ヘリパッド完成―訓練場返還攻撃に怒り爆発
昨年12月、沖縄労働者人民は、安倍政府が掲げた「高江ヘリパッドの12・16完成」、「米軍・北部訓練場の12・22返還式」なる凶暴かつ卑劣な目論見を打ち砕くべく、全力の闘いに起ち上がった。
この間、安倍政府は、すでに完成し供用している「N4地区」の2基と合わせて、計6基のヘリパッドを建設することによって、北部訓練場の過半にあたる約4000ヘクタールの返還が実現し、「沖縄の基地負担の軽減」に「大きく寄与する」と強調して、建設工事を強行してきた。しかし、安倍政府の本心は、「負担軽減」とはまったく別の所にある。北部訓練場の一部返還は、1996年12月に取りまとめられた「沖縄に関する日米特別行動委員会(SACO)最終報告」に基づくものだが、「SACO最終報告」は、「負担軽減」をうたい文句にしているものの、実際には、普天間基地の返還が名護新基地の建設と交換条件になっていることに典型的に示されるように、在沖米軍基地の「県内移設」とオスプレイの導入を通した基地機能の強化、最新鋭化を狙うものであった。北部訓練場の返還もこの方向性のもとに明確に据えられており、要するに、老朽化し不要になった部分を返還し、その代わりにオスプレイの継続使用に耐える新型ヘリパッドを造成するなど、訓練場の機能強化を図ることにその狙いがあるのは明らかだ。それは、高江住民―沖縄労働者人民にとって、まったく受け入れがたいものだ。北部訓練場の全面返還以外、受け入れようがないのだ。
しかも、今回の返還は、名護新基地建設と完全に不可分一体のものだ。厚顔にも「負担軽減」を叫んで、次は名護新基地の建設へと突き進もうとしているのだ。
しかし、「負担軽減」なる政府の大義名分は、12月13日の名護市安部へのオスプレイの墜落によって、粉微塵に打ち砕かれた。墜落事故は、高江ヘリパッドの完成、そして名護新基地の建設が、新たに北部地域に、沖縄全島に、どれほど恐るべき「負担」を強いることになるのかを、まざまざと思い知らせることとなった。
だからこそ、沖縄労働者人民は、ヘリパッド完成―訓練場返還の攻撃に対して、怒りに燃えて熾烈な闘いを展開した。月曜と水曜、土曜の「大行動」をはじめとする連日のゲート前での座り込み、国頭村の採石場から「N1地区」ゲートやメインゲートに至る「県」道上の各所でダンプカーの車列を阻止する闘い、そして「米軍提供施設区域」内に入り工事を阻止する闘いなど、果敢な現地攻防をくり広げた。国家権力による激しい暴力と弾圧をテコにした工事の強行に対して、一歩も引かぬ阻止闘争をうちぬき、その総仕上げとして、12・22「返還式」阻止へと進撃し、安倍政府を徹底的に追いつめる闘いを貫徹したのだ。
〈一二月八日〉
「安倍政権による不当な市民弾圧を許さない緊急県民集会」
12月8日午後6時から、那覇市の「県民広場」において、「安倍政権による不当な市民弾圧を許さない緊急県民集会」が開催された。「沖縄平和運動センター」議長・山城博治氏への不当逮捕をはじめ高江ヘリパッド建設阻止の闘いが決戦局面を迎えるなかで強行された国家権力による相次ぐ弾圧に、反撃するための集会だ。「沖縄平和運動センター」、「ヘリ基地反対協」、「沖縄平和市民連絡会」などで構成する「基地の県内移設に反対する県民会議」が主催したこの集会に、500人を超える労働者・市民が結集した。
「沖縄平和運動センター」事務局長・大城悟氏が司会を務めた集会では、「弾圧は、高江ヘリパッドの建設、辺野古新基地の建設という国策を進めるためなら何でもするという安倍政権の宣戦布告だ。決して負けない」、「県民の体を張った闘いに弾圧をかける安倍政権を許さない」、「安倍は、『沖縄の負担軽減』を言うが、高江ヘリパッド、辺野古新基地は、誰がどう見ても『負担増』だ。まやかしは通用しない。12月22日の返還式典には、抗議行動で県民の心意気を示してやろう」など、熱い発言が続いた。山城氏の「共犯」として「公務執行妨害」と「傷害」の容疑で逮捕され、この日「処分保留」で釈放となった写真家の男性も駆けつけ、「写真を撮っていただけで、なぜ21日間も拘留されたのか分からない。基地強化を止め、基地をなくすまで闘いぬく」と決意を述べた。
右翼の宣伝カー数台が会場付近に乗りつけ、大音量で妨害を図るが、集会は、これをはね返して最後まで貫徹された。集会終了後、参加者全員で国際通りのデモに撃って出る。「弾圧に負けないぞ」、「ヘリパッド建設を許さないぞ」、「新基地建設を阻止するぞ」とシュプレヒコールをあげながら進む隊列に、沿道を行き交う労働者・市民、そして観光客から、盛大な共感の拍手が寄せられた。
安倍政府が、どんなに激しい弾圧を加えたところで、また、「返還式典」を高江ヘリパッドの「完成祝賀式典」として、どんなにこれ見よがしにやったところで、沖縄労働者人民の闘志を挫くことは絶対にできない。集会とデモは、そのことを鮮明に突き出すものとなった。
ゲート前で、「米軍提供区域」内で、連日の工事阻止闘争
12月3日の「土曜大行動」には350人が、5日の「月曜大行動」には約200人が、7日の「水曜大行動」には約300人が、資機材の搬入を阻止するために「N1地区」ゲート前に座り込んだ。これに対して、沖縄防衛局は、「大行動」の日には、砕石などを積んだトラックを「N1地区」ゲートにではなく、その南に位置するメインゲートに乗り入れ、メインゲート内に資機材を集積しておいて、「大行動」が組まれる月、水、土曜以外の日に、メインゲートと「N1地区」ゲートの間、ないしは採石場と「N1地区」ゲートの間をピストンして、大量の資機材を搬入するという汚さだ。6日には、1日だけで120台分の砕石搬入が行なわれた。これまでの最多を更新する搬入量だ。民間ヘリによる建設用資機材の空輸も激しく行なわれた。
12月10日には、300人を超える結集で定例の「土曜大行動」が取り組まれたのに続いて、午前11時からは、「N1地区」ゲート前で、「基地の県内移設に反対する県民会議」が主催した「高江オスプレイパッド・辺野古新基地建設を許さない緊急県民集会」が開かれた。それは、高江ヘリパッド建設、名護新基地建設に反対して10日、11日の両日にわたり、東京をはじめ全国37ヵ所で開かれた集会に呼応して企画されたもので、約700人が結集した。
集会は、司会の「沖縄平和運動センター」事務局長・大城悟氏による「沖縄への基地押しつけは許さない。高江ヘリパッド、辺野古新基地を阻止するために、何としても最後まで踏ん張ろう」という呼びかけで開始された。さらに、「北部訓練場の返還は、要らなくなった土地を返還し、高江と辺野古、伊江島を結び北部の基地機能を強化するものだ。それを『沖縄の負担軽減』と言うのは欺瞞だ」、「県は、キャンプ・シュワブ陸上部分の工事を容認したが、その工事はすべて新基地を造るための工事。工事を阻止しよう」、「4ヵ所のオスプレイパッドが完成したら生活できない。出ていくしかない。闘いを諦めている者はいない。北部訓練場の全面返還を求めていく」などの熱い発言が続いた。
オスプレイ墜落に怒り爆発
12月13日、米海兵隊・普天間基地所属のMV22オスプレイが、名護市安部(あぶ)の海岸の浅瀬に墜落した。オスプレイが使うためのヘリパッドの建設工事が高江で強行され、さらにオスプレイ100機体制を可能にするための名護新基地の建設工事の再開が迫る中、両者に近接する地点にオスプレイが墜落し、大破したのである。
ヘリパッド建設阻止を闘う労働者・住民を先頭に、沖縄労働者人民は激しい怒りを燃え立たせた。墜落翌日の14日の「水曜大行動」には、「N1地区」ゲート前に250人の労働者・住民が集まり、「当初からオスプレイは、欠陥機だと言われてきた。事故は、起こるべくして起こった。オスプレイを撤去すべきだ」、「アメリカもやりたい放題だが、それにすり寄る日本政府も許せない」、「へリパッドは完成間近だが、建設工事を直ちに中止すべきだ。ヘリパッドは、閉鎖すべきだ」、と怒りの声をあげ、「大行動」の終了後には、約100人の労働者・住民が名護市安部の海岸に向かい、オスプレイの墜落現場に乗り込んで、機体の調査、部品の回収にあたる数十人の米軍に対して、「墜落事故を許さないぞ」、「オスプレイを撤去しろ」、「海兵隊は、沖縄から出ていけ」と、怒りのシュプレヒコールを叩きつけた。
12月17日の「土曜大行動」でも、メインゲートに300人近くが結集し、座り込みでゲートを封鎖して、オスプレイ墜落を弾劾するとともに、事故にもかかわらず、何事もなかったかのごとく工事を続け、「工事完了」とうそぶく政府―沖縄防衛局に対して、怒りの拳を突き上げた。この日は、午後1時から、辺野古のキャンプシュワブ・ゲート前に場所を移して、「基地の県内移設に反対する県民会議」の主催で、「オスプレイ墜落事故糾弾! 飛行中止と配備撤回、海兵隊の撤退を求める緊急集会」も開催された。
「工事完了」は政府の大ウソ
安倍政府―沖縄防衛局は、12月16日、かねての予告通り、「ヘリパッド工事は、完了した」と発表した。しかし、この発表は、まったくのデタラメ、まったくのウソッパチだ。工事は、全然「完了」していない。前日の15日にも、トラック約60台分の砕石を搬入したばかりだ。その砕石は、「N1地区」ゲート奥の集積場に積んだままだ。そのことは、中に入った労働者・住民が確認している。これを工事現場まで運んで敷きつめる作業はこれからだ。そのことだけをとらえても、政府のウソは明らかだ。
「N1地区」、「H地区」、「G地区」に造成された4つのヘリパッドは、ずさんな突貫工事で何とか整形しただけの代物だ。空撮の映像としては辛うじて耐えられるかもしれないが、実際の使用に耐えうるような代物ではない。直径75メートルのヘリパッドは、「工期短縮」のために、路床、路盤の突き固めもろくに行なわれておらず、その結果、内部に雨水がたまる、少しの圧力でも路盤が弛むなどの欠陥が相次いで露呈し、「N1地区」でも「H地区」でも「G地区」でも、せっかく張ったヘリパッド表面の芝生をはがし、再び地面を掘り返して、工事の「やり直し」をしている場面が目撃されている。こんなものを米軍に提供したところで、すぐに崩落ないし陥没して、使えなくなることは分かり切った話だ。さらに、「H地区」のヘリパッドは、深い谷に接しており、その谷へと下る斜面には雨水を集中させるためのコンクリート製の水路の建設が予定されていたのだが、現状は、ビニールシートを張ったそれがあるだけだ。安倍よ、これで本当に「完成」か?
「G地区への進入路」、「歩行訓練道」も未完成だ。「進入路」というのは、幅3メートル、長さ約1・3キロの道で、現在は「G地区」のヘリパッドを造成するための工事用道路として使われていて、砕石を敷いただけのものだが、米軍への移管後は、軍用車両が行き来するための本格的な道路として使われることになっている。したがって、路盤の全面的な整備、急傾斜の区間における240メートルにわたるコンクリート舗装、204メートルの区間のガードレール設置などなど、大がかりな工事が必要になるのだが、それらはまったくの手つかずだ。「歩行訓練道」は、「G地区」のヘリパッドから宇嘉川河口の「米軍提供水域」を結ぶもので、防衛局によれば、全長は、約2・6キロに及ぶという。しかし、沖縄防衛局の資料でも、工期は、約7ヵ月。現場は12月中旬になっても、伐採され切株だらけの山肌に、砕石をバラまいただけの道が部分的にある程度だ。現場の各所に資機材が置かれていて、工事は始まったばかりという状況だ。
これに対して、「N1地区」ゲート前で座り込む労働者・住民からは、「オスプレイが墜落した直後の完成発表。政府は、県民の命を何だと思っているのか」、「日・米両政府は返還式までに完成をアピールするだろうが、工事は終わらない。完成したと諦めずに、声を上げ続けよう」、「ヘリパッドを使わせない闘い、オスプレイを撤去させる闘いを続けよう」という、怒りと闘志に満ちた声があげられた。
「返還式」阻止に350人
12月22日午後4時から、名護市の「万国津梁館」で、政府主催の「北部訓練場返還式」が強行された。日・米両政府による事実上の「高江ヘリパッド完成祝賀会」だ。これに、日帝側から官房長官・菅や防衛相・稲田、米帝側から駐日米大使・ケネディや在日米軍司令官・マルティネスらが参加した。沖縄「県」知事・翁長は欠席し、さらにオスプレイの墜落事故を受けて政府に「式典」中止を求めたが、政府は何もなかったかの如く、予定通りこれを開催した。
労働者・住民の怒りは、頂点に達した。「万国津梁館」の入口に当たる国道58号線の喜瀬交差点付近には、午後1時過ぎから労働者市民が続々と結集する。降りしきる激しい雨にもかかわらず、その数は最終的に350人に膨らんだ。国家権力の厳戒態勢を突き破り、交差点の四方に労働者・市民が陣取る。「オスプレイの飛行を直ちに中止し、即時撤去せよ!危険の増大、まやかしの北部訓練場返還式糾弾!」の横断幕が掲げられる。開始時刻の4時が近づくと、「返還式」に参加する黒塗りの車両が、権力に守られながら、次々と猛スピードで会場方向に逃げ去っていく。これに対して労働者・市民は、「返還式をやめろ」、「ヘリパッドを閉鎖しろ」、「やんばるの森を壊すな」、「北部訓練場を全面返還せよ」、「オスプレイ墜落事故弾劾」、「オスプレイを撤去しろ」という激しい怒りのシュプレヒコールを、四方八方から浴びせていった。
どんな弾圧も、「工事完了」の卑劣なキャンペーンも、沖縄労働者人民の闘志を挫くことは、絶対にできない。ヘリパッドの建設と使用を阻止し、北部訓練場の閉鎖―全面返還に向けた労働者・住民の闘いは決して終わらない。1月12日には、沖縄防衛局が周辺自治体に対して、工事全体の完了時期について「8月ごろになる」との見通しを伝えていたことが判明している。にぎにぎしく「完成」を宣言し、「返還式」までやっておきながら、実際の工事完了は半年以上後になるというのだ。そのことは、どんなウソでも平気でつき通す安倍政府の底なしの腐敗を示すものであると同時に、安倍政府をそこまで追いつめた沖縄労働者人民の闘いの勝利性をも示すものだ。そして、その闘いは、名護新基地建設阻止の闘いへと確実に引き継がれていく。
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