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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

4・28国際通りを青ヘルがデモで進撃〈沖縄〉
(1223号6面)

闘う基調の提起

 沖縄では、4月28日、天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会(青年実)の主催で、那覇市内において集会とデモが取り組まれた。

 集会場の与儀公園・野外ステージには、開始時刻を前に、闘う労働者たちが結集してくる。沖縄・首里日雇労働組合(沖日労)に結集する日雇い労働者たちは、沖日労が用意したカレーライスで腹ごしらえだ。

 正午、司会の同志が開会を宣言する。「今日は、沖縄が米帝に売り飛ばされ、軍政下に置き捨てられてから、65年目の『屈辱の日』だ。天皇と日本帝国主義による沖縄の利用と切り捨ての歴史、そして〈基地・沖縄〉の強要という現状への怒りを新たにし、沖縄解放をめざして、本日の集会とデモを戦闘的に闘いぬこう」、「東京でも、闘う仲間たちが集会とデモに起ち上がっている。これと固く連帯して、沖縄での闘いをやりぬこう」。集会は、最初から熱気に包まれる。

 まずは、沖縄集会に寄せられた沖縄反戦労働者からの連帯メッセージ(全文別掲)の紹介だ。参加者から盛大な拍手が沸き起こる。

 続いて、基調の提起だ。

 登壇した同志は、「本日は、沖縄が米帝に売り飛ばされた『サンフランシスコ講和条約』の発効から65年目となる。同時に1年前、うるま市に住む20歳の女性が、米国籍の元海兵隊員で米空軍・嘉手納基地内に勤務していた米軍属の男によって、無惨に殺害されるという事件が発生した日でもある。戦後72年間、沖縄労働者人民は、『基地がある故に起こる事件・事故』にくり返し蹂躙され、命までも無惨に奪われてきた。62年前の『由美子ちゃん事件』、1995年の『少女暴行事件』、そして1年前の『女性暴行・殺害事件』は、帝国主義軍隊の凶暴性がどこに向かうのかを示すものであり、沖縄の日常的な抑圧状況を凝縮して示すものだ」と提起する。

 さらに、名護新基地建設の現状について触れ、「4月25日から護岸工事が開始された。護岸工事は、埋め立てのための外枠作りで、事実上の埋め立て工事だ。政府が『護岸工事着工」を大々的に騒ぎ立てるのには、悪質な意図がある。それは、『工事はもう引き返すことができないところまで進んだ』と印象付け、われわれに『もう諦めろ』と迫ろうということだ。しかし、こんなことで諦める者は誰もいない。辺野古現地では、労働者人民が『闘いがある限り、新基地はできない』、『沖縄から安倍の暴走を止める』と、怒りと闘志を倍増させて、ゲート前の座り込みや海上行動を継続している。辺野古現地に集中し、実力の闘いで、護岸工事―埋め立て工事を阻止しよう」と訴えた。緊迫する朝鮮情勢についても、「米帝・トランプ政権と日帝・安倍政府は、『北朝鮮の脅威』だの、『北朝鮮の軍事挑発』だのを声高に非難して、戦争を発動しようとしている。しかし、実際に『戦争恫喝』『軍事挑発』をくり返しているのは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)ではなく、日・米・韓の方だ。戦争が始まれば、米軍基地が集中する沖縄は、その出撃拠点となる。こんなことを絶対に許すわけにはいかない。朝鮮反革命戦争を粉砕する革命的反戦闘争を爆発させよう」と熱く提起した。

「県」庁前までの戦闘的デモ

 最後に、同志は、「沖縄労働者人民に強制された一切の矛盾の解決は、日米安保を粉砕し、帝国主義軍隊と日米軍事基地を解体することであり、日帝の反革命統合支配=同化・差別攻撃を粉砕することだ。そのためには、政府打倒・国家権力解体へと向かう革命的反戦闘争、実力・武装の闘いを通した沖縄人民解放闘争の前進・飛躍を闘いとることが不可欠だ。〈沖縄ソビエト樹立を一環とした沖縄―日本『本土』を貫くソビエト権力樹立、プロレタリア解放―沖縄人民解放〉の旗幟を鮮明にして闘おう。沖縄―日本『本土』を貫く革命的共同を強化して闘いぬこう。反共ファシストを撃滅しよう」と呼びかけて、基調を締めくくった。

 「そうだ」、「異議なし」の声とともに、圧倒的な拍手で基調が確認される。

 集会の最後は、決意表明だ。

 沖日労の仲間が発言に起つ。「おれたちは、基地と戦争に反対する。失業と貧困を許さない。だから、反戦と反失業の闘いを、組合活動の2本柱にすえて活動してきた」、「辺野古では、埋め立てに向けた護岸工事が始まった。沖日労は、工事を阻止するために、交代で、頻繁に辺野古のゲート前に行って、座り込みに取り組んでいる。すべての日雇い・野宿の仲間は、新基地建設工事への動員を拒否し、現地の座り込みに総結集しよう」、「沖縄における『日雇雇用保険制度』の適用拡大、『公的就労対策事業』の実施などを求めて、沖縄労働局、沖縄『県』、那覇市に対する要求行動も強めていく」、「5月1日には、沖日労が主催して、日雇いメーデー討論集会を開催する。基地も戦争も失業もない沖縄を目指して、ともに頑張ろう」。

 青年実の同志は、「われわれの先輩たちは、4・28―5・15を『怒りと闘いの日』として、反戦・反基地・反安保の闘い、天皇制と日帝政府への闘いを、今日に至るまで貫いてきた。この歴史を引き継ぎ、青年実は闘いぬく」、「新基地建設を阻止するカギは、知事・翁長による『埋め立て承認の撤回』でも、新たな『県民投票』でもない。労働者人民の圧倒的な現地結集と実力闘争の爆発だ。われわれこそが、新基地建設阻止、安倍政府打倒の闘いの先頭に起とう」、「沖縄労働者人民の怒りの最先頭で本日のデモをやりぬき、5・15闘争に進撃しよう」。

 午後1時、集会を終えた部隊は、隊列を整え、ひめゆり通りに撃って出る。青ヘルのデモを目の当たりにした沿道の人々から、次々と拍手が送られる。「頑張れー」「頑張れー」と、声を張り上げ拳を突き上げて声援を送ってくれる人もいる。その中を、「安保粉砕」、「基地解体」、「政府打倒」、「沖縄解放」の声高く、部隊は進む。国際通りに入ってからも、拍手と声援は止まない。店内から出てきて部隊が通り過ぎるまで拍手を続ける店員もいる。沿道のあちこちでシャッターが切られる。労働者人民の熱い注目と共感を集めて、部隊は、「県」庁前までのデモをやりぬいた。

 青年実は、4・28闘争の成功を力に、5・15闘争の大爆発へ、沖縄人民解放闘争の勝利へと、全力で進撃する決意だ。

沖縄反戦労働者から寄せられたメッセージ

 4月28日は、1952年、日本の独立と引き換えに、沖縄が米国に売り飛ばされた日です。同時に、ちょうど1年前、うるま市に住む20歳の女性が、嘉手納基地に勤務する米軍属によって無惨に殺害された日でもあります。沖縄戦から72年、「屈辱の日」から65年、「復帰」から45年が経ちますが、その間、沖縄が置かれ続けてきた抑圧状況は少しも変わっていないことを、1年前の「女性暴行・殺害事件」は教えています。

 しかし、私を含めて、沖縄労働者は、誰もこの状況に諦めてはいません。沖縄の戦後史は、抵抗の歴史であり、今も、名護新基地建設阻止の闘いをはじめ、激しく粘り強い闘いが続いています。戦後の日本に民主主義は根付きませんでしたが、沖縄では、民衆自身の手で真の民主主義を獲得しようという闘いが、脈々と生き続けているのです。

 「共謀罪」をはじめ、安倍政権の暴走はひどくなる一方ですが、新基地建設を阻む辺野古の闘いは、民主主義を自らの手で獲得するための闘いの砦であり、安倍政権の悪政・暴政を撃つ最前線の闘いです。絶対に負けられません。

 私も機会を見つけては、キャンプ・シュワブのゲート前行動に参加しています。山城議長への弾圧は、沖縄労働者人民すべてにかけられた弾圧だととらえ、裁判闘争にも通っています。新基地建設阻止、全基地撤去、沖縄解放のために、ともに闘いましょう。皆さんの健闘を願っています。