8月13日から15日までの3日間、福岡・築港日雇労働組合を軸とする実行委員会の手によって、博多駅前の明治公園において、福岡日雇い団結夏祭りが開催された。
今年の大きな特徴は、失業の深刻化を反映して、若い野宿労働者が多く参加したことだ。こうした仲間たちがさまざまな催しやデモなどに参加することによって、例年にも増して活気のある夏祭りとなった。また、会場の設営から撤収まで、あるいは洗い場や警備などの実行委員会の各班の任務には、多くの仲間たちが積極的に加わり、夏祭りはいつにも増して熱気のあるものになった。これには、2年半余にわたる「仕事よこせ」の対市役所行動の積み重ねで、積極的にかかわってきた仲間たちの力が発揮された面が大きい。
東北・関東大震災に伴う生産の縮小から、雇用情勢は悪化の一途をたどっている。青年労働者の10人に1人が失業を強いられていると言われている。築港の寄せ場にはこの3年ほど、労働者を求人する業者がまったくと言っていいほど来ない日々が続いている。その間、多くの業者が倒産している。かろうじて仕事がある業者は、他社よりも安く労働力を作業現場に提供している「人夫出し業者」のみである。こうした業者に日々通ったり、その寮に入っている労働者であっても、毎日は仕事に就くことができないのが現状である。このような業者ですら、築港の寄せ場に労働者をあげに来るほどの仕事はない。さらに、アブレたからといって雇用保険の印紙を貼る業者など、福岡では皆無である。こうした業者には、「福島での原発事故処理の仕事」の求人が来ているという。仕事といえば原発事故現場での危険な被曝作業だけ、という状況が強いられているのである。
「仕事よこせ」の「対市役所木曜行動」の意義はますます高まっている。今回の夏祭りでは、政府―厚生労働省の出先機関である福岡労働局に対するデモと要求書の提出が行なわれた。10月には、これへの回答をめぐって、福日労と労働局との交渉が持たれる予定だ。「震災解雇」をはじめとして、民間企業による首切りが強められるなか、「民間企業における雇用の拡充を促進する。失業対策事業の方式はとらない」と言い続ける政府の労働行政に対して、さらなる闘いを叩きつけていかなければならない。民間の仕事などないなかで、「被曝労働があるではないか」との居直りを許してはならない。被災労働者をはじめとして、全国で失業に呻吟する労働者の先頭に立って、寄せ場―日雇い労働者こそが、仕事をかちとる闘いの大爆発を切り拓いていかなければならない。こうした闘いの前進のなかから、巨万の労働者の決起をかちとり、とりわけ青年労働者の起ち上がりを促し、闘う隊列をうち固めていかなければならない。大震災と福島第一原発事故を受けて、多くの労働者が、政府と電力会社をはじめとした大資本に対する怒りを表明しはじめている。今こそ、このような労働者と結びつくチャンスである。福日労は、被災労働者人民への現地支援の取り組みをやりぬく決意である。
仲間たちのやる気と笑い声の絶えない夏祭りでうち固めた団結をもって、多くの労働者が生きる希望を見いだすような、労働者にとっての展望を示す闘いをやりぬいていかなければならない。夏祭りの会場には、何人もの労働者・市民がかけつけ、洗い場などの部署を担ったり、カンパを届けてくれたりした。たくさんの労働者人民の様々な支援によって、夏祭りがかちとられた。
〈一日目〉
朝6時の集合時刻には、すでにたくさんの日雇い・野宿の仲間が集まっている。軍手とタオルが手渡され作業開始だ。朝食ができる頃には、すべてのテントが建ち、布団も敷かれている。
会場の中にも外にも、団結夏祭りの開催を告げる横断幕が張られた。シャワー室もできあがり、会場の形は早くから整った。午前11時、夏祭りの開幕が宣言され、「泥酔者の立ち入り、会場内での宴会・ケンカの禁止」というルールも提起された。
昼食の後、突入集会が開始される。実行委員会の各班を代表する仲間たちがステージに並んだ。炊事班の仲間からは、「暑くて食欲のない方もあると思いますけども、おいしいものをたくさん作って食べてもらいたい」、洗い場班の仲間からは「食べた後は、われわれ洗い場班ががんばって片付けをします」、警備班の仲間からは、「夏祭りを守るため、おれたちは昼間も夜も警備をやります」、本部の仲間からは、「楽しく意義のある夏祭りにするよう進行させていきます。事故などのないようご協力を」という発言があった。実行委員長の音頭で団結ガンバローが行なわれ、集会を終えていった。
午後には、雨の合間をぬって衣類放出が行なわれた。散髪とシャワーでサッパリしたうえで、新しい衣類に着替えれば、仲間たちの顔も自然とほころぶというものだ。夕方五時からは、歌手の方の友情出演による「一緒に唄う歌謡ショウ」が開催された。
夕食の後には、「ハワイアン・コンサート」が行なわれた。二日目の「労働・生活・医療の大相談会」で、歯科相談を受け持ってくれる方々の「おやじバンド」だ。仲間がつられて踊りだした即席のフラダンスには、仲間たちばかりか、演奏者たちからも爆笑が起こった。
続いての催しは、夏祭りの総決起集会だ。まず、九州大学社会科学研究部の学生のあいさつだ。「夏祭りで強められる結束と団結が、仕事をかちとる闘い、反戦・反核の闘いの一つの大きな力となることを信じ、取り組みの成功に全力をつくしたい」との発言がなされた。続いて、連帯メッセージが読み上げられる。東京・山谷日雇労働組合からは「おれたちにアブレと野垂れ死に攻撃をかけて、自分たちだけ生き延びようという資本家どもに、おれたちの団結した力でやり返そう」、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」からは「おれたちも8月12日、釜ヶ崎で夏祭り上映集会の成功をかちとった。夏祭りの成功を力に、団結して『反戦・反失業』を闘おう」、沖縄・首里日雇労働組合からは「ヘリパッド建設が狙われる高江では、24時間の闘争態勢をとって、7月からの工事強行を阻止しぬいている。沖日労も先頭で闘っている。ともにがんばろう」とのメッセージが寄せられた。さらに、福岡の教育労働者からは、「非常事態下で正当化されはじめている怪しげなもの―あぶない集団的エモーションのもりあがり・個をおしのける全体主義―これらに私たちは人任せではない自分自身の感性で向き合い、おかしいと感じることにはハッキリと『ノー』という声をあげていける力をつけていきましょう」、大分刑務所在監の木村さんからは、「日本の原発事業は、『国策』と言いながらあまりに安易でずさんな政策であった。事故はそのために引き起こされた」「放射能に汚染された物質が拡散し、多くの人々が、仲間が、内部被曝によって、10年後ガンで苦しみながら殺されていく。これは、未必の故意による殺人だ」「団結夏祭りでもっと絆を深め、もっと団結力を強め、生きるための力と闘う仲間との連帯を強め、生き抜いてください」というメッセージが寄せられた。最後に、実行委員会を代表して福日労の仲間から基調の提起がなされた。この7月に亡くなった釜ヶ崎の岡本さんを追悼する言葉がのべられ、「団結夏祭りの成功をかちとろう」「『仕事よこせ』の闘いの前進をかちとろう」「反戦の声と闘いを強めよう」「被災労働者人民支援の現地活動に取り組もう」という提起がなされ基調は全体の拍手で確認された。
カラオケ大会、映画上映会などで夜も更け、10時の就寝時間となる。多くの労働者が不寝番を担った。
〈二日目〉
朝からのあいにくの雨をものともせず、午前10時には、恒例の「福日みこし」が始まる。雨雲を吹き飛ばすような元気のいいかけ声で、みこしが会場内を練り歩き、これに洗い場班の仲間たちが、バケツで思いっきり水をかける。会場は大盛り上がりだ。爆笑と温かい野次に包まれる。
みこしが会場を沸かせた後には、「労働・生活アンケート」が行なわれた。今回の夏祭りのアンケート調査では、圧倒的な労働者の声として、「生活保護より仕事」を求める回答が寄せられた。福岡市が3100人余りの野宿の労働者に生活保護を支給したからといって、何の解決にも結びついていないのは明らかだ。「保護費が財政を圧迫している」として、受給者を締め付け、切り捨てるというような場当たり的な施策では、失業問題は解決するはずもない。ましてや、「パーソナル・サポート・サービス」なる、一人ひとりの労働者を行政が管理―コントロールするだけの方式のために金を投入するなど、言語道断である。このような状況を切り裂く階級的労働運動の飛躍、「仕事よこせ」の闘いの前進が求められている。アンケート結果はそのことを鮮明に示している。
昼食の後には、「労働・生活・医療の大相談会」が大々的に行なわれた。司法書士による生活相談、看護師による医療相談、歯科医師や歯学関係者の方々による歯科検診、さらにはマッサージ師や整体師による施術コーナーも設けられ、多くの仲間が行列を作って相談に訪れた。とりわけ、ひどい感染症で両足が腫れ上がり動けなくなっていた一人の野宿の仲間をスタッフが説得し、病院に送り届け、入院させることができた。大相談会が、野垂れ死に寸前の仲間の命を守ったのだ。
この最中、団結夏祭りの妨害だけが目的のニセ「福日労」=ゴロツキ組合が、例のごとくデモで明治公園近くまでやってきたが、妨害などできるはずもない。大相談会を継続しつつ、残りでこれを迎え撃つ。やつらのデモが「行政」がどうのという文句を掲げていても、行政が窓口を閉ざしている日曜日のデモに何の意味があるはずもなく、ただただわが福日労の夏祭りの妨害だけが目的であることは明らかである。こんなものにくっついているのは、10人いるかいないかのゴロツキだけである。東京から全力でかき集めた「社会党」の水増し部隊でごまかしても、いつも通りの30人そこそこのショボクレデモだ。しかも今年は、このショボクレ具合に拍車がかかった。3倍する数の労働者でこのデモを「お出迎え」してやったのに、シュプレヒコールの声すら、まるで聞こえて来ないのだ。あまりの消沈ぶりに、「少なかあ」「元気を出さんか」という失笑とヤジまで起こる始末だ。「ゴロツキ組合を追い返したぞ」という声を上げた仲間たちは、「わっしょい、わっしょい」のかけ声で、意気揚々と明治公園に引き返した。
5時からは、女性アーティストによる、唄と三味線で聴く者を笑いの渦に引き込む恒例の「抱腹絶倒ライブ」だ。夕食後の労働者交流会では、「仕事よこせ」の闘いがますます重要であることが確認され、翌日の福岡労働局に対するデモが呼びかけられた。さらに、「木村(カントー)さんを守る会」のニュースが配られ、木村さんの近況が報告された。「残刑わずかとなりました。出所後は福日労組合運動に加わり、ともに活動していこうと思っています」という木村さんの言葉が紹介された。温かい拍手が沸き起こった。
〈三日目〉
朝食をすませた後は、綱引き大会だ。朝から盛り上がった様々な催しは、雨にも負けずに続けられ、夕方には「仕事よこせ」の対労働局デモが取り組まれた。とりわけ若い仲間たちの元気のいい声が響く。年をとった仲間たちも、一生懸命声を張り上げる。デモ全体が大きなうなり声を上げて、福岡労働局の入っている合同庁舎を目指す。合同庁舎に着くと、全体で「福岡労働局は仕事を作れ」「失業を放置する労働局弾劾」というシュプレヒコールを何度も叩きつける。労働局の役人に、夏祭り参加者の総意として「公的就労対策事業の実施を求める要求書」を手渡す。その後、労働者たちは再び福岡の街をデモ行進して、明治公園に帰った。
夕食時には、これまたお馴染みの米国人プロ・ミュージシャンによる「ジャズ&ボサノバコンサート」だ。演奏に合わせて仲間が踊り出し、コンサートはますます熱の入ったものになる。夕暮れ時から夜の帳が落ちるまで、心地よい演奏は続けられた。夜は、福島第一原発事故をめぐり、京都大学原子炉実験所・小出裕章氏の発言を収録した「3ヵ月後の今 福島原発で何が起こっているのか」という映画などが上映された。
こうして、2011年福岡日雇い団結夏祭りは、大成功のうちに幕を閉じた。翌日の片付けにも、70人もの仲間たちが参加し、撤収作業に汗を流した。福日労は、ここで培った団結を武器に、「反戦・仕事よこせ」の闘いのさらなる前進をかちとっていく決意に燃えている。
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