800の機動隊で高江一帯に戒厳令
米海兵隊・北部訓練場(国頭村、東村)のヘリパッド建設をめぐり、東村・高江では、建設阻止をかけた労働者・住民の頑強な闘いが、連日にわたって展開されている。安倍政府による力ずくの工事強行―「権力の無法と暴力」に抗して、熾烈な闘いが打ちぬかれているのだ。
安倍政府は、警視庁、千葉県警、神奈川県警、愛知県警、大阪府警、福岡県警から500人の機動隊を動員し、沖縄「県」警と合わせて約800人の部隊を高江周辺に配備し、一帯を戒厳令のような状態に置いて、労働者・住民に激しい暴力を加え、法的根拠の不明な道路封鎖や、デッチ上げ不当逮捕をくり返している。「N1地区」ゲート前で労働者人民が運動の拠点としてきたテントの強制撤去も、未だに法的根拠は不明のままだ。他方で建設作業員に対しては、警察車両に乗せて「N1地区」ゲートまで運ぶというデタラメぶりだ。さらに、9月13日には、輸送艦・「おおすみ」から「H地区」付近の作業ヤードまで、CH47輸送ヘリで、重機の「空輸作戦」までやっている。米軍のヘリパッド建設工事のために、陸自、海自まで動員しているのだ。「自衛隊法」にも「防衛省設置法」にも規定がない、まったくの無法だ。
沖縄防衛局が、沖縄「県」環境部に提出した「北部訓練場ヘリコプター着陸帯移設事業環境影響評価検討図書」(「検討図書」)には記載がないにもかかわらず、国有林を勝手に伐採して、新たな工事用道路を造成していたことも発覚している。工事による赤土の流失も、まったくお構いなしだ。
これが、安倍の言う「法治国家」の実態だ。そしてこれが、「緊急事態」において、国会を通さずに勝手に法律を停止・改廃・制定する権限を内閣に事実上付与するなど、首相―内閣に権力を集中し、野放図な権力行使を可能にする「自民党改憲草案」の「緊急事態条項」を先取りするものであることも明らかだ。安倍政府のあまりの無法、あまりの強権に、沖縄労働者人民は、「沖縄は、憲法番外地か」、「安倍のやりたい放題には、絶対させない」と、怒りを倍加させて、建設阻止の闘いに起ち上がっている。
こうしたなか、9月3日には、高江現地において、初の「大行動」が取り組まれた。それは、「基地の県内移設に反対する県民会議」が主催した8月19日の現地集会で提起されたもので、総勢約800の機動隊に対抗して、毎週水曜日と土曜日に、早朝から労働者人民が数百人規模で大結集し、「県」道70号を制圧して、週6日の作業日のうち、2日は、工事を止めてしまおうという試みだ。それによって、安倍政府が狙う「12月末のヘリパッド完成」の策動を打ち砕こうというものだ。
〈9月3日〜9月7日〉 開始された「現地大行動」
9月3日、「N1地区」ゲート前には、約300人の労働者・住民が結集した。そればかりではない。高江集落の手前にある「県」道70号上の大泊橋、その北側に位置し新川ダムにかかる高江橋、さらに「N1地区」裏ゲートや、「H地区」「G地区」への入口となる揚水発電所前などにも労働者人民が結集し、各所で警察車両やダンプカー、作業員を乗せた車両などを止める態勢がとられた。総勢で500人を超える大結集だ。この「大行動」を弾圧しようと、警察車両も、40台もの車列を組んで70号を北上し、大泊橋から「N1地区」ゲートに向かおうとするが、途中の高江橋に陣取る労働者人民が、それを許さない。
午前6時すぎから午前10時まで、「N1地区」ゲート前を制圧する労働者・住民によって、集会が貫徹された。「沖縄平和運動センター」議長で、「基地の県内移設に反対する県民会議」の共同代表を務める山城博治氏が司会に起ち、「歴史を造るための闘いに立ち会えることを喜びとしたい。押しているのはわれわれで、押されているのは権力だ」、「言っては悪いが、今日のN1ゲート前の集会は撒き餌のようなもの。南(高江橋)で仲間たちが頑張って警察車両を止めている」、「沖縄防衛局は、自衛隊のヘリで重機を運ぶ計画だという。われわれの闘いが、そこまで追いやったということだ。それをやるなら、ヘリを持たないわれわれは、山道を歩いて行って建設現場に座り込んで阻止する」と熱く提起した。集会では、退役米軍人の反戦団体・「平和を求める退役軍人の会」(VFP)、などが、次々に発言した。
休憩をはさんで12時からは、「N1地区」ゲート前から高江橋に移動し、車両をバリケード替わりにして警戒活動を継続した。午後3時を過ぎても砕石を積んだダンプカーは、現れない。山城氏が、「日暮れまで作業時間はあとわずか。今日はもう搬入はない。勝ったぞ」と勝利宣言を発すると、大きな歓声が沸き起こる。ついに、闘いの力で砕石の搬入作業を完全に阻止したのだ。「7・22」以降、初めてのことだ。カチャーシーで勝利の喜びを爆発させ、「大行動」の継続を全体で確認していった。
この「大行動」の成功に焦りに焦ったのが、安倍政府―沖縄防衛局だ。週明けの9月5日には、闘う労働者・住民の人数が手薄なことをいいことに、午前中に通常の約2倍、20台の大型トラックを使って、「N1地区」ゲートからの資材搬入を強行した。9月6日には、70号で、工事関係車両の通行を「のろのろ運転」で阻止していた女性に対して、「運転していた車を急発進させ、警察官を後方に退かせた」なる、理由にもならない理由で「公務執行妨害」容疑をデッチ上げ、不当逮捕した。
続いて、9月7日、第2回目の「大行動」が、台風で大荒れの天候のなかで取り組まれた。荒天を衝いて結集したのは約80人。主戦場は、「N1地区」ゲートの南、高江橋に設定された。午前6時過ぎから、車両約30台を高江橋の上に止めて、「県」道70号を北上してくる機動隊車両、工事関係車両を迎え撃つ。それらが来たら、車両をバリケード替わりに使って通行を阻止し、車両と車両の間に人が入り込んで、徒歩の機動隊の突入をも阻止する構えだ。午前7時20分、機動隊の車列が高江橋に到着するが、橋の南側で労働者・住民とその車両に阻まれて、立ち往生となる。対峙は、約3時間半にも及んだ。結局、この日、高江橋を突破できなかった権力は、砕石を積んだ大型トラック九台を、北回りルートで「N1地区」ゲートに運び入れた。正午になってのことだ。2時過ぎ、「いつもなら、朝8時、9時に搬入のはずが、今日は、12時までかかった。闘いの成果だ」と、山城氏が闘いを締めくくった。
民間ヘリばかりか自衛隊のヘリまで投入し工事を強行
闘いは、安倍政府―沖縄防衛局をトコトン追いつめている。安倍政府は、当初、「N1地区」ゲートから「N1地区」裏ゲートに抜ける工事用道路を建設し、「N1地区」裏ゲートから農道(村道)を使って、資機材を「H地区」「G地区」に搬入することを計画していたのだが、「N1地区」ゲートは、労働者・住民の激しい闘いによって搬入がままならない。何より、「N1地区」裏ゲートは、労働者・住民が守りを固めていて、突破を許さない。工事用道路の出口が塞がっているのだ。加えて、東村から、ダンプカーの農道使用を拒否されるに及んで、計画は頓挫してしまった。追いつめられた政府―沖縄防衛局が採った「最終手段」が、ヘリによる「H地区」、「G地区」への「空輸作戦」である。
9月8日に、ネットやロープで包んだ重機を「N1地区」ゲート内の作業ヤードに搬入した沖縄防衛局は、9日、ロシア製の民間特殊ヘリの投入に踏み切った。「N1地区」ゲート内の一角に集積した資機材を、上空でホバリングするヘリのワイヤに吊るして作業ヤードまで運ぶというものだ。沖縄防衛局が「県」に提出した「検討図書」によれば、空輸は、「1日5回以下、計20回程度」とあり、防衛省関係者によれば、「1週間から数週間で終わる見通し」だという。これに怒る労働者・住民は、「N1地区」裏ゲートの奥から「H地区」に向けて山林に分け入り、山中で抗議行動を展開するなど、果敢な闘いを展開した。
ヘリによる資機材の搬送は、工期の遅れを取り戻すために、「N1地区」、「H地区」、「G地区」にあるヘリパッド建設予定地(計4ヵ所)のすべてで、同時並行的に工事を進めるということだ。沖縄防衛局は、当初、「自然環境の保全に最大限配慮するため、4ヵ所の工事を順次進める」と言っていたのだが、もはや、「自然環境など知ったことか」とばかりに、なりふり構わぬ攻撃に出ているのだ。
そして、9月13日には、ついに自衛隊ヘリの投入へと至る。投入されたのは、陸自・木更津駐屯地の「中央即応集団」第1ヘリコプター団のCH47輸送ヘリだ。「中央即応集団」は、米陸軍特殊部隊・「グリーンベレー」に倣って、海外で「特殊作戦」を遂行するために創設された、防衛大臣直属の特殊部隊だ。こんなものを使わなくては工事ができないほど、追いつめられているのだ。
この日、沖縄近海に停泊していた海自輸送艦・「おおすみ」を飛び立ったCH472機は、北部訓練場メインゲート内の重機待機場所から、「県」道70号をまたいで「H地区」の作業ヤードまで、大型トラックやパワーショベルなど重機5台の空輸を強行した。もはや、「環境保全」も「住民の安全確保」も「法の支配」もあったものではない。現場では、「何で自衛隊機が米軍基地建設のために重機を運べるのか。何で県道を超えて空輸ができるのか」と、怒りの声が上げられた。
〈9月10日〜9月14日〉 ヘリの投入に渦巻く怒り
こうした中で取り組まれた9月10日の「大行動」には、約300人が結集した。ヘリの投入―工事の本格化に怒りが渦巻く。全面化する工事に対応して、この日の「大行動」は、「県」道70号に沿って南から、高江橋、「N1地区」ゲート前、国頭村と東村の境の峠付近(国頭村安波)、さらに70号を外れて、「H地区」、「G地区」への入口となる揚水発電所前に分かれての展開となった。「県」道70号上の3地点の行動は、言うまでもなく砕石を積んだトラックや作業員を乗せた車両の侵入を阻止するためであり、揚水発電所前の行動は、空輸された重機を操作するオペレーターなどの作業員の侵入を阻止し、「H地区」の工事を止めるためである。
各所で機動隊との攻防が展開された。とりわけ、国頭村安波の峠付近では、労働者・住民の車両をジャッキで強制撤去し、「N1地区」ゲート前に雪崩れ込もうとする機動隊100人との間で、2時間にもわたる攻防が展開された。強靭な闘いの前に、結局、機動隊は、車両の撤去を途中で断念して引き揚げざるをえなかった。
この日も、昨9月9日に続き、午後2時すぎから民間の特殊ヘリが飛来し、資機材をワイヤに吊り下げて、「H地区」近くの作業ヤードとの間を5往復する搬送作業を強行した。しかし、闘いによって、トラックによる砕石搬入や作業員の入構は完全に阻止された。
最後に、山城氏が、「今日の勝利を確認しよう。大行動で週2回、工事を止める。他の日でも、2時間から6時間は工事を止めている。これを1日分と考えれば、週6日の作業日のうち、3日を潰していることになる。追い込まれているのはわれわれではなく、沖縄防衛局だ」、「勇気ある行動を止めることは、米軍にも政府にも機動隊にもできない。水曜行動、土曜行動を大きく拡げよう。工事ができるのは、残りあと5ヵ月。諦めなければ、勝利できる」と提起した。
9月14日も、早朝から「大行動」が取り組まれた。結集は、約150人。「N1地区」ゲートの北に位置する国頭村安波の峠付近、南に位置する高江橋の南北2ヵ所に分かれた行動で、高江橋でも安波でも、参加者の車両を使って機動隊車両、工事用車両を阻止する態勢がとられた。結局、砕石などを積んだダンプカーの車列10台は、機動隊に防護されて北回りコースで侵入した。多数の機動隊が安波の阻止線を破り、高江橋から応援に駆け付けて座り込んだ労働者・住民をも強制排除して、「N1地区」ゲートにダンプカーを入れた。しかし、その時刻は、正午過ぎである。工事を半日潰した意義は大きい。
この日も、民間の特殊ヘリがコンテナ状のものを空輸する様子が確認された。防衛省の公表によると、9月9日から始まった民間ヘリによる空輸は計30回で、この日、9月14日で終了したという。
翌9月15日には、環境省が、沖縄本島北部地域を「やんばる国立公園」に指定した。政府は、「自然環境の厳格な保護」などとほざいているが、実際にやっているのは、ヘリパット建設に伴うやんばるの原生林の伐採と赤土の流出放置、そして耐え難いまでのオスプレイの騒音拡大である。
〈9月17日〉 250人が「N1地区」ゲート前に結集し、工事を完全阻止
9月17日の「大行動」は、「N1地区」ゲート前を主戦場にして闘われた。結集した250人の中に、前日の福岡高裁那覇支部による判決―「県」知事・翁長による名護市辺野古の「埋立承認取消」をめぐる「不作為の違法確認訴訟」における「県敗訴」の不当判決に対する激しい怒りが渦巻く。
早朝から、ゲート前を制圧して集会が開かれる。司会の山城氏が、「裁判所が政府と一体となって沖縄弾圧をするなら、断固闘う」と口火を切り、発言者たちも、「国に調教された裁判官による初めから結論ありきの裁判だ」、「政府と裁判所の出来レースのような判決にめげる必要はない。ゲートを守り、工事を止めるだけだ」と、次々に判決への怒りを表明する。
さらに、参加者からは、「工事は、『N1地区』のヘリパッド用地の伐採が始まっただけ。『H地区』、『G地区』は、未着手。その焦りが、自衛隊ヘリの投入だ」、「沖縄防衛局が立木を勝手に伐採して、『N1地区』から『H地区』『G地区』に抜ける約4メートル幅の道路を造っている。沖縄防衛局が県に提出した『検討図書』にもまったくないものだ。なぜ県が立ち入り調査をして止めさせないのか、理解できない」、「重機はヘリで運んだが、砕石は『N1地区』ゲートから運ぶしかない。その量は、10トントラックで1300台分。これまでに400台分は運んだが、あと900台分はこれからだ。これを止める。政府は12月末完成と言うが、とんでもない。ヘリパッドが完成する展望はない」、「他府県の機動隊のガソリン代、高速代、破損・故障の修理代を県警が負担するという。県民を弾圧する費用を県が出す。こんなことはありえない」、「一昨日(9月15日)、2人が県道70号で抗議行動中に、車を斜めに駐車したとして、『往来妨害』の容疑で逮捕された。道交法ではなく、刑法を適用しての弾圧だ。同じことをしても、これまでは逮捕しなかった。見せしめだ。辺野古でも昨日(9月16日)、イエローラインを越えたことで、『刑特法違反』容疑で1人が逮捕された。これで通算33人目の逮捕者だ。名護署への抗議行動に取り組もう」などの発言が続いた。
午後2時半になっても、ダンプカーが国頭村の西海岸にある採石場を出る気配はない。250人の座り込みで、砕石の搬入を完全に阻止したのだ。総括集会で、勝利を全体で確認し、この日の闘いを締めくくった。
なお、工事を阻止するために、大規模かつ長時間にわたって「N1地区」ゲート前を制圧するのは、「7・22」以来、約2ヵ月ぶりのことだ。その意義について山城氏は、「7・22の惨劇で、一時は心が折れそうになった。ここ(『N1地区』ゲート前)で構えれば、強制排除に出る機動隊との激しい攻防になり、7・22のような大きな犠牲を覚悟しなければならない。そのことにこれまで躊躇があったが、昨日の判決を受けて決意した。今日、ここに座り込むことで、心の壁を乗り越えることができた」、「再び起ち上がって、7・22の状況の逆転を果たした。『N1地区』ゲート前の主導権をとり返した。次からも、ここで頑張りぬこう」と提起した。
「7・22の敗北」を越えて、「N1地区」ゲート前を制圧し、工事を止める闘いが本格的に始まった。機動隊との実力の闘いがすべてを決する局面に入ったのだ。天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会は、現地集中をいっそう強化し、その闘いの最先頭に起つ決意だ。
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