7月1日 工事再開阻止をかけ、東村・高江で現地行動が闘われる
うだるような7月の猛暑の中、辺野古では、熱く激しい攻防が展開されている。安倍政府―沖縄防衛局は、4月25日から強行している「K9護岸」の建設工事に加え、6月26日から、新たに辺野古崎の南側海岸沿いの「K1護岸」建設予定地付近でも、重機を使って砕石を砂浜に投下する作業を開始した。その作業は、7月に入ってからも、連日にわたって強行されている。「K1護岸」の建設のための「工事用仮設道路」の建設作業だという。政府―沖縄防衛局が頼りにするのは、沖縄「県」警機動隊と海上保安庁の暴力だけだ。労働者人民への暴虐と辺野古の海の無残な破壊が日々くり返されているのだ。
しかし、沖縄労働者人民の闘いは不屈だ。米海兵隊のキャンプ・シュワブの工事用ゲート前には、「辺野古に集まろう。集まれば作業は止まる。基地をなくし、戦争をなくすために、力を合わせて闘おう」との呼びかけに応えて、多くの労働者人民が結集し、「県」警機動隊の暴力と弾圧を跳ね返して、工事関係車両の搬入を阻止する座り込みを、連日にわたって展開している。海上でも、海上保安庁の排除―拘束に抗して、抗議船やカヌーによる工事阻止の闘いがうちぬかれている。
また、東村・高江では、米海兵隊・北部訓練場内のヘリパッド建設工事が再開されたが、工事強行とヘリパッドの運用開始―オスプレイの使用を許さない労働者・住民の頑強な闘いが続いている。
7月1日、沖縄防衛局は、北部訓練場でヘリパッド建設工事を再開した。「国の特別天然記念物であるノグチゲラなどの繁殖期にあたるため、3月から6月末まで工事は行なわない」としていたのだが、さっそくその期限の翌日に、工事に踏み込んだのだ。工期は、9月末までの約3ヵ月間だという。
昨年7月、政府―沖縄防衛局は、警視庁機動隊など800人規模の機動隊を動員して、「N1地区」「H地区」「G地区」の3地区・4ヵ所のヘリパッド建設工事に踏み込んだ。反対する労働者人民に激しい暴力と弾圧を加え、資材搬入に自衛隊機まで導入して、力ずくの工事を強行し、昨年12月には「工事完成」を宣言した。さらに、このヘリパッドの米軍への提供と交換条件になっていた米軍・北部訓練場(東村、国頭村)の過半の返還について、「本土復帰後最大の返還」だの、「沖縄の負担軽減に大きく寄与」だのとキャンペーンして、にぎにぎしく「返還式」まで執り行なった。
しかし、「完成」は、まったくの偽装だ。杜撰な突貫工事の末に造られた3地区・4ヵ所のヘリパッドは、雨が降るたびに水が内部に浸透し、各所からそれが流出して、のり面の一部が崩落している。「H地区」から「G地区」へと延びる「進入路」は未完成のままだ。東海岸に流れ込む宇嘉川河口と「G地区」とを結ぶ「歩行訓練ルート」は、政府―沖縄防衛局の「完成」発表にもかかわらず、工事のやり直しが必至という状況だ。豪雨が沖縄を襲った6月14日には、「H地区」の「資材置き場」を中心に、工事現場周辺から大量の赤土が流出し、高江沖合の海一面を赤茶色に染めた。名護新基地建設をも見すえた労働者人民の闘いの鎮圧と、「負担軽減」の仮像づくりのために、「年内完成」を急いだ結果が、これなのである。
怒りは高まるばかりだ。労働者・住民は、工事再開が目論まれる7月1日、早朝から「N1地区」表ゲート前を制圧して工事を阻止するという決意を明らかにし、労働者人民に現地結集を呼びかけていた。ところが、これに恐怖した沖縄防衛局は、その裏をかくように、午前五時過ぎに、木材、パイプ、重機などを積んだ工事関係車両約10台を同ゲートから搬入し、工事再開を強行したのである。
「N1地区」表ゲート前には、午前7時過ぎから労働者人民が続々と結集して座り込み、11時からは、怒りの抗議集会が開かれた。「沖縄平和運動センター」事務局長・大城悟氏が司会を務め、最初に、「ヘリパッドいらない住民の会」の儀保昇氏が状況説明に起った。儀保氏は、「朝5時に、第1回目の資機材搬入が行なわれた。現場にいたのは私ともう1人だけだったので押し切られてしまったが、これ以上の搬入は許さない。欠陥だらけの危険なオスプレイのために、欠陥だらけの危険なオスプレイ・パッドを造ろうとしている。何としても工事を止めよう」と訴えた。
その後、参加した諸団体から、「すでに供用されている『N4』のヘリパッドでは、周辺の木が枯れて、森に相当のダメージが出ている。様々な外来種が持ち込まれ、メキシコ産の雑草まで生えている。ヘリパッドがすべて完成し運用が始まったら、大変なことになる」、「昨年末に沖縄防衛局は四つのヘリパッドが完成したと宣言したが、それから7ヵ月経った今でも運用ができない。どれだけ杜撰な工事だったのかを自己暴露するものだ。運用をさせないために、これからも粘り強く闘いぬこう」、「きのう6月30日は、1959年に石川市(現うるま市)の小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落し、18人が亡くなった宮森小事件が起きた日だ。今も沖縄ではその危険と恐怖が続いている。ヘリパッドの運用開始は、『沖縄の負担軽減』どころか、さらなる危険と恐怖を押しつけるものだ。絶対に許せない」などの発言を受け、参加者全体で工事と運用を阻止する決意を新たにしていった。
沖縄防衛局は、この日、集会後の午後3時にも、座り込む労働者・住民を強制排除して、14台の工事関係車両の搬入を強行した。労働者・住民の激しい抵抗は、以降も連日にわたって展開されている。
7月6日 労働者人民200が結集し辺野古座り込み3年目集会
辺野古でも連日の激闘が続いている。7月6日には、午前11時から工事用ゲート前で、「基地の県内移設に反対する県民会議」が主催して、「辺野古・大浦湾の美ら海を守ろう! ジュゴンの海を守ろう! 辺野古新基地建設断固阻止! 座り込み行動3年目集会」が開催された。この日は、新基地建設に反対する労働者人民が2014年7月6日にゲート前で座り込みを始めてから、丸3年の節目となる日だ。この集会に、約200人が結集した。
「新基地建設を許さんぞ」、「埋め立てを阻止するぞ」というシュプレヒコール、「県民会議」からの主催者あいさつに続いて、「ヘリ基地反対協」、「沖縄平和市民連絡会」、「沖縄平和運動センター」などが次々に発言に起ち、「安倍政権と対峙する辺野古の闘いは、全国そして世界との広がり、繋がりを強めつつある。護岸工事が進まないのは、台風のせいばかりではない。われわれの闘いがもたらしたものだ。絶対に新しい基地は造らせないという覚悟で闘おう」、「防衛相・稲田は、辺野古ができても普天間は返さないと言った。政府が言ってきた『新基地建設は沖縄の負担軽減のため』、『普天間の危険性除去には辺野古移設が唯一の選択肢』という主張が、すべてウソだったことを自分で認めるものだ。安倍政権打倒に向けて闘おう」、「本土のマスコミは、普天間代替施設と言うが、代替でも何でもない。新たな機能を備えた最新鋭の新たな基地だ。絶対に許すわけにはいかない」、「この3年間、色々なことがあり、悔しい思い、悲しい思いもした。しかし、簡単には完成させない。座り込みの闘いは4年目に入るが、粘り強く闘おう」、「いくさにつながる軍事基地をすべて撤去させよう。沖縄の未来を私たち自身の手で確立しよう。時代を72年前に戻さないために全力で闘おう」と提起した。
参加者全体で決意を新たにし、ガンバローを三唱して集会を終えた。
7月22日 2000人の現地大結集で「人間の鎖大行動」を開催
7月22日には、「辺野古・大浦湾の埋め立てを止めよう」をメイン・スローガンに、「人間の鎖大行動」が辺野古現地で行なわれた。「基地の県内移設に反対する県民会議」が主催したこの取り組みに、約2000人が参加した。キャンプ・シュワブには、国道329号線に沿って、北から第3ゲート、第2ゲート、工事用ゲート、メインゲートという4つのゲートがあるのだが、この4つのゲートすべてを「人間の鎖」で一斉に塞ぎ、一時的ではあれ、キャンプ・シュワブを完全に封鎖してしまおうという試みだ。
正午過ぎから、キャンプ・シュワブのフェンス沿いの歩道に、労働者人民が続々と集まってくる。集会開始時刻の午後2時には、北の第3ゲートから、南のメインゲートのさらに南にある辺野古入口バス停付近まで、約1・2キロにわたって、延々と人垣ができている。
午後2時、「ヘリ基地反対協」の安次富浩氏が「人間の鎖を完成させるために、こんなに多くの人が集まった。われわれの怒りは、新基地とキャンプ・シュワブそのものに向けられている。基地を封鎖し、辺野古の埋め立てを止めよう」と開会を宣言する。風船約1000個が放たれ、キャンプ・シュワブの上空を舞う。これではヘリは飛べない。
沖縄「県」選出の国会議員らの連帯あいさつの後に、「県民会議」を構成する諸団体からの発言が続く。「沖縄平和市民連絡会」代表世話人の真喜志好一氏は、「普天間基地は、何もない所にできたのではなく、1945年に上陸した米軍が住宅や学校や畑を潰して造ったものだ。それを返せというのは、われわれの当然の権利だ。『返してほしければその代わりをよこせ』という米軍の主張は、居直り強盗と同じだ。日本政府は、その共犯者だ」と厳しく批判した。「沖縄平和運動センター」事務局長・大城悟氏は、「新基地建設を止めるために、まだまだ結集が必要だ。多くの県民に呼びかけ、1人でも多くゲート前の座り込み行動に参加してもらいたい。行動するのは今しかない。負けてはならない。最後まで団結して頑張ろう」と呼びかけた。
集会を終えた労働者人民は、フェンス沿いの国道329号線の歩道上を制圧し、合図とともに手を結び、あるいはキャンプ・シュワブに怒りのシュプレヒコールを叩きつけ、さらには「ノー・ベース・ヘノコ」などと英語で書かれたプラカードを一斉に掲げる。4つのゲートは完全に封鎖された。
さらに、護岸工事着工からちょうど3ヵ月となる7月25日には、海に抗議船9隻、カヌー71艇をくり出して、「海上座り込み大行動」も取り組まれた。
建設工事は、必ず行きづまる
7月25日、政府―沖縄防衛局は、辺野古崎の先端部西側の「N5護岸」建設予定地付近でも、新たに砕石をつめた「根固め用袋材」の設置作業を開始した。「N5護岸」の建設へ向けた「工事用仮設道路」の建設だという。4月から強行されている「K9護岸」の建設工事、6月下旬から開始された「K1護岸」建設予定地付近での「工事用仮設道路」の建設工事に続くこの攻撃に、沖縄労働者人民の怒りは高まるばかりだ。「K1護岸」、そして「N5護岸」の建設工事については、「工事用仮設道路」ができ次第、「九月にも着手する見通し」だと報道されている。断じて許すわけにはいかない。
こうして遮二無二、工事を進める政府―沖縄防衛局だが、しかし、この先の展望があるわけでは決してない。工事の行きづまりは早晩必至だ。
第1に、当初、沖縄防衛局が「県」に出した「設計の概要」「設計概要説明書」では、最初に、大浦湾に面した「A護岸」や「中仕切り護岸A、B」、「海上作業ヤード」、そして、ベルトコンベア付き「工事用仮設道路」などを建設することになっていた。「K9護岸」の建設も、「K1護岸」の建設も、計画ではその後である。ところが海底の基礎地盤の強度への不安から、そして何より労働者人民の闘いへの恐怖から、こうした工事にまったく手を付けることができないのだ。政府―沖縄防衛局が、海底の地盤強度に不安を抱いていることは、護岸工事に踏み込んだ今でも、海底ボーリング調査の結果を公表していない(できない)という事実が、端的に証明している。
「埋め立て予定区域」を含む海域は、地形が急峻な上に、脆くて空洞の存在も懸念される琉球石灰岩や、強弱の土質がサンドイッチのように重なり合い、地滑りしやすい「嘉陽層」と呼ばれる地層が広がっており、これまでに何人もの専門家から、「地盤強度の不足」が指摘されてきた。直下に活断層が存在する可能性も指摘されている。そんなところに巨大な構造物を載せたら、いつ崩落や地盤沈下を起こしても不思議はないのだ。だからこそ、沖縄防衛局は、水深の深い沖合の護岸の基礎に使う「ケーソン」(縦52メートル、横22メートル、深さ24メートル、総重量7400トンもある鉄筋コンクリート製の巨大な箱)の手配にも、それを仮置きする「海上作業ヤード」の建設にも、まったく手をつけることができないでいるのだ。困り果てた沖縄防衛局が、施工順序を変更して、やり易い砂浜や浅瀬部分をアリバイ的にいじっているだけというのが現状なのだ。
第2に、もし仮に、この地盤強度の不足を克服しうる何らかの方策を沖縄防衛局が見つけ出したとしても、今度は、その方策を講じるためには、「工法変更」が不可避となる。そして「工法変更」をするには、「公有水面埋立法」に基づき、「設計概要変更申請」を「県」に提出して、知事の「承認」を得なければならないのだが、その見通しが立つはずもない。要するに、工事は必ず行きづまる。
第3に指摘すべきは、鳴り物入りで真っ先に着手したはずの「K9護岸」の建設工事それ自身が、今ではすっかり怪しくなってしまっていることだ。計画では、「K9護岸」の全長は319メートル。ところが、これまでに約100メートル進んだだけで、七月に入って、工事は、事実上止まってしまったのだ。沖縄防衛局は、「台風対策」をその理由にあげているが、決してそればかりではない。最大の理由は、現場への砕石などの資材搬入が追いつかず、今後の進め方をめぐって、「作戦変更」を余儀なくされているということだ。ただでさえ、これから沖に進むにつれて水深はますます深くなり、それだけ大量の砕石が必要になるというのに。
沖縄防衛局の何よりの失敗は、いきなり「K9護岸」の建設工事に入ったことにある。当初の計画では、キャンプ・シュワブの第2ゲート付近にループと高架橋を造り、国道329号線の上を横断してキャンプ・シュワブ内に入り、329号線と作業現場とを最短距離で結ぶ「工事用仮設道路」を完成させてから、「K9護岸」の建設工事に入ることになっていた。この「道路」には、辺野古ダム周辺から採取した大量の土砂を24時間態勢でそのまま建設現場に運び込むために、ベルトコンベアを併設することも計画されていた。これが、前にも触れたベルトコンベア付き「工事用仮設道路」である。ところが、それらを造らないまま「K9護岸」の建設工事にいきなり入ったために、資材の搬入路を、工事用ゲート一本に頼らざるを得ないハメになっており、その結果、現場への砕石などの資材供給がまったく追いつかないのだ。労働者人民による工事用ゲート前の座り込みがますます大きな意義を持つに至り、実際にも、熾烈な抵抗によって資材搬入を細らせることで、沖縄防衛局による「K9護岸」建設計画の首を強力に締め上げているのだ。
しかも、この「K9護岸」をめぐっては、今後、途轍もない「手戻り工事」が待っていることが判明している。当初の計画では、長く敷きつめた基礎石材の両側面を1個当たり9トンの「被覆ブロック」で蔽い、さらに埋め立ての際に海側となる面(護岸の外側)を1個当たり20トンの「消波ブロック」で固めることになっていた。ところが実際には、基礎石材の両側面に延々と置かれたのは、「被覆ブロック」ではなく、きんちゃく袋状の「根固め用袋材」であり、6月末から設置作業が続けられてきた「消波ブロック」についても、その設置場所は、計画とは反対側、すなわち埋め立て面(護岸の内側)なのである。これについて防衛省が説明するには、約2ヵ月かけて延々と積み上げた「根固め用袋材」も、その上にこれまた延々と積まれた「消波ブロック」も、台風シーズン終了後にはすべて撤去し、「根固め用袋材」は「被覆ブロック」に、護岸内側の「消波ブロック」は護岸外側に、すべて設置し直すというのだ。「一からの出直し」作業をやるというのだ。
この「壮大な無駄」としか言いようがない作業について問われた沖縄防衛局は、今になって、これまでの「K9護岸」の建設工事が、実は「仮設工事だった」と言い繕い始めている。だったら、4月25日に大々的に行なった「本体工事に着手」という発表は、いったい何だったのか。「新基地建設工事は、引き返すことができないところまで来た。もう諦めろ」というアナウンス効果を狙っただけの虚報だったというわけだ。
工事は、開始された。しかし実際には、ほとんど何も進んでいない。これが真相だ。ゲート前に座り込む労働者人民からは、「追いつめられて焦っているのは、政府―沖縄防衛局の方だ」と指摘する声があがっているが、まさにそのとおりだ。要するに、沖縄防衛局が今やっているのは、焦りに駆られ、後先も考えずに、とりあえずできるところから手をつけているだけのことだ。
7月28日 ヘリパッド運用開始に対し高江現地で怒りの抗議集会
7月28日午前11時から、北部訓練場・メインゲート前において、「オスプレイヘリパッド建設阻止高江現地行動実行委員会」の主催で、「オスプレイによる新ヘリパッド使用糾弾! ヤンバルの森を、生き物を、これ以上殺すな! 米軍は、沖縄から出ていけ!」をスローガンに、「住民無視・高江ヘリパッド運用抗議集会」が開催された。炎天下のなか、この集会に120人の労働者・住民が集まった。
7月11日から米軍は、「N1地区」、「H地区」のヘリパッドの運用を開始した。両ヘリパッドを使って、オスプレイの離着陸訓練を始めたのだ。米軍や沖縄防衛局から東村や国頭村への事前連絡も一切なかった。ヘリパッドの工事は完了しておらず、「進入路」などの工事現場には多くの作業員の姿があるのだが、そのすぐ上をオスプレイが平気で飛び交い、訓練を強行しているのだ。住民からは、「米軍は、やりたい放題だ」、「人命無視も甚だしい」、「高江に住めなくなる」と激しい怒りの声があがっている。こうした状況下で抗議集会がもたれた。
「ヘリパッドいらない住民の会」が開会あいさつに起ち、「合計6つのヘリパッドが完成してしまったが、あくまで使用させない闘いを続けていきたい」「住民無視、民意無視の飛行が始まってしまった。夜遅くまでわれわれの頭上を飛んでいる。北部訓練場の過半が返還されたと言うが、返還地には立ち入り禁止の看板が立っていて、沖縄防衛局が管理している。こんなおかしなことがあるか。ヘリパッドの運用―オスプレイによる使用をあくまで許さず、北部訓練場の全面閉鎖まで、ひるむことなく闘いを続けていこう」「『N1』、『G』、『H』の現場に外来植物がはびこり始めており、ヤンバルの森が壊れつつある。私はこんな国の国民でいたくない。国全体を変えるつもりで闘う」と熱く訴える。
続いて、「高江現地行動連絡会」、「沖縄平和運動センター」、「沖縄平和市民連絡会」などが、「沖縄防衛局は、資機材の搬入はすべて終わったと言っていたが、今週もユンボが入った。作業員も毎日入っている。ヘリパッドは、まだまだ完成していない」、「『N1』表ゲートをこじ開けられてから1年が経ったが、ヤンバルを自らの手に取り戻すためにこれからも闘い続けよう」、「怒涛の1年を闘った私たちは、もはや屈することも諦めることもない。ズタズタにされたヤンバルの原状回復、オスプレイの撤去、北部訓練場の撤去まで闘うのみだ」と発言すると、参加者から熱い拍手が沸き起こった。
最後に、全員でメインゲート前を制圧し、「ヘリパッドの運用を許さんぞ」、「夜間訓練を止めろ」、「米軍は出ていけ」という怒りのシュプレヒコールを米軍に叩きつけて、この日の行動を終えた。
辺野古の闘い、そして高江の闘いは、本格的な決戦局面を迎えている。天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会は、現地への集中を強化し、沖縄労働者人民の先頭でこの決戦を闘いぬく決意である。
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