首相・安倍の来沖―「追悼式」出席に怒りの抗議行動
6月23日、天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会(沖縄青年実)は、沖縄・首里日雇労働組合(沖日労)の労働者たちとともに、「慰霊の日」闘争に起ち上がった。
6月23日は、沖縄戦において、摩文仁に追いつめられた第32軍司令官・牛島満をはじめとする司令部が自決―壊滅したことによって、「組織的戦闘が終結した日」とされる。しかし、実際には、戦闘は、9月初めまで続いた。牛島が最後に発した「最後の一兵まで戦い悠久の大義に生きよ」なる無責任極まりない命令の下、「指揮系統なき戦闘」が継続され、それは沖縄労働者人民の犠牲を徒に増やすこととなった。
沖縄戦は、天皇と軍部が「国体護持」「皇土防衛」のための「捨て石作戦」を採ったため、意図的に住民を巻き込んだ凄惨な地上戦として展開された。このことによって、当時の沖縄人口の約4分の1に当たる12万人以上の沖縄労働者人民が犠牲になった。6・23は、沖縄労働者人民にとって、その犠牲者を追悼し、日帝による「新たな沖縄戦」の強要に対決し、反戦の決意を新たにする日だ。
日帝首相・安倍が「沖縄全戦没者追悼式」に乗り込んで来る目的は、この「慰霊の日」の蹂躙だ。厳戒態勢を敷いて沖縄労働者人民の怒りと闘いを力でねじ伏せ、その上に「負担軽減」なるウソと強弁まで振り撒いて、〈基地・沖縄〉の再編・強化を、とりわけ名護新基地建設を強要するためだ。安倍の来沖―出席を、断じて許すわけにはいかない。
糸満市摩文仁の「追悼式」会場直近の「平和祈念公園入口」交差点には、安倍を迎え撃つべく、闘う労働者人民が続々と集まる。「沖縄平和市民連絡会」によって、「沖縄に基地を押しつける安倍政権 『慰霊の日』に参加する資格なし」と大書きされた横断幕が掲げられる。周辺の路上には、沖縄「県」警ばかりでなく、日本「本土」から動員された私服、制服どもまでが大量に配置されている。厳戒態勢だ。権力は、あらかじめ交差点全体に鉄柵を張り巡らせ、さらにその内側も鉄柵を設け、抗議行動に起ち上がった労働者人民をそこに押し込んだ。闘いの封じ込めを狙った卑劣な小細工だ。
午前11時05分、安倍や関係閣僚らを乗せた黒塗りの車列が近づくと、一斉にシュプレヒコールが叩きつけられた。「安倍は、沖縄から出て行け」、「参加を許さないぞ」、「新基地建設を許さないぞ」。安倍は、よほど怖かったのであろう。嵐のような弾劾の中、黒塗りの車列は、さほど幅があるわけでもない一般道を、時速100キロを優に越える猛スピードで、まるでカーチェイスでもするかのように、先を争って会場内に逃げ込んでいく。
「追悼式」では、発言に立った安倍に対して、「戦争屋! 帰れ!」の怒号が飛んだ。抗議の意思と不快の念を示すために、発言の最中に退席する参加者もいたという。
国際反戦集会が開催される
12時45分からは、「魂魄の塔」近くで、国際反戦沖縄集会実行委員会の主催で、「NO! 辺野古基地、NO! 高江ヘリパッド、NO! 『共謀罪』」をスローガンに、第34回国際反戦沖縄集会が開催された。
集会は、「わんから市民の会」の司会で開始され、実行委員会の事務局長として主催者あいさつに起った「一坪反戦地主会」の比嘉宏氏から、「集会には、海外から34人が参加している」ことが報告された。海勢頭豊氏のミニ・コンサートや、「ヘリパッドいらない住民の会」の女性たちによる「高江フラ」などを所々に挟みながら、闘う諸団体、諸氏の発言が続く。
「ヘリパッドいらない住民の会」の儀保昇氏は、「高江からの報告」として、「座り込みを始めてから丸10年になる。1年で終わると言われたヘリパッド建設を10年延ばした。2年前に『N4』2ヵ所、昨年12月に『N1』『G』『H』の4ヵ所の工事が完成したと言われているが、あちこちで崩れるなど、実際には完成していない。4ヵ所のヘリパッドは、まだ一度も使われていない。これらを米軍に使わせないで、元に戻す闘いが必要だ。そのために、6・25高江座り込み10周年報告会、7・1工事再開阻止・高江現地集会に集まろう」と訴える。
「辺野古の闘いの現場からの報告」で登壇した「ヘリ基地反対協」の安次富浩氏は、「弾圧が厳しくなっているが、ひるむ者は1人もいない。『K9護岸』の工事は、長さ約80メートルまで進んだが、全長は300メートルを超える。これからますます深い海に入っていく。易々とはできないし、作らせない」と決意を述べた。
さらには、米軍基地がある国・地域の女性たちで作る「軍事主義を許さない国際女性ネットワーク会議」のメンバーとして、韓国、米国、プエルトリコ、フィリピン、ハワイ、グアムから来沖した女性たちが、全員で演壇に並んで発言すると、ひときわ大きな拍手が沸き起こった。
「総理来沖抗議行動の報告」に立った「沖縄平和市民連絡会」の真喜志好一氏は、「戦争を狙う安倍に、慰霊の資格はない。安倍の来沖―『追悼式』参加を約70人で迎え撃った。警察は市民を鉄柵内に押し込めて封じようとしたが、抗議行動とビラまきをやりぬいた」と報告する。辺野古海上抗議行動メンバーからは、「政府は、もう取り返しがつかないところまで来てしまったかのように宣伝しているが、今ならまだ間に合う。カヌーに乗って、たくさんの人の力で工事をとめよう」という呼びかけも行なわれた。
集会は、「わんから市民の会」の閉会あいさつで終了した。新基地建設を強行し、戦争に突き進む安倍政府に対する沖縄労働者人民の怒りは沸点に達している。その怒りと闘いの最先頭で、沖縄青年実は闘いぬく決意だ。
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