アフガニスタン
アフガニスタン労働者人民の武装決起
米帝―帝国主義は、アフガニスタン占領支配の危機的状況を転換しようと必死である。米帝・オバマ肝入りの「包括的新戦略」の下、タリバンら武装勢力を壊滅してアフガニスタン占領支配を堅持しようとしているのだ。
オバマはアフガニスタン「包括的新戦略」のなかで、撤退開始時期を「2011年7月」と明記している。6月22日、オバマは占領米軍10万人のうち7月から年内までに1万人、来年夏までに3万3000人を撤収させることを発表した。オバマは、米軍によるアルカイダ指導者のウサマ・ビンラディン殺害を「勝利だ」と強調するとともに、オバマが掲げてきた「アルカイダに隠れ家を与えない」「タリバンを劣勢に追い込む」「アフガニスタン治安部隊を育成する」の三大目標は「いずれも実現した」とするとともに「これは戦争の幕引きに向けた始まりだ」と言いなした。
しかし実際には、タリバンが攻勢に次ぐ攻勢をしかけている。オバマが声明を発表した翌23日、タリバンは「単なる象徴に過ぎない」として全部隊の即時撤退を要求する姿勢を改めて示すと共に「それが実現しないなら、われわれの武装闘争は日ごとに増していくだろう」と警告した。そして6月28日には、自動小銃やロケット砲などで重武装した武装グループが首都カブール市内のホテルを襲撃し、立てこもった。翌29日に出動した「国際治安支援部隊」(ISAF)の武装ヘリとの戦闘を行なっている。このホテルの宿泊客の多くは州政府関係者で、米軍主導のアフガニスタン占領部隊が2014年までにアフガニスタン治安部隊への治安維持権限を移譲する問題について協議するため、首都に集まっていた。タリバンら武装勢力が首都中枢を武装襲撃する能力を保持していることが改めて示された。その後も、タリバンらは仕掛け爆弾(IED)を駆使した武装攻撃を継続している。
7月13日、占領米軍のうち東部のパルワン州の部隊約650人が、アフガニスタン国外に移動した。7月17日、中部のバーミヤン州で、占領部隊からアフガニスタン政府に治安権限を移譲する式典が開かれた。バーミヤン州を皮切りに、最初の移譲対象となる7地域(州・都市)の治安権限が順次移譲される予定とされている。そんな米帝の演出をあざ笑うかのように、武装勢力はより大胆な攻撃を行なった。7月12日、大統領・カルザイの弟がタリバンと関係があるとみられる護衛に殺害された。7月17日、銃で武装したグループが大統領・カルザイの側近宅を襲撃し、側近と国会議員の計2人を殺害した。
米軍―占領軍はアフガニスタン各地で本格的な「掃討作戦」を今でも展開している。米帝は、アフガニスタンで活動しているタリバンなど武装勢力は最大で3万5000人に上るとしている。米帝は事あるごとに「戦果」を強調して見せているが、「掃討作戦」なぞ一歩も進んでいない。「誤爆」などによる虐殺も相変わらずである。
7月の段階で米帝―帝国主義は、軍、警察合わせて現在30万5600人規模の部隊を2012年10月までに35万2000人規模に増やす計画を示している。しかしそんな願望もアフガニスタン労働者人民の激闘の前にはしょせん「絵に描いた餅」でしかない。一方、大統領・カルザイは、6月18日に、タリバンと米帝が直接対話に乗り出したことを明言している。タリバンを分断して切り崩そうとする作戦である。アフガニスタン政府は、タリバンとの「和解」を勧めるにあたり、現場の指揮官や兵士を武装解除した上で、雇用支援などを通じて社会に再復帰させる取り組みを推進しているが、こうした「社会復帰プログラム」に実際に登録したのは約1700人にすぎない。このうち約3分の2は、タリバン勢力が比較的弱い北部の兵士だという。逆に言えば、南部を中心とする大部分のタリバン勢力は未だ健在ということである。
米帝―帝国主義のアフガニスタン占領支配は、破綻の淵にあるのだ。
ビンラディン殺害に反発するパキスタン労働者人民
5月1日、米軍は、パキスタン国内に「潜伏」していたアルカイダの指導者・ビンラディンの殺害を目的とする「ジェロニモ作戦」と称した軍事作戦をしかけた。米軍特殊部隊が首都イスラマバード近郊のアボタバードにあったビンラディンの巨大な「隠れ家」を急襲し、徹底的に破壊した上で、ビンラディンを殺害した。挙げ句、米軍は殺害したビンラディンの死体を、埋葬すらせずにアラビア海に投棄したのだ。アフガニスタン占領支配が敗勢局面に陥るなか、米帝・オバマが形勢逆転を狙ってしかけた攻撃であった。
米軍は事前に情報が漏洩することを恐れ、ビンラディン襲撃を事前にパキスタン政府に知らせなかった。そのため襲撃時には、パキスタン軍が出撃し、米軍との交戦の一歩手前であった。さらに米帝は、パキスタン軍とアルカイダとの「共謀」を疑う姿勢すら見せた。そんな米軍の暴挙に対して、親米のザルダリ政権も、さすがに米帝に対して「主権侵害だ」と言わざるをえなかった。パキスタン政府内からも「米軍のせいで経済は壊れ、国民の血が流れた。今すぐ無人機攻撃をやめれば国内のテロはなくなる」と怨嗟の声があがるほどである。米帝は、そんなザルダリ政権に対して、軍事援助凍結を発動して圧力をかけ、関係維持に躍起となっている。
そうまでしてビンラディン殺害をしかけることで、オバマは米軍の戦意高揚を図り、「掃討作戦」強化に弾みをつけようとしたが、逆に米帝―帝国主義に対する全世界労働者人民の怒りを呼び起すだけであった。パキスタン各地でビンラディン追悼集会が行なわれ、さらに武装勢力がさらに攻勢を強めている。5月13日、「パキスタンのタリバン運動」(TTP)は、北西部・チャルサダ地区の治安部隊施設に自爆攻撃をしかけた。釘やベアリングを一杯に詰めた爆弾ベストをまとった実行者が訓練を終えた新人隊員に突撃した結果、少なくとも80人が死亡した。TPPは「ビンラディン殺害に対する第一弾の報復行動」とする声明を発表している。その後も攻撃は激化の一途をたどっている。5月22日、TTPは南部・カラチにあるパキスタン海軍のメヘラン海軍航空基地に侵入し、航空機の格納庫を襲撃、航空機一機を破壊した。TTPは「われわれがまだ結束し、力を持っていることの証明だ」とした。6月25日には北西部のカイバル・パクトゥンクワ州デライスマイルカーン地区で、武装グループが警察署を襲撃、占拠した。
アフガニスタン占領米軍は現在でも、無人機による越境攻撃を続けている。六月だけでも、武装勢力メンバー計80人以上が死亡したとされている。米軍の無人機による攻撃に対する、パキスタン労働者人民の反発はさらに拡がるばかりである。
ザルダリ率いる「パキスタン人民党」(PPP)を中心とする現政権は、表向きのポーズとは裏腹に依然として親米政策を続けている。さらにザルダリ政権は経済政策の失敗や、食料・燃料価格高騰を招いており、パキスタン労働者人民の怒りがさらに噴出しようとしている。
イラン
アフマディネジャド政権と米帝―帝国主義との「軋轢」が続いている。米帝―帝国主義は、イランに対して「ウラン濃縮活動の完全な停止」を要求して「制裁」を強めようとしている。イランに対する反革命戦争発動の動きは、依然続いているのだ。
1月21日〜22日に協議が中断して以降、国連安保理常任理事国に独帝を加えた6ヵ国とイランとの協議は、止まったままである。6ヵ国はイランの低濃縮ウランを国外に搬出し、民生用の核燃料と交換する案を改めて提示したが、イラン側は拒否する姿勢を貫いている。イランは5月10日、協議再開を「歓迎する」とする声明を出した。
3月11日の福島第一原発の大事故を受けてもなお、イラン政府は原発推進の姿勢を変えようとはしない。イラン政府は「世界一安全な原発の一つ」「最新の技術で建設されたもので全く問題はない」と強調し、原発稼働を「国威発揚」につなげようとしている。5月18日、エネルギー相・ナムジューは、南部にあるブシェール原発が稼働し、近く電力供給が始まると発表した。ブシェール原発はロシアの協力で建設され、昨年8月に核燃料が搬入されたが、コンピューターウイルス「スタックスネット」に感染した影響などで稼働が遅れていた。なお、ブシェール原発周辺には活断層もあり、近隣諸国から安全性を懸念する声が上がっている。
米帝―帝国主義の圧力は依然として強い。5月9日、欧州連合(EU)外相理事会は、核開発を続けるイランに対する「制裁」を強化し、新たにイランの100以上の企業を資産凍結などの対象に加えた。6月23日、米帝はイランの国営企業「イラン航空」と港湾管理企業の2社に対する「制裁」を発表した。米帝は、イラン航空が2006年以降、「革命防衛隊」の指示でロケットやミサイルを旅客機でシリアへ輸送したほか、2008年9月と11月にイラン軍関連企業のために、核兵器開発に転用可能なチタン素材をイランに運び込んだとしている。
アフマディネジャド政権は米帝―帝国主義に対抗しようと躍起だ。5月22日、イラン情報省は、イラン国内で米中央情報局(CIA)の工作員とみられる24人を拘束し、米帝のスパイ網を破壊したと発表した。CIA工作員らは大学や科学研究機関などの施設で、核燃料分野、航空宇宙、軍事、バイオテクノロジーなどの分野に関する情報収集を行なっていたという。また、スパイ網はアラブ首長国連邦(UAE)、マレーシア、トルコなど複数の国にある米公館を利用して石油やガスのパイプライン、電気通信、配電網についての情報も集めていたという。
イラン政府は6月28日、核弾頭を搭載できるミサイルの発射実験を秘密裏に行なった。イスラエルを射程圏内に収める中距離弾道ミサイル「カドル」を含む計14発を発射したものである。7月4日、「革命防衛隊」は「イランはすでにペルシャ湾に中・短距離ミサイルを配備した」と発表した。さらに、7月中の海上軍事演習の開催も明らかにしている。
他方、アフマディネジャド政権は、国境沿いの山岳地帯に住むクルド系住民に対する弾圧を強化している。「クルド労働者党」(PKK)は、イラン山岳地帯にゲリラ拠点を構えている。PKKはイランで活動する別働組織として「クルディスタン自由生命党」(PJAK)を設立し、軍事部門、「東クルディスタン部隊」(HRK)を通じてイラン北西部で武装闘争を活発化させてきた。PJAKは「クルド問題の民主的解決」などを掲げ、2005年ごろから闘争を先鋭化させイラン軍や「革命防衛隊」などを攻撃してきた。PJAKのゲリラ部隊は少なくとも500人以上いるとされ、イラン国内から志願者を募り、イラク側の山岳地帯にあるPKK軍事キャンプで武装訓練を行なっている。イラン政府はPJAKを非合法反体制組織とみなし、拘束したメンバーを処刑するなどしている。
イランは米帝―帝国主義の「経済制裁」下にあり、食料価格の高騰とも相まって、困窮を極める労働者人民の不満が蓄積している。そんななか、アフマディネジャド政権内部で、イスラム支配に固執する最高指導者・ハメネイと、実権を握る大統領・アフマディネジャドとの対立も表面化し、人事をめぐる軋轢が相次いでいる。
イラン労働者人民は、米帝―帝国主義の支持を受ける「改革派」のブルジョア優遇政策と対決しつつ、「強硬派」の下でのイスラム的集約を突破するプロレタリア革命への衝動をはらみながら、階級闘争を前進させていくであろう。
米帝―帝国主義による対イラン反革命戦争への突撃を許してはならない。
パレスチナ
新たな局面をこじあけたエジプト大衆決起の波
エジプトの大衆決起の爆発はイスラエル・シオニストを震撼させ、パレスチナ解放運動にも大きな影響を与え続けている。
5月4日、これまで対立を続けてきたファタハとハマスなどパレスチナの13の勢力が、公式に和解した。軍最高評議会が主導するエジプト政府の仲介により、実現したものであった。当日、カイロで式典が行なわれ、アッバスが「われわれは分裂というパレスチナ暗黒の時代を、これ限り終わりにするのだ」と宣言すると、ハマスの政治局長・メシャアルは「闘う相手は唯一占領者イスラエル。パレスチナ人ではない」「われわれの目的は、エルサレムを首都とする自由で完全な主権を持ったパレスチナ国家を西岸・ガザ地区に樹立すること。寸土も譲らず、一人の入植者もいない国と帰還権の完全実施だ」と応えた。
締結された協定は、無党派の実務者からなる暫定統一政府の設置のもと、1年以内に自治政府議長選挙とパレスチナ評議会選挙を実施することなどを決めている。
パレスチナではこの間、エジプトの大衆決起の波を受けて、対立する政治勢力間の結束を訴えるデモが続いていた。「フェイスブック」での呼びかけや大学キャンパスなどで組織されたものであった。そうしたデモのうねりが、エジプト労働者人民のパレスチナ連帯の闘いとも相まって、政治局面を大きく転換させたのである。そもそもパレスチナとイスラエルとの交渉は、イスラエルが「入植地」拡張を続行中のため中断したままである。また、パレスチナ側は、今年9月の国連総会を目標に、世界各国へ向け「パレスチナ独立国家樹立」を発信し、支持をとりつける外交工作を強化しようとしていた。既に労働者人民の支持を失っていたアッバスにしても、これ以上和解を引き延ばすことはできなかったのだ。なお、アッバスは、次期議長選には立候補しないことを断言している。
ハマスは、イスラエルに対して「先ず、パレスチナ人が自分たちの土地で自由に生き、独立国を樹立することを認めるべきだ。その後で、パレスチナ人とその政府、指導部に、イスラエルに対する立場を訊いて見るべきだ」と迫ろうとしている。その上で、「イスラエルに対しては圧力が必要だ。イスラエルは占領者だから、自分の意思や対話を通じて(われわれの土地から)出てゆくことはない」「必要なのは、武装、大衆闘争を含めたレジスタンスだ」と強調している。
その後、ハマスとファタハとの細部をめぐる協議が続いているが、首相人事などをめぐる対立も現れている。ファタハ側は新首相に自治政府の現職首相・ファイヤドを推したが、ハマスが強く反対しているためだ。7月に入っても、交渉は一向に進展していない。
この和解に怒りをあらわにしたのが、イスラエル・ネタニヤフ政権であった。イスラエルにとってはアッバスが、イスラエル国家を否定するハマスに歩み寄って和解することは、「和平」を演出しながら屈服を強制できる、都合のいい交渉相手を失うことを意味するからだ。ネタニヤフは当日、「和解協定はテロリストに報償を与えるもので、和平への打撃だ」と非難した。
正式和解に先立つ5月2日、イスラエル政府は先手を打ち、アッバス自治政府に対して、代理徴収している関税などの、1億5000万ドルのパレスチナ自治政府への引渡しを停止する報復措置に出た。イスラエルはこれまでパレスチナ側との協定に基き、関税などをパレスチナ自治政府に代わって徴収し、自治政府に引き渡していたが、これは、自治政府の年収の約70パーセントに当たる重要な財源である。自治政府側は、このイスラエルの暴挙を「戦争行為に等しい」と非難した。国際的にさらに孤立することを恐れたイスラエルは5月16日に、代理徴収した税の引渡しを表明したが、税はいまだ引き渡されず、自治政府は公務員の賃金も滞るほどの財政危機となっている。
そして、自治政府が狙う「パレスチナ独立国家樹立」に対して、6月の段階でイスラエルは「オスロ合意」を含むパレスチナ側との協定を破棄することを警告している。アッバスは6月26日、9月の国連総会で独立国としての承認を各国に求める決意を表明した。
パレスチナ労働者人民の不屈の闘い
5月15日、ナクバ(大災厄=「イスラエル建国」の日)63ヵ年を糾弾する闘いがヨルダン川西岸、ガザ、ゴラン高原、さらにレバノン南部やエジプトで爆発した。これまで大きな闘いが伝えられなかったゴラン高原では、「フェイスブック」上からの「帰還の行進」の呼び掛けに応えた数百人に上るデモ隊が、パレスチナの旗を掲げて、パレスチナへの帰還と、収監者の解放などを呼びかけるシュプレヒコールを行ない、国境を突破した。レバノン南部でもデモ隊が国境突破を闘った。こうした抗議行動自体、1974年以来の画期的な闘いであった。イスラエル軍は国境突破デモに対して発砲や暴行を加え、パレスチナ全土で少なくとも計13人が死亡した。パレスチナ労働者人民は、弾圧に屈することなく「パレスチナが解放され、住民が帰還できる日まで、闘いは続く」と闘う決意を明らかにしている。ネタニヤフは、パレスチナでのナクバ抗議デモの爆発に危機感をあらわにし、「イスラエルは断固として自国を守る」と強弁している。
イスラエルによる封鎖が続くガザは、未だ深い困窮の中にある。慢性的な医薬品不足、45・2パーセントという世界最高水準の失業率、経済封鎖が始まった2006年全般に比べ34・5パーセントも落ち込んだ実質賃金、等々である。そんななか5月28日にエジプト政府は、ガザ南部のラファ検問所の通行規制を軽減、ガザの境界封鎖を大幅に緩和した。今回の緩和は人の行き来だけが対象とされ、金曜と祝日以外は境界線の通過が許可されることになった。しかし建設物資などの搬入は未だイスラエル軍に阻止されたままである。封鎖解除はまったく不十分なものであり、ガザ住民の不満も高い。6月の段階で検問所通過の待機リストに2万人が載っていて、8月下旬まで待たされる状態である。軍最高評議会が主導権を握るエジプト政府もまた、労働者人民の大衆決起を横目にしながら、猛反発するイスラエルにも気兼ねし、建設物資を乗せたガザ支援船のガザ入港は阻止を続けている。とはいえ、今回のエジプト政府のラファ検問所常時開放が、闘うパレスチナ労働者人民をさらに勢いづかせるものとなったのは間違いない。ガザ支援船が、昨年に続いて中東など各国から6月末にガザに向かって出航する計画を立てたことに対して、イスラエル海軍は6月15日に地中海で大規模演習を行ない、あくまで妨害する姿勢を示した。さらに、イスラエルが出航元の各国に圧力をかけた結果、出航元の一つのギリシャが支援船を相次いで出航停止させる暴挙に出ており、それらの結果、支援船のガザへの出航がずれこんでいる。パレスチナ労働者人民はこれまでも、トンネルによる輸送を続けるなどの抵抗を続けてきたが、イスラエルとエジプト政府をさらに追撃しようとしている。
危機乗り切りを図る米帝―帝国主義
5月19日、米帝・オバマは中東政策に関する新たな提案を打ち出した。「民主化」への支持と経済支援を口にするとともに、1967年の第三次中東戦争以前の境界線(国境)に沿ってパレスチナ国家を創設する提案を行なったのだ。
このオバマの提案に対してネタニヤフは、「和平達成に向けた努力を評価する」とした上で、「パレスチナ和平交渉の再開の道を探るため、オバマ大統領と共に取り組む決意だ」とする一方、「この境界線にまで退くと、防衛不可能だ」「主要なイスラエル人密集地が境界線の向こう側に取り残されてしまう」と「入植地」からの撤退を拒否する姿勢をあらわにした。一方、アッバス自治政府は「秘密協議中」とし、ハマスは「ネタニヤフが『イエス』と言わないうちは、和平について語るのは時間の無駄だ」として交渉に応じない姿勢を見せた。実際、オバマ提案は、イスラエルが強行する「入植地」建設の阻止について、何ら触れていないものである。パレスチナ労働者人民は、オバマの口先だけの提案などに踊らされることなく、イスラエルを追いつめるさらなる闘いを準備している。
イスラエルは、「入植地」拡大をなおもおし進めている。5月19日、イスラエル内務省は、東エルサレムの「入植地」での1500棟の新規建設計画を発表した。「入植地」に巣食う極右シオニストどもは、ネタニヤフ政権が形ばかりの規制を打ち出すことにすら反発し、昨年9月の「入植凍結」解除以降、住宅の増設を進め、さらにヨルダン川西岸の各地でパレスチナ人に対する投石・放火などの排外主義襲撃をくり返している。パレスチナ労働者人民は、「入植地」建設への怒りをたぎらせている。ヨルダン川西岸・ビリン村などで闘われている「分離壁」建設反対運動も、粘り強く続いている。その結果、6月22日にイスラエル国防省が「ルート変更」としてビリン村の分離壁撤去を開始するに至った。これに力を得たパレスチナ労働者人民は、6月24日にフェンスを破ろうとブルドーザーをフェンスに激しく衝突させるなどの、追撃の実力デモに決起している。
パレスチナ労働者人民の怒りはさらに蓄積している。そして、エジプト大衆決起の波が、まさにイスラエルを震撼せしめているのだ。アッバスの制動を踏みしだき、イスラム原理主義的集約を踏み越えた、プロレタリア革命を展望する新たな闘いと団結が形成されようとしているのだ。
シリア・レバノン
アラブ諸国での大衆決起の波は、シリアにも及んだ。「フェイスブック」において、アサド政権打倒のデモがくり返し呼びかけられてきたが、実際の反政府デモは封じられていた。しかし、3月中旬以降、首都ダマスカスなどの各地で、同時多発的に抗議デモや暴動が発生した。特に南西部のダラーでは、激しくデモが闘われた。反政府デモは4月以降も続いたが、軍と治安部隊によるデモへの弾圧もより激しさを増している。4月25日には、軍と治安部隊がデモの拠点各地を一斉に急襲した。特に、ダラー市内には、軍が戦車8両と装甲車2台、兵士約3000人で進攻、近接する南西5キロのヨルダン国境は閉鎖された。軍の本格的な出動は初めてのことであった。既に弾圧によって数千人の死者が出ているという。難を逃れてレバノンに移動する者も多い。5月16日、ダラー近郊で13人の遺体が埋められているのを発見したことを地元住民らが明らかにすると、反政府デモが再燃し、ダマスカスで数千人が夜間にデモを行なっている。多数の治安機関員を配置してデモを抑えている首都ダマスカスと第二の都市・アレッポ以外では6月以降もデモが頻発している。特に7月1日、シリア第三の都市・ハマーだけで50万人以上の市民が街頭に出て警察と衝突した。シリア軍は展開範囲をさらに拡大してデモ隊への虐殺行為を繰り返すことで、デモの圧殺を狙っている。
「フェイスブック」でデモを呼びかける活動家たちの中には、今までアサド政権の支持者だった者も多い。アサド政権の抑圧に怒り、政治的自由を求めて闘いを開始した若者が少なからずいるのだ。親子二代で40年にも及ぶ強権支配に対する批判がシリア内で強いのも確かであり、若年層の間で、アサド政権の政治手法への鬱積が蓄積しているのである。活動家側は、「数千人の政治犯の釈放」「表現と集会の自由の保障」を要求している。
反政府デモの爆発に直面したアサド政権は、事態を打開するために、反体制勢力との対話のための委員会の設置を打ち出している。アサド政権は7月10日にも、各勢力を招いて「国民対話」を行なうことで、反政府デモを沈静化させようとした。アサドは、バース党による一党独裁を規定した憲法条項の見直しを行なう方針をうちだし、8月に開催が予定される議会選挙の見直しや、9月までの「改革案」のとりまとめを目指す考えを示している。
しかし7月15日、シリア全土で100万人が反政府デモにうって出た。治安部隊が発砲したり、戦車部隊が出動するなどの弾圧で36人が死亡したが反体制派は懐柔策を拒否し、アサド政権打倒を目指す姿勢を鮮明にしている。
他方、シリア政府は、5月15日のナクバ63ヵ年糾弾闘争でのゴラン高原実力決起に対しては「パレスチナの権利を常に支持し、合法的な権利の回復と奪われた土地の解放のためにパレスチナ人の抵抗とレジスタンスを支持してきたシリアは今日、犠牲となったアラブ民族の殉教者すべてに弔意を示す」とイスラエル軍の虐殺を非難するとともに、デモへの支持を表明した。アサド政権は、パレスチナ解放闘争への支持を続けることで、存在意義をアピールしようと躍起である。いかにその目的が政治的打算によるものとはいえ、アサド政権がパレスチナ解放闘争やレバノンのヒズボラを背後から支援してきたのも確かであり、その一点でアサド政権を支持する者も多い。
米帝―帝国主義は、シリアでのデモの爆発に便乗して、アサド政権の転覆を目論んでいる。米帝・オバマは5月18日、シリアへの追加「制裁」をうちだし、アサドと政権幹部6人のアメリカの管轄下にある資産を凍結した。米帝はアサド政権に対して、「デモ弾圧をやめ、改革を実行しなければ、政権退陣を要求する」と警告した。EUも、5月9日に武器輸出の禁止、政府高官13人の資産凍結やEU域内への渡航禁止などの「制裁」措置を決定し、さらに5月23日の外相理事会で、反政府デモの弾圧を続けているシリアへの追加「制裁」を決定、アサドら最高指導部に「経済制裁」を科すことで合意した。米帝―帝国主義は、リビアと同様に、「攪乱要因になりうる」と目する国家の転覆を狙ってうごめいている。シリアを抑えつけることで、エジプトの転換を受けて勢いづくパレスチナ解放闘争を圧殺しようとしているのだ。
帝国主義の圧力にはシリア国内でも反発があり、7月11日にはダマスカスの米大使館と仏大使館をデモ隊が襲撃する事態も起きた。7月7日〜8日に米帝・仏帝の大使が、反政府デモが続く中部の都市・ハマを訪問して反政府デモ支持をアピールしたことに反発したものであった。
レバノンでは、武装勢力・ヒズボラが活動を継続している。5月27日、レバノン南部で国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の車両が爆発し、イタリア兵6人が負傷した。レバノン南部での、国連軍への攻撃は3年ぶりのことであった。
6月13日、今年1月にヒズボラの推薦により首相候補に指名されたミカティが、約5ヵ月ぶりに組閣名簿を発表した。閣僚30人のうち、ヒズボラが主導する会派「3月8日運動」が過半数を占めることになった。7月7日、国民議会が新内閣を信任して、ヒズボラ主導の政権が正式発足した。この新内閣に対して、親米帝の前首相・ハリリ率いる会派「未来運動」は入閣を拒否。新内閣を「ヒズボラの政府」と批判、対決姿勢を強めている。
国連の特別法廷(オランダ・ハーグ)は、ヒズボラが2005年の元首相・ハリリ暗殺に関与したとして、6月30日に「容疑者」とされるヒズボラのメンバー4人を起訴しているが、ヒズボラはメンバーの引渡しを拒否している。
シリア・レバノンにおける攻防も、予断を許さない状況である。
トルコ
トルコはイスラエルと1996年に軍事協力協定を締結して以来、イスラエルとの緊密な関係を維持してきた。しかし昨年5月のガザ支援船襲撃事件を受け、7月5日にトルコ政府はイスラエル政府に「国交断絶」を警告した。以降も、今日に至るまでイスラエルとの対立は続いている。イスラエルは、ガザ支援船が今年も再びトルコから出航することへの警戒をあらわにしている。5月21日に外相・ダウトオールは、ガザ支援船に公海上で攻撃しないように警告した。
「クルド労働者党」(PKK)は、昨年8月13日に「停戦」を宣言し、「停戦」期間を、2011年6月の総選挙まで延長するとしてきたが、トルコ軍は4月末に入り、トルコ南東部一帯などでPKKへの弾圧を激化させている。そして、4月26日にトルコ軍が黒海近くにあるカスタモヌ郊外で大規模な軍事作戦を展開すると、獄中のPKK指導者・オジャランは「警告する。今後起こることの責任は私にはない」とし、警察を指し示しながら組織メンバーに「自分自身を守るのだ、答えを出すのだ」と語りかけ、反撃戦に舵を切ることを示唆した。4月28日にもトルコ軍はトゥンジェリでPKKを攻撃し、7人を虐殺した。
5月4日、カスタモヌから首都アンカラに引き返そうとした首相・エルドアンら「公正発展党」(AKP)の車列にPKKの武装メンバーが攻撃を加え、警官1人が死亡し、激しい銃撃戦となった。PKKにとって、トルコ軍に対する新たな宣戦布告であった。警察権力は、報復として周辺地域の大捜査を強行、5月12日にも南東部でPKK武装メンバー12人を殺害している。PKKの激闘も、新たな段階に突入した。
6月12日の総選挙で与党・AKPが勝利したが、大統領や議会の権限強化などを狙う改憲に必要な議席を確保することはできず、他勢力との妥協を迫られることになった。一方で、クルド系政党の「平和民主党」(BDP)は「無所属」として立候補して36議席を獲得したが、当選した1人の議員が「PKKの宣伝活動を行なった」として当選取り消しが強行され、AKP候補者が繰り上げ当選とされた。BDPは反発を強め、6月28日の「就任宣誓式」で、新議員の就任宣誓を拒否。国会ボイコットを決定している。
米帝―帝国主義のリビア爆撃が続くなか、7月3日に外相・ダウトオールは「国民評議会」議長・アブドルジャリルと会談し、「国民評議会を唯一の正統なリビア国民の代表として承認する」方針を表明した。ダウトオールは「和平仲介」にも意欲を示すことで、リビアへの影響力を強めようとしている。
トルコ足下の労働者人民の闘いも、新たな段階に入ろうとしている。 |