることが出来ました。。
トレどにきたら高台から望むトレドの全体を見ないといけません。先ずはタクシーで10分ほど(8ユーロ)の高台にあるパラドール(旧名跡地をホテルに活用し保全していることを総称)へ。ここでしばらく景色を楽しみ、レストランでランチ。今回の旅行で一番高い食事でした(二人で44ユーロ)。これから、タホ川へ向かって歩いて降りて行きトレドの写真スポットで撮影。ここには観光バスが次から次とやってきます。これからタホ川沿いの西側を半周し、さまざまな姿を楽しみましたが、ここで90分も歩いてサンマルティン橋を渡り、再び旧市街に入りました。
帰りは、違う景色を楽しむため高速バスでマドリードへ1時間の旅。アトーチャから2kmほど南のバスターミナルに着き、そこからホテルへ歩いて帰りましたが、90度方向を間違えてしまい、15分で帰るつもりが1時間かかってしまいました。これも気ままな旅行の楽しみですね、普段のマドリッ子の生活を眺めながらぶらぶら歩いて帰りました。
ホテルに着いて一休みして22:00から始まるフラメンコショーへ(食事付きだと60ユーロもするのでドリンク付き30ユーロのコースを日本で予約していきました)タクシーで向かいました。15分前に着く予定がぎりぎり22時となり、席は残り最後のテーブルで横最後尾でした。
ここはマドリードでも一流の店だそうで、20年前に義理の両親もここでフラメンコを見たそうで、20年前も歌ってたと思われるベテランの歌い手が聞かしてくれます。踊りは若手から順番に踊り始め、最後はトリの夫婦がペアで力強いステップで見せて聞かせてくれました。ショーが終わった店を出たら24時。店は昼に寄った王宮のそばだったので、車窓から夜景を楽しみながらホテルへ。日が長いとは言え、毎日遅い帰宅(ホテル)です。会社を辞めて早朝バイト生活の私には夜更かしはきついですね。でも、明日はバルセロナへ向かいます、かばんに荷物を詰めて準備も怠り無く、就寝。

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アトーチャ駅構内は植物園

トレドの旧市街は細い石畳が迷路のように

高台のパラドールのテラスから旧市街を眺望

妻はサラダ

トレド旧市街の見事な眺望

フラメンコショーの若手踊り子 |

高速列車のシートは固め、トレドと30分

カテドラル(大聖堂)の概観

パラドール専用の道

ランチの魚、これにサラダのパスタとデザート付き

歩き疲れた人はかわいいバスで移動

ベテランの踊り子 |
6月1日(金) レティロ公園、バルセロナへ
13:05発のバルセロナ行きの電車を予約してます。荷物をホテルに預けて、修道院で見た見事なタペストリーを見学できるという「王立タペストリー工場」へ向かいました。ガイドブックには10:00からと書いてありますが、残念ながらガイド付きの案内が12:45と13:15の2回のみとのこと。
それでは、駅の北側、プラド美術館の東側にあるレティーロ公園を散策しました。これは18世紀に作られた王家の別荘の庭園だそうです。マドリッ子たちが思い思いに公園を楽しんでました。
ご老人たちがチェスやマージャンみたいな積み木でゲームをしてたり、小学生たちが散歩に来てたり、本当に憩いの場所でした。
前日に経験済みなので駅での列車への乗り込みもスムーズに。バルセロナへは日本でいうグリーン車で、飛行機並みの昼食サービス。メニューが配られドリンクと食事の内容が記載されてます。
aperitivos 前菜
cervezas ビール
vinos ワイン(5種類から選べる)
combinados ジントニック
licores ブランディ、ウィスキー・・10種類
refrescos コーラ、ファンタ、水・・
(飲み物は選択)
Almuerzo/Cena 昼食メニュー
Ensalada de lechuga con pavo、beicon frito、queso mozarella y tomate.
七面鳥、焼いたベーコン、モッツェラルチーズ入りのトマトとレタスのサラダ
Merluza con salsa de hinojo y anis acompanada de verduras al wok.
ウイキョウソースを添えたメルルーサと中華鍋に野菜が付いてくるアニセット??
Pastel.
デザートのケーキ
サラダ用のオリーブオイル、ワインビネガー、塩、コショーの入れ物は1回分使い切りで、日本の駅弁に付いてくる豚さんのソース入れみたいなものです。建設中のAVEがバルセロナまで直結されれば2時間30分で結ばれ、飛行機に十分対抗できますね。
景色は駅を出るとオリーブ畑が続きます。日本に比べ、面積が1.3倍、人口が1/3ですからね。
バルセロナのホテルへ着くと、私は電車のなかで飲んでた焼酎が効いてそのまま夕方から寝付いてしまい、夜中に目が覚めました。その間、妻はホテルの周りを散策し、スーパーを2軒見つけてビールとワインを買い込んでました。 |

アパートの日よけ、この中に犬を飼ってる家が多いようです

4人でマージャンらしきゲームを

トイレの位置が高いです

列車のランチサービス

バルセロナに近づくと地中海 |

レティーロ公園で小学生が野外活動

チェス対戦

3泊お世話になりました

サラダ用のオリーブオイル、ワインビネガー、塩、コショウの容器が可愛い

サンツ駅前のホテル |
6月2日(土) モンセラート、ピカソ美術館
ホテルでゆっくり朝食を終えて、8:30頃にホテルを出て、スペイン広場へ歩いて行きます。地下鉄に乗れば2駅ですが1kmくらいなのでぶらぶらしながら郵便ポストを探してると黄色のポストがありました。市内とそれ以外で投入口が分かれています。この日に投函した絵葉書は日本にいつ着くでしょうか。
スペイン広場はバルセロナオリンピックが開かれたモンジュイックの丘の基点になる場所です。その地下に、今日の目的地、モンセラートへ向かう電車の駅があります。ここで切符を買うのにinformationの女性にガイドブックの写真を見せて、ここに行きたいと身振り手振りで話す?と彼女は山頂を指してここまで行くかと尋ねます。「si(はい)」、1枚?「dos(2)」。彼女はメモに19.5ユーロ、2枚と書いて「uniform」と指差します。指の先には駅員が切符券売機の前で判らない人のために代わりに切符を買ってくれてます。購入した切符は電車+登山電車(700mの修道院)+ケーブルカー(950mの山頂)の往復とバルセロナ地下鉄1日分ですからかなりお安めですね。
電車はバルセロナ市街地の地下を通って郊外から地上へでます。50分でモンセラートの山並みが見渡せる登山電車乗り換え駅です。ここから15分で500m上る登山電車。いい眺めですね。
修道院まで自転車で昇る人たち、山頂でロッククライミングを楽しむ人たち、土曜日のせいか地元の人でにぎわってました。
私たちは結局修道院も美術館も中には入らず、山頂の眺望を2時間ほど楽しみ見ながら修道院まで歩いて降りてきましたが、地中海も見えるし、乗り換えた町並みも見えるし、カメラ好きの妻は足取りがものすごくゆっくりです。昨年のヴェネチアでは忍耐しきれずつい怒ってしまいましたが、今回は私ものんびり待ってました。というのも行程がゆったりで、この日も最悪夜にバルセロナまで帰れればいいです。
のこぎり山と云われるのこ山並みは、ガウディの建築にも影響を与えているそうです。翌日見た、サグラダ・ファミリアやカサ・ミラを見ると納得しました。
結局、朝9:30にバルセロナを出て、16時には帰ってきました。お昼を食べていないので、バルセロナの一番の繁華街、カタルーニャ広場まで地下鉄で移動して、近くのバール(bar)でおつまみのタパス4品とビールを頼みました。海のものが多いですね、でも場所柄かこれで20ユーロはちょっと高いですね。イタリアでもバールがありまして、簡単な食事やコーヒー、お酒でくつろげる場所として重宝しました。早朝(8時?)から深夜(2時過ぎ?)までやっています。オーダーするのも、目の前にあるタパスを指差して、飲みものは、ビアかヴィノで、サイズは手のひらで表現できます。メニューを見ると悩んでしまいオーダーするのに10分もかかってしまいますから、食事にこだわらない私はバールで十分です。
次はピカソ美術館に行くことにしましたが、広場の前にデパート(エル・コルテ・イングレスと言っていたるところにあります、日本で言えばヨーカドー?ターミナル駅や郊外の住宅ちでも見かけました)の地下の食品売り場でお土産の品定めをすることに。オリーブオイル、オリーブの実、パエリエの食材、ワイン、生ハム、何でもそろっていて、空港や駅で買うより半値近い値段で買えます。ぐるっと見回して、少し買い込んで、また明日寄ることにして、ピカソ美術館へ向かいました。
そこは、中世の屋敷が残っているゴシック地区にあり車が1台やっと通れる道がが縦横につながって、昼でも薄暗いとこです。マラガで生まれたピカソは10代の青年期にバルセロナで絵を学んだそうで、ここには20歳くらいまでの初期の作品が主に展示されています。そして晩年の、プラドで見てきたベラスケスの「ラス・メニナス」を題材にして描いた連作がとても面白かった。

ヴェラスケスのラス・メニナスがピカソが描くとこうなります。他にも王女や官女など個別に描いた連作になっています。

美術館を閉館の20時に出て、そのままスーパーで買い物をして夕食はホテルの部屋で済ませました。
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バルセロナの初朝食

スペイン広場の地価に駅があります

モンセラートの山並みが見えてきました

ここまで自転車で上がる人がいます

更にケーブルカーで標高950Mへ

カルターニャ広場のBAR(バール)

ピカソ美術館は旧市街の貴族の館跡

夕食はスーパーで買い込み |

日本へ絵葉書をポストに、届きますか?

モンセラートへ向かう車内

登山電車に乗り換え標高700Mの修道院へ

結婚式

右下に修道院が見えます

4種類のタパスとビールの昼食

初期の作品が展示されています

日本から持ち込んだカップ食品 |
6月3日(日) バルセロナ市内
サグラダ・ファミリアは混むと聞いていたので9:00開館を目指しましたが、サンツ駅の地下鉄で5駅乗り9:30過ぎに着きました。ガウディが作った「生誕」のファザード側は団体用入り口で、個人は反対側の「受難」のファザードにありました。中央はがらんどうで、エレベータで途中まで上れるようになっていますが長蛇の列なのであきらめました。内部はがらんどうで、日曜で工事は休みですが、資材や工具が置かれていています。
やはり外から見るに限るので東西にある公園や、南北の通りから光の加減を見ながらカメラに収めました。(妻のカメラには100枚以上入っていると思います)。
ここから2駅先のガウディ作の高級マンション「カサ・ミラ」まで30分ほど歩いて行き、そこから地下鉄で「リセウ」駅まで行き、休日のランブラス通りを歩いてみました。東京の原宿(といっても最近の様子は知りませんが)なのでしょうか。道の中央に歩行広場がありオープンカフェが並び、その合間に大道芸人が様ざまなパフォーマンスを繰り広げています。
ラブランス通りから横丁に入り、妻の希望の陶器の店に寄り、名前のプレートを購入。レイアール広場でガウディ最初の作品の街灯を見ていると、周りには、切手やコインの市場が並んでいました。その先の大聖堂の広場では骨董市、そして地元の人が、ダンスに興じています。休日なんだな。
昼食はパエリエ。最後の日にやっと食べることが出来ました。そこから昨日行ったデパートでお土産を買おうとしたら・・・お休み。考えてみればキリストの国は当然ですか、スーパーも休みです。ですから広場に集まって踊っているわけです。それでも探してみると、中国語で書かれたスーパーは営業してました。さすが、働き者hが違う。なんとか、お土産は調達できました。でもこれからが災難の連続です。
私はホテルで休んでいて、妻が一人でその中国系スーパーに出かけたところ、前を歩いている背広の人が手帳を落としたので拾ってあげると、もう一人の男が出てきて、警察手帳らしきものを出してコカインの所持検査をすると言われたそうです。パスポートやクレジットカードを見せろと言われ、ホテルに置いてあると言うと(言葉が通じたのか判りませんが)、ホテルと部屋番号を教えろと。さすがにここでおかしいと思ったら、二人組は逃げて行ったそうです。いくらホテルの近くで、昼間でも一人歩きは危険ですね。

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サンツの地下鉄入り口
 
サグラダファミリア 左がガウディ作、右が後継者が建築中の塔

日曜のランブラス通り

カルターニャ広場

イカ墨のパエリエとサラダ
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10回券を販売機で購入

ダウディ作の高級マンション「カサミラ」人が住んでいます

大道芸人がパフォーマンス

カテドラル広場の前で休日に繰り広げられる民芸舞踊カルダーナ

サラダはなすとたまねぎを煮込んで上にチーズ
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6月4日(月) 帰国
1週間なんて早いものです。これからミラノ経由で帰国です。バルセロナ空港へは、サンツ駅から電車で行くことにしました。2人で5ユーロです。30分に1本で20分待ち時間がありましたが、ホームで待つことにしました。高速列車のホームと違って薄くらいとこです。ようやく電車が到着したら3両の短い編成で私たちが待っているところには止まりません。慌てて、ホームの先へ小走りで進み、空いているところで乗り込みますと、前の3人が車両の中で止まって進みません。すると後ろからまた数人が乗り込んできて挟まれてしまい、手に持っているかばんを誰かが取ろうとしてます。必死で抑えていると発車間じかになり、諦めて前と後ろの人は電車から降りて行きました。どうもバルセロナのサンツ駅は怖いところです。空港はバスがいいですね。
空港カウンターで手荷物を預け、身軽になって安心。お土産屋を覗いて、残ったユーロでお土産の買い増しを行い、出発ゲートで待っていると、英語のアナウンスで私たちが乗るアリタリアのミラノ行きの搭乗ゲートが変更になり更に遅れるとのこと。アリタリアは行きでも遅れました。エアフランスのほうがいいのかもしれません。
ミラノでの乗り換え時間は当初90分ありましたが遅れて30分しかありません。急いでいたせいで乗り換えゲートを間違えて、出口を出てしまい、また入り口から入り直すことになってしまいましたが、空いていたのと、出国審査が簡単なので、何とか15分前にに成田行きのゲートをくぐることが出来ました。ここまできて、本当に安心ですね。
来年は長女がチェコに行きたいと言ってますのでウィーンとプラハでしょうか。バイトが出来る健康を保っていれば行きたいと思います。
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サンツ駅から列車で空港へ

乗り換えのミラノ

お土産 |

荷物も預けて一安心

無事、成田到着

妻が好きなふくろう |
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