2016―2017年福岡日雇い越年・越冬闘争は、「寒さと失業に負けるな!みんなで闘って、仕事をかちとろう!」をメイン・スローガンに、市内中央区の須崎公園を拠点にして闘われた。
福岡では、日雇い・野宿の労働者が、朝の暗いうちから築港の寄せ場に立って仕事を探しても、求人業者がまったく来なくなってしまった。したがって、築港において仕事を探すことそのものをあきらめざるをえなくされている。もはや、築港が日雇い労働者の就労の場としてある寄せ場の機能を果たさなくなってしまったのだ。この越年・越冬闘争で行なったアンケート調査では、一番多くの仲間たちが「生活保護より仕事がほしい」と回答しているが、高齢などの理由からあきらめてしまっている仲間の割合も増した。福岡市行政は、「体が動くうちは仕事がしたい」「働いて生活したい」という大多数の労働者の切実な声には一向に耳を傾けようとしない。それどころか、福岡市は、一昨年から、日雇い・野宿の労働者にとって、唯一の現金収入源とも言えるアルミ缶の回収を「条例」で禁止し、「罰金」まで設けて取り締まりを強めている。同じく一昨年「生活保護ホットライン」なる「たれ込みダイヤル」を開設し、生活保護を受給した仲間たちへの締め付けも強めている。保護費の減額も強行されている。労働者に「死ね」と言うに等しいこうした攻撃を打ち破り、力を合わせて闘って、何としても仕事をかちとっていかなければならない。このような厳しい状況をはね返し、共にやり返すべく、福岡・築港日雇労働組合(福日労)が先頭になって、今越年・越冬闘争は取り組まれた。
事前に積み重ねられた実行委員会の会議には、多くの日雇い・野宿の仲間たちが参加した。越年・越冬闘争を初めて経験する仲間たちや生活保護をとった仲間たちの参加もあった。
安倍極右政府の暴走は、とどまるところを知らない。戦争とファシズムの時代が一挙に近づいている。この安倍政府のもとで、失業と貧困が蔓延している。全労働者の4割もの労働者が、「非正規雇用」を強いられ、低賃金と重労働、不安定就労を余儀なくされている。まさに、「寄せ場の全国化」「日雇い労働者の全労働者化」とでも呼ぶべき状況が生み出されている。日雇い労働者と同じような境遇に置かれる労働者が、大量に生み出されている今だからこそ、「1人の野垂れ死にも許すな」「生きてやりかえせ」という、寄せ場―日雇い労働者の闘いは、ますます重要になっていると言わねばならない。「何かをしたい」と、炊事や洗い場の仕事を担ってくれた人も多くいる。衣類や布団や食料品などのカンパ物資とカンパの資金も、これまでにも増して寄せられた。会場まで直接届けてくれる人も後を絶たなかった。今回、街頭におけるカンパ活動がやれなかったにもかかわらず、多くの闘う人びとからのカンパが寄せられた。労働・生活・医療をめぐる相談会には、司法書士、歯科医師や歯学を学ぶ学生など多くの人びとが会場まで足を運び、仲間たちの相談に丁寧に向き合ってくれた。こうした多くの人びとに支えられて、越年・越冬闘争の成功はかちとられた。
12月31日
朝も暗いうちから、多くの日雇い・野宿の労働者が集まった。手慣れた仲間も初めての仲間も、力を合わせて作業を進めていく。炊事班が用意した温かい炊き出しの頃には、寝床やステージをはじめ、会場が形を整えていく。昼の炊き出しの後には、2016―2017年越年・越冬闘争の開幕が宣言され、突入集会だ。「越年・越冬闘争をやりぬくぞ」「1人の野垂れ死にも許さないぞ」というシュプレヒコールが響き渡る。越年・越冬闘争の意義を全体で確認し、「来年こそ、みんなの力で仕事をかちとろう。失業も戦争もない世の中を作るために、福日労のもとに団結して闘おう」という決意を固める。
歳末の衣類の大放出が行なわれ、豊富に寄せられた新しい衣類に誰もが着替えた。続いて、毎度おなじみ「笑福・望年演芸披露」と銘打ったお笑いの数々だ。歌謡ショーや舞踊ショー、鼻笛の独演会、「博多にわか」や1人芝居、仲間たちはステージ前で腹を抱えて大笑い。今年は例年になくたくさんの人たちが出演し、会場を盛り上げてくれた。
午後5時からは、人民パトロール隊の出発だ。越年・越冬の取り組みを知らずに、1人で寒さにふるえている仲間がいないか、また病気などによって会場までたどり着けない仲間はいないかと、市内をパトロールして回るのだ。人パト隊員募集の呼びかけに応えた仲間たちが、仲間たちに配る毛布やカイロ、防寒着や食料品、飲み物などを携え、会場全体の拍手に送られて出発する。
夜の越冬の総決起集会では、まず、寄せられた連帯メッセージが代読される。東京・山谷日雇労働組合は、「2017年は、安倍の『働き方改革』と称した労働法制の大改悪攻撃が本格的に始まります。『長時間労働の是正』『同一労働同一賃金』といった耳障りの良い言葉で、『過労死するまで働け』『非正規雇用労働者並みの低賃金、無保証でも文句を言うな』という、これまで以上の労働者の使い捨ての攻撃をかけようとしています。さらに、戦争への動きも強めようとしています」と、「反戦・仕事よこせ」の闘いと金町一家解体の闘いを呼びかけた。「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」からは、「12月28日の突入集会を皮切りに、12月29日から1月3日まで、アオカンの仲間の命を守る人民パトロールをうちぬく」ことが明かされ、「毎日400人をこえる仲間がシェルターを利用し、昼間のセンターは野宿の仲間の休憩場所になっている。そんな状況にもかかわらず、センターを狭い南海線高架下に仮移転させ、センターを建て替えるという計画が進んでいる」として、「西成特区構想」を粉砕する決意が寄せられた。沖縄・首里日雇労働組合は、「辺野古、高江には、組合員が交代で頻繁に通い、現地攻防を担ってきました」とし、「名護新基地建設阻止の決戦も間近に迫っています。決戦勝利のカギは、労働者人民の最底辺からの決起とその実力闘争としての爆発だと確信しています。階級性を蒸発させた翁長尻押し運動を突破し、辺野古をはじめ、反戦・反基地のあらゆる場面で、階級的利害を鮮明に突き出した闘いを推し進めていかねばなりません」と決意をのべた。さらに、福岡の教育労働者からは、「東日本・熊本の震災の傷が癒えないというのに、政府は『戦争のできる国』づくりを具体的に推し進め、その負担や代価を沖縄県へ、そして全国の低所得者層に押し付け続けています」とした上で、「私たち労働者1人ひとりが全うに働き、賃金を得て、幸福に生きる基本的人権を有しています」というエールが寄せられた。すべてのメッセージに、会場全体の拍手が送られた。さらに、今越冬の基調が提起され、「1人の野垂れ死にも許さない」決意をもって、一丸となって戦争と失業を押しつける安倍政府打倒の闘いに起ち上がる決意がみなぎる。
10時の就寝までにも、3夜連続の映画上映会の第1弾として、沖縄・高江の現在が映し出された。映画のさなかには年越しそばも振舞われた。夜の人民パトロールも取り組まれ、1人で野宿する仲間などへの呼びかけがなされた。多くの仲間が不寝番を買って出た。
1月1日
朝の炊き出しは、雑煮とデザート。この日も前日に続いて衣類放出が行なわれ、皆が新しい服に着替える。
昼食の後は、新年総決起集会だ。「仕事がほしいという仲間たちみんなの切実な声をぶつけよう」と、1月12日からの「対市役所木曜行動」と、26日の「対市役所デモ」が呼びかけられた。福岡市は、いまや、ボロボロの「アベノミクス」の「成長戦略」の「国家戦略特区」に選ばれている。「創業・雇用創出特区」なるものにしがみついて、「解雇自由化」「残業代ゼロ化」「生涯非正規化」の酷策を、全国に先がけて推し進めている。福岡市に対する闘いは重要だ。とりわけ市長の高島は、安倍政府の閣僚の多くが参加する「日本会議」の改憲集会に参加し、「日の丸」「君が代」の強制を「当然」とする発言を行なっている。労働者使い捨ての施策も確信を持って行なっている輩だ。このような福岡市に向けての闘いの強化が確認された。山谷では東京都、釜ヶ崎では大阪府と大阪市が公的就労対策事業の予算を組んでいる。今年こそ、何としても仕事をかちとるために、福岡県に対する闘いを強化することも提起された。
夜の炊き出しの後は、「労働者交流会」だ。昼間の「生活・労働アンケート」の結果も発表される。長引く失業状態の強制や高齢化にもかかわらず、「生活保護より仕事」と回答した仲間の数は、まだまだ多い。仕事がないことは、切実だ。政府の役人どもが何の根拠も示すこともできないにもかかわらず、「失対事業方式は採らない。民間雇用の拡充」なぞ言い続けることを許してはならない。「仕事よこせの闘いをさらにやりぬこう」ということが確認された。
映画の上映も行なわれ、夜食の甘味に舌鼓を打ち、人民パトロールで、仲間への呼びかけもなされた。多くの仲間たちが不寝番に就いて、仲間たちが会場を守りぬき、皆が一丸となった越冬は続く。
1月2日
会場は、ゲームなどで盛り上がる。ゲームの景品をたくさん抱えて、皆の笑顔がほころぶ。
昼食の後には、労働・生活・医療の「大相談会」が開かれた。歯科検診をしてくれる歯科医師、ならびに歯学を学ぶ学生も、例年のようにたくさん来てくれた。はじめて参加してくれた歯科医師の方もいた。歯科に11人、労働・生活相談に3人と、たくさんの仲間たちがそれぞれの相談に訪れた。2人からの医療相談も受けつけた。「大相談会」終了後には、相談に乗ってくれた方々に対して、惜しみのない拍手が送られた。その後の「ストラックアウト」は、最後のゲームとあって、多くの仲間が参加し、剛速球や珍ボールが続出した。1人で3回ものパーフェクトが出るほど、大盛況のうちに幕を閉じた。皆もれなく様々な景品を両腕にいっぱい抱え、笑顔でゲームを終えた。
夜の炊き出し後の会場は、ゲーム優勝者表彰式などで大いに沸いた。3夜目の新春映画上映会も夜の更けるまで行なわれた。
1月3日
この日は、朝早くから片付けだ。軍手とタオルが全員に配られ、作業の段取りが説明される。テントが一斉にたたまれ、資材の搬出や公園の掃除が行なわれていく。昼食時には、ほとんどすべての作業が終了する。新たな闘いの決意を込めて、実行委員長の音頭による団結ガンバローで、2016―2017年福岡日雇い越年・越冬闘争は幕を閉じた。
他方、ニセ「福日労」―ゴロツキ組合が冷泉公園で行なった「越冬祭り」は、いつもながらお寒い状況であった。頼みのゴロツキさえ集まらず、役所も閉まっている元旦にやった意味不明のデモは、相変わらずのちょぼちょぼだ。「炊き出し」なるものも、身内だけで肩を寄せ合って食らっていたにすぎない。労働者から完全に見限られた真冬の「裸祭り」は、惨め過ぎてもはや見るに忍びない。身内の「忘年会」「新年会」を、わざわざ「全国動員」して福岡でやることに何の意味もなかろう。もうやめた方がいいのではないか。
行政を追いつめる福日労の闘いは、すでに開始されている。新年12日からの「木曜行動」において、福岡市に対する「仕事よこせ」の声が叩きつけられている。この行動には、これまで参加していなかった新しい仲間たち、とりわけ若い仲間たちの顔も多く見えている。1月26日には、「仕事よこせ」のデモを戦闘的に闘いぬいた。福日労は、「1人の野垂れ死にも許すな」と、この2017年、「仕事よこせ」の闘いを断固やりぬく決意を明らかにしている。2月には、日出生台演習場(大分県)における在沖米海兵隊による実弾砲撃―「本土」移転演習が目論まれている。これらを粉砕する闘いに決起する決意に燃えている。越年・越冬闘争の成功を力に、「反戦・仕事よこせ」の新たな闘いに全力で起ち上がることを、福日労は訴えている。共に闘おう。
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