解放トップ
トップに戻る
解放最新号
バックナンバー
論文
定期購読

東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

機関紙「解放」読者からの手紙  匿名(札幌在住)
(1203号8面)

 突然のお手紙を差し上げます失礼をお許し下さい。また匿名でありますことから文面につきましては、公表等いただいて構いません。

 私は札幌市に住む20代の者です。これまで人様には絶対に迷惑をかけない、自分がされて嫌なことは人にはしないという母の教えに習い、真面目に一生懸命生きてきました。 

    ◇                    ◇                    ◇

 我が家は母子家庭ということもあり、決して裕福ではなく厳しい生活の中、母は生活保護なども受けることなく、朝から夜まで私たち子供のために必死に働き、少ない休みの日には愛情いっぱい育ててくれ、時には厳しく父親のように叱ってくれ、高校まで出してくれました。本当に尊敬のできる母であり、私もいつかは母のように立派な人間になりたいと思っています。

 しかし、私の母は朝鮮半島の出身です。若い頃に帰化をしたと聞いております。もちろん私は日本で生まれ、日本語しか話すことができませんし、そのことを知るまで純粋な日本人と思っていました。

 そのことを知ったのは、私が中学校に入り、私の同級生の親が、私の母の同級生であったことから、母の出生や生い立ちについて、悲しくなるような誹謗中傷を流され、そして私も次第にクラスではそれを理由に仲間ハズレのような立場となっていきました。

 もちろん私の引っ込み思案で消極的な性格から、それ以降、私はみんなとは違うんだと高校に進学しても自分の殻に閉じこもってしまったこともイジメられてきた理由であると素直に反省と後悔をしています。いまだ未熟な私にとって自分に原因がないとは言いません。

   ◇                    ◇                    ◇

 しかしながら、高校卒業後、地元を離れ心機一転、私のことを誰も知らない大都市の札幌に出てからは、仲間にも恵まれ、アルバイトではありますが、社会人として働くとともに平和で充実した日々を取り戻すこともできました。

 しかし、いまインターネットのSNSでは、バイト先の友人などと仲良く交流できる一方で、過去の知り合いとも繋がっていくようなシステムとなっており、私もかつての同級生を度々目にするようになり、Facebook上で「在日」「チョン」などと罵声を浴びせる光景をよく目にするようになり、またいつか私にも矛先が向いてくるのでは、今の仲間にもバレてしまうのではないかなどとネガティブなことばかり考えてしまっている自分がいました。

   ◇                    ◇                    ◇

 そこで昨年からSNSのコミュニティーサイトで同じような境遇の仲間と知り合うこともでき、少しでも風通しのよい社会となればと活動をしています。とは言ってもSNSなどで中傷されている人などを目にした時に、自分だけではないと励まし語り合う程度のものです。大きなことをしようとも思っていませんし、できないこともわかっています。細やかな活動ではありますが僅かでもという気持ちでやっております。

 さて前置きが長くなりましたが、私は歴史や政治にはまったく詳しくはありません。しかし少なからずそうした考え方において片寄り、心のない人がいることも事実であると思います。ほんのごく一部の人間にすぎなくても、いまインターネットではそれが大勢の人に事実かのように伝わってしまう時代です。

   ◇                    ◇                    ◇

 添付させていただいた資料ですが、今回私たちが許されない問題と感じているのは、単なる一般の人ではなく、「メディアあさひかわ」という報道機関の「坂井」という記者の人であるということです。中立でできるだけ事実に近い形で伝えることが報道ではないでしょうか。

 この坂井記者の発言を見てゆくと、あってはならない暴言や中傷の数々で胸がしめつけられる思いです。

 報道に携わる人が差別的なことを事実のように発信することに心を痛めております。マスコミや報道関係者であれば、表現の自由の限度はないのでしょうか? 部数や人を引き付けるためではあれば職業倫理というものはないのでしょうか?

 この記者の例えば「南北トンスルランド」や「トンスラー」「在チョン」「チョン」という表現も、韓国や北朝鮮の人、在日の人、帰化した人など、幅広く差別的な表現でさしており、調べてみますとこのトンスルというのは韓国が昔に人糞を使って作っていたお酒であることから、同じ人間を人糞のように扱う悪意に満ちた表現となっています。少しでも朝鮮の血が混じっていれば差別という十字架を一生背負って生きろということなのでしょうか。報道の人がこのような差別的な屈辱的な言葉が許されるんですか? ヘイトスピーチなんて簡単な一言で済まされる話ではありません。

 私も人もどきと言われてきた過去があります。言われる側からすれば絶望的な気分になります。

 送付させていただきました資料は一部です。同様の悪意あるコメントが他にも沢山ありました。このような人が影響力のある報道という仕事に携わったり、まるで特定の人が人間ではないような間違った発信をして、信じる人が増えたり、そして誤った情報を信じ、さらに罪無き人を傷つけていくようなことはあってはならないと思います。こうした負の連鎖は情報化社会の世の中にあって、その最初の発信側であるマスコミから変わっていかなかればならないと思います。記者ならば何を言っても許されるというのはおごりだと思います。言われなき中傷を受ける側の気持ちもわかってほしいです。

   ◇                    ◇                    ◇

 無力な私たち一般市民にはどうすることもできません。少しでもこうしたことに苦しんでいる方がいることを知っていただきたいですし、こうした記者が少しでも減ってほしいです。またもしこれが心ある方の目に止まれば、少しでもお力になってもらえればと淡い期待をもちながら書き綴らせていただきました。乱筆乱文、長文にて失礼いたしました。

   ◇                    ◇                    ◇

 以上、こうした差別の火元といえるような記者がいなくなり、マスコミが変わり、ネット社会も現実社会も変わり、未来が変わることができれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。