オスプレイ飛行再開弾劾
12月13日、米海兵隊・普天間基地所属のMV22オスプレイが、名護市安部(あぶ)の海岸の浅瀬に墜落した。米海兵隊・北部訓練場でヘリパッド(事実上のオスプレイパッド)の建設工事が強行され、さらに、オスプレイ100機体制を可能にするための名護新基地の建設工事の再開が迫る中、両者に近接する場所にオスプレイが墜落し、大破したのである。
すでに、沖縄本島には、オスプレイが使用可能な着陸帯が69ヵ所も造られており、今でさえ、オスプレイが我が物顔で飛び回り、沖縄全域に騒音と危険をまき散らしているのだが、もしも北部訓練場と名護新基地とでオスプレイがフル稼働することになったら、一体どれほどの被害が住民に及ぶことになるのか。事故は、否が応にもそのことを思い知らせることとなった。米軍機の墜落事故と聞いて沖縄労働者人民が必ず想起するのが、「宮森小学校米軍機墜落事故」だ。米軍占領下の1959年6月30日、石川市(現うるま市)で、米軍のジェット機が墜落、小学校の教室に激突し、児童12人を含む18人が死亡し、200人以上が重軽傷を負った事故である。安保強化のために、このような大惨事の可能性を平気で押しつけ、さらなる犠牲を沖縄労働者人民に強いようとする米軍と日帝政府に、沖縄労働者人民の怒りは高まるばかりだ。
しかも、今回の事故について在沖米軍トップの4軍調整官・ニコルソンは、沖縄「県」当局の抗議に対して、「県民や住宅への被害がなかったことは感謝されるべきだ。表彰状ものだ」と言い放った。占領者意識丸出しの傲慢な開き直りだ。言語道断だ。「事故を政治問題にするのか」とも毒づいたという。これが重大かつ深刻な政治問題でなくて、一体何だと言うのか。事故があった同日、別のオスプレイが「着陸装置の問題」(ニコルソン)から、普天間基地で胴体着陸をした事実も明らかになっている。何より、安倍政府は、事故直後から、墜落を「不時着」「不時着水」などと言い換えるようにマスコミに報道管制をかけた。事故を過少に印象づけようという、汚い小細工だ。
加えて、米軍は、事故原因の究明もないまま、墜落事故からわずか6日後の12月19日には、オスプレイの飛行再開を強行し、安倍政府もまたこれを容認した。沖縄労働者人民の生命と生活を何とも思わぬ米軍と日本政府の姿勢に、沖縄労働者人民の怒りは沸点に達している。「オスプレイは、直ちに撤去すべきだ。北部訓練場のヘリパッド建設は、即刻中止すべきだ。名護新基地の建設をやめ、すべての米軍基地を撤去すべきだ」。これが、沖縄労働者人民の共通の叫びとなっているのだ。
辺野古現地で緊急抗議集会
12月17日午後1時から、辺野古のキャンプシュワブ・ゲート前において、「オスプレイ墜落事故糾弾! 飛行中止と配備撤回、海兵隊の撤退を求める緊急集会」が開催された。「基地の県内移設に反対する県民会議」が主催したこの集会には、900人の労働者人民が参加した。
最初に、司会の「沖縄平和運動センター」事務局長・大城悟氏が、「県民は、オスプレイの事故が身近で起こる可能性を指摘し、何度も配備撤回を求めてきた。にもかかわらず、飛行を続け、辺野古の新基地や高江のヘリパッド建設を強行した末に、今回の事故に至った。オスプレイの撤退まで、新たな基地建設を止めるまで頑張ろう」と呼びかけた。
集会では、「ヘリ基地反対協」、「沖縄平和運動センター」、「沖縄平和市民連絡会」、「ヘリパッドいらない住民の会」などが次々に発言に起ち、「政府は高江ヘリパッドの完成と言うが、われわれは諦めない。ヘリパッドを作らせない、オスプレイの使用を許さない闘いが必要だ。最後まで闘いを続けよう」、「12月22日の北部訓練場の返還式は、オスプレイパッドの完成祝賀会だ。こんなものを断じて許すことはできない。やめさせよう」、「高江は長い闘いになる。ヘリパッドを使わせない闘いも必要になる。この間の闘いで、われわれは森の中を知り尽くしてしまった。どんな闘いでもできる。弾圧を後悔させてやろう。北部訓練場がある限り闘いぬこう」と熱い訴えを発した。集会では、オスプレイの飛行中止と配備撤回、高江ヘリパッド使用阻止、名護新基地建設阻止、全基地撤去まで闘い続けることを、全体で確認していった。
抗議集会に4200人結集
12月22日には、午後6時30分から、名護市の「21世紀の森屋内運動場」で、「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が主催して、「欠陥機オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会」が開催された。この集会は、同日午後4時から同市の万国津梁館で開かれた政府主催の「北部訓練場返還式」にぶつけて設定されたもので、「返還式」に対する抗議行動を闘いぬいた労働者・住民をはじめ、4200人が結集した。
集会では、「危惧していたことが現実になった。沖縄は、何度オスプレイの配備撤回を要求してきたか。今回、事故が起きても、日本政府は、厳しい追及をせず、飛行再開まで許した。この事故は、日本政府によって起こされたと言ってもいい」、「県民の怒りは、飽和状態、我慢の限界だ。安倍政権は、何を言っても馬耳東風。沖縄を差別し蔑視する政権に、沖縄の未来は託せない。総ぐるみの力を結集して日米両政府に対峙していこう」、「高江にも、辺野古にも、普天間にも、もう沖縄に基地は要らない」、「北部訓練場の4000ヘクタールを返還するから感謝しろと言わんばかりの式典に、知事が出席せず本当によかった。あの土地は、返還されるまでもなく、もともとウチナンチュのものだ。米軍に提供した覚えはない。今すぐ全面返還を求める。愚かな政府によって4万トンもの砂利が運び込まれたあの森は、もう元には戻らない。残念だが、世界自然遺産の価値はなくなった。政府の破壊行為に心から怒りを覚える。基地がある限り闘い続ける」などの怒りの発言が続いた。
最後に、「オスプレイの撤去、普天間基地の閉鎖・撤去、辺野古新基地建設断念を成し遂げるまで奮闘し闘いぬく」ことを確認する集会アピールを採択して、集会を終えた。
安倍政府は、この日、「北部訓練場返還式」を強行した。「沖縄の基地負担の軽減」をキャンペーンして高江ヘリパッド建設と名護新基地建設を正当化し、併せてこの「返還式」に翁長を出席させることで、取り込みと分断を図ろうとしたのだ。しかし、その目算は、外れた。空席だらけの「返還式」で官房長官・菅の口から出たのは、「負担軽減を掲げる知事が出席できないというのは極めて残念だ。以前、返還を『歓迎する』という言葉も2日後には取り消した」という、翁長に対する恨み節だけであった。
弾圧による脅しも、「ヘリパッド完成」の宣伝も、「負担軽減」のまやかしも、沖縄労働者人民には通用しない。高江ヘリパッド使用阻止、名護新基地建設阻止の闘いの炎は、ますます強く燃え上がっている。天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会は、その闘いの先頭に起つ決意だ。
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