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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

「女性暴行・殺害事件」弾劾!4000人で「緊急県民集会」〈沖縄〉
(1185号4面)

 「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が主催する「元米兵による残虐な蛮行糾弾! 犠牲者を追悼し米軍の撤退を求める緊急県民集会」が、5月25日午後2時から、「女性遺体遺棄事件」の「容疑者」の勤務先である米空軍・嘉手納基地の第1ゲート前(北谷町)で開かれた。平日の日中であるにもかかわらず、集会開始の1時間以上前から労働者人民が続々と集まり、集会開始時刻には、ゲート前付近の歩道に収まり切れない参加者が、国道58号線を挟んだ向かい側の歩道を延々と埋め尽くすほどの状況となった。参加者は4000人にも達し、全員が「女性殺害・暴行・遺棄事件」への激しい怒りを爆発させた。天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会(沖縄青年実)と沖縄・首里日雇労働組合も、この闘いに参加した。

 集会は、1分間の黙祷で開始された。「オール沖縄会議」共同代表からのあいさつに続き、沖縄選出の衆・参4人の国会議員が登壇して、「日・米両政府の綱紀粛正、再発防止という手垢のついた言葉は要らない。県民の怒りは、はるかに受忍限度を超えている。米兵の犯罪をくり返させないために、在沖米軍基地すべてを撤去するために、団結して起ち上がろう」、「今度の事件を契機に、絶対に沖縄の基地を撤去するまで闘うことを誓い合おう。ましてや、辺野古に新たな基地は絶対に許さない」、「ウチナンチュにはこれだけの力があるということを示すためにも、嘉手納基地から真っ先に、全部返還させなくてはならない」などの発言を行なった。

 連帯あいさつで登壇した嘉手納爆音訴訟原告団団長・新川秀清氏は、「この基地の周囲の1人が、残虐な形で命を奪われてしまった。沖縄は、宮森小学校への墜落(嘉手納基地を飛び立った米空軍のジェット戦闘機が、現・うるま市の小学校に墜落し、小学生11人を含む17人が死亡、210人が重軽傷者を負わされた。1959年6月30日に発生)、そのほか多くの犠牲を強いられてきた。人間が人間として生きていける沖縄にするためには、どうするのか。答えは、一つ。沖縄からすべての基地を撤去することだ。基地を押しつけている米国と日本の政府に対して、明確な答えを出していこう。基地をなくすこと、そして政治を変えていくことしかない」と訴えた。

 集会決議が提案される。「沖縄県民の怒りは、もう限界点を超えた。私たちは、もうこれ以上、基地の重圧に耐えることはできない」として、米大統領、駐日米大使、在沖米軍四軍調整官、首相、外相、防衛相、沖縄担当相に宛てて、「米軍基地の大幅な整理縮小」、「日米地位協定の抜本的な改定」、「普天間飛行場の閉鎖・撤去」、「オスプレイの配備の撤回」、「辺野古新基地建設断念」を要求する内容だ。決議を確認し、全体で基地に向かってシュプレヒコールを叩きつけていく。「嘉手納基地を撤去しろ」、「沖縄から米軍基地を撤去しろ」、「辺野古新基地建設をやめろ」という4000人の怒りが基地内に轟く。「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代氏の閉会あいさつで、集会を終えた。

 「女性殺害・暴行・遺棄事件」に対する沖縄労働者人民の怒りが沸騰している。その怒りは、もはや、米軍の「綱紀粛正」、基地の「整理縮小」の枠の中には到底収めることはできない。「すべての軍隊の撤退」、「すべての基地の撤去」。これこそが沖縄労働者人民の共通の叫びとなっているのだ。沖縄青年実は、名護新基地建設阻止、全基地撤去に向けて、闘いの最先頭に起つ決意だ。