進行する天皇代替わり攻撃
安倍政府は、4月30日アキヒト退位―5月1日ナルヒト即位を通した反革命国民統合のための天皇制攻撃を激化させている。2月24日の東京・国立劇場での「天皇在位30周年記念式典」を皮切りに、矢継ぎ早にアキヒト退位の関連行事を積み重ねており、4月1日には、「新元号」公表を首相・安倍が行なうとしている。さらに、安倍政府は、4月27日〜5月6日のゴールデンウィーク10連休、10月22日「即位の礼」、11月14日〜11月15日「大嘗祭」などを行なうという。労働者人民にナルヒト即位への「祝賀」を強制しようというのだ。
1月17日、安倍政府は、首相官邸で「式典委員会」を開催し、一連のアキヒト退位―ナルヒト即位の関連儀式の概要を決定している。4月30日の午後5時から皇居・宮殿「松の間」で「退位礼正殿の儀」を開き、首相、衆・参両院議長、最高裁長官の「三権の長」や、地方自治体の代表者ら330人程度の参列者を前に、アキヒトが天皇として最後の「お言葉」を垂れるという。そして、5月1日午前10時半から、「三種の神器」や印章などを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」を行ない、ナルヒトが天皇の位を引き継ぐとしている。
反革命国会においては、2月26日に衆院で、3月8日に参院で、「天皇在位30年に感謝と慶祝の意を表す」なぞとする、アキヒトに向けた「賀詞」を議決した。この議決に対しては、日共が「前例がない」なる理由で欠席するのみで、後は諸手を上げて「賀詞」に賛成し、天皇・アキヒトの所業を賛美するていたらくであった。
3月8日、宮内庁主催の「大礼委員会」で、天皇・アキヒトの「退位関連儀式」について、3月12日の皇居の宮中三殿での「退位及びその期日奉告の儀」以降、退位当日の4月30日までの期間に11の儀式を行なうことを決定した。このうち、4月30日の「退位礼正殿の儀」について「国事行為」と位置付け、残る儀式は、すべて、「皇室行事」の一環としての「大礼関係の儀式」として行なうという。アキヒトは、3月26日に、「初代天皇陵」=「神武天皇陵」(むろん、捏造の産物)への参拝を行なっており、今後、4月18日の伊勢神宮への参拝、4月23日の戦犯天皇・ヒロヒトの陵墓=「武蔵野陵」への参拝にも踏み込もうとしている。
10月22日の「即位の礼」では、ナルヒトが皇居周辺をパレードする「祝賀御列の儀」を行ない、その後、皇居宮殿で、国内外に天皇即位を明らかにする「即位礼正殿の儀」や、「国内外の賓客に即位を披露する祝宴」として「饗宴の儀」を行なうという。「即位の礼」には、日帝が国家承認する195ヵ国の代表者と「欧州連合」(EU)の大統領、欧州委員長、国連事務総長らを招待するとしている。翌10月23日には、首相・安倍主催の外国首脳らを招いての晩餐会を、東京・ホテルニューオータニで開催するとしている。そして、11月14日〜11月15日、神道儀式そのもののおぞましい「大嘗祭」を、「皇室行事」として、皇居・東御苑で行なおうとしている。
安倍政府は、一連の天皇即位行事を「国家行事」として大々的に開催することで、日帝足下労働者人民に天皇と国家への「祝賀」=忠誠を強制し、戦時国家体制形成に弾みをつけようというのである。その一環として、安倍政府は、1月25日の閣議で、「祝意を表するため」と称し、2月24日の「天皇在位30周年記念式典」に際して、地方自治体や学校、会社などでの「日の丸」掲揚を迫る閣議決定を行なっている。教育現場等における、ナルヒト即位への「祝意」を強制する攻撃が、今後、さらに激化するのは必至である。そして、「天皇祝賀」の担い手として、「日本会議」等のファシスト勢力が「草の根」運動を展開しようと狙っており、反共ファシストが跳梁を強めようとしている。
天皇代替わり攻撃の中で、さらなる治安弾圧が強化されようとしている。国家権力が捏造した天皇の「権威」を振りかざすことで、労働者人民に天皇と日帝への忠誠を誓わせ、屈服と沈黙を強制しようというのだ。安倍政府は、既に「共謀罪」を手中に収め、適用の機会をうかがっている。何としても粉砕しなければならない。
激化する天皇制攻撃を粉砕せよ
アキヒトは、「退位の目的」について「象徴天皇の務めが途切れることなく、安定的に続いていくこと」と明確に述べている。反革命国民統合の「象徴」として天皇・天皇制を継続させ、日帝国家権力の一環として日本階級闘争を圧殺し続けようというのであり、絶対に許すことはできない。天皇代替わりを通した天皇制攻撃の激化を、粉砕しなければならない。
1989年1月7日の戦犯天皇・ヒロヒトの死から、翌1990年の現天皇・アキヒトの即位に至る代替わり攻撃では、戒厳体制と天皇主義右翼ファシストの活性化の中で、労働者人民にヒロヒトへの「服喪」強要、アキヒト即位への「祝賀」強要の攻撃が激化した。特に、15年戦争を引き起こし、中国をはじめアジア・太平洋を侵略―蹂躙した挙げ句、数千万人ものアジア―全世界労働者人民を虐殺したヒロヒトの戦争責任を居直ろうとする、悪辣極まりない攻撃が進行した。天皇制攻撃の激化に対して、議会内既成勢力の総屈服を踏みしだき、わが解放派を先頭とする革命勢力が、ヒロヒト「服喪」―アキヒト「祝賀」強制をズダズダに切り裂く実力闘争・武装闘争を爆発させた。革命的学生運動の不抜の拠点=明大での1989年1月の皇居実力進撃戦を頂点とするストライキ決起など、戒厳体制を切り裂く数々の街頭実力決起が爆発した。そして、革命軍は、1989年2・24「大喪の礼」を粉砕する車列直撃の中央自動車道爆破戦闘、1990年11・1〜11・2警視庁警察寮爆破戦闘を頂点とした、数々の革命的ゲリラ戦闘を爆発させたのである。こうした輝かしい地平を引き継ぎ、さらなる実力・武装の闘いに決起しなければならない。
ヒロヒトの「『遺徳』を継ぐ」と宣言して天皇に即位したアキヒトは、30年以上にわたって日帝と天皇の戦争責任追及の圧殺と、日本階級闘争の撲滅を第一義として、東奔西走してきた。アキヒトは、「慰霊の旅」と称して、1991年の東南アジア諸国(タイ、マレーシア、インドネシア)歴訪を皮切りに、1992年に中国を、2005年にサイパン島を、2006年にシンガポールとタイを、2013年にインドを、2015年にパラオ諸島、2016年にフィリピンを、2017年にベトナムを訪問―蹂躙し、行く先々で戦争責任清算の「お言葉」を吐き散らしてきた。特に、「慰霊の旅」の標的としてアキヒトが執着したのは、沖縄である。1945年2月、天皇・ヒロヒトは、日本「本土」防衛の「捨て石作戦」として沖縄戦を強行した。日本軍は、沖縄労働者人民を「スパイ」視し、「軍官民共生共死」方針下、軍命による「集団自決」を強要し、全人口の3分の1を数えるほどの沖縄労働者人民の大量虐殺を強行した。戦後になっても、ヒロヒトは、「天皇メッセージ」によって、沖縄を米軍政下に叩きこみ、〈基地・沖縄〉を強制したのである。アキヒトは、通算11回もの沖縄訪問を繰り返すことで、粘り強く闘う沖縄労働者人民の激闘を抑え込もうと腐心してきた。2018年3月27日〜3月29日に、「最後の慰霊の旅」として11度目の沖縄訪問に踏み込んだ際には、自衛隊が配備された与那国島も訪問している。この攻撃に対して、沖縄現地で闘いぬいたのは、唯一、わが解放派のみであった。
わが解放派は、天皇代替わりの中で激化する天皇制攻撃と対決し、朝鮮反革命戦争突撃に向けた国威発揚と、天皇・天皇制のもとへの反革命国民統合のための2・11「建国記念の日」を粉砕する闘いを、東京と沖縄で、敵対を強める反共ファシストと対峙して、これもまた唯一闘いぬいてきた。
天皇制攻撃の激化の中で、反共ファシストが「祝賀」強制の街頭制圧に踏み込み、反対運動の抹殺に手をかけることを、絶対に許してはならない。反共ファシストどもに対する容赦のない撃滅戦を叩きこもう。
「祝賀」強制を通した反革命国民統合を粉砕しよう。激化する天皇制攻撃を粉砕し、天皇・天皇制打倒へ進撃しよう。戦争遂行の安倍極右政府を打倒しよう。
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