北條系図そのニ


























 














































































































































駿













西
















こうやって見ると時政とーちゃんは子沢山ですねぇ(^^)
息子も負けちゃいないけど(苦笑)
だんだんと子供が少なくなっていってるのは
短命になっていったからか。
生命力の欠如を思わせます。
一族間での婚姻が繰り返された上での
遺伝子的な問題とも云われてます。。





















































泰時、時房辺りまでは皆60歳以上の寿命を保って
いるけど、時氏以降20代から30代で亡くなっています。
↑の問題もあるかもしれませんが、この頃は未だ
鎌倉創生期で活気もあり又、合議制を取り入れたり
連署を置いたりと一人で苦労してなかった様な・・・
得宗専制の萌芽は彼らの寿命を縮めた感が強いです。







































時政の嫡男は宗時だったのですが
石橋山合戦時に討ち死、義時が継ぐ事になる訳です。
得宗の中で母がはっきりしていないのは
タロちゃん泰時だけです。次男以下もはっきりしない人
多数ですけど。それは妻女が多過ぎる所為か(苦笑)
女性に関しては、ほっっんとに資料が少なく
系図によって違いが多いです。





































各地の豪族との結びつきを強める為、娘達をあちこち
嫁がせています。元々が弱小豪族だから(苦笑)。
中でも当初畠山に嫁いだ娘は、謀反の為
夫と息子を兄弟に殺され、畠山の領地付きで
足利義純に再嫁し畠山を継ぎます。
果たして幸せだったのでしょうか・・・




















足利総領家にはほぼ北條から娘が入っています。
源氏の名門、足利との繋がりは当時必要不可欠だった
ようです。後年赤橋流登子が高氏(尊氏)に嫁し
嫡男義詮を産み、北條の血を後世足利氏に残します。
一族を夫に殲滅された彼女は何を思ったのか。。。
離縁しなかった尊氏もエライっっと思います。








寿

寿


寿



















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