1月6日 「土曜大行動」に600人が結集し新年の決意を共有
辺野古の2018年の闘いは、海上行動が1月4日から、「工事用ゲート」前の座り込みが1月5日から開始され、1月6日には、新年最初の「土曜大行動」が開催された。「土曜大行動」は、労働者人民の現地大結集で確実に工事を止めることを目的に、昨年10月から毎月第1土曜日に設定されたものだ。「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が主催したこの取り組みに、600人の労働者人民が結集した。
昼からの集会を前に、早朝から「工事用ゲート」前での座り込みが行なわれ、多くの参加者から、「新基地は絶対に造らせない」、「今年中に決着をつける」という決意が表明された。「沖縄平和運動センター」議長・山城博治氏も駆けつけ、「『朝鮮有事』が叫ばれている。大変な事態だ。戦争へ戦争へと向かうこの国に歯止めをかけよう。私たちにはその力がある。安倍の戦争を止める役目をなぜ沖縄が負わねばならないのか、理不尽な思いはあるが、その役目を背負わされているのであれば、われわれは請けようではないか」と檄を飛ばすと、全体が大きな拍手で応えた。
全体集会は、正午から「メイン・ゲート」前のテントで開催された。テントの中は人でぎっしりだ。テントに入り切れない人々が、路上に、土手に溢れる。山城博治氏、高良鉄美氏、稲嶺名護市長、沖縄選出の国会議員、「ヘリ基地反対協」などが次々に発言に起ち、「厳しい局面が予想されるが、決して負けることはない。手を取り合ってがんばろう」、「海では砕石投下が進められているが、現状は全体計画の1パーセント程度に過ぎない。必ず止められる」、「覚悟を決めて闘おう」と訴え、最後に山城氏の音頭で「団結ガンバロー」を行ない、新基地建設阻止に向けた新年の決意を全体で確認して、集会を終えていった。
急加速される護岸建設工事
「正月休み」明けの海上工事は、1月6日から再開された。この日以降、「N5護岸」の先端部では、ダンプカーやクレーン車を使った砕石投下作業が激しく強行されている。そこから東と西の両方向に向かってT字型に護岸を延ばして、「K4護岸」を建設する工事だ。「K1護岸」の建設現場でも、延伸のための砕石の投下、両側面を固めるための「被覆ブロック」の設置などが、急ピッチで進められている。延伸は、1日に20メートル〜30メートルという猛烈なペースだ。それだけ、辺野古の海の無残な破壊が日に日に進む。
「工事用ゲート」からの資材搬入は、1月9日から再開された。この日の搬入台数は、282台。1日の搬入台数としては、新基地建設工事が本格化した2014年7月以降、最多となった。以降、連日のように、午前9時頃、正午頃、午後3時頃の3回にわたって、石材を積んだダンプカー、コンクリート・ミキサー車、資機材を積んだトレーラーなどが、大量に搬入されている。中には積載量が24・5トン、24・7トンという超巨大ダンプもある。そして、その都度、沖縄「県」警機動隊によって、座り込む労働者人民に対する暴力を伴なう強制排除が強行されているのだ。
1月13日には、「工事用ゲート」脇の歩道付近に、新たな鉄柵が登場した。鉄柵を二重に補強し、ほぼ倍の高さに嵩上げしたものである。資材搬入の際、これまで「県」警は、「工事用ゲート」脇にある歩道に「仮設収容所」を設け、強制排除した労働者人民を押し込んできた。そこは、キャンプ・シュワブのフェンス沿いの歩道上なのだが、もう1面となる車道側には、鉄柵が置かれている。資材搬入の際には、その鉄柵に沿って機動隊車両2台を横づけし、歩道の両端を機動隊の人垣で固め、こうして4面を囲って、長時間にわたって拘束してきたのである。法的根拠不明、令状なしの連行・拘束である。その間、2台の機動隊車両のエンジンはかけっ放しで、排ガスは出し放題。被拘束者は身動きができぬまま、長時間その排ガスを吸わされ続けるため、体調不良を訴える人が続出した。これがマスコミや「県」議会などで問題にされるや、「仮設収容所」を廃止するのではなくて、機動隊車両だけをやめにして、代わりに鉄柵の強化に出たのである。そうすることで、違法・不当な拘束を続けようという魂胆だ。
1月17日には、本部港からの石材の海上搬入が強行された。午前10時、辺野古崎北側の「K9護岸」沖に輸送船が到着。砕石を移し替えた台船が「K9護岸」に接岸。そこからダンプカーが石材を載せて、次々とキャンプ・シュワブ内に搬入してゆく。それは、18日、19日と、3日連続で強行された。本部港からの海上搬入は、12月21日、22日に次いで、これで3回目となる。
しかし、こうした工事の加速にも、沖縄労働者人民は決して屈しない。諦めない。「工事用ゲート」前でも、海上でも、さらには本部港でも、砕石場でも、労働者人民の工事阻止をかけた頑強・不屈の闘いが展開されている。
相次ぐ米海兵隊ヘリの事故に労働者人民の怒りが沸騰
1月6日、米海兵隊・普天間基地(宜野湾市)所属の多用途ヘリ・UH―1Yが、うるま市の伊計島の砂浜に不時着した。UH―1Yは、その名に「多用途」と冠されているとおり、兵員輸送から、ロケット弾や機関銃などによる攻撃作戦まで、多任務遂行能力を備えた武装ヘリだ。不時着地点から民家までの距離は、約100メートルであった。伊計島では昨年1月にも、普天間基地所属の攻撃ヘリAH1が農道に不時着している。
2日後の1月8日には、そのAH1が、読谷村の廃棄物処分場の敷地内に不時着した。リゾートホテルの敷地から、約250メートルの距離であった。しかも翌9日には、米軍はAH1の飛行訓練を平然と強行している。読谷村に不時着した当該機も、9日に普天間基地に戻った後、そのまま飛行訓練に加わったという。CH―53Eやオスプレイの飛行訓練も強行された。
そのAH1は1月23日にも、渡名喜村の救急搬送用ヘリポートに不時着している。油圧系統にトラブルが生じたという。渡名喜小・中学校まで約300メートルの場所だ。当該機は翌24日、整備終了後に現場を離陸し、機体に積んでいた弾薬を米空軍・嘉手納基地で降ろした後、普天間基地に戻ったという。しかも、この日も、渡名喜村の上空を同型機などが、飛行をくり返した。
1ヵ月も経たない間に3度の不時着事故だ。これに対して不時着地の周辺住民をはじめ、沖縄全島の労働者人民から、「生死にかかわる問題だ」、「何回、同じことをくり返すのか」、「米軍や日本政府に怒り心頭だ」、「私たちにとっては北朝鮮よりも米軍の方が脅威だ」という激しい怒りの声が上がっている。辺野古の「工事用ゲート」前の座り込みでも、「普天間基地を撤去して辺野古に新基地を造っても、問題解決にはならないことが証明された。米軍の『事件・事故』は、場所を選ばない」という鋭く厳しい指摘が出された。
ところが、米軍は、「県」などが「全米軍機の緊急点検と、その間の全機種飛行中止」をくり返し求めているにもかかわらず、何事もなかったかの如く、「通常通り」の訓練飛行、作戦飛行を続けている。米太平洋軍司令官・ハリスにいたっては、1月8日の読谷村へのAH1の不時着について、「異常発生時にパイロットが安全な場所に着陸させたことに満足している」とうそぶいて開き直った。「住民の被害をわざわざ避けてやったんだから、満足しろ、感謝しろ」と言っているのだ。しかし、不時着した場所は、いずれも沖縄労働者人民の生活圏だ。一歩間違えば、大惨事になっていたのであり、沖縄労働者人民にとって「安全な場所」であろうはずがない。沖縄全体を、労働者人民が暮らす生活の場ではなく、「米軍のために存在する米軍の演習場」としか考えない占領者意識丸出しの発言に、怒りは高まるばかりだ。
この意識は、決してハリス1人だけのものではない。2004年の沖国大への米軍ヘリ墜落事故では、在日米軍司令官・ワスコーが、「乗員に素晴らしい功績があった」と発言した。2016年の名護市安部へのオスプレイ墜落事故でも、在沖米軍トップの4軍調整官・ニコルソンが、「住宅や県民に被害を与えなかったことは感謝されるべきだ」と言い放った。事故に際して、この連中の頭の中にあるのは、「米軍人の技量の評価」という米軍内部の問題だけであって、沖縄労働者人民の生活・生命については一顧だにしないという姿勢は、終始一貫している。
その姿勢は、安倍政府もまったく同じだ。1月25日の衆院本会議で、米軍ヘリの相次ぐ事故をめぐる質疑中に、自民党の内閣府副大臣・松本文明(当時)は、「それで何人が死んだんだ」なる「沖縄ヘイト」と言うべきヤジを飛ばした。松本は翌日、「誤解を招いた」として安倍に辞表を提出したものの、この発言に「誤解」の余地はない。誰がどう聞いても、「死者が出ていないんだから何の問題もない」、「死者が出たとしても大した問題ではない」、「沖縄はいったい何を騒いでいるのか」ということしか意味しない。松本の暴言は、安保強化―朝鮮反革命戦争遂行のために、続発する在沖米軍の「事件・事故」を許容し続け、その犠牲を沖縄労働者人民に強制し、新基地まで押し付ける安倍政府の本音を吐露したものに他ならない。
「人の命を何だと思っているのか」、「沖縄県民は何人死ねばいいのか」。沖縄労働者人民の激しい怒りと闘いが沸き起こっている。
「K2護岸」着工を弾劾する
安倍政府―沖縄防衛局は、1月24日までに、「K2護岸」の建設工事に踏み込んだ。「K9護岸」(2017年4月25日)、「K1護岸」、「N5護岸」(同年11月6日)、「K4護岸」(同年12月23日)に続く、5ヵ所目の着工だ。「K2護岸」は、計画では全長222メートルで、埋め立て予定区域の南西側(辺野古漁港の東)でこれまで建設を進めてきた「K1護岸」(216メートル)の先に位置するものだ。
沖縄防衛局は今後、「K2護岸」からさらに南に延びる「K3護岸」(205メートル)や、辺野古崎近くの「N3護岸」(135メートル)などの建設を進め、現在建設中の「K4護岸」(1029メートル)と結合させて、キャンプ・シュワブ南側の海を囲い込み、それができた区域から、本格的な埋め立てとなる土砂投入に入るという。その時期は「2018年夏ごろ」と報道されている。一部報道では、一番早く埋め立てが狙われているのは、辺野古漁港に近い「K1護岸」、「K2護岸」、「K3護岸」、「K4護岸」、「N5護岸」で囲われる区域だと伝えられているが、「K4護岸」は、新基地建設で計画されている護岸のうち最長のもので、沖縄防衛局の「工程表」でも工期は「22ヵ月程度」とされており、「夏ごろ」までにすべて完成するとは考えにくい。むしろ、「K4護岸」の建設距離が比較的短い辺野古崎側、すなわち、「N5護岸」、「K4護岸」、「N3護岸」で囲われる区域が最初になる可能性が高い。
闘いは正念場を迎えた。2018年は、本格的な埋め立てを許すのか、それとも新基地建設の息の根を完全に止めるのかをかけた、一大決戦の年だ。勝利のカギは、巨万の現地結集と実力闘争の爆発だ。天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会は、この決戦の先頭に起ち闘う決意である。
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