12・26「越年・越冬闘争へむけた上映集会」を開催
釜ヶ崎では、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」が、12月26日に、西成市民館で「越年・越冬闘争へむけた上映集会」を開催した。そして、12月29日から1月3日までの「夜回り・人民パトロール」を貫徹した。
「2015?2016越年・越冬闘争へむけた上映集会」には、多くの日雇い・野宿労働者をはじめ約60人が結集した。はじめに、集会の基調が提起される。基調では、「釜ヶ崎労働者の会」は、越年・越冬闘争として、12月29日から1月3日までカイロ、おにぎり、タオル、防寒着、毛布、風邪薬などを持って「夜回り・人民パトロール」を闘うこと、駅頭でカンパ活動を行ない、資金をはじめ、衣類・物資のカンパも呼びかけてきたことが提起され、政府によるアブレ(失業)地獄―野垂れ死に攻撃が暴露された。大阪府や大阪市に対して「仕事出し」を要求する行政闘争を闘ってきたこと、「センター縮小・移転」攻撃=寄せ場・釜ヶ崎解体攻撃と対決してきたことが明らかにされた。「日の丸」「君が代」の強制―処分攻撃と闘う教育労働者と連帯する闘いに決起してきたこと、部落解放闘争や「障害者」解放闘争を闘い、差別と対決する闘いに決起してきたこと、「在特会」の在日朝鮮労働者人民への差別主義・排外主義煽動を許さず「従軍慰安婦問題」の情宣にも参加してきたことが提起され、安保粉砕闘争をはじめ反戦闘争や反原発闘争に取り組んできたことも紹介された。そして、基調提起の最後に、越年・越冬闘争のスローガンが提起され、参加者全体の「ヨシ!」の声で確認されていった。
次に、東京・山谷日雇労働組合、福岡・築港日雇労働組合、沖縄・首里日雇労働組合からの連帯メッセージが読み上げられ、参加者から大きな拍手が送られた。
一本目の上映作品は、山谷の労働者が天皇主義右翼ファシスト・国粋会金町一家と体を張って闘う攻防などを描いた映画=「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」だ。「佐藤満夫監督と当時の山谷争議団の中心メンバー・山岡強一氏が金町一家に虐殺された」「以来、『日雇全協』や山谷争議団が金町一家解体戦を放棄する中、東京・山谷日雇労働組合は報復を貫徹し、金町一家解体へむけ闘いぬいてきた」「仲間を殺されて、報復しない組織が敵に勝つことはない。この事を肝に銘じて闘わねばならない」「安倍政府の『戦争国家作り』をささえる天皇主義右翼ファシストを絶対に許してはならない」と提起される。参加者は、映画=「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」を熱心に見入っていた。
続いて、娯楽映画が上映され会場内では大爆笑がおこった。
冬は、資本からみて利用価値の無くなった労働者を路上で殺していく時期である。そんなことを絶対に許してはならない。年末・年始の釜ヶ崎周辺での「夜回り・人民パトロール」への結集―仲間の命を守る行動への参加が最後に呼びかけられた。
越年・越冬闘争の勝利へむけて「一人の野垂れ死にも許さんぞ!」「生きてヤツラ(資本・行政)にやり返すぞ!」「野宿の仲間への襲撃を絶対に許さんぞ!」「センター縮小・移転攻撃=寄せ場・釜ヶ崎解体攻撃を粉砕するぞ!」「団結してガンバロー!」とシュプレヒコールをあげ、熱気の中で集会は終了した。
12・29―1・3「夜回り・人民パトロール」を闘いぬく
釜ヶ崎では、ドヤ(簡易宿泊所)にも泊まれずアオカン(野宿)せざるをえない厳しい失業状況が続いている。2014年もそうであったが、2015年はさらに凄まじいアブレ(失業)状況であった。こうした中、大阪市は、越年対策事業として「臨時宿泊所」を開設した。釜ヶ崎地域内の新シェルターとケアセンター(三徳寮)である。三角公園横の旧シェルターは、2016年に解体されこの敷地にセンターをもってこようとする計画がもちあがっている。これは、「センター縮小・移転攻撃=寄せ場・釜ヶ崎解体攻撃だ。粉砕しなければならない。暴動対策として南港に開設していた「南港臨時宿泊所」が昨年から廃止となっている。利用者の減少と財政難を主な理由としてのものである。入所資格は、今年も「あいりん地域に居住する、(原則として)40歳以上の単身日雇労働者」というものである(毎年の「春闘要求」では40歳の年齢制限を削るように要求してきたのだが)。入所受付については、2010年は12月29日と30日の2回だったのが、2011年から事前登録が必要となり、12月29日の1回のみになった。今年の入所者数は、451人で昨年より約30人増えている。大阪市の厳しい生活保護の締めつけによる打ち切りの影響もあると思われる。
12月29日から、人パトが開始された。人パト隊は、ビラ、カイロ、おにぎり、タオル、防寒着、毛布、風邪薬などを持って回っていく。まず、センターの周辺で野宿している労働者のもとを回る。ダンボールや布団を用意して野宿している労働者もいれば、何の用意も無く体ひとつカバン一個で寝ている労働者もいる。カイロやおにぎりを渡すと「ありがとう」という声が返ってくる。センターを一周しただけで、100人以上が寝ている。続いて、人パト隊は、南海電車のガード下、萩ノ茶屋や山王商店街のアーケード、恵美須町駅周辺、日本橋電気街など、釜ヶ崎周辺を回る。釜ヶ崎では、近年、多くの日雇い・野宿労働者が生活保護を受給するようになった。しかし、人パトを通してわかったことは、あいかわらず毎年百数十人が釜ヶ崎周辺で野宿を強いられているという事実だ。大阪市の開設した「臨時宿泊所」(風呂、暖房、三食、テレビ)を拒否し、あえて寒空の中でアオカンを選択する労働者がいるということだ。「俺は『臨泊』など入らん。根性あるだろう」とおにぎりを、もらいに来てにっこり笑って言う労働者がいた。
人パトでは、「アブレ地獄―野垂れ死に攻撃を粉砕しよう!」「一人の野垂れ死にも許さんぞ!」「生きてヤツラ(資本・行政)にやり返そう!」「野宿の仲間への襲撃を絶対に許さんぞ!」「仲間の命を守りぬこう!」のスローガンののったビラを配布し、闘いへの結集を呼びかけた。
6日間にわたって「一人の野垂れ死にも許さない」と越年・越冬闘争の「夜回り・人民パトロール」が貫徹された。越年・越冬闘争で培った団結をさらに強化し、「反戦・仕事よこせ」の闘いを闘いぬいていく。2016年の激闘に進撃する。
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