歩道をうめつくして門前集会
9月30日、午後4時から、東京・飯田橋のトヨタ東京本社前で、東京総行動(主催:「けんり総行動実行委員会」)の一環として、15年間にわたってフィリピン現地工場での不当解雇を居直り、今なお労組破壊工作を続けるトヨタ資本を徹底的に追及する行動が闘われた。この行動には東京・山谷日雇労働組合、神奈川県地域連合労働組合の仲間も結集し闘いぬいた。
トヨタ資本は、2001年にフィリピントヨタの労働者がフィリピントヨタ労組(TMPCWA)を結成し、全従業員の過半数の支持を得て労働法に基づく唯一の交渉団体と認められたことに狼狽し、これを嫌悪して組合員233人の大量解雇を強行し、当時のフィリピン政権を恫喝懐柔して徹底的な組合潰しを強行した。さらに、2010年には、工場内で組織再建のために活動していた4人の解雇を強行している。これに対して、「フィリピントヨタ労組」は、2001年3月には、700人の組合員が2週間にわたってストライキに突入し、生産をストップさせる闘いを実現し、2004年には、トヨタ本社の責任を追及するために、全造船機械労働組合関東地協に加盟し、トヨタ本社を追及する闘いを続けている。フィリピントヨタ労組の闘いに連帯する闘いは、帝国主義足下の労働組合運動にとって国際連帯の真価が問われる闘いだ。
この日の東京総行動の最後の争議対象となったトヨタ東京本社前には、労働組合潰しや不当解雇攻撃と闘う労働組合が多数結集し、歩道を埋め尽くして門前集会を闘った。
トヨタ東京本社に怒りのシュプレヒコール
トヨタ東京本社に対してシュプレヒコールが叩きつけられる。「トヨタは、組合潰しをやめろ!」「237人の解雇を撤回しろ!」「解雇を撤回して職場に戻せ!」「トヨタは、団交を行なえ!」「トヨタは、ILO勧告に従え!」「トヨタは、争議を解決しろ!」「15年争議を解決しろ!」「われわれは、最後まで闘うぞ!」「世界のなかまと共に闘うぞ!」。
主催者あいさつに起った「けんり総行動実行委員会」事務局長の大森氏(東京全労協代表)は、「トヨタは、この争議を解決しようと思えば解決できるのに、解決しようとはしない。フィリピンでトヨタは、労働者を人間扱いしなかった。だから、労働組合ができて闘ってきた。その労働組合を潰そうとしてきたのが、日本のトヨタ資本。これが本質です。このような資本に対して勝利するまで闘い続ける決意であることを述べて、主催者のあいさつとします」。
フィリピントヨタ労組を受け入れ、共に闘ってきた全造船関東地協の早川事務局長は、「フィリピントヨタの労働者は、家族を含めて非常に厳しい状況のなかで闘い続けています。私たちは、このフィリピントヨタ労働者の闘う姿に共感し、共に闘い続けています。勝利をかちとるために最後まで闘いぬきましょう」と呼びかけた。
「フィリピントヨタ労組を支援する会」がフィリピン現地報告
「フィリピントヨタ労組を支援する会」事務局長の田中氏がフィリピン現地の報告を行なう。「6月のトヨタ東京本社への闘いで、私は『ドゥテルテ政権の登場によって闘いに進展が起きるだろう』と発言しましたが、今日は、それを具体的に報告することができます」「フィリピントヨタ労組は、日本の東京総行動のような闘い方を学び、フィリピンで同じような行動を展開しています。7月12日に、そういった行動の一つとして労働雇用省への要請行動を闘いました。土砂降りの雨の中、労働雇用省の庁舎内で夜遅くまで行なわれている代表団の面談の最中、長官のベロ氏が緊急閣議に出るために庁舎から出てきました。長官は、庁舎の外で待機している組合員に対して『あなたたちが訴えていることは良く分かった』と言い、警備員に対して『イスを出してあげなさい』と指示をしたそうです」「組合員が『長官、私たちの争議が解決するように頑張ってください』と言うと、長官は『自分たちは、そのために一生懸命働く』と答えたそうです」「現在、ドゥテルテ政権は、労働問題に関しては『契約社員制度』を根本的に廃止することを政策に掲げています。この政策を担当している労働雇用省の長官が、未解決争議の解決のために真剣に取り組んでいる状況だと聞いています」「このような状況を聞きますと、次回の東京総行動では、さらに進展があったことを報告できると思います」。
集会は、続いて、全労協議長・金澤氏のあいさつを受け、ふたたびトヨタ東京本社にシュプレヒコールを叩きつけ、連帯あいさつとしてJAL争議団、フジビ争議団からの発言を受ける。そして、最後に、「団結ガンバロー」を唱和し、当日の行動を終えていった。
「フィリピントヨタは、成功例」と居直るトヨタ資本を許すな
今年8月、トヨタの元専務取締役(新興国担当)であった岡部某が「世界でトヨタを売ってきた」という本を出版し、トヨタの社長、会長、日本経団連会長を歴任した奥田碩の推薦のもとに売られている。
岡部某は、この本のなかで「フィリピントヨタ労組」を潰すために様々な策を弄したことを自慢げに書いている。2001年の233人の大量解雇とそれに対する解雇撤回争議について、「トヨタ本社の意向を体して自分がフィリピンの大統領(当時のアロヨ)に、『フィリピントヨタ労組の争議をなんとかしてくれ。その原因を断ってくれ。さもないとフィリピンから投資を引き上げることになるぞ』と説得したら、大統領から、『各方面に手を打ったからもう心配はいらない。だからフィリピンに留まってもらいたい』と言ってきた。これは進出国政府を押えての成功例である」なぞと得意になって語っている。
トヨタ本社は、フィリピントヨタの争議について、「現地のことは現地で」と繰り返し、「日本本社」の責任逃れを繰り返してきた。だが、岡部某は、ハッキリと「本社の意向」と吐露している。もう、トヨタ本社は、争議の責任から逃れることはできない。トヨタ資本は、『フィリピン政府さえ握っていればどうにでもなる』と帝国主義国企業の傲慢さを満開にしてフィリピントヨタで働く労働者の生活と権利を踏みにじり、大量解雇、労組潰しに手を染めていたのだ。帝国主義足下の労働組合運動の責務としてフィリピントヨタ争議の勝利をかちとろう。
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