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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

5・20-5・22 元海兵隊員-米軍属による「女性暴行・殺害事件」弾劾!緊急抗議集会に決起 〈沖縄〉 (1184号5面)

女性暴行・殺害事件」を許すな

 4月28日に発生した沖縄「県」うるま市の20歳女性の行方不明事件は、最悪の結末を迎えた。5月19日、「死体遺棄」容疑で沖縄「県」警に逮捕された男は、米国籍の元海兵隊員で、現在は米空軍・嘉手納基地でインターネット関連の仕事をしている米軍属であった。報道によれば、その供述に基づき、恩納村の米海兵隊・キャンプ・ハンセン沿いの雑木林で、遺体が発見されたという。男は、「車で2時間〜3時間走り、乱暴する相手を探した」「背後から女性の頭を棒で殴り、草むらに連れ込んで乱暴した」「首を絞め、刃物で刺して殺害した」と供述しているという。ウォーキング中の女性を見かけて付け狙い、女性の自宅近くで襲撃・殺害し、海兵隊時代に土地勘を得た恩納村に車で遺体を運んで、雑木林に遺棄したと見られている。

 この事件に、今や沖縄全島が慟哭し、激しい怒りに震えている。米軍関係者による事件が起こる度に日・米両帝国主義者が口にする「綱紀粛正」「再発防止」や、「整理縮小」「負担軽減」なるペテンで、沖縄労働者人民の怒りと闘いを抑え込むことは、もはや不可能だ。軍隊の「綱紀粛正」ではなくて「すべての軍隊の撤退」が、基地の「整理縮小」ではなくて「すべての基地の撤去」が、沖縄労働者人民の共通の要求となっているのだ。

 天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会(沖縄青年実)と沖縄・首里日雇労働組合(沖日労)は、怒りに燃えて、闘いに連続決起した。

5・20 嘉手納基地ゲート前で抗議集会

 「容疑者逮捕」が報じられた翌日の5月20日には、朝7時半から、嘉手納基地・第1ゲート前(北谷町)で、「沖縄平和市民連絡会」の主催による抗議行動が闘われた。平和市民連絡会が呼びかける嘉手納基地ゲート前の早朝行動は、名護新基地建設阻止の闘いを嘉手納基地撤去、全基地撤去の闘いへと拡大させる取り組みとして、4月半ばに開始され、毎週金曜日に行なわれてきたものだが、この日は、「女性暴行・殺害事件」を受けて、「県」内各地から約150人の労働者・市民がつめかけ、「容疑者」が勤務していた嘉手納基地に対する怒りの抗議行動となった。

 ゲート前をデモで制圧しつつ、「米軍は沖縄から出ていけ」、「嘉手納基地閉鎖・撤去」、「全基地を閉鎖しろ」など、日本語、英語で書かれたプラカードを掲げて、赤信号で停車する米兵車両の前に出てつめ寄り、一斉に怒りの声を叩きつけていく。これに対して、「県」警は、部隊を投入して規制・弾圧に乗り出すが、労働者・市民は一歩も引かぬ激しい実力攻防を展開し、闘いをやりぬいた。

 正午からは、同じ第1ゲート前で、嘉手納爆音差止訴訟原告団と中部地区労の共催で、「米軍属の女性殺害糾弾!全基地撤去!緊急抗議集会」が開催された。集会には、250人が参加した。集会中も、F15イーグル戦闘機が猛烈な爆音を轟かせながら、上空を飛行する。

 最初に、嘉手納爆音差止訴訟原告団長・新川秀清氏が、「女性が元気で帰ってきてほしいと願っていたが、このような結末を迎えてしまった。基地問題は、何も解決していない。人間が人間として当たり前に暮らすことのできる環境をとり戻そう」と、強い憤りと新たな決意を込めてあいさつした。中部地区労からは、「起こってはならない事件が起きてしまった。無辜の人を殺して、何の日米安保か、何の抑止力か。これ以上の犠牲者を出さないためには、全基地の撤去しかない」という発言が行なわれた。

 その後、普天間爆音訴訟原告団長・島田善次氏、「ヘリ基地反対協」などが次々に発言に起ち、「戦後71年経っても、沖縄はいまだに戦場だ。いつまでこのような犠牲が続くのか。もう、全基地撤去、安保条約粉砕しかない」、「1955年には、この嘉手納基地で幼女が暴行され、遺体がゴミ捨て場に捨てられた。そんな凄惨な事件をくり返させるわけにはいかない」、「女性の死を無駄にしないよう、考え、行動し、やるべきことは何でもやろう」、「軍隊は、人間を殺人兵器に造り変える。基地・軍隊がある限り犠牲はなくならない。沖縄からすべての基地をなくす運動を創り上げよう」などの発言や提起が行なわれた。集会の途中、犠牲になった女性に一分間の黙祷が捧げられ、最後に、基地に向かって「人殺し基地は沖縄から出て行け」という憤怒のシュプレヒコールが叩きつけられた。

5・22 キャンプ・瑞慶覧ゲート前の追悼抗議集会に2000人

 5月22日には、午後2時から、「元海兵隊兵士の事件被害者を追悼し、米軍の撤退を求める集会」が、在沖米4軍調整官事務所があるキャンプ・瑞慶覧の石平ゲート前(北中城村)で開かれた。「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」をはじめ、「県」内の女性団体を中心とする36団体が呼びかけたものだ。当初、主催者が想定した参加者は300人だったのだが、実際には2000人もの労働者人民がつめかけた。これまで集会などにはまったく参加したことがないような市民、とりわけ若い女性の姿が数多く見られた。事件への怒りのあまり、「居ても立ってもいられない」、「今回ばかりはどうしても黙っていられない」という人々が大結集したのだ。

 「今日は、追悼と抗議の意思を示す行動。多くの命が失われた沖縄の歴史を見つめる1時間にしたい」との主催者からの提起を受けて、集会は、静かに立って抗議と怒りを表わす「スタンディング」形式で行なわれた。参加諸団体からの発言もシュプレヒコールなく、原色の旗やゼッケンも出さず、その代わりに参加者には喪章が配られた。ゲート前のデモは、「命を返せ」、「全ての基地・軍隊の撤退を」などのプラカードを掲げつつ、全員が終始無言のまま行進した。静かな、しかし凄まじい憎しみと怒りに満ちたデモとなった。

 集会の声明文では、「彼女が、どれほどの恐怖と苦しみにあったか。沖縄に暮らす私たちは、皆、自分にも起こり得たことだと言葉を失い、痛みを共にしている」として、「沖縄からのすべての基地・軍隊の撤退」などを求めた。

新基地建設阻止、全基地撤去へ

 戦後71年間、沖縄労働者人民は、「基地がある故に起こる事件・事故」にくり返し蹂躙され、命までも無惨に奪われてきた。米軍政下の1955年には、わずか6歳の幼女を米兵が車で連れ去り、嘉手納基地内で何度も暴行して殺害し、基地内のごみ捨て場に捨てるという「由美子ちゃん事件」が起こっている。61年前の「由美子ちゃん事件」、1995年の少女暴行事件、そして今回の女性暴行・殺害・遺棄事件は、帝国主義軍隊組織の凶暴性、凶悪性がどこに向かうのかを凄惨な形で示すものであり、日・米両帝国主義によって強いられた沖縄労働者人民の日常的な抑圧状況を凝縮して示すものだ。それは、沖縄戦の強要を起点とし、米軍政への叩き込みと日帝による再統合、そのもとでの軍事基地の集中という、沖縄支配―差別支配がもたらしたものだ。

 「復帰」後に限ってみても、沖縄「県」内の米軍関係者による「殺人」など「凶悪犯罪」と呼ばれる重大事件は、2015年末までの43年間で574件発生し、741人が摘発されている。その内訳は、「殺人」が26件・34人、「強盗」が394件・548人、「強姦」が129件・147人、「放火」が25件・12人となっているという。今年3月にも、那覇市内のホテルで、キャンプ・シュワブ所属の1等水兵が観光客への女性暴行事件を起こしたばかりだ。

 今回の事件に対して、首相・安倍は、厚顔にも、「非常に強い憤りを覚える」「断固抗議する」と表明したが、安倍には、「憤り」や「抗議」を口にする筋合いも、資格もないことは明らかだ。沖縄に基地と基地被害を集中させている責任、今回の事件を必然化させた責任は、他ならぬ安倍政府自身にあるからだ。他ならぬ安倍政府自身が、憤りと抗議の対象なのだ。

 今や沖縄では、「もう限界だ」という叫びが各所で上がっている。怒りが、いつ、どこで、どのような形で爆発しても、まったく不思議ではない状況になっているのだ。こうした中、「オール沖縄会議」は、5月25日に、嘉手納基地・第1ゲート前(北谷町)での「緊急抗議集会」を、6月19日には、奥武山公園(那覇市)での大規模な「県民大会」を呼びかけている。こうした集会、「大会」の成功は必要なことだ。しかし、われわれが最も注視すべきは次のことである。すなわち、闘う沖縄労働者人民の中から、「県民大会に何万人集めても状況は変わらない。沖縄の全基地、各ゲートに万単位で集まって、実際に基地を封鎖するしかない」という主張が、公然と語られ始めていることだ。名護新基地建設阻止の現地実力闘争の爆発を切り拓くこと。巨万の決起を実現し、嘉手納基地をはじめ、すべての基地の封鎖・撤去をかけた現場攻防の爆発を切り拓くこと。これこそが、被害女性の無念に応える唯一の道だ。沖縄青年実は、その闘いの最先頭に起つ決意である。