5・16キャンプ・キンザーを包囲する戦闘的デモを闘いぬく
5月16日、「軍港反対! 浦添市民行動実行委員会」が主催して、「浦添軍港反対! キャンプ・キンザー包囲デモ」が開催された。天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会(沖縄青年実)と沖縄・首里日雇労働組合(沖日労)は、呼びかけに応えてこれに参加し、ともに闘いぬいた。
米海兵隊のキャンプ・キンザー(牧港補給地区 浦添市)に対する包囲デモは、今年で21回目となる。それは、1972年「5・15返還」―日帝のもとへの沖縄再統合を弾劾し、全基地撤去と沖縄解放を目指す闘いであり、その一環として、米海兵隊の兵站基地であるキャンプ・キンザーの即時撤去―全面返還を求める闘いとして、さらに那覇軍港の浦添移設―浦添新軍港の建設阻止をかけた闘いとして、1999年から取り組まれてきた。
とりわけ浦添新軍港の建設をめぐっては、2013年の浦添市長選で「浦添新軍港反対」の公約を掲げて当選した現市長・松本が、2015年に公約を撤回して「建設容認」に転じたこと、さらに現知事・玉城デニーも、新軍港建設は「新基地ではなく代替施設」、「県内移設ではなく那覇港湾区域内の移動」、「埋め立て行為は自然破壊を伴うが、経済波及効果や産業振興の将来性を考慮すればやむを得ない」なる3点を、松本の求めに応じる形で確認するなど、「建設容認・推進」の姿勢を明確にしたことで、建設に向けた動きが進んでいる。実際、今年4月には、防衛省と沖縄「県」、那覇市、浦添市、那覇港管理組合の4者で構成する「那覇軍港移設に関する協議会」が2年ぶりに開催されている。こうした動きのなかで、今回の闘いは取り組まれた。
この日5月16日から、沖縄地方は梅雨入りした。小雨が降り続く中、午後3時半、浦添市役所前広場に多くの労働者人民が結集し、集会が開始される。「5・15復帰47年を弾劾しよう」、「那覇軍港の浦添移転―浦添新軍港の建設を阻止しよう」、「浦添市民にキヤンプ・キンザーの撤去、新軍港の建設反対を訴えて、デモをやりぬこう」という主催者からのあいさつを、全体が拍手で確認する。その後、「本土」からの参加団体などから発言を受けて集会を終え、デモに出発する。「浦添新軍港は要らないぞ」、「埋め立て反対」、「新基地建設を阻止するぞ」、「埋め立て土砂搬入を許さないぞ」、「宮古、石垣、与那国への自衛隊配備反対」というシュプレヒコールが沿道に轟く。国道58号線沿いの第4ゲートでは、ゲート前を全面制圧し、「キャンプ・キンザーを撤去するぞ」、「全基地撤去まで闘うぞ」、「日米安保粉砕」と、怒りのシュプレヒコールを叩きつけていった。存分にシュプレヒコールを叩きつけたデモ隊は、ゲート前を後にし、やがて解散地点の泉小公園に到着。全体で闘いの成功を確認し、行動を終えた。
5・19 「平和とくらしを守る県民大会」に2000人が結集
5月19日12時30分から、宜野湾市海浜公園屋外劇場において、「沖縄平和運動センター」、「5・15平和行進実行委員会」が主催して、「復帰47年 5・15平和とくらしを守る県民大会」が開かれた。梅雨入りにもかかわらず、この日は強い日差しが照りつけて、猛烈な暑さだ。その中を、沖縄をはじめ全国各地から2000人が結集した。沖縄青年実も、沖日労の労働者たちとともに参加した。
集会は、実行委員会事務局長の大城悟氏(「沖縄平和運動センター」事務局長)の司会で始まった。最初に、実行委員長として主催者あいさつに起った「沖縄平和運動センター」議長・山城博治氏が、「沖縄の怒り、県民の思いを全国と共有しよう」、「平和行進に多くの右翼の妨害があった。来年以降もすさまじい妨害が予想されるが頑張ろう。しかし、負けるわけにはいかない。負けたら新基地を止め、軍事基地を撤去させることはできない。この決意ではねのけよう」、「復帰50年を3年後に迎えるのに合わせて、新たな取り組みをしていく。ともに沖縄、そして日本の未来を作るために頑張ろう」と呼びかけた。
沖縄選出の国会議員などによる連帯あいさつに続き、「辺野古の闘いの報告」として、「ヘリ基地反対協」共同代表・安次富浩氏は、「安倍首相は、米国から大量の武器の爆買いをし、その一方で国民に窮乏生活を強いている。そういう政治がまかり通る日本を変えなければならない」、「辺野古新基地を造ることはできない。軟弱地盤があり、2つの活断層も大浦湾を走っている。活断層の間には辺野古弾薬庫もある。地震で火薬が爆発するところに基地を造る意味はない。生き残った3頭のジュゴンのうち、1頭が安倍政権に殺された。何としても新基地建設を止めよう」、「県民は、沖縄の未来を安倍政権に委ねない。未来は県民、そして国民が主権者として作り上げていく」と熱く訴えた。
「海外ゲスト」として登壇した「韓国基地平和ネットワーク」のシン・ジェウク氏は、「辺野古、普天間、嘉手納を巡った。悲惨な状態で死んでいかねばならなった人のことを考え、戦争の痛みが今も残っていることを感じ、最後まで闘おうとしている皆さんの姿を目にした。皆さんと一緒に平和の道を歩んでいく」と発言し、最後に、韓国の闘争現場で行なっている「米軍がいなくなってこそ平和が来る」という意味のシュプレヒコールを行なって、会場全体に紹介した。
「大会宣言」が提起される。「大会宣言」は、「『即時無条件全面返還、平和な島・沖縄』を強く望んだ復帰の思いとは裏腹に、日米安保条約により米軍基地が居座り続け、戦後74年経った今日、米軍基地はさらに強化・拡大され続けている」、「高江の北部訓練場の過半の返還や米軍普天間基地の危険性の除去に名を借りた新たな基地建設の強行は言語道断」、「本島のみならず、島嶼防衛を標榜した与那国島への自衛隊の監視部隊をはじめ、宮古島、石垣島への地対艦ミサイル部隊の配備が強行される現状は、標的にされ、捨て石にされた74年前の惨烈な沖縄戦の回帰そのものだ」、「日米両政府によって強行される米軍基地の強化・拡大に反対する」、「戦争への道を突き進む政府の戦争政策、憲法改悪に抗し、アジア近隣諸国、そして世界の平和のために闘いぬく」というもので、全体の大きな拍手で確認された。
最後に、山城博治氏の音頭で「団結ガンバロー」を行ない、「県民大会」を終えていった。「復帰」から47年を経ても変わらぬ抑圧状況、名護新基地建設、自衛隊の先島配備の強行が示す反革命統合体制の強化、〈基地・沖縄〉の強化の現状に、沖縄労働者人民の怒りは爆発寸前にまで達している。その怒りの先頭で、沖縄青年実は闘いぬく決意だ。
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