8月13日から15日までの3日間、福岡・築港日雇労働組合(福日労)を軸とする実行委員会の主催で、天神近くの須崎公園において、福岡日雇い団結夏祭りが開催された。今年の夏祭りは、「失業にも、猛暑にも負けるな! 力を合わせて生きぬこう!」をメイン・スローガンに闘いぬかれた。
会場の設営から撤収までの作業を担う設営班、朝、昼、晩の炊き出しを3日間にわたって提供する炊事班、炊事用具や食器の洗浄を一手に引き受ける洗い場班、権力、右翼ファシスト、ヤクザ、ゴロツキどもの敵対から夏祭りを防衛する警備班、そして3日間の運営にあたる本部など、実行委員会の各班を、多くの日雇い・野宿の労働者たちが積極的に担った。各班合わせると、その数20数人。強力な陣容だ。「一人の野垂れ死にも許すな」と、労働者自身の手で仲間たちの命を守りぬくこの取り組みに、労働者・市民の共感が集まり、多くの人々が支援に加わり、炊事、洗い場などの仕事を担ってくれた。多くの資金や物資のカンパも寄せられた。こうした力で、夏祭りの成功がかちとられた。
今回の夏祭りは、「危険な暑さ」と報道されるまでの猛暑、そして台風15号の接近による風雨にもさらされたが、これらをはね返して、多くの仲間たちが設営や台風対策などの諸作業を担い、また、様々な催しに参加することによって、例年にも増して盛大で活気ある夏祭りがかちとられた。新たに野宿を強いられた労働者も参加した。久しぶりに参加した仲間たちの懐かしい顔も多数見られた。
安倍政府の手によって、改憲攻撃が強められている。通常国会では、「残業代ゼロ化」に大きく道を拓く「働き方改革」関連法の成立が強行された。戦争に向けて、労働者階級への搾取と隷属を極限化しようという攻撃は強まるばかりだ。福岡では、それが先取り的な形で推進されている。「日本会議」のメンバーで、安倍との結びつきを強める福岡市長・高島は、「アベノミクス」の目玉の一つである「国家戦略特区」構想にいち早く名乗りを上げ、「グローバル創業・雇用創出特区」なるものを掲げて、「労働規制の緩和」―「解雇自由化」の国策を、全国に先駆けて推し進めている。内外の企業を呼び込むために、労働者には激しい競争と切り捨て、タダ働きと過労死を押しつけ、膨大な労働者を失業と野宿に追いやろうとしているのだ。
こうした中、福岡における日雇い・野宿の労働者の状況は、さらに厳しさを増している。築港の寄せ場では、朝の5時から立っても、業者が来ない日々が常態化している。寄せ場に立っても仕事がないことから、築港に来ること自体を諦めてしまった労働者も多い。寄せ場の解体が確実に進行しているのだ。
こうした状況をはね返していく団結と闘いが求められている。寄せ場―日雇い労働運動の前進を切り拓くこと、同時に寄せ場―日雇い労働運動こそが、ますます増え続ける「非正規雇用」労働者をはじめ、全国で失業と貧困に苦しむ労働者の先頭に起って、闘いぬいていくこと。このことが求められている。その底力を培うために、福岡日雇い団結夏祭りは開催された。
〈1日目〉
8月13日、朝6時の集合時刻には、すでにたくさんの日雇い・野宿の仲間たちが集まっている。全員に軍手とタオルが手渡され、段取りの打ち合わせを済ませたら、さっそく作業開始だ。朝食ができる頃には、すべてのテントが建ち、寝床が作られ、布団も敷かれた。会場内のステージには、団結夏祭りの開催を告げる大横断幕が張られた。朝からの暑さのなか、冷たいお茶が大量に用意され、シャワー室も造られ、熱中症対策は万全だ。仲間たちは力を合わせて作業を進めていく。会場の形は早くから整った。
昼食の後、突入集会が開始され、夏祭りの開幕が大々的に宣言された。実行委員長による「資材の整理や搬入など、準備は大変だったが、設営班をはじめ、みなさんの協力でここまできた。事故やケンカのない、楽しく意義ある夏祭りにしよう」という開会あいさつに続き、実行委員会を構成する各班が決意表明に起つ。設営班は、「暑いなか、8月10日からずっと資材の搬入や設営をやってきた。夏祭りを楽しみたい。終わってからも、また頑張る」、炊事班は、「厳しい夏を乗り切るために、食欲の出そうなメニューを用意した。腕によりをかけて美味しいご飯をたくさん作るので、期待してほしい」、洗い場班は、「食事の後は、洗い場班にお任せを。打ち水が必要な時も、遠慮なく洗い場に言って来て下さい」、さらに警備班は、「トラブルなく、みんなで楽しく夏祭りを過ごせるよう、24時間、夏祭りを守りぬく」と表明した。きつい仕事を率先してやってくれる各班の仲間たちに、会場からは惜しみない拍手が送られる。本部の仲間は、配布されたプログラムに基づき、3日間の企画を紹介するとともに、「泥酔、宴会、ケンカの禁止」などのルールや様々な注意事項を提起した。散髪を担当する仲間にも、大きな拍手が送られた。「力を合わせて夏祭りをやりぬこう」という実行委員長の提起と「団結ガンバロー」で、突入集会は締めくくられた。
ゲーム、カラオケ大会、そして夕食の焼肉定食の炊き出しの後は、総決起集会だ。全国の寄せ場でも夏祭りが取り組まれていることが紹介され、連帯メッセージが読み上げられ、続いて、実行委員会を代表して、福日労の執行部の仲間から、団結夏祭りの基調が提起された。「夏祭りを労働者自身の手で作り上げよう」、「『仕事よこせ』の闘いの前進をかちとろう」、「反戦の声と闘いを強めよう」という提起を、全体の盛大な拍手で確認していった。
夜8時からは映画上映会だ。名護新基地建設阻止をかけた辺野古現地の闘いの様子を伝えるDVDに、全員が食い入るように見入る。続く娯楽映画の上映で夜も更け、10時の就寝時間を迎えた。
〈2日目〉
午前中から様々なゲームが行なわれ、祭りの雰囲気はますます盛り上がる。カンパで寄せられた衣類の大放出も行なわれ、仲間たちは新しい衣類に着替え、誰もがさっぱりとした姿になった。所用のためこの日に福岡に戻った教育労働者が、飛び入りでステージに立ち、オカリナ演奏で涼やかなひと時を提供してくれるとともに、「市内の教職員の仲間たちから集めた支援物資を持ってきました。猛烈な暑さですが、ともに力を合わせて頑張りましょう」とエールを送る。
午後1時からは、弁護士による法律相談が行なわれた。2時間という限られた時間ではあったが、5人が相談を受けた。1人の労働者からは、「相談して良かった、助かった」という声が上がった。
暑い盛りの午後3時からは、恒例となった「御輿だ! ワッショイ!」だ。「福日御輿」は、会場内を所狭しとねり歩き、これに、洗い場班を中心とした水かけ部隊が、これでもか、これでもかと、水をかけまくる。御輿はステージ前から、会場の外にもくり出した。何事かと振り返る通行人の視線を尻目に、御輿は、「ワッショイ! ワッショイ!」の声高く、公園内を一巡していく。会場に戻った御輿の担ぎ手たちを囲んで、最後に全員で「夏祭りをやりぬくぞ」というシュプレヒコールをあげると、熱気は最高潮に達する。思う存分練り歩いた担ぎ手たちには、盛大な拍手が送られた。
夕食後には、「博多笑い塾」の有志による「演芸披露」も行なわれた。「鼻笛」の演奏や漫談を交えた手品に、誰もが喝采を送り、あるいは腹を抱えて大笑いする。参加者全員が、時の経つのも忘れて楽しいひと時を過ごした。
午後7時、本部から「台風が接近しており、今夜遅く九州上陸の見込み。すでに設営班が一応の台風対策は講じているが、念のため、7時以降の予定を中止して、全員で台風対策をやろう」という提案が行なわれると、「よっしゃー」という威勢のいい声とともに、参加者全員が動き出す。風でテントが飛ばされないよう、その足ごとにロープがかけられ、しっかりと地面に固定されていく。横殴りの雨で寝床が濡れないよう、強い雨が降り始めたら即座にテントを覆うことができるように、周りにはブルーシートが準備される。風で飛びそうなもの、雨で濡れてしまいそうなものは、すべて片付けられた。「台風よ、いつでも来い」。万全の対策を講じて、就寝体制に入った。
ちなみに、わが解放派から脱落・逃亡した「社会党」グループは、例のごとく「福日労」を騙って、「全国動員」で冷泉公園での「夏祭り」に臨んだものの、福岡の日雇い・野宿の労働者からは完全に見放されてしまい、閑古鳥が鳴く冷泉公園で無聊をかこっていたのだが、台風接近の報道に接するや、14日午後3時までに、15日までの日程をすべて取りやめて、さっさとテントをたたんで撤収してしまった。いったい、何を考えているのか。
一般的な観客を対象にした商業イベントなら、「観客の安全確保」のために行事を中止するのは当然のことだろうが、日雇い・野宿の労働者を対象とする場合は、訳が違う。台風の被害を集中的・直撃的に受けるのは、家を持たない日雇い・野宿の労働者なのである。台風によって、風雨に打たれる、飯が食えない、命を落とすなどの危険にさらされる時にこそ、その居場所を確保し、炊き出しをやり、寝床を提供するのが、寄せ場労働運動の使命のはずだ。夏祭り初日にわれわれが行なった「労働・生活アンケート」でも、野宿の労働者からは、「台風や大雨、大雪になると、ボランティア団体は炊き出しを中止してしまう。そのような一番困った時の炊き出しを、福日労は今後も続けてほしい」という要望が寄せられている。「社会党」の面々は、日雇い・野宿の労働者の夏祭りと、そこらの町内会の夏祭りや盆踊りとの区別が、まったくついていないらしい。公園にとどまって、使命を果たすべきだと考える者が一人もいないのだから、完全に終わっている。「社会党」の撤収を知ったある労働者からは、「完全に失格。意気地のなか連中やけんね」という言葉とともに、失笑が漏れた。「社会党」よ。この言葉と失笑が、お前たちの存在に対する至極正当な評価だと思うが、どうか。
〈3日目〉
この日未明に宮崎県に上陸した台風15号は、九州北部を北上し、午前8時ころに福岡市付近を通過し、対馬海峡に抜けて、熱帯低気圧に変わった。会場である須崎公園では、心配した風は大したこともなく、雨も断続的に降り続けたものの、大降りになることはなかった。台風への警戒を維持しつつ、プログラムが着実に行なわれていく。雨で中止したゲームも、「ストラック・アウト」だけだ。
午後1時からは、司法書士、歯科医師や九州大学の歯学関係の教員、学生たちを招いての「労働・生活・医療に関する相談会」が開催された。最初に、明治公園時代から毎回欠かさずに「相談会」に駆けつけて歯科相談を担当して下さり、今年亡くなった歯科医師の方に、感謝と追悼の意を込めて、全員で黙とうが行なわれた。相談に乗ってくれる方々からあいさつを受けて、さっそく相談会の開始だ。司法書士への相談には6人が、歯科相談には23人が行列を作った。各相談室は、てんてこ舞いの盛況だ。それだけ、多くの労働者が悩みを抱えているのだ。希望者全員が相談を終えた午後3時、相談に乗ってくれる方々全員がステージに立つ。司法書士は、「年2回の相談会だけでなく、困ったことのある方は、いつでも遠慮なく私の所に相談に来て下さい」と呼びかけた。歯科医師が「冬も必ず来ますので、ぜひまた皆さんのお話を聞かせて下さい」と述べ、歯学部の学生が「これからもこの取り組みに参加したい。何でも相談して下さい」と発言すると、会場から盛大な感謝の拍手が送られた。
夕食の炊き出し時には、三味線の演奏で独特の歌を披露する女性アーティストの恒例の「抱腹絶倒ライブ」が開催された。何人もの労働者が前に出て踊り出し、いっしょに歌を歌い、太鼓を叩く中、会場は爆笑の渦に巻き込まれた。午後7時からは、カラオケ大会が開かれ、仕事から解放された本部、炊事班、洗い場班などの仲間たちも加わって、夏祭り最後の夜を惜しむように熱唱が続いた。午後8時からは、娯楽映画の上映も行なわれた。
「片付け日」にあたる16日は、台風の影響で曇りだった。強い陽が差さず、気温もさほど上がらず、作業にはもってこいの天候だ。設営班だけでなく、40人を超える多くの仲間たちが朝から結集し、全員でテントの解体、資材の搬出などの作業に汗を流した。そのおかげで、昼にはほとんどすべて片付いた。こうして、2018年福岡日雇い団結夏祭りは、大成功、大盛況のうちに幕を閉じた。福日労は、夏祭りで打ち固めた団結を武器に、今秋、「反戦・仕事よこせ」の闘いのさらなる前進をかちとっていく決意に燃えている。
|