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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

6・23「慰霊の日」闘争に決起 〈沖縄〉 (1316号4面)

首相・安倍の来沖―「追悼式」出席に怒りの抗議行動

沖縄戦における犠牲者を追悼

 6月23日、天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会(沖縄青年実)は、沖縄・首里日雇労働組合(沖日労)の労働者たちとともに、「慰霊の日」闘争に起ち上がった。

 6月23日は、沖縄戦において、本島南端の摩文仁(糸満市)に追いつめられた第32軍司令官・牛島満をはじめとする司令部が自決―壊滅したことによって、「組織的戦闘が終結した日」とされる。しかし、実際には、戦闘は、9月初めまで続いた。自決前に牛島が発した「爾後各部隊ハ各局面ニオケル生存者ノ上級者コレヲ指揮シ、最後マデ敢闘シ悠久ノ大儀ニ生クベシ」なる無責任極まりない軍命は、「指揮系統なき戦闘」を強い、沖縄労働者人民の犠牲を徒に増やすこととなった。

 沖縄戦では、天皇と軍部が、「国体護持」「皇土防衛」のための「捨て石作戦」を採り、意図的に住民を巻き込んだ凄惨な地上戦として展開したことにより、当時の沖縄人口の約4分の1に当たる12万人以上の沖縄労働者人民が犠牲になった。6・23は、沖縄労働者人民にとって、その犠牲者を追悼し、日帝による「新たな沖縄戦」の強要に対決し、反戦の決意を新たにする日だ。

 日帝首相・安倍が「沖縄全戦没者追悼式」に乗り込んで来る目的は、この「慰霊の日」の蹂躙だ。厳戒態勢を敷いて沖縄労働者人民の怒りと闘いを力でねじ伏せ、「基地負担の軽減」なるウソと強弁まで振り撒いて、名護新基地建設をはじめとする〈基地・沖縄〉の再編・強化をゴリ押し、沖縄労働者人民に「新たな沖縄戦」を強要するためだ。安倍の来沖―出席を断じて許すわけにはいかない。

摩文仁の「追悼式」会場直近で安倍を迎え撃つ

 午前10時、摩文仁の「追悼式」会場直近の「平和祈念公園入口」交差点には、安倍を迎え撃つべく、闘う労働者人民が続々と集まる。「沖縄平和市民連絡会」によって、「沖縄に基地を押しつける安倍政権 沖縄・慰霊の日に参加資格なし」と大書きされた横断幕が、高々と掲げられる。「追悼式」の会場周辺には、沖縄「県」警ばかりでなく、「本土」各地から動員された機動隊員、公安どもが大量に配置され、とりわけ交差点付近は、超厳戒態勢だ。歩道のうち、車道に面した側にはことごとく鉄柵とロープを張り巡らし、さらにその内側にも鉄柵を設けて、抗議行動に起ち上がった労働者人民を、その二重の鉄柵内に押し込む。しかし、労働者人民の怒りと闘いを封じ込めることはできない。

 午前11時、安倍や関係閣僚らを乗せた黒塗りの車列が近づくと、一斉にシュプレヒコールがあげられた。「安倍は帰れ」、「式典参加を許さないぞ」、「新基地建設を許さないぞ」。黒塗りの車列は、嵐のような弾劾のシュプレヒコールが降り注ぐ交差点の中を猛スピードで突っ切り、会場内に逃げ込んでいく。よほど怖かったのであろう。一方、交差点の一角には「安倍総理歓迎」を叫ぶ右翼どもが陣取り、抗議行動に罵声を浴びせる、ビデオ撮影をするなど、執拗に妨害を試みたが、この敵対をはね返して、労働者人民の闘いは貫徹された。

 「追悼式」で発言に立った安倍は、自らがゴリ押ししている名護新基地建設や自衛隊の琉球弧配備については一切触れることなく、「戦争の惨禍を2度とくり返さない。この誓いは令和の時代においても決して変わらない」だの、「基地負担の軽減に向けて一つ一つ、確実に、結果を出していく」だのと、現実に自らが進めていること、現実に沖縄に強いていることとは真逆の絵空事を並べ立てた。聞くに堪えないこの発言に、参列者からは、「うそをつけ」、「帰れ」、「辺野古反対」、「ゆくさー(嘘つき)」、「安倍は辞めろ」などのヤジが相次いだ。安倍が発言を終えて元の席に戻る間も、「心がない」、「出ていけ」という怒りの声が延々と続いた。空々しい虚言に、新基地建設の強行と戦争準備に、参列者の怒りが大爆発したのだ。それは、例年より確実に強く、激しいものであった。

国際反戦集会が開催される

 12時45分からは、糸満市米須の「魂魄の塔」近くで、国際反戦沖縄集会実行委員会の主催による「第36回6・23国際反戦沖縄集会」が開催された。

 主催者を代表して「一坪反戦地主会」の比嘉宏氏が、「天気が不安だが、雨を吹き飛ばすような熱気で、最後までやりぬこう」とあいさつする。その後、海勢頭豊氏のミニ・コンサートや、「ヘリパッドいらない住民の会」の女性たちによる「高江フラ」などのイベントを間に挟みながら、闘う諸団体、諸氏の発言が続く。

 「ヘリパッドいらない住民の会」の儀保昇氏は、「2007年6月30日に始まった高江の座り込みは、今年で12年になる。2年と言われた工期が12年経っても終わっていない。みなさんのおかげだ。4月3日に、米軍の手によって『N1ゲート』前のテントが撤去されたが、すぐに再建して24時間体制で監視を続けている。7月からまた工事が始まるが、何としても阻止する。琉球弧全体の軍事要塞化が進む中、手を繋いで阻止しよう」と訴えた。

 「総理来沖抗議行動の報告」に登壇した「沖縄平和市民連絡会」共同代表の真喜志好一氏は、「午前10時から、会場前の十字路で横断幕を張って、『安倍首相に、慰霊の日に参加する資格なし』と参列者たちに訴えた。警察の妨害、日の丸を掲げた右翼の挑発をはね返して行動をやりぬいてきた」と報告した。

 「ヘリ基地反対協」の安次富浩氏からは、「国交相・石井が4月に行なった『埋立承認撤回』の『取消』決定は、私人を偽った沖縄防衛局の主張を全面的に擁護したもので、出来レースであり、八百長だ。新基地を力ずくで押しつけるものであり、沖縄差別そのものだ。従うつもりはない。新基地建設を断念させるまで頑張りぬこう」とのメッセージが寄せられ、司会によって代読された。

 辺野古の海の埋め立て阻止をかけて海上行動を続けるカヌーチームからは、「闘いの現場から」と題して、「これからも海に出続ける。現場が頑張れば、全国、全世界を動かすことができる。現場での行動を強めよう」という提起が行なわれた。

 最後に「閉会のあいさつ」として、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代氏が、「1944年3月に沖縄に第32軍が創設され、それとともに、朝鮮、台湾から、そして那覇市辻などから女性が集められて、沖縄に145ヵ所の『慰安所』が設置された。沖縄戦の犠牲者の人生を思い、強制的に『慰安婦』にされた人々の痛みを思い、そして今、新たな戦争への動きのただなかにいることを確認して、明日から新基地阻止をかけて座り込まねばならない」と、集会を締めくくった。安倍政府に対する沖縄労働者人民の怒りは沸点に達している。その怒りと闘いの最先頭で、沖縄青年実は闘いぬく決意だ。