8月13日から15日までの3日間、福岡・築港日雇労働組合(福日労)を軸とする「実行委員会」の主催で、天神近くの須崎公園において、福岡日雇い団結夏祭りが開催された。今年の夏祭りは、「猛暑に負けるな!失業にも負けるな!力を合わせて生きぬこう!」をメイン・スローガンに闘いぬかれた。
今回の夏祭りは、年々酷くなる猛暑を考慮して、「実行委員会」で議論を重ね、プログラムを一部見直すことになった。会場の須崎公園は、地面がコンクリートで、日中はさながらサウナのような状態だ。「実行委員会」では、「このような場所にいるのは、むしろ危険」、「暑い日中に無理して企画をやる必要はない。参加者も、涼しくなった夕方に来たらいい」、「夜中も涼しい場所で寝たい」という意見が多く出た。このような意見を受けて、「実行委員会」は、夏祭りについて、「夕方を催しの基本にする」(越年・越冬については、従来通りのやり方とする)と決め、プログラムの見直しを行なった。そして、「1、炊事班の負担を考慮して朝の炊き出しは実施しない。2、昼の炊き出しは実施するが、お昼前後の時間帯に会場に留まる必要はない(行き場のない人や居たい人は、居ても構わない)。3、メイン企画は、毎日午後3時、ないし5時から実施する。体の具合の悪い人用、寝場所のない人用のテントは、24時間維持する」などとすることを確認した。
この「猛暑対策」の確認にもとづき、多くの日雇い・野宿の労働者たちが、積極的に「実行委員会」の任務を担った。「実行委員会」の任務は、多岐にわたる。会場の設営から撤収までの作業を担う設営班、昼と夜の炊き出しを3日間にわたって提供する炊事班、炊事用具や食器の洗浄を一手に引き受ける洗い場班、権力、右翼ファシスト、ヤクザ、ゴロツキどもの敵対から夏祭りを防衛する警備班、そして3日間の運営にあたる本部などだ。「実行委員会」のメンバーは、猛暑の中、夏祭り直前の8月九日には、原爆投下七四ヵ年を弾劾し、核武装論者・安倍の式典出席を許さない長崎反戦闘争を闘い、夏祭り本番での負担を減らすために、資材の借り出しや事前の設営作業に汗を流した。仕事も盆休みに入り、収入もなく、孤立して野垂れ死にに直面する労働者を守り、団結を強めることを目的にした夏祭りに、多くの人々が支援に加わり、炊事、洗い場などの仕事を担ってくれた。多くの資金や物資のカンパも寄せられた。こうした力で、夏祭りの成功がかちとられた。
7月の参院選を受けて、安倍は、「改憲論議を進めるべきという国民の審判を得た」と強弁し、改憲に突き進もうとしている。改憲をゴリ押しするために、「会社のため、国のため、天皇のため働け」と号令する翼賛労働運動で日本労働運動を制圧する攻撃が強まっている。戦争に向けて労働者階級への搾取と隷属を極限化しようという攻撃は、強まるばかりだ。福岡では、改憲推進勢力・「日本会議」のメンバーで、安倍との結びつきを強める福岡市長・高島が、2014年に「アベノミクス」の目玉の一つである「国家戦略特区」構想にいち早く名乗りを上げ、「グローバル創業・雇用創出特区」に選ばれた。そして現在、福岡市の中心市街地・天神地区の再開発プロジェクト・「天神ビッグバン」をゴリ押ししている。内外の企業を呼び込むために、労働者には激しい競争と切り捨て、タダ働きと過労死を押しつけている。「アベノミクス」によって、九州で「福岡一極集中」が加速する中、九州各地で使い捨てにされ、野宿に追い込まれた労働者が福岡では増え続けている。築港の寄せ場では、求人業者がまったく来なくなり、築港に来ることを諦めてしまった労働者も多い。寄せ場の解体が確実に進行している。
こうした状況をはね返していく団結と闘いが求められている。寄せ場―日雇い労働運動の前進を切り拓くこと、同時に寄せ場―日雇い労働運動こそが、ますます増え続ける「非正規雇用」労働者をはじめ、全国で失業と貧困に苦しむ労働者の先頭に起って、闘いぬくこと。このことが求められている。その底力を培うために、福岡日雇い団結夏祭りは開催された。
〈1日目〉
8月13日、午前9時、須崎公園での会場の設営作業のために多くの仲間たちが集合する。まずは冷たいコーヒーと軍手とタオルが配られ、実行委員長が「この暑い中、ご苦労さまです。おいしいものいっぱい食べて、がんばっていきましょう」とあいさつする。猛暑の中、設営班の仲間たちが、前日までにテントの設営などは済ませている。集合した仲間たちは、残った作業である物資の搬入、ステージの飾りつけやシャワー室作り、会場周辺の掃除・片付け、映画のスクリーン作り等々を手際よく進めていく。皆、手慣れたもので、作業は要領よく進められ、会場の大横断幕も飾られ、昼食前には夏祭り会場が整えられた。 炊事班が腕を奮った昼食を食べた後は、新たに集まった仲間が加わって会場まわりの公園内の大掃除が行なわれる。
午後3時、いよいよ夏祭りの開幕だ。全員で乾杯の後に、実行委員長が「みなさんお疲れさまです。いよいよ今日から夏祭りが始まります。おいしいごはん食べて、最後までがんばりましょう」という開会あいさつを行なう。次に、福日労委員長が、「皆さんの作業のおかげで、きれいな会場ができました。3日間安心して寝泊まりしてください。夕方には余興を予定しています。今日から3日間よろしくお願いします」とあいさつする。続いて、これまでの夏祭りと違う変更点の提起を、「実行委員会」が行なう。その後は、オープニング・ゲームの「間違い探し」やビンゴゲームなどが行なわれ、夏祭りは一気に盛り上がって行く。午後4時からは、歯科医師による相談会が行われる。相談会では、野宿の仲間にとって、歯科治療の困難性が浮き彫りになり、「せめて『1日医療』でできる手立てだけでも受けるように」といった助言がきめ細かに行なわれる。会場では、医師が1人ひとりに声をかけ、相談を掘り起こしていった。
午後5時からは、結成20周年を迎える「博多笑い塾」のお笑いや講談、楽器演奏・手品・コント、踊りや歌謡ショーなどが、夕食をはさんで盛りだくさんにくり広げられた。
6時半からは、「実行委員会」の各班が勢ぞろいしての突入集会だ。設営班メンバーが並び、「8日から12日までがんばりました。16日の最後の片付けまでがんばります」。洗い場班からは、「しっかり食事は摂りましたか?食べ終わったら、食器は私たちのところに持ってきてください」。炊事班からは、「冷たいお茶・ポカリ・コーヒーは24時間用意しています。暑いので、水分をよく摂ってください」。警備班からは、「今まで参加している人がほとんどで、みんなよくわかっているので、最後まで、和気あいあいとお願いします」。きつい仕事を率先してやってくれる各班の仲間たちに、会場からは惜しみない拍手が送られる。本部の仲間からは、再度、運営の変更点が説明され、「新しい試みですので、トラブルとかあったら教えてください」「台風がどこに行こうと、暴風雨になろうと、このイベントを中止することはありません」と夏祭りをやりきる決意を明らかにし、最後に全体で「団結ガンバロー」を行ない、突入集会を終えていった。
夜7時からは、再度のカンパイと「映画上映会」だ。沖縄・辺野古現地での生々しい攻防の映像に、みんな食い入るように見入っている。違法・不当な工事の強行に怒りをつのらせ、誰もが辺野古の現場にいるかのように、映像とともに聞こえてくる「現場の前で、トラックを止めましょう」という声に、「そうだ!」と声を上げ、ゲート前のデモのコールに合わせ、一緒に声を上げた。続く娯楽映画の上映では、皆が、夜の更けるのも忘れ見入った。夏祭り初日は、午後からは雲が出てきたものの、大盛況のうちに終り、不寝番体制を組んだ警備班が、泊まり込んだ仲間たちの眠りを守った。
〈2日目〉
14日は、台風10号が超大型から大型に変わり、勢力は多少弱まっているが、福岡に近づいている。そのために、安全を考えて朝から大方のテントをたたみ、風や雨に対する備えを強化した。衣類の放出や日用品は行なわれ、昼食の後のビンゴゲームの後には台風対策の作業が続けられた。午後1時半から雨が降り始め、3時半には本格的なドシャ降りの雨になった。夕食が済んだ後も台風対策の作業が参加者の協力で進められた。
午後7時になると、予定通り「労働者交流会」が行なわれる。全国で夏祭りを取り組む組合・団体からの連帯メッセージが紹介される。東京・山谷日雇労働組合からは、「安倍政府による労働者を犠牲にする政治、改憲をもって戦争国家に作りかえる攻撃を打ち砕く労働者の団結をさらに強くする決意です」「金のない組合員たちが、『自力自闘』の精神で資金を集め、玉姫公園を日雇い労働者の拠点に作り変えるために設営作業に汗を流し、3日間で1000食を超える炊き出しを作ります。これらの活動は、『働く仲間の命と生活を守るために闘う』という労働組合の必要性を組合員が感じているからこそ、どんなに大変でもやりきることができるのだと思います」。「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」からは、「釜ヶ崎では、センターの建て替えを理由にして、釜ヶ崎の労働者がセンターから追い出され、雨をしのぐ場所もない、仲間と話す場所も奪われるという攻撃を受けています。われわれは、『釜ヶ崎の主人公は、労働者だ』、『労働者を追い出すセンター建て替え案を許さん』、『センター機能の縮小を許さん』と、闘いを続けます」「『関西地区生コン支部』への連続した弾圧を許さない闘いに決起します」。沖縄・首里日雇労働組合からは、「沖縄では、猛暑の中、名護新基地建設阻止をかけた頑強な現地闘争が展開されています。安倍政府―沖縄防衛局は、キャンプ・シュワブ南側沿岸部(辺野古側)の埋め立てを進めることで、さかんに『工事の進捗』をアピールし、『引き返すことができない所まで工事は進んだ、もう諦めろ』というメッセージを送り続けていますが、闘いを諦める者は誰1人いません。沖日労は、反戦と『仕事寄こせ』の闘いを両輪として、失業も貧困もない沖縄、基地も戦争もない沖縄を目指して闘います。8月20日には、全国寄せ場の夏祭りと結びついて、『暑気払い団結交流会』を予定しています」。福岡の教育労働者からは、「かつて私たちが小学生の時は、平和を『守る』といって学んだ記憶がありますが、今は平和を『創る』ことを中心に据えて学習を進めています。私たちは、働く意思を持つものが自分の個性と能力を適切に活かしていく労働の現場、活躍の場を望んでいます。私たちが、そして次の世代を担う子どもたちが、民主的な主権者として、他国の人から傷つけられず、他国の人をも傷つけることのない生き方を選べるように、現在の時点からできることは団結であり、学習であり、私たち自身が表現することだと思います」というメッセージが寄せられた。すべてのメッセージに拍手が応えた。集会では、「1人の仲間の野垂れ死にも許さない」取り組みの強化が訴えられ、とりわけ「仕事よこせ」の行動を強めようと提起され、全体のシュプレヒコールで締めくくられた。
〈3日目〉
結局、台風の直撃はなく、夜中に雨が降ったとはいえ、万全の備えの前に、雨も風もさしたる影響はなかった。雨の中、朝から不要なテントの撤去等の作業が続けられた。昼と夜の炊き出しは、2日目の朝、弁当配布に切りかえることが参加者に伝えられている。炊事班は福日労の事務所で調理を行なった。昼の弁当を食べた後などの合間合間に、ビンゴゲームなどの簡単なゲームや日用品配布も行なわれた。午後4時から予定していた弁護士による法律相談や午後6時からの「ベンテンズ」の「抱腹絶倒ライブ」は、雨のために中止せざるを得なかったが、夏祭りを締めくくる総括集会は開催された。総括集会では、台風に負けずに夏祭りをやり抜いている実行委員会の各班の仲間たちの明るい声が響いた。実行委員長が「3日間お疲れさまです。明日の片付けまでがんばりましょう」と呼びかけた。設営班の仲間は、「台風の襲来にもめげず、何とか乗り切りました。明日の片付けも乗り切り、最後までやり切りたいと思います。台風のおかげで、たくさんのテントを1日でたたまざるを得なかったけれども、まだ残しているテントはあるので、雨でずぶ濡れになることもなく、よかったと思います」。洗い場班からは、「今日は、台風のおかげで、楽でした」という発言に、笑いが出ると同時に、いつも大変な作業を引き受けている仲間たちに、盛大な拍手が送られた。「炊事班は組合事務所で、汗だくになって、弁当を作ってくれました」という紹介にも拍手が送られた。
ちなみに、解放派から脱落・逃亡した「社会党」グループは、わずか10人ほどの取り組みであるにもかかわらず、台風接近の報を受けて、14日には早々に、会場の冷泉公園からのトンズラを決めこんだ。このような堕落した連中の対極に、福日労は何があろうと、最後までやりぬく決意を打ち固めて、夏祭りをやりぬいたのだ。「雨で人数は減ったけれども、少数でがんばったことで、おたがいの気心が知れて、『やりきった』という気持ちが強くなる」という感想を述べていた仲間がいた。いくつかの企画を取りやめたことは残念ではあるが、台風にも負けずに、夏祭りをやりぬいたことで、福日労の団結は確実に強くなった。
「片付け日」にあたる16日は、雨も上がり、多くの仲間たちの結集のもと、てきぱきと作業は進み、12時前には作業は終了した。福日労は、こうして2019年福岡日雇い団結夏祭りで、台風にも負けず打ち固めた団結を武器に、今秋、「反戦・仕事よこせ」の闘いのさらなる前進をかちとっていく決意に燃えている。
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