ニューヨーク、ワシントンDC、そしてボルティモアを訪ねて

魁  三鉄(永橋続男)

2009年10月28日〜11月10日 

(1)

 新型インフルエンザの流行に備えて、人ゴミの多い外出の際には常にマスクをするという習慣がついている2009年後半の日本。成田空港は特に海外からの新型インフルエンザの最初の経由地ということで、1番リスクの高い場所とみなされ、海外旅行客は減少していたが……。

 今回の旅はニューヨークを中心に現代ニューヨーク美術とボルチモア美術館そしてスミソニアン財団を訪れてみることが主目的であった。それに甥子Tが首尾良く司法試験に合格できたので、お祝いを兼ねて記念に海外旅行を、というのがもうひとつの目的となっていた。

 甥っ子はヨーロッパは2度ほど1か月以上の滞在経験があるがアメリカは初めて。当初は私一人の旅の予定であったが、彼の周辺状況からすると、今しか外国旅行は暫くはできないということもあり、急遽、予定を変更し、二人旅にすることに……。

 ところが、司法修習所から11月4日に研修初日の顔合わせがあるから出席すべしという通知が出発直前に来たので、結局彼はあわただしいニューヨーク滞在のみ、11月1日に一人で帰国するという予定にまた変更。帰りのティケットを急遽取り直したりして、飛行機代は結局高いものについてしまった。海外旅行は、二人の方が圧倒的に経済効率は良い。自由時間を互いに自由に使い、宿泊は一緒というのがBEST styleだ。

 さて、今回のニューヨークへの旅は、私にとって1984年の訪問以来約25年ぶりのものである。25年前とは様子は全く違っていることは予想できた。この間に2001年、全米のみならず全世界を揺るがした9・11テロが、ニューヨークの象徴であった世界貿易センタービル2棟を舞台に起きた。ジャンボジェットが超高層ビルに激突し、ビル火災が発生した様子、そして火災によりあの超現代的設備を誇った高層ビルが我々の眼の前でもろくも崩れ落ちてゆく姿をわれわれはTV画面を通して眼にしていた。

 それ以来、アメリカの入国審査は厳しくなり、いろいろ手続きを厳格にするようになった。ESTAによる事前登録の必要性もその一つである。もちろんわれわれは何の問題もなく「入国OK」が出たわけだが、空港の持ち物検査などは成田にしてもNYにしても、テロ発生時からの1年を過ぎるまでのころよりは緩やかになったとはいえ、昔と比べれば格段に厳格だ。

 ともかくも、NWに乗りNYへ一っ飛び、約13時間のフライトである。今のジャンボ747-400はナヴィが座席前のモニター画面に出るから飛行航路がわかる。思ったよりも北極に近いルート(アリューシャン列島上空、カナダ経由で飛ぶ)でニューヨークへは入ってくる。前回もJFK空港であったが、今回もJFKだ。ターミナルは2。JFK上空は雲が多く、下がほとんど見えない。時々雲の間から陸地や海が見えたが飛行場の全貌は分らなかった。

 

(2)

 入国審査は思った以上に簡単であった。普通の空港と同じという感じだった。ターミナル2の外は迎える人々や例の白タクやらの客引きなどがいるが、もちろん無視。

 今回、NYでは滞在宿をホテルではなく、アパートメント短期滞在にしたので、空港ではその連絡先にまず電話する。管理人Wandaさんの英語は分りやすかった。久しぶりの英語。

 空港からNY市内へはいくつかのルートがあるが、事前に調べていたなかで分りやすかったのがLong Island Rail RoadLIRR)という鉄道を使ったルートであった。Skytrainという空港と鉄道駅Jamaica stationを結ぶ、巡回モノレールのような空港客用シャトル電車で鉄道駅まで行く。切符の買い方がわからずうろうろしていると黒人の駅務員らしき女性がどこまで行くかと聞くのでPenn stationと答えると自販機のところへつれて行かれた。そこからは甥っ子Tの反応が早かった。自販機の扱いは日本で慣れているのか、いつのまにか切符が2枚揃っていた。

 列車は始発のせいかガラガラ。発車するとすぐ乗務員が検札。あとは用もない。窓からみるこのジャマイカ周辺はこじんまりしたこぎれいな一軒家が多い。外は生憎の雨だ。20分ほどでNYの地下へ潜り、列車はPenn stationへ着いた。いよいよ25年ぶりのNYだ。

 この鉄道駅ははじめてだった。すごい人だ。東京駅並みだ。黒人が目立つ。浅黒い人種ばかりだ。たまに金髪の女性が通るがその数は10分の一という感じだ。アパートの住所はEast 32st、エンパイアービルのすぐ近くの絶好のロケーション。日本でいえば銀座1丁目という感じ。ペン駅まで歩いて3分、どこへ出るにも便利だ。

               

 アドレスによって場所がすぐ分るようにできているのがNY。ビルNo.を頼りに行くとすぐに分った。二重のドアをくぐるとさきほど電話したWandaさんが待っていた。彼女はプエルトリカンだが、物腰が柔らかくなかなかの淑女。キーをもらい306の部屋に入るとわが書斎房の一階分くらいのスペースの1DKだ。もちろんバス・トイレ付きだ。Acommodationは完璧だ。電磁調理器、ガス、そしてヒーターも十分の暖かさだ。お湯はドバドバ出るし、温度はどんどん熱湯に上がってゆく。やけどに気をつけねば、と注意。ベッドは二人用なのだが、すこし、小さい。キングサイズならもっとゆったりできてよかった。

 

(3)

 荷物を置くとさっそく街中へ。時差ぼけのせいか体調は変。ビジネスマンはNYへの短期出張をきついといって嫌うのが分る。

 付近のPenn駅やら6thAV、5thAvまでをしばし散歩。アメリカでは街行く人はマスクは全然していない。われわれもはずしてしまった。駅構内を物珍しげにあるいた。10月の下旬とのことで防寒対策をしてきたが、さほど寒くはなかった。

 甥っ子が初めてということもあり、また私も初めてみたいなものなので、明日はまず一日市内観光バスに乗って街の概要を掴もうということにして、ヒルトンホテルの中にあるJTBのオフィスへ行き、ツアーに申しこんだ。さすがにヒルトンホテルの客はヨーロッパ系の白人、日本人、中国、韓国人が多い。黒人はほとんどいない。ようやく昔ながらのNYに来たという感じになる。途中でサンドイッチとサラダ、原液ジュースを購入し、夕飯とした。全部で約12ドルほどかかったが、量が多いので2日分くらいはもちそうだった。ブロードウェイを歩いてアパートへ戻るとその日はそのままグー。TVの英語が早すぎて全然聴き取れない。しかし、リズムが心地よい。

 





(4)

翌29日、JTBツアーの出発地はヒルトンなのでそこまでまた歩くことにした。一番の中心街5番街通りにそって上へと上がって行く。途中NY市立図書館がある。三越の入り口同様ライオンの坐像がある。さらにロックフェラーセンターだ。セント・パトリック教会もある。52通りまで上がったところで西側へと折れる。MoMA(近代美術館)を抜けてHilton Htlへ着いた。

 バスへ乗りまずは自由の女神へ直行。早い時間に行かないと世界中からの観光客があつまってくる乗船所は1時間待ちの行列になってしまうから、急ぐ。ミドルタウンからワールドトレードセンター跡を抜けてロウアーダウンタウンのバッテリー公園まで行き、フェリー乗り場に並ぶ。ここでPassport、厳格な手荷物検査を受けてから乗船だ。9:30頃だが舟はたちまち満員。海からの風は冷たくはない。波止場に、溺れかかった仲間に救いの手を差し伸べる彫像が臨場感ある姿で置かれていた。

      

 船の中ではロウアー・マンハッタンに林立するビルを背景に記念撮影をする観光客だらけ。ドイツからの客が多い。フェリーはハドソン川河口に位置するリバティ・アイランドへと向かう。エリス島にはレンガ造りの昔の移民局入国審査所の建物がみえる。映画ゴッド・ファーザーにもセピア色の背景として出てきたところだ。

 やがて自由の女神が見え、どんどん近づいてくる。やはり、絵になる。かざす松明の金色の炎が鮮やかに太陽に光り輝いている。自由を得て鉄の鎖を解き、まさに一歩を踏み出さんとする右足の踵をあげんとする姿勢が劇的だ。

 島に上陸して自由に見学。女神の王冠には抽選で当たった人しか上れないとか、私は出発前に日本でPCから申し込んだらOKが出たので簡単に行けるかと思っていたのだが……。

 島から戻り再び、観光バスへ。いろいろ見てはいるが記憶に残らない。どうせ自分たちでゆっくりまた見に来るからというところだ。ブルックリン橋の袂にあるピア(波止場)17で食事。Yankeesのオフィシャルショップも近くにある最近再開発の進んだショッピング・モール、実質何もない。

 観光バスは中華街などを抜けて再びミッドタウンからアッパー・マンハッタンのリンカーン・センターへ。さらにジョン・レノンの暗殺されたダコタ・アパートを見て自然史博物館、セントラルパークを横切りアッパー・イースト・サイドへ。バスはただ走るだけ。ロックフェラーセンターで解散。「なんだよ。JTBボロ儲け!」と笑いながら二人で文句!

 

(5)

 約半日のバスツアーが終わってから二人で下からもう一度上へと歩くことにした。甥っ子Tはまもなく就く仕事柄、NY連邦地裁を見てみたいし、証券取引所も見たいというので早速地下鉄に乗ってGo Down。地下鉄は25年前は落書きだらけで治安も悪く電車内も汚かったが、乗ってみれば、車体はきれいだし、案内表示も分りやすい。ミッドタウンエリアの駅では地下鉄マップはないといって断られるが、すこし中心から離れた駅ではもらえる。だからあまり賑やかでない駅へいってもらうのがコツだ。このマップがないとニューヨーカーでも乗りこなせない複雑な線だ。慣れてしまえばこれほど速く動け便利なものはないのだが、日曜日はくせもので急にダイヤが変ったり、駅が各駅停車だけ閉鎖されたりする。

 一日乗り放題MTAメトロカードで5.25ドル。2,3回乗れば元が取れてしまうから何十倍と得に使える。観光客には最高の手段だ。同じところの繰り返し使用では損だ。

           

 ウォールストリートまでさがり、そこから歩くことに。

 証券取引所は警戒が厳しく観光客は中には入れない。路行く人は白人が多い。黒人ももちろんいる。ウォール街は横通り。ビルの谷間は日がささず年中暗い。911事件後慰霊のために押すな押すなと人が訪れたというトリニティ教会、などを見ながらブロンズ・ブルへ。角を突き上げる牛は株高の象徴。そこからNY市庁舎に向かって歩く。さらに行くと連邦地裁の建物だ。エンタシスの柱が立派だ。中へ入ってみたいというので行ってみるとOKだ。ただし、写真撮影はだめ。カメラを預ける。裁判所法廷の姿は日本と基本的に同じだ、とは甥っ子の話。陪審員席の存在がすこし違うらしい。

 私には興味がなかったが、彼は見学できて大いに満足であったので、私もうれしい。判事か検事の道へ進むと話は違ってくるのだろうが、就職の内定している渉外法律事務所で仕事をするようになるとすれば、NYへも来て仕事をすることになるのだろう。

 次はチャイナ・タウンだ。中華街はそんなに大きくはなかったが、味が恋しくなってレストランに入った。食べたのは肉まんだけ。リトル・イタリーにも結局入らなかった。ガイドブックにあるほどには屋台も出ていなかった。値段はそれなりに高い。

 NY地下鉄の治安は今はほとんど問題ない。駅全体が暗いのが不気味なだけだ。照明灯をLEDライトで明るくすれば解決のはず。

 

(6)

  NY3日目、今度はアッパー地区へ行ってみることに。まずはアメリカ自然史博物館だ。アメリカ人はなぜか恐竜好きだ。私などはどうも子供じみた感じがしてあまり興味が湧かない。トカゲとか蛇の類は嫌いというわけでもないのだが……。アメリカの博物館は実物ではなく、レプリカを多用している。まるで本物だ。科学的にレプリカで再生したものを見せるのだ。だからあまり信用できない。かなり精度の高いものであることは確かだが、すべてが整いすぎている。何億年、何万年も前のものとか説明されても、眼の前にあるものが本物でないと、そうだろうな、というレベルである。もし生きているシーラカンスなどを見たらこれはもう百見の価値のあるものと驚嘆するだろうが……。

 甥っ子Tはそこのshopにあった地下鉄マップ入りのbagがえらく気に入り、それを自分用の記念のお土産に買っていた。

 自然史博物館の次はメトロポリタン美術館だ。そこへ行くにはセントラルパークを横に突っ切らねばならない。自然公園だから緑豊かで、しかも時期が紅葉の季節だからところどころ黄金色や紅色の葉が一面覆っていたりして、きれいだ。(127〜130)公園のなかには氷河期の岩石がそのまま残っている。氷河が年に数cm単位で移動して行くにつれ、削った後が一様な方向についているという岩である。

 さて、公園を抜けてめざすメトロポリタンへ行ったら、なにやら物騒な気配でパトカーが赤ランプを点滅させながら何台か停まっており、ワイヤーが張られて美術館には近づけない。予定が狂った。まぁ、ここは甥っ子が帰国したあと、また一人で来ればよいや、ということにして次はまたミッドタウンへということにしたのだが、その前に一つ気になることがあった。

 それはワシントン、ボルチモア後のNYでの宿である。NYは当初一人のときは5,000円ほどの単身用アパ−トを予約したのだが、後に二人用に変更していた。それが今泊まっている部屋だ。約9,000円と自分にとっては高いがNYのホテルと比べれば段違いに安い。NYの一般ホテルは安くて1万円、普通は2万から3万が相場である。だから10日もいれば2,30万かかってしまう。

そこで、日本にいるときにNYから抜け出た郊外にホテルを探すことを考え、ハドソン川対岸のホーボーケンにある宿DAYS INNを予約しておいた。65ドルと割安だった。ところが場所が確認できていない。そこでこの日、急遽、ホーボーケンを訪ねながら下見をしてみることにした。甥っ子はそれは時間の無駄になるからと文句を言うかなと思ったが、嫌がらなかった。むしろした方がよい、と理解を示していた。そこで二人で下見しておくことにしたわけだ。

さっそく、33通り駅からNjトランジットという地方鉄道に乗ってハドソン川を潜り抜けた。こちらはもうニューヨークではない。ニュージャージー州だ。

町は静かな街だ。ホーボーケンの駅からは宿の住所のあるノースベルゲンというところへ行きそうな市外電車がある。それに乗って電車でどれくらいかかるかを調べたかったのだ。地図を見ると2駅くらい乗れば、そこから歩いて行けそうだ、とおもっていた。

電車に乗ってあたりをつけたが、走り出すともう人家などまばらな郊外だ。駅の周りだけに家が立ち並び、駅は無人駅だ。タクシーやバスもない。単なるレジデンシャルエリアという感じだ。そこで判断して、その予約していたホテルはCXLすることにした。PCを持っていなかったが、甥っ子の携帯を借りてその旨メイルを入れた。これは後々、大正解。代金は還って来ることになったから。

ホーボーケンの中心街に戻り、どこかよいホテルはないかと探して訪ねても、ホテルはないという。表示にホテルと書いてあるのだがと尋ねると、つぶれて今はやっていないということだった。結局ホーボーケンに宿を見つけることは諦めた。時間を無駄にした感じがしたが、ボルチモアから戻ってその時になって、遠すぎるから変更しようとしていろいろやるよりは早い手を打てることになったからよかった。

ホーボーケンの駅構内のカフェテリアに入ったら、ほとんど裸の女が愛想よく飛び出してきた。胸と腰周りだけに衣装はあるが挑発的な格好だ。店へ入れということだが、こちらはそんなに腹は減っていないから、と警戒しながら入らない。そこへ警察官の格好をした大男が来たから写真を撮っても良いかと尋ねたら、もちろんOKということだ。そこで一枚(138)。後で写真をよく見たら彼女はTボーンを持っている。思わせぶったポーズだが、どうやらTボーンステーキ・レストランの誘いをしていたらしい。こういう姿の女性にはこの季節そうそう会えないから戯作材料に撮ったというわけだ。

その日、32通りのアパートに戻り、Wandaさんに後半のスケジュールを話し、相談するとここは空いてないけれども、といってUnion SQ近くにある短期滞在アパートを紹介してくれた。現場を見ないといけないから仮押さえをしてからそこを見に行ってみたら、治安も問題なさそうなので。そこにした。値段も対して変らない。一泊約9,000円だ。

 

(7)

後半のNYの宿問題が片付いたので、金曜日夜は無料入館のできるMoMAへ行き、アメリカの誇る近代美術、―その近代とは20世紀30年代以降くらいの作品群がほとんどだが―の代表作品をみた。さすがに無料展観日とあって人々はごった返していた。しかし、これだけの名画をほとんど無防備に見せているこの度量はすごいことだ。芸術の持つ力への限りない信頼というものが覗える。

私はピカソ、マチースの近・現代を代表する革命的な意味を持つ2枚の大作のほかにはやはりウォーホルが見たかった。ピカソにしてもマチースにしてもあれだけの大作、しかも美術史上革命的な意味を持つ名画を大衆の面前にほとんど無防備といった状態で展示してしまうアメリカっていうのはどう評価してよいのか分らない。人間への信頼と考えるのが1番前向きなとらえ方だろうか?

アメリカ人画家の作品としては、ウォーホルのほかでは写実の名手アンドリュー・ワイエスもよかった。おもっていたより小ぶりの作品であったが……。ウォーホルは全作品が出ているわけではなかったが、あのゴールドマリリンはやはりきれいだった。彼のシンボル女優マリリン・モンローのイコン化という狙いは当たったようだ。金地の背景が効いていた。

MoMAを後にすると、夜の街へ出てみようとタイムズスクエアへ出た。ミュージカル劇場やジャズ喫茶などが並ぶメイン通りをあるいたが、別にどうということはなかった。銀座を歩くようなものだ。ミュージカルも今回観たい出し物があるというわけでもなかったし、スキップした。NYの夜をエンターテイメントで楽しむという過ごし方は一つの過ごし方ではあるが、劇場はどこも当日悠々入れるという状況のようであった。不景気の反映だろう。

 









(8)

 甥っ子の滞在許容期限もこの10月31日で最後となった。次回はいつ来ることになるか分らないが、まだ行っていないNYの主なところへ行ってみることにした。主なところはハーレムとアムステルダム通りのコロンビア大学である。

          

この日はハローウィンということでかぼちゃが路上をにぎわし、人々は仮装行列のような格好をしている。子供たちが集団で仮装しているのを前日から何度も見ていたが、この日は甥っ子が母親から頼まれた化粧品などを買うということでメイシーズ百貨店にまず行ってみた。店員の中には仮装している人もおり、特に化粧品売り場はなかなか見事な化粧振りが目についた。(156,157)街中でもユニオンスクエア界隈はファーマーズ・マーケットの場所ということで巨大かぼちゃが公園を飾っていた。

ハーレムへも行きたいということで、地下鉄で125通り駅までUPした。このころ私は食べたアイスクリームのせいか?お腹が時々痛かった。ハーレムの街中を歩いているとどうしてもトイレへ行き腹に溜まっている悪いものを出してしまいたい、と思った。そこでビルの入り口で、お腹が痛いのでトイレを借りたいと申し出ることにした。尋ねた場所は運がよかったのか、ビルの中X階(数字はわすれた5か6階だったと思う)にトイレがあるからそれを使えという。ビルの中は真っ暗。汚いビルだ。でも背に腹は替えられない。それに甥っ子もいっしょにいるからあまり心配はない。真っ暗なエレベータでボタンをやっと見つけてトイレのある階へ着いた。ここもライトはない。扉が開いているところがトイレだ。そこへ入ると外の明るい光が十分入っている。トイレも汚くなく、手入れされており、きれいだ。安心した。甥っ子に声を掛けて心配ないと呼びかけ、暗い廊下で待ってもらった。5分くらいで用も済み、完全復活。1階まで降りるとさきほどの男がいたので、その親切にお礼を言った。

ハーレムは昼間歩く限りはまったく問題ない。黒人が屯しているが、それ自体はなんの問題もない。麻薬とかを吸っている奴も表通りにはいない。昼間はもう観光客通りという感じだ。

ハーレムを抜けてコロンビア大学ある方向へと歩く。途中路を尋ねた黒人は馬鹿親切で、自分の名前はおろか、住所とemailまで教えてくれる。英語もきれいだ。ひつようがあれば電話でもmailでもしろという。感じとしては怪しさはまったくない、普通の親切な人だった。いわれたアムステルダム通りに出て下がって行くと両脇に煉瓦造りの赤茶色の建物が続き出す。中にはロマネスク風の教会まである。コロンビア大学のキャンパス地帯のようである。起伏のある丘の上にキャンパスがあり、人通りも少ない。

甥っ子が目ざとくColumbia Law schoolの掲示板を見つけた。機会があれば留学先の一つとしての候補の一つだという。NY大学とかColumbiaとかNY州にある大学のLaw schoolをでてNY州弁護士になるのがビジネス的には1番儲かる仕事が多いということだ。日本と違って州ごとに弁護士資格が必要という状況だからだ。次はカリフォルニア州らしい。ただし、日本ではこの資格で弁護士はできない。TVなどでアメリカの弁護士資格を持っているなどと吹聴している輩がいるらしいが実態はそういうことで、日本ではアメリカで取得している弁護士資格というのはほとんど無意味だそうだ。

この日、甥っ子は私の古本探しに付き合ってくれた。私の探しているRexrothの本は以前インターネットではどれもみな10ドル未満で売られていたが、ここNYの老舗書店には在庫がないのだ。

夜はまた自炊。翌日のJFKへ何時のLIRR列車へ乗るかを下調べにPenn駅へ行き、帰り支度をした。私は明日は甥っ子を送った後、NYに戻り、Washington DCへ出発だ。

11月1日 甥っ子にとっては短いNY滞在は最終日となった。NWの帰りの便は12:50発だが、念のためJFKへは3時間前には入っておくことにした。朝、自分の荷物もまとめ、部屋においたままにしてJFKへ向かった。

JFKで甥っ子のボーディングパスの発券を確認すると、そこで分かれた。いつかまた一緒にアメリカを旅したいなとおもったが、もう無理だろうか?なぜか、すこし感傷的になり涙が出た。Jamaica行きのSkytrainがなかなか来ず、すこしイライラした。というのは、今朝、まえもって早くバスターミナルへ行き11:30発のWDC行きのグレーハウンドのバス切符を買っておいたからである。32通りのアパートへ帰ると鍵を置き、時計を見ると11時近かった。急いで地下鉄でタイムス・スクウエまでのり、そこから歩いてバス・ディーポへ入った。

バスは意外と混むと聞いていたが、30人くらいの乗客であった。ここから私の一人旅が始まった。

 

(9)

Port Authority Bus Terminalはタイムズスクエアからワンブロックくらい西へ行ったところにある大バスターミナルである。全米へのバスの出発・到着拠点となっており、大きな荷物を引きずる黒人たちが絶えず出入りしている。行き先別に発券・乗降場の階が決まっている。WDCへ行く場合、バスターミナルは地下へ降りるとバスの発券所と乗り場がある。グレイハウンド・バスは長距離バスだからバスはトイレ等の設備は整っている。11:30発、定刻に出発。リンカーン・トンネルを潜りNjサイドへ。ノース・ベルゲンの予定していたDays INNはどこにあるのだろうと眼を凝らしていたが、わからなかった。分ったことはCXL,Changeして正解だったということだ。もしノースベルゲンに泊まることになっていたなら、時間の相当な浪費となったはずだから……。左へ大きく曲がって一路南下のルートを辿る。NYマンハッタンの高層ビル群が彼方にみえる。バスは高速道路へ入ってからスピードを上げる。道路は片側3車線、完全な上下線分離である。NYの国際空港3つ(JFK,LaGuardiaNA)のうちのニューアーク空港の脇を通ってゆく。変化のない平坦な道路をひたすら走る。しかし、スピードは100km/時速というところでなにかもどかしい感じのスピード。200kmくらいで疾走したい道路なのに……。場所名はわからないが、1.5時間くらい乗ったところで休憩。ガスstationがあったので、ガソリン価格を撮影。ハイオクでも2.8ドル/ガロンであるから25年前のツーソンとくらべて対して変っていない。ツーソンでは2,3ドルくらいだった。物価としては優等生なのだろう。水より安いガソリンだ。

バスは広い大地の中にある自然林なのだろうか一面紅葉(黄葉と言ったほうがふさわしい)となった樹林の中を走り抜けてゆく。ところどころ樹林の切れ目から平野部の畑などが見え、農家とおぼしき建物が見える。のどかなアメリカの農村風景だ。ワイエス的な雰囲気を感じる。(188)大きな川か湾の入り江にかかる橋をわたって暫く走ると大きな都会が見えてきた。フィラデルフィアあたりだろうか?列車や大駐車場が見える。バスはノンストップで高速道路をひたすら走り続ける。やがて帰りに寄るボルチモアも過ぎた。そして2:30頃無事ワシントンDC到着だ。WDCのバスディーポは中心街から外れたところにある人通りが少ないので夜間は歩くのを避けたほうがよいとガイドブックに載っていたが、地下鉄のユニオン駅へ通じる街路は整備され、きれいな街並みが広がっていたので、治安が悪そうな感じはすこしもなかった。

 







(10)

まずは予約しておいたDays Inn ホテルへ荷物を置きに行かねばと思い、地図を見るが、ホテルのある場所は地図からはみ出してしまっている。要するにWDCの中心街ではなく、郊外なのだ。住所から勘でコネティカット通りにある番号から地下鉄駅のデュポンサークルとヴァンネセUDC駅の間くらいにあるのだろうとあたりをつけヴァンネセ駅まで行ってみることにした。

 地下鉄に乗ろうと思ったが、自販機の使い方が分らない。単券を買うことはできるのだが、より得な買い方をしようと思っているので、マシーンの説明を読むのだが、良く判らない。損するのは嫌なので初めに5ドルを入れてみた。発券された切符でもちろん乗れるのだが、それがプリペイド式になっていることを理解するのに時間がかかった。NYのように乗り放題は分りやすかったが、割引式のプリペイドは何回乗るかによってどれくらい買っておくべきかが決まる。お釣りは出てこない。不足が生じるとゲートが開かないので精算が必要になるという仕組みである。

 ホテルは大通りに面していることもあり、一度方向を尋ねただけですぐに分った。ホテルに来るまでに結構時間がかかってしまい、4:00頃チェックインした。そして荷物整理。ホテルはさすがに設備は快適そのもの。キングサイズのベッドの厚さと快適性はすっかり気に入った。腰のベルトの高さくらいにベッドの高さがあるので飛び乗るという感じでベッドへ乗るのが愉快だった。厚みが5,60cmくらいあり、その堅さが柔らかすぎず、硬すぎずで快適そのものだったのだ。結局、そのうちに日が暮れてしまったので、その日はそのまま近くを散歩しただけで、翌日の行動計画を立てた後はすぐに寝た。 

 翌日8:30にはホテルを出た。ヴァンネセUDCの地下鉄へ向かう途中、コネティカット通りはWDC中心街へ向かう上り線が渋滞している。(208)時間帯により一方通行で4車線となる。この通りはビジネス街へストレートに通じているのだ。地下鉄も結構ラッシュアワーで混んでいる。それでも東京ほどではない。NYよりは白人が多いが、黒人の身なりを正した紳士、淑女もかなり乗っている。官庁街へ勤めるビジネスエリートたちの群れだ。地下鉄の案内がよく聴き取れない。駅名の文字を見てから注意して聞くとああそうか、という感じ。やはり、眼に頼る。

 最初にワシントン・モニュメント塔へ昇ろうと決めていたのだ、フェデラル・トライアングル駅という中央官庁街中心駅(霞ヶ関みたいなもの)で降りてからD.Cヴィジターセンターへ行き案内書をもらった。記念塔には早く行って切符をもらわないといけないので、急いで歩く。目の前にはオベリスク型の塔が聳え立つ。広い広場が延々と続く。清潔感の溢れる街づくりだ。エリプスと呼ばれる広場の脇を通り抜け発券場へ行ったらまだあまり人はいない。切符をもらってから国旗が一周する下に搭乗を待つ人が並んでいるところまでさらに歩く。4,50人くらいの観光客が待っている感じだ。待っている間に前後左右を見渡すが、広々として実に気持ちが良い。議事堂(U.S.キャピタル)とリンカーン記念堂が対称的な位置になり、ホワイトハウスとジェファーソン記念堂のある河畔が対称になる位置だ。ワシントン記念塔には20名くらいづつ昇れる。入り口でボディ・チェックと手荷物検査を受けた後、エレヴェータへ乗り、一気に上の展望室まであがる。

           

 ほぼ東側が議事堂、北がホワイト・ハウス(大統領官邸)西側がリンカーン記念堂、南側がポトマック河畔である。展望室からはWDCのすべてが一望できる。現場へ行かなくてもこれで全体は見たという感じ。紅葉した樹木と緑芝生と木の葉の公園と白亜の殿堂たる議事堂、リンカーン記念堂、ジェファーソン殿堂、ルーズベルト殿堂そしてモダンな高さの均一な白い官庁ビル群、そしてスミソニアンキャッスルと呼ばれる情報案内所などとの調和がなんともいえない。人工的ではあるが、その分調和がとれており、気持ちが良い。NYとはえらい違いだ。

 この後、上から見たそれぞれの建物の中を見ることになった。最初は第2次大戦記念公園(228、229)を経てリンカーン記念堂へ。そして水に映るオベリスクという絵を写真に撮った。

          

 広大な公園の中には戦争にまつわる記念碑や彫像がいくつかあった。ベトナム戦争、朝鮮戦争の戦場に於ける兵士たちの姿を再生したものである。(234、235)

 公園はそのまま南側へ抜けるといわゆるポトマック河畔のさくら並木に出る。テイダルバズンというのがさくら並木のある公園なのだが……。桜の葉はすでに枯れて落葉も目立つが紅葉との組合せで見るジェファーソン記念堂なども絵になる。(236,237)

             

 桜並木にそって歩いた後、ホロコースト記念博物館へ入った。表には人は目立たなかったが、中は混雑しており、ナチのユダヤ人虐殺のさまざまな資料や物質的な装置、道具などが展示されており、そこには日本の東条英機のすがたもあった。

 博物館や美術館は丁寧に見始めるときりなく時間をとられてしまうので、適当に一箇所1時間以内を原則にした。スミソニアン城と呼ばれる中世城郭風の建物はヴィジター用案内所になっている。スミソニアン美術館、博物館はすべてこの財団が運営管理しており、入場料は無料である。どの博物館・美術館も1000円の入場料でも安いレベルの展示品ばかりであるにもかかわらずである。このスミソニアンという人は英国人であり、その財をアメリカへと寄付したのだそうだ。まさに奇特な人だ。

 博物館・美術館はモールと呼ばれる広大な長方形の広場を南北対象にして建物が連立している。見学日初日は南側の建物を見ることにした。特にほかには絶対無い宇宙・航空博物館は必見ということで丁寧に見た。科学博物館である。(244〜248)

               

そのほか、アメリカン・インディアン博物館も見たが、こちらはあまりたいしたものはなかったように思う。インディアンの場合は一口にインディアンといっても部族が多種すぎて焦点を絞らないときちんと見ることができない。私の関心領域であった北太平洋沿岸のインディアン芸術品はあまりなかった。お土産shopには彼らの工芸木工作品がかなり高い値段で売られていた。彼らの作品は一般にインディアン芸術の中でももっとも芸術性が高いといわれているからだろう。

 US議事堂はあらためて訪れることにしていたから、議事堂を背景に写真を撮ってから今度は地下鉄に乗り、ポトマック川を越えて、アーリントン墓地へと行くことにした。地下鉄で20分くらいの距離である。そこはもうヴァージニア州なのだそうだ。みなワシントンDC郊外と思っているが……。

 軍人を中心にした名門墓地として有名であるが、なんといってもJFKennedyの墓地である。地下鉄で来る人よりは観光バスでグループで来る客が多い。

        

 ケネディの墓が目当てであるからそこばかりが混んでいて、後は閑散としている。一軒ちょうど埋葬式が済んだばかりのお墓があったのでその神々しい光景を撮ろうとしたら、そこでカメラのバッテリーが切れた赤ランプがついてしまった。こういうときにバッテリー切れは痛い。そしてボルチモアでもひどい目に……。ともかくもアーリントン墓地は閑静なきれいな公園墓地だった。ペンタゴンへも行ってみようかなと思ったが、どうせ中には入れないし、上空からしか5画型ビルは見えないだろうと行くのを止めた。

 WDCへもどると、その日は地下鉄のギャラリープレイスで降り、肖像画美術館と中国人街へと行ってみることにした。肖像画美術館は特徴のある美術館であるが、私にはウォーホルのマリリン・モンローしか興味がなかった。彼の肖像画シリーズの登場者たちの作品がすべて揃って展示されているかと思ったが、そうではなかった。

 このほかにもWDCにはおもしろい民営博物館があった。その一つはスパイ博物館であり、スパイの必携品とかが展示されているのだが、漫画的なのでショップを覗いて見ただけで止めた。探偵ごっこみたいな感じであまり品の良くない感じだったので。

 暗くなってから夕食をかねて中華街へ行ってみた。治安は良くないということであったが、結構人の出はあり、店も賑わっていた。店の前で一人で入るのを躊躇している東南アジア系の顔立ちの女子学生がいたから声を掛けた。中国の人かと思ったら、マレーシアの人ということだった。一緒にお店に入ったが、テーブルは別々にした。親子に思われて、勘定書きがこちらに来ると思われたから。離れた席で食べながらちょっとだけ話をした。インディアナ大に留学しているとか言っていた。音楽専攻ですか?と聞いたら違う、ということだった。あまり興味がなかったので忘れた。中華街で食事を終えた後はそのまま地下鉄でヴァンネセUDCへ帰ってきて、夜のデュポン・サークル駅まで出てみた。若者たちで賑わうところと案内書に書いてあったからであるが、コネティカット通りから脇に入った道には店もほとんどなく、いくつかのバーかカフェがあった程度で静かなものだった。大通りも人は出ていたが、興味を惹くような店はなかった。芸術写真を売っているところはあったが。古書店があったのでKRexrothの詩や評論が在るか尋ねたが店の主人はわからなかった。

 

(11)


 翌朝からはThe Mallの右側のスミソニアンを見るつもりで、地下鉄のどこから行こうかと迷ったが、ジュディシャリー・スクエア(裁判所地区)駅から観光外を歩いて、議会議事堂を経てからスミソニアンには行くことにした。

 駅を降りると正面に建築物博物館の建物、このビル自体がミュージアム・ピースという感じの煉瓦色のきれいな建物。朝の官庁街は勤め人にスナック菓子を売る車屋台が出ている。甘塩煎りピーナツとかポテトチップス、ガム、キャンディ、チョコレートなどを売っている。法務省、労働省にそった通りを歩くとユニオン駅から伸びるルイジアナ通りがある。そことぶつかったところの公園に第2次大戦中日系アメリカ人の収容記念碑がある。日本人はこんなところに来ないだろうが、Rexrothがらみでも興味深い記念碑である。

 ユニオン駅広場から議事堂へ向かうと途中検問所があり、チェック。裏側へ回った議事堂の姿もなかなかの雄姿だ。真っ青な空、公園の枝葉の紅葉と白亜の議事堂そして緑の芝生のコンビネーションが実に鮮やかできれいだ。絵になる光景である。

 議事堂の中にはすでに見学者が個人、グループなどでかなり来ている。議会場は開いていないが、各フロアーは自由に動ける。議事堂からさらに有名な議事堂図書館に通じる地下通路を歩む。雨の日でも濡れることなく300mくらいの地下道を通って行ける仕組みになっている。

 図書館は300万冊を収蔵しているとかで世界最大級の規模ということだ。各階とも天井が高く、内部は豪華な大理石の柱と階段で重々しく建てられている。円形の閲覧室も覗くことができる。図書館の権威を高める建物である。

 議事堂見学の後は昨日に引き続きスミソニアン見学だ。今日は右側ということでまずは近現代アート館からはじめた。リキテンシュタイン、フランク・ステラ、カルダーなどの作品が目立った。作品はみな大ぶりだ。アメリカの現代絵画はみな野外に展示したり、建物全体分の壁画や壁に吊るしたり、備え付けるものが多いのででかいものが多い。

 ピカソ、マチース、ドラン、ダリ、デルボー、キリコなどの画集に収録されている作品が眼の前にいくつもある。アメリカへ運んだ時は個人が買い集めたものがいつしか国家の宝物として寄贈され公開美術館へと収められる。相続税や贈与税などにたいする仕組みの違いがこうした公開作品にしやすくしているのだろう。

      

現代作品を見終えたあとは地下道を通してつながっている西館の国立ギャラリー(名画館)である。ここには私が以前から見たいと思っていたジョットの聖母子画があるので、それだけ見れば十分だと思っていた。(324,325)ダヴィンチの数少ない真作画もある。要するにイタリアルネッサンス期の巨匠たちをはじめ泰西名画のオン・パレードである。部屋の数が多く迷路のようである。これを丁寧に見たら1年あっても足りないというくらいである。やや食傷気味、辟易したのでナショナルギャラリーは逃げ出した。すこし、外を歩きたくなったのでインスタレーションのある公園を歩いた。そしてもう一度宇宙・航空博物館に行きたくなったので行き、超薄型ブランケットとかさかさまになっても書けるボールペンなどをお土産に買ったりした。野外彫刻公園を再び歩いてから今度は自然史博物館である。NYでもそうであったが、なぜか恐竜の展示物が多い。自然史だからしょうがないが、なんとなく子供じみて見える。人体の骨格標本などもみなレプリカの展示だ。おもしろくないからすぐ出てきてしまった。入館料無料というのがそういう行動を容易にとらせる。アメリカ歴史博物館もアメリカ建国史と独立運動そして国家の統一過程などを教科書的なレベルで分りやすくしてあるだけであまり興味がもてなかった。それでもそうした中にフランク・ステラやウォーホルの作品があるとそれらを撮ったりはしていた。

博物館、美術館に飽きたのでホワイトハウスまで行ってみることにした。今は警戒が厳しく昔のように内部の公開はされていない。

ホワイトハウスを見たあとは適当に町を歩いていたら、少年たちがローラーボードに乗って広いリンク状の広場で快速走行をしていたので撮ってみた。が、良く撮れていない。リンカーンの死んだ家、マーチン・ルーサー・キング記念図書館なども訪れてみたが、ただそれだけであった。

    

一日中歩いていたのでさすがに疲れた。地下鉄の内部の写真を撮っておいた。(366)WDCの地下鉄は韓国のそれのように大深度地下鉄だ。50mくらい潜ったところを走っている。(373)駅構内はなぜかWDCのそこも薄暗く顔などがあまりはっきり見えないようになっている。黒人などは相当眼が良くないと識別できないのではないかと余計なお世話だが、そう思ってしまう。(387、388)

駅はみな急傾斜のエスカレータが動いているが、動いていない時もある。こうなると歩いて上るしかない。住民は大変だ。

デュポン・サークル駅コネティカット通りの夜景も光が届かずきれいには写っていない。

WDCでもいわゆるレストランなどには入らなかった。スパーマーケットにおしそうなハムや七面鳥の肉入りサンドウイッチがあるので、それに野菜サラダや野菜などを適当に買い、連日食事とした。向こうのものはすべて価格は日本と同じでも量が多い。サンドウィッチは圧倒的においしいし、種類もある。ホテルでは自炊はできなかったが、こんな食事でも10日くらいまでなら持つ。

WDC最後の日、午前中フィリップ・コレクションのあるフィリップ美術館へ行った。フィリップ私邸を公開している私設美術館だが、コレクションの中身はすばらしい。お金の力に任せて購入した各有名画家の代表作コレクションという感じであるが、ルノアールの「舟遊び」(381)など、ピカソ、マチース、そしてボナールがあった。瀟洒な館という感じで好感度ナンバーワンであった。

 この地区に売りに出しているアパートがあったので連絡先の電話が入っていたので撮ってみた。静かな住民の質も良い高級レジデンシャル地区なのだろうから5,000万くらいはするのだろうと推測したが、実際は分らない。

 フィリップコレクションを見た後、ホテルへ戻りチェック・アウトしてからユニオン駅からボルチモアへ行くことになった。

 

(12)

 WDCからBaltimoreへはいろいろな行き方があり最初はバスで行こうかとも思ったのだが、AMTRACK以外の鈍行列車があることがわかったので、それでのんびり行くことにした。行き先はボルチモアの中心街までは行かず、国際空港までの列車である。空港から先のアクセスは分らないがなにかあるだろうと楽観してMARCという列車に乗った。たった3ドルである。信じられない安さである。途中の景色も悪くない。郊外に住む人々がどのような暮らしをしているかがなんとなくわかる。各駅ごとに駅の前に大きな駐車場があり、住人は自宅から駅までは自家用車で来て、そこから列車でWDCへ通っているらしいい。都心は渋滞で車が使い物にならないからこうして能率よく車と列車を組み合わせて生活しているようだ。列車はガラガラ、車内は汚くはない。すべて普通だ。乗降客もほとんどない。駅の近くにしか建物は見あたらない。駅の間は畑か荒地か森林だ。列車は30分ほど走るとBMI駅へ着いた。他にも数人下車した人がいた。どうやらBMI空港へ行き飛行機に乗るらしい。私も後につぃて追いかけるようにしてシャトルバス乗り場へ行きバスを待った。10分ほどするとシャトルバスが来て、空港まで無料で運んでくれた。

 空港では中を一周する事になったが、BMIからボルチモアへ行くライト・トレイン(市郊外電車)があることがわかり、一安心。これも便利だ。国際空港なのだからぜったい何か便利なアクセスがあると思っていたから、してやったりだ。

             

 ライト・トレインも間もなくしてやってきた。沿線にはこざっぱりした中流階級の家とおぼしき広い庭のある家が散在している。やがて次第に都会の姿が見えてきた。ボルチモアはメリーランド州都だ。高層ビルが見える。そして赤茶色のでかい建物は有名なボルチモア・オリオールズの球場キャムデン・スタジアムだ。上原投手の本拠地だ。ベーブルースもここの出身であり、NYヤンキースの前身はここから発したということだ。野球街なのだ。日本の甲子園のようなところ。郊外電車はずと北のほうまで走ってゆくが、私はとりあえずダウンタウンと思しき高層ビルの立つエリアであるインナーハーバー近くに降りることにした。海が見え、船が見える。港町なのだ。(425〜428)むかし、メイフラワー号の上陸地のプリマスで大西洋の海水を手に浸した時感激したが、今度もそうしたくなり、波止場まで行ったが、岸壁が高く手を大西洋の海水につけることはできなかった。

 案内所に行き市街地図をもらい、自分のいる位置関係と距離を大体頭に入れた。最悪、歩いても縦横2km四方くらいなので歩ける、と安心して歩き出した。高いビルを見ながら写真を撮ったりしてランドマークとするビルの形を覚えたりした。路も平行路が多いから標識通りに歩けば問題ない。ただサンフランシスコと同じで坂道がある。AGODAで予約しておいたホテルのアドレスを頼りにセントポール通りをバゲッジを引きずりながら上って行く。坂道はいったん下りだす。また登る。すると港や港の高層ビルはみえなくなってしまった。街はだんだん古臭い建物や壁に落書きなどの入った建物が出てきた。なんとなく、夜は危険な感じ。日の落ちるまでには宿を見つけたいと思い、すこし急ぐ。住所とビル番号からそろそろ着くはずだ、と思っていると小さな看板でRodeway innと書いてある。入り口は小さく扉一枚だ。それでもたしか60ドルくらいはするはずだ。

 中へ入るとインド人の顔をした主人が一人パソコンでゲームをして遊んでいる。私が名前を告げると、さっそく部屋を案内してくれた。古臭くて消毒の臭いがきつかったが、まぁいいやとOK.。荷物を整理してから近くを散歩してみた。 


(13)


ホテルの場所は地図で確認するとピーポディ音楽院のすぐ傍であることが分った。ピーポディは音楽学校としてはかなり有名で私はボストンにあるのかと思っていたが、各地に分校があるようだ。ボルチモアはいわゆる観光都市ではないから有名な観光名所はあまりないが、聖イグナチオ教会などは古式豊かな立派な教会だ。このあたりはかつての中心だったらしく、ワシントン記念塔が建っており、この中を徒歩の階段で上がれるようになっていた。翌日ここに上がり、360度の景色をカメラに収めたのだが、悲しいかな今度はメモリー・オーバーとなってしまい、泣く泣くそれらを含め100枚くらいの画像を消去した。ニューヨークでは新たにメモリーを買うこととして、それまでは節約して使うことになってしまった。

 

ワシントン記念塔の傍には市営のウォルター芸術美術館があり、これが地味なのだがすばらしい作品が数点あった。私は特に古代ローマにあったポンペイからの出土のような肖像画がとてもきれいでその人物画気に入った。(435)これは何かの画集で見たことのあるような絵だ。またダヴィンチの一応真作とされる肖像画もあった。これは盗難を避けるためだろう高いところにあってすぐ近くでは見ることができなかった。(436)意外な穴場の美術館のほかにも街自体が結構ヨーロッパ的な古い赤茶色の建物がある。ただ、旧市街とでも言うのか、建物が建築後5,60年経っている感じだ。骨董通りといわれるREAD通りとHOWARD通りの歩いてみたが、骨董といっても家具が中心であり、掘り出し物的な小物は見つからなかった。赤茶色の大きな建物が見えたので表示を見るとメリーランド総合病院であった。

ボルチモアを訪れたのは自分には直接関係ないが、医学を学ぶ甥子のW(Tの弟)が近い将来可能ならば、提携先のJohns Hopkins大学医学部病院へ派遣留学で行きたいということを聞いていたので、そこはどういう大学なのかを知りたくなったという理由もあった。もちろん、私自身の関心事のボルチモア美術館のマチース見たさが一番の理由であるのだが……。

メリーランド州立病院なのだろうか、建物はワン・ブロックをすべて占めていた。ところどころにボルチモアの名所案内が立てられていた。

ボストンあたりでよく見かけたビルの外に非常階段があるビルなどなかなか味のある街であった。興味本位で、売り出し中のビルの写真を撮っておいた。2000万円くらいのビルかな?

翌日、さっそくボルチモア美術館へ行くことにした。市内地図には載っていない北部郊外にある。市バスに乗って切符を買おうとしたらそのまま乗れという。美術館近くの停車場へ来たら教えてと頼んでおいた。10分くらい走るとここで降りて左側へ歩けばすぐだと教えてくれた。料金はいくらかと尋ねると要らないという。ラッキー!親切?な黒人女性ドライバーだった。美術館の開館時刻までまだ時間があったので付近を歩いて見ることにした。美術館の建物は公立美術館としてはなかなかモダンな感じ。美術館の周辺は閑静な住宅地となっていた。後で分ったが、ジョンズ・ホプキンス大学の教養および医学部以外の専門学部のキャンパスは美術館の裏手にあった。大学キャンパスについてはまた後で記すとして、住宅街を歩いているとカラフルで奇異に感じる意外な建物に出くわした。タ屋根には三日月が飾られたり、像が備え付けられている。しかも家中原色調で色塗られている。普通はそのけばけばしさに辟易してしまい、とても見ていられないのだが、この建物はなぜか人を吸い込むような魔力がある。建物の周囲を回ってみると女性の下半身脚部とかマネキン人形とかいろいろなものが生活用品と組み合わされて飾られている。すべてを芸術作品として処理展示している。           

 組合せが絶妙なのに惹かれてなんだろうと入りたくなった。建物は特別大きいわけでもなく、縦10mx横15mくらいの1階建てである。(地下室があった)中に入るとますます驚いた。女性の裸体人形が眼に入り、ちょっと怪奇的、猟奇的な感じがしたが、良く見るとオドロオドロしたところがないので不愉快ではない。村上隆的な明るさもある。そこはレストランなのだ。建物への興味からテーブルについてコーヒーを注文して、内部をよく観察し始めた。すべて日常安く手に入るものをよくぞまぁこれだけ集めたという感じにいろいろなものが天井から壁そして棚にまで飾られている。しかもすべてに彩色が施されている。飾り方も一様ではない。方向もなにもすべては出鱈目に見えるが、個々に見ていると気が変になりそうだが、全体としては収まっている。心の不安定さも導かない、実に不思議な空間である。これは超一級の芸術世界だと感じた。まったく期待も予測もしていないところにでくわした快適な異次元空間である。恐らく地元の人以外は誰もその存在を知らないことだろうが、これは全米でも
No.1といってよい作品だと私は思う。芸が細かい。天井に飾られた扇風機のファンの羽にはボタンが一面に貼り付けられており、ボタンがうまく光に照らされている。実に見事なのだ。世界中にその存在を知らせたい。5000万円で売ってくれるなら、スタッフも含めてまるごとその家を日本に持ってきて、東京のどこかにレストランとしてオープンさせたい、そんなつくりなのだ。すごいものを知ってしまった。この建物は飽きない造りになっている。しかも、磔刑の女性キリスト図まである。このパロディー・センス、けして不快ではない。この建物に出会えただけで今回の旅は大成果を得たと言える。

美術館の周辺の閑静なレジデンシャル・エリアに建物の売り物件が出ていたのであわせて写真に撮った。庭がないのが残念だが、長屋敷の連続したマンションという造りである。都心部郊外の一軒家は路上駐車を当然としているようだ。(478)

ボルチモア美術館に戻る途中に、赤レンガの落ち着いた建物が大庭園の中にあったのでなんだろうと思って行ってみたら、そこはJohns Hopkins大学キャンパスであった。ヨーロッパ的な落ち着いた中規模の大学である。キャンパスの内部に入るのは美術館の後にすることにした。(480)

ボルチモア美術館はH.Matisseのコレクションで有名である。油彩画はこぶりなものであるが。デッサンや版画がすべて揃っている。マチースの全体を理解するためには欠かせない作品と資料が揃っている。何度も構図を描き直した作品として有名な裸体画(桃色)も赤と緑の作品が対になって存在している。後は部屋の中で安楽椅子に座る女性の数作品が画集には良く出ている。マチースのほかにも一点であるがゴッホとゴーギャンの作品もあった。そして現代美術もあった。

        

一通り見終わるとJons Hopkins大学へと入ってみた。(493〜500)こじんまりまとまった落着きのある大学である。医学部が全米No.1グループの水準にあり、特に有名らしい。私はWにそのこと聞くまで全然知らなかったが、ハーヴァードと双璧なのだとか。だから東大もプログラム提携しているのだろう。ただし、このキャンパスには医学部はなく、それは大学病院と一緒に街の東部にある。そこは翌日行ってみた。

その日は美術館の後、レキシントン・マーケットという地元の胃袋となっている市場へと行ってみた。海の幸が豊富に揚がり、カニ・ケーキが評判ということで行ってみた。市場の中はなるほど混雑していた。肉、野菜、惣菜、菓子の類まで何でもある食料品マーケットである。その中にカニ・ケーキを食べさせるところがある。宣伝によればボルティモアで1番カニ・ケーキのうまい店なのだそうだ。私はお菓子なのかと思っていたが、頼んで食べたのはカニ・揚げコロッケという感じの揚げ物。なるほど高い(小サイズで3$位した)が、カニの繊維が詰まっていて旨い。サイズは小で十分であった。

それから地下鉄に乗り、ジョンズ・ホプキンス大学病院へ行ってみることにした。ガイドブックには犯罪多発地帯につき要注意となっているのだが、どうもわからない。超一流病院ならば来院者もお金持ちが多いはずだから治安だって悪くないはずだ、と思うのだが、人気がないということであぶないらしい。確かに東の端まで行く地下鉄に乗る乗客はほとんどいない。終点駅には数人しか降りなかった。地下鉄の地上の出入り口には制服の警察官が立っていた。大学病院そのものは駅のまん前からキャンパスとなっており、子供病棟などは眼前のビルである。ざっと建物だけを見て帰ってきた。写真番号が飛んでいるのは実際はもっとたくさん撮影したのだが、メモリーが足りなくなり、100枚分くらいを消したその中にこのボルチモアの写真がほとんど含まれたのである。ニューヨークへ行くまでの間、手元にもう一枚あった予備のメモリーを1GBのものとすっかり思い込んでおり十分大丈夫とおもっていたのが試供品のXDメモリー16MGであり、ほんの数枚しか撮影できなかったのだ。この点で、メモリーをやはり2GB分は持っていなかったことを後悔した。10日以上の旅では必要だ。

結局、ボルチモアの写真は十分には撮れなかったまま、ニューヨークへ戻ることになった。中心街北部にあるユニオン駅(662)からAMTRACK列車に乗り、1週間ぶりにNYへと戻った。(Bal.→NY Penn 110ドル)列車からはやはり紅葉が見えたが、メモリーの保持ばかりを気にしていたので好い写真が残っていない。

 

(14)

ニューヨークへ戻ってすぐにしたことはXDカード1GBの購入である。Penn駅の前の32通りにカメラ屋があったのを覚えていたので早速そこへ行きXD1GBを買った。これで大丈夫だ。(―と思って大いに安心したのだが、帰国後PCへアップした後に、データ消去し、フォーマットしようとしたがこれが出来ない不良品であることがわかりがっくり、という落ちがあるのだが―)

ともかくも、また思う存分写真が撮れることになった。マディソン通りから見えたエンパイアービルを撮って、撮影再開。

その日はまず、過日使っていたアパートのWANDAさんのところへ行き、グラマシーの別のアパートのチェック・イン時刻までの間、荷物を置いておいて欲しい旨頼んだ。問題なくOK。もし、当初の予定したNjのノース・ベルゲンのホテルへ行くことになっていたとしたらそうは行かず、貴重な滞在時間をだいぶ無駄にしたことであろうと思うと、CXL連絡は適切な判断であり、正解であった。

そこで行動再開。甥っ子Tと一緒の時には行かなかったエリアへも行くことを計画した。特にミッドタウン直下のグラマシー、チェルシー、イーストビレッジ、ウエストビレッジそしてマンハッタン島外のブルックリンやブロンクスへも足を延ばすことにした。 

 

厳密にはグラマシー地区にあるアパートメントホテルはPark Ave.と1st通りの交差点からすぐの場所にあり、近くに3rd通りの地下鉄が走り、スーパーマーケットもあり利便性はよかった。建物は外見するところ汚く、最初は不安だったが、設備は最初のアパートと同じく上等であった。広さもロフトがベッドとして使え、寝ようと思えば3人は収容可能という大きさであった。これで99ドル。(519〜522)一人では割高だが、次回2人でというのならまた使いたいところ。今度の管理人は日本人の若い娘であった。アメリカ人と結婚しているというのだが、ちょっと軽い感じの娘。興味はなかったが……。

さて、32通りから1st通りへ移って、荷物を整理してから、その日は金曜日であったので、夕方からMoMAへ行くことにした。また名画をゆっくり見たくなったからである。4:30から只になるということで行列ができるらしいとのことを聞いていたので、すこし遅めに行って正解。待たずにそのまま入れたので、まずは過日丁寧に見なかったウォーホルの「ゴールド・マリリン」を再度観た。ゴールドの背景が効いており中世的なイコンの雰囲気を出そうとしているのが分る。そして水色のスカーフとピンクの肌、そして金髪、ブロンド髪の色のバランスがなんともマリリンをかわいい姿にしている。色気で惹きつけようというような媚びた感じのない清純なイメージの娘マリリン・モンローである。金色の背景と肖像の大きさのバランスについては趣味の違いがあるかもしれないが、この大きさであることで聖性が出ている。仏画的な感じさえある。人々はこの画像の前を意外と素通りしてしまう。その分ゆっくり観ることができて満足だ。写真もOKだ。もっともフラッシュの光に反射してしまい、きれいには撮れないのだが……。

ウォーホルの後はピカソの「アヴィニョンの娘たち」へ行きしばし鑑賞してからマチース「ピアノを弾く少年」、ルソー「砂漠のライオンとマンドリン弾き」だ。良い作品はいつまででも観ていられる。夜の街には興味もないからそのままアパートへ直帰した。全裸のグラマーモデル?の写真入の雑誌があったので、それをデジカメで撮ってみた。結構好みのタイプだったので。アメリカ人は(ヨーロッパ人も)肉体では唇を頭についた精神(気持ち)のやどる場所と思うとかで娼婦たちは唇を使った愛撫はしないという。愛する対象の男以外には……。下半身は金を稼ぐ機械的な穴と心得、割り切って早く男の射精欲を満たしてしまい、早く切り上げようとする、ということだ。気持ちの通い合わないSEXのどこが良いのだろうと思う。

翌日、地下鉄Lラインでブルックリンへ行ってみた。L線でイースト・リバーを潜り抜けるとそこはロングアイランド側のブルックリンだ。ベドフォードAVEで降りて、そこからすこし歩いた。

           

ビーリ醸造工場とか繊維工場などがあり、壁にはGraphtyと呼ばれる「落書き」があちこちに見られる。おもしろい建物があるので近くまで行って確かめるとロシア正教会だ。こんなところにという感じだ。メトロポリタンAVEまでのんびり歩きそこからまた地下鉄GでHoyt駅へ。そこからブルックリン・ハイトの公園へ行こうかと思ったのだが、この日地下鉄2ラインが停止。

結局、歩いてブルックリン橋まで行くことになった。(538〜551)この橋を渡る間、やはりNYらしい光景を随所に見ることができ、写真は枚数を重ねた。マンハッタンの林立する高層ビル群、そして遥か遠くに見える自由の女神と手前の高層ビル群、歩いてわたるブルックリン橋はNY散歩の醍醐味だということが実感できた。途中、若い女性が太い鉄管の上に跨りなにかをし始めた。近づいて行くにつれ、彼女は官能的なレオタード姿で橋の鉄管からなる欄干の上でバレーリーナのようなポーズをとって自己アピールを始めた。女性の顔立ちも悪くない、肉体も官能的で魅力的だ、カメラの被写体として絶好だ。そこで正面から「写真を撮っても良いか?」と尋ねたら「もちろん」とにっこり笑いながらポーズをとってくれる。落ちたらどうする!というこちらの心配にお構い無しの彼女、正面から見ると肉眼でも眩しくて顔が良く見えなくなってしまう。太陽の位置が逆光なのだ。できた写真(550)はやはりフラッシュが太陽に負けてしまっている。残念!

               

ずっと彼女の傍にへばりついているのも変なので、降りないの?と聞いたら人を待っているという。下のほうを見たら男友達が2,3人手を振りながら上がってくる。邪魔するだけ野暮と思って、誘うのを諦めて、通行人になってNY市庁舎側へと歩いた。とっても素敵な感じの彼女だったが……。

そこからまだ行っていないチェルシーマーケットへ行くことにして地下鉄に乗った。地下鉄は考えようによってはうまくできていて、混雑が重ならないように各ラインの駅は直接交錯する駅以外では少しづつ離れたところに駅がある。パークプレシから1番か2,3番でチェルシー地区につながる。チェルシーマーケットはすごい込んでいるが、特別安いというわけでもない。家族で買い物に来て1週間分の肉や惣菜などを仕込む場所である。建物の中にはたくさん食べ物屋と販売店を兼ねた店がたくさんある。建物内にはペット連れ込み禁止らしく毛むくじゃらの犬が消化栓に繋がれていた。(552〜556)

             

チェルシー地区にはチェルシーホテルやガーゴシンなどの有名画廊、骨董屋が多いのだが、通り過ぎただけ、さらにソーホー地区も歩いた。(556〜563)

またリトルイタリーと中華街にゆきたくなった。一つにはお中がすいてきていたから何か中華街で食べようと思いついていたからだ。中華街では肉まんと蝦シューマイを食べた。中華街の割にはやはりNYは高い。なかなか5ドル以内に収まらない。

 

お腹がくちくなったので再び地下鉄でセントラルパーク傍のアップルビルへ。PCが自由に使えるからだ。今度の旅の反省の一つに携帯PCをもってこなかったことがある。NY否、アメリカはもはや情報収集装置としてのポータブルPC、iPodなどは必携品である。甥っ子Tがいるときは携帯電話でemailを使ってCXLの連絡ができたから返金となったが、あれがなければなす術もなく、危うく宿泊代約3万円をまるまる無駄にしてしまうところであった。次に訪れる時はローミングサービスを使える携帯電話か無線LANつきPC必携だ。

アップルビルでは特にどうと言うことはなかったが、日本の株価を見てみた。セントラルパークでは人間自由の女神が大道芸人として建っていた。NYらしい光景として一枚。(564〜570)NYらしい光景といえばブルーミングディールというアメリカ一の高級デパートはのべつ幕なしに国旗を掲げている。自国のものならこれは分るがなぜ日本やドイツとかも挙げるのだろう。

NY3大古本屋の一つアゴーシー書店へ行きK.Rexrothの本を探したが、求めていたものはなかった。アパートはユニオンスクエア経由の地下鉄で帰ってくるが、途中大道芸人としてはレベルの高いヴァイオリン演奏家がジャズ風にアレンジした「G線上のアリア」を披露していた。(577〜579)

夜はアパートで牛肉ステーキを焼いて食べた。肉は安く$3ほどで25cmx8cmくらいの肉があり、やわらかかったしおいしかった。


(15)


NY最後の自由に動き回れる日、11月8日、この日はNYヤンキースタジアムのあるブロンンクス地区とNY野外アート探索をテーマに歩くことにした。

さっそくブロンクス方面行きの地下鉄L→B線へとつないでヤンキースタヂアムのある161st駅まで北上した。前日にはワールドシリーズ制覇したヤンキースの市民への凱旋パレードが行われた。パレードはものすごい人出だったそうだ。私はその日観に行かなかった。今から思うと億劫がらずに行けばよかったなぁと反省している。二度とない世界という認識が足りなかった。

         

さて、朝早くヤンキースタジアムへ行ってみたが、誰もいない。球場の入り口は堅く閉ざされており、人はいない。ショップなどももちろん閉まっている。何もないので球場を一周して帰ることにした。左手には昨年まで使っていた旧球場があった。裏手には高層マンションがあり、これはそれなりの所得層の人々が住んでいる感じの良い雰囲気であった。線路沿いに歩いて行くと球場の高い壁には有名選手たちの写真と背番号などが一人5mx3mくらいの大きさで掛けられている。MATSUI55もあった。それから台湾出身の王健民投手40もあった。後はジータとかロッド(ロドリゲス)とかである。このごろは野球に対する関心がすっかりなくなっている。15歳くらいのときのあの情熱は何だったのだろう。受験やGirl friendへの反発と逃避かなとも思える。やっぱり自分がプレーしないとおもしろくないのが野球だ。そしてプロ選手のゲームの組み立て方を参考にするのがおもしろい。

さて、ブロンクス地区はヤンキース・スタディアムが1番入り口といったところでさらに北上する。地下鉄の終点は1,2、4、5、6、B、Dラインの各駅がそれぞれブロンクス地区にある。ブロンクスには動物園があるが他にはめぼしい観光地はない。いわゆるベッド・タウン地区だ。

再びマンハッタンに戻り、野外アート探訪に絞って動くことにした。

 

(16)

 

 ブルックリンから地下鉄で59th通りで降り、ブルーミングスディル百貨店からDownという順で野外アートを見てゆくことにした。

594はフランソア・サヴィエール・ラレンヌという作家のものだ。猿のブロンズ彫刻作品で2008年作と書いてある。

IBMにはいろいろなものがあり、赤いのは確かカルダーの作だったかと思う。これはWDCのスミソニアン野外インスタレーションにもあった。大きな朱色の鉄骨作品だ。IBMビルの中に入ると色彩豊かな壁画と文字風のデザインが眼に入る。(596,597)さらに林檎に顔を描いたものもある。いづれも高名ではないがなかなかきれいな彩色だ。林檎は一応NYのシンボルマークとなっている。デビュッフェの独特のインスタレーションもある。(601)彼の作品はロウアーのチェース銀行広場にもあった。(104)そして圧巻なのはSONYビルのスパイダーマンだ。これはどでかいスパイダーマンがさかさまになってビルのガラス張りの壁を下っている姿だ。真下に行くと顔が見える。なかなかの迫力だ。何でできているかはわからないが、とにかくこれだけの大きさのものを匿名の作家(グループ)がビルの中に掛けてしまったというのだからすごい。ゲリラ的なというよりは計画されていたのだろうが……(602〜604)さらにボテロのデブ彫刻。

               

56th通りまで来るとひょうきんなカエル(608)と有元利夫のブロンズ作品に感じがすこし似ている女性像作品があったので一枚。作者は見なかった。(609)NYのいわゆる一流国際企業の建物の中にはこうしたアートスペースが用意されているものが多い。この辺りがアメリカ富裕層のゆとりと云うか精神が見られる。日本もメセナとか言うが、景気後退と共にすぐに撤退したり、企業の存続がなくなってしまうというところがある。投資家ジョージ・ソロー所有のビルの下には住所 9W.57th STを表す「9」という鉄の数字をかたどった作品だ。これもでかくびくともしない堅固な鉄だ。

今回の旅行ではギャラリーはほとんど素通りしたが、いわゆるヨーロッパ近代名画を専門に扱っている老舗ギャラリーもあった。

55thの「LOVE」は人気のスポットでVとEの間やOのなかに人が入り込んで写真を撮ったりすることが多い。私も同類の人に一枚撮ってもらった。

            

こうした有名芸術家の作品はミッドタウンにある。

それに対して、GRAPHTYと呼ばれる落書きアートの類は古い建物や電車や橋といった公共建造物の空白スペースにゲリラ的に描かれてしまう。最近は所構わずという犯罪的なものはなくなりつつあるらしいが、ところどころにおもしろいものがある。ソーホーからロウアー・イーストへ来るとカーゴ・トラック一面に彩色されたのがあった。まさに落書きだ。ボーベリー通りヒューストン通りの交差点近くにも壁画があった。(616)デランシー通りに沿って歩いていると結構悪戯書きが見える。この通りはフルからの毛皮商店とか安いレストランがある。エセックス通り、オーチャード通りを歩いているとおもしろい建物もあった。その一つは公衆便所。Parisの便所もジュラルミン製の閉鎖式だが、この煉瓦つくりのトイレもちょっと入ってみる気にはなれなかった。かつてはこういう貫禄のあるトイレがあったということか。

いったん昼ごはんを取りにアパートに戻り残りのステーキをまた食べた。なぜか、わが安アパート・ホテルの前にはM.BenzのE55が停まっていた。私の欲しい車だったから。

その日の午後、ロウアー・ウエスト地区、クリストファー駅近くのシーガル作のモニュメンタルな彫像作品のある公園を目指した。途中でかわいい犬の彫像があるのを見つけた。まだ非公開のようで金網が張られていた。DOGNYということらしい。新名所?狙い?

ジョージ・シーガルの野外作品は「ストーンウォールの反乱」と題されているゲイ文化の記念碑的作品ということになっている。同性愛者の人権確立運動のシンボルということだ。私には理解できない。片方が女役を演じながら、男同士が手をつなぎ片寄せ合うのが。

          

公園にはゲイの人が屯しているのかとちょっと気持ち悪い気がしていたが、現場へ行ってみると男女や一人でベンチに座っている人など普通の公園という感じだった。(631〜635)この西地区あたりは良く言えば前衛的な芸術家たちが集まっていたらしいが、家賃が上がりだすと大挙して別の安い居所の良いところを探して転居してしまうということだ。現在はロングアイランドやブルックリンの方へと分散移動しているらしい。

次に向かったのはワシントン・スクエア。いまは工事をしていて一部分だけが開放され、若者たちがバスケットボールに興じていた。それからNY大学『NYU』に向かって歩いてみた。文人の多く住んだといわれるグリニッチ・ヴィレッジからイースト・ヴィレッジへ向けて歩いて行くとNYUの校舎に沿うことになる。3rd通りだ。NYUは都会の中のビル校舎だけの大学でいわゆる柵で囲われたキャンパスのない都心大学である。日本で云うと西神田界隈の専修大学とか日大とかいう感じである。それでもブロックごとにある校舎は規模も大きく、総合大学という感じだ。詳細は調べないと分らないが。

しばらく歩いていると眼前にフランク・ステラの作品のような幾何学的な模様のビルが見えてきた。建物の名前はわからないが、おもしろい歪んだ建物に見える。イースト・ヴィレッジにはレストランやカフェが多くある。日本料理店やインド料理店やロシア料理店東欧系のレストランも多い。ウクライナ人たちがソ連を捨てて移住してきた地区らしい。レストランにもその表示の看板が出ている。(646)また前衛的なオフ・ブロードウエイの劇場などもある。こうしてイースト・ヴィレッジからUPする形で1stAVにあるアパート・ホテルまで歩いて帰ってきた。

一日中歩いていたのでつかれたが、熱いお湯のたっぷり入ったバスにつかってビールを飲んでいたらついウトウトしてしまった。風呂からあがり、帰りの支度をして、帰りのルートを考えた。折角、地下鉄Lラインに近いのだから途中乗換えがあるにしても、全部地下鉄でジャマイカ駅まで行ってみることにした。

 

(17)

11月9日いよいよ最終日だ。昨夜考えたルートでJFKまで行ってみることにした。地下鉄を乗り換えながらPENN駅まで行き、そこからLIRR鉄道でジャマイカ駅まで行くルートが馴染んでいたが、すこし運賃も高くなるし、違うルートを通った方が違う世界が見られると思い、多少時間がかかってもと地下鉄LラインとJZラインを使ってみることにしたわけだ。

 

飛行機は12:50発で空港へは念のため3時間前にチェックインしようということで8:00ちょっと過ぎにアパートをチェックアウトした。

地下鉄Lラインでブロードウエイ・ジャンクション駅でJZラインに乗り換えた。地下鉄といっても途中からは地上を走る高架鉄道だ。大きな墓地の脇を走りながら沿線にはいわゆる中流階級の住宅地帯を抜けてジャマイカ駅まで電車は走った。このルートは各駅停車の分時間はかかるもののイーストヴィレッジから下へ直行したい時には非常に便利だ。ミッドタウンに宿をとった場合にはLIRRでPenn駅へ入る方が便利だが、$2,5ドルでこれだけ遠くまで来られるのだから次はお勧めだ。ジャマイカ駅からはSky trainJFKへ。

空港ではPASSPORTを使った自動発券装置でボーディングパスを得るのだが、これが結構コツが要る。なかなか一回の操作では出てこなかった。案内は日本語表示があるので助かるのだが……。

帰りのNW便はガラガラで、楽でよかったが、機内は韓国、中国人が多く、また咳をやたらにしている人が多く、ちょっと不快であった。滞在中はしなかったマスクをつけた。

 

後日談、津田沼に帰ったら、甥っ子は司法修習日初日に出席できなかった、と聞いて驚いた。折角、4日に間に合うようにすべてを再調整していたのに……、と思ったが、どうやら帰りの飛行機かどこかで新型インフルにやられたらしく、帰国後発熱、すぐ病院に行ったら新型インフルと診断され、自宅安静を余儀なくされ、4日の研修初日には出られなかったということだ。ということで、私がWDC,Bal,そしてNY滞在中に罹患し、発症、発熱状態にあるのは間違いなし、ということでみんなが心配していた、と聞いたのだが、私がピンピンしているのを見て母も甥っ子ファミリーもみなビックリ。あらためて私のタフさ?に感心された。

 

今回のNYWDCBAL旅行では久しぶりの北米の旅となったが、NYは次回行くことがあるならば、一層的を絞って行こう。今回見逃した美術館などがまだまだたくさんあることがわかった。また次は、一人旅行なら中西部などを自動車でまわってみたい。大陸横断も良いかもしれない。体の動くうちに……。そう言っていると、ヨーロッパもあるし、中国もあるし、と「きり」がなく、お金もかかることになってしまうのだが……。時間がどんどん過ぎ行く!

<了>

 

旅行の目次へ戻る