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「韓国サンケン労組」の解雇撤回闘争を支援し、日・韓労働者の国際連帯の強化を (1228号7面)

                                  南原 悠

「韓国サンケン労組」の日本遠征闘争

 「韓国サンケン労働組合」は、昨年10月から、埼玉県新座市にあるサンケン電気本社に対して、子会社の韓国サンケンの整理解雇を撤回させるために、本社との話し合いを求めて来日し、連日、社前闘争を闘っている。5月に入って、既に6ヵ月の闘いを継続している。

 韓国サンケンは、日本のサンケン電気の韓国における100パーセントの子会社として、1973年に、韓国南部の馬山自由貿易地域に設立された。主にLED照明器具などを生産してきた。会社は、赤字を理由に、生産部門を廃止し営業専門会社に転換するとして、生産現場の労働者全員(34人、全員組合員)を2016年9月30日に、一方的に整理解雇した。しかし、この解雇は、整理解雇の要件である「緊迫した経営上の必要性」や「解雇回避の努力」などがないままに行なわれた解雇である。会社と労働組合の間で結んだ団体協約では、労組との合意がなければ解雇できないことになっている。労働協約に違反する違法・不当解雇であり、解雇の本当の狙いは労働組合つぶしにある。

 サンケン電気は、「韓国の問題は、韓国で解決すべきだ。私たちには、無関係だ」といって一度も会おうとしていない。しかし、韓国の工場は、日本のサンケン電気が100パーセント出資した会社で、役員も派遣し、サンケン電気が管理、監督する会社だ。韓国サンケンの経営権は日本の本社が握っているため、本社と交渉しなければ問題は解決しない。「韓国サンケン労働組合」は、整理解雇を撤回させるには、日本のサンケン電気本社に行かないかぎり解決の道はないと、日本遠征闘争を決断し、闘いを継続しているのだ。

 「韓国サンケン労働組合」は、1989年結成、1995年12月に民主労総へ加盟。2001年に産別労組である全国金属労働組合に加入し、「韓国・全国金属労働組合 慶尚南道支部 韓国サンケン分会」として、現在に至っている。

「韓国サンケン労組」形成の闘い

 1996年、「労働法改正闘争」時に全面ストを実施。

 1997年、賃金・労働協約交渉時に、1年3ヵ月の長期闘争が行なわれた。これは、金属連盟の時代に、産別労組の全国金属労働組合への転換のための最初の共同交渉を要求したが、これに対する、会社側の拒否により闘争が展開されたものである。当時、会社側は、「民主労総脱退、職場閉鎖、集団暴行、断電、断水、金属連盟での初めての労働協約の一方的解除、一方的休業、希望退職」などの攻撃をかけてきていた。

 2007年〜2008年、構造調整(リストラ)反対闘争。これは、3事業部の撤収、人員再配置、2年間で1年の休業、勤務形態の変更(4班3職→5班3職)、希望退職との闘いであった。

 2009年、整理解雇反対、解雇者復職闘争。労組専従者のタイムオフ反対、解雇者(事務長)復職闘争。

 2010年〜2011年、リストラ反対、タイムオフ反対闘争。生産量減少により勤務形態の変更、希望退職攻撃。度重なるリストラにより、従業員数は、500人〜600人から、266人になった。

 2015年7月29日、原因不明の火災が発生、生産中止ラインがある1階や主要な生産ラインがある2階は何の被害もなく、食堂と組合事務所がある3階部分だけが全焼した。以降、各種合意違反、露骨な労組弾圧が開始される。労働協約を破る不当労働行為を一方的に開始。

 2016年、生産部門の廃止、生産現場の労働者全員を整理解雇することに対する反対闘争。役員ら不当懲戒(これは地労委で勝訴し、中労委で会社側が撤回)。2016年2月5日、1次希望退職募集(組合員69人中40人募集広告)、8人希望退職、その後、希望退職募集が繰り返され、2月23日、3月18日、6月29日、8月29日と4回にわたる解雇予告状を本人に渡すのではなく、家族のいる自宅に郵送、4回にわたる希望退職書を郵送し、9月30日の不当整理解雇時には、生産現場の労働者は34人(全員組合員)となった。会社側は臨時労組事務所も、9月30日に閉鎖するとメールを一方的に送りつける。

 9月30日の解雇前まで交渉を要求したが、会社側は全く無視。同日、会社側交渉拒否、労働組合譲歩案(賃金削減、組合活動縮小など)拒否、慶南地労委の仲裁案拒否、団体協約と整理解雇一般法理に違反する違法整理解雇断行。同日、韓国の慶南地労委で「解雇は不当」と認定、同日地労委委員長名で、話し合い勧告案を出すものの会社側は受け入れず。

 慶南地労委と労働省の仲裁により、事後調停五回行なわれる(2016年12月1日、9日、12日、14日、15日)。労組は譲歩案を提示したが、会社側の立場である整理解雇と生産部門廃止は変更なし。

 2016年12月27日、慶南地労委は、審判において最終的に「解雇は不当だ」と認定、解雇者の復職を命じた。これに対し、会社側は、2017年1月に入り、地労委の命令を不服として、中労委に提訴した。この間、4月28日の中労委の判定が下りるまでの間に、34人の労組員に対する、切り崩し攻撃を激化させ、18人が家庭の事情や、様々な理由で、解雇撤回を断念せざるを得なかった。

4・28韓国中労委、「解雇は不当」との判定

 そして、4月28日、中労委でも、韓国サンケンの整理解雇に対して、「解雇は不当」との判定が下された。韓国サンケンは、これを逆手にとって、労働組合と何も協議せず、5月11日、突然、残った組合員16人に対し、一方的に「明日から出社しろ」と「復職命令」を送ってきた。しかも、「生産部門の廃止」、「工場の売却」は変わらない、告訴・告発は取り下げないというのだ。

 会社は、生産部門で働いてきた労働者に、営業や技術開発や設計部門で働けという。これは、サンケン電気本社の和田社長の命令だというのだ。

 翌5月12日、組合員たちが、工場に行ってみると、機械も作業台も何もないガランとした空間に、椅子だけが16脚ある場所だった。これで、どうして働けというのか。会社は組合員に対して、様々な理由をつけて、今後、解雇してくる腹積もりだ。第2次解雇は必至だ。まさに、リストラのための「追い出し部屋」だ。

 このような酷い措置の裏には、労働組合を認めない、労働運動を敵視する意図が見え見えである。
 中労委が下した「不当解雇」の判定は、韓国サンケンが強行した整理解雇は、間違った解雇だから、解雇を撤回し、元の職場に戻せと命じたものだ。ところが、今回の「復職命令」は、中労委の判定を逆手にとって、不当解雇の反省もなく、元の職場は無くして、戻れなくしてしまう、形だけの偽りの「復職命令」だ。

 サンケン電気は、職場復帰に当たっては、まず、告訴・告発を取り下げ、労働組合と十分に協議をして合意の上で、元の職場に戻すべきだ。労働者を労働者として認めないあまりにも酷いやり方に、「韓国サンケン労働組合」は、怒りを燃やしている。団結と闘いを強め、必ず、元の職場に戻るという決意を固めている。韓国からの遠征団もサンケン本社への闘いを強めている。

国境を越えた労働者の日・韓連帯、国際連帯の闘いを

 韓国サンケンは、1973年に慶尚南道の馬山自由貿易地域に設立後、43年間にわたり、各種免税や韓国の支援の下で利潤を上げてきた。

 現在、サンケン電気は、海外子会社25社をはじめ、関連会社33社でサンケングループを形成。パワーエレクトロニクス業界で確固たる地位を築いている。

 サンケン電気は、2000年代初めの新規事業投資後には韓国で莫大な利潤をあげた。しかし、その後、サンケン電気は、韓国サンケンに新規事業や再投資を行なわず、日本での大規模工場設立と投資を行ない、生産量と利潤の減少時には、一方的な不当整理解雇を強行してきた。そのやり方も、まず、生産現場の労働者を全員整理解雇し、その後は、外注化をもって生産事業を行なうというものである。労組の組合員の解雇を目的とするという労働組合弾圧のための解雇を強行してきたのである。

 日帝資本は、韓国独裁政権下、馬山自由貿易地域において、各種免税措置の恩恵を受けながら、劣悪な労働条件下で労働者をこき使い、儲けるだけ儲け、莫大な利益をあげてきた。そして、韓国独裁政権を打倒するという韓国階級闘争の前進の中で、民主的な労働組合が誕生し、労働条件の改善、労働者の賃金アップの要求などをかちとるようになると、「うまい汁が吸えなくなる」と、韓国から一方的に撤退し、第3国に「渡り鳥」のように、食い逃げするという企業が、後をたたなくなった。

 韓国サンケンも、例に漏れず、こうした企業と同じく、民主労総に加盟した「韓国サンケン労働組合」をつぶし、利潤を追求しようとたくらんだが、それがかなわないと判断するや、労働協約を一切無視し、一方的な整理解雇を強行したのである。こんなことが許されていいのか。

 自由貿易地域内の多くの外資系企業の事業所や、韓国労総傘下の事業所の人たちも、韓国サンケンの問題が一方的な整理解雇に終れば、他の事業所も一方的に整理解雇されても法律的な規制も受けられないということで注目している。

 「この闘いは絶対負けられない闘いだ。解決するまで韓国に帰らない」と「韓国サンケン労働組合」は、決意も固く、連日、闘いに起ち上がっている。日本労働者階級の責務として、この闘いを全力で支援し、闘いぬいていかねばならない。国境を越えた労働者の日・韓連帯、国際連帯の闘いとして断固として闘いぬこう。