安倍来沖抗議行動を闘う
6月23日、天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会と沖縄・首里日雇労働組合は、「慰霊の日」の闘いに決起した。地上戦から70年目を迎えた沖縄は、名護新基地建設を暴力的に推進し憲法違反の戦争法を強行成立させようとする安倍政府のもとで、再び沖縄戦を想起せざるを得ない状況下にある。戦争への怒りが噴出し、安倍政府への怒りが拡がる中、われわれは、安倍来沖抗議行動を軸として6・23を闘いぬいた。
午前10時、青年実と沖日労は、糸満市摩文仁の「平和祈念公園」入口に向かう。周辺一帯は物々しい警備が敷かれ、市民の通行を妨げるような鉄柵が歩道のあちこちに配置されている。機動隊は、「沖縄全戦没者追悼式」に出席する安倍に抗議しようと集まった仲間たちを、鉄柵で囲われた窮屈な一角に無理やり押し込めようとする。さらに、その前に機動隊が立ちはだかり、抗議の意思を示すプラカードすら覆い隠そうとする。「抗議する人よりも多くの機動隊を配置することがどうして必要なのか」「通行を邪魔しているのは警察の方だ」「点字ブロックの上に鉄柵を置くのはおかしい」と、方々から批判の声が上がる。道路を挟んだ向かい側では、激しい抵抗の末に「安倍首相は『慰霊の日』参加資格なし」と書かれた横断幕が掲げられる。「沖縄平和市民連絡会」のメンバーは「辺野古への新たな基地建設は許さない」「戦争法案を成立させようとする安倍首相は『慰霊式典』に参加する資格はない」「『県』警は過剰警備をやめなさい」などのマイクアピールを行なう。白バイが付近に停車し、機動隊も増員される。安倍の到着が近づくにつれ、次第に緊張感が高まる。徐々に集まり始めた仲間たちも、警察の過剰警備に厳しく抗議する。
午前11時前には、歩行者用信号は赤のままとなり、機動隊が横断歩道の前にスクラムを組み市民の横断を妨害する。11時5分過ぎ、機動隊のバス数台が公園内からやってきて、交差点付近に停車する。われわれの側からは、完全に通行車両が見えない。その後すぐに安倍を乗せた車両の一団が、猛スピードで公園内に入っていくのがわずかに確認できた。「安倍は帰れ!」と怒りが一斉に叩きつけられる。青年実と沖日労をはじめ結集した仲間は、あまりに卑劣なやり口に対してあちこちで機動隊と激しく肉弾戦を展開した。
安倍が会場入りした後も過剰警備は続き、横断歩道の前には新たに鉄柵が設置される。横断歩道を渡ろうとすれば、機動隊数人がかりで抱えて無理やり歩かせるといった酷さだ。抗議行動は、12時前まで行なわれた。最後に、「安倍は帰れ!」「戦争法案を廃案にせよ!」「新基地建設を許さんぞ!」「自衛隊の強化を許さないぞ!」「戦争反対!」「過剰警備やめろ!」とシュプレヒコールで訴え、安倍抗議行動を終えていった。
「国際反戦沖縄集会」に結集
その後、「魂魄の塔」そばの「ひろしまの塔」前広場に移動し、「第32回国際反戦沖縄集会」に結集する。青年実は、集会が始まる前に会場前で「辺野古現地へ大結集し埋立着工を阻止しよう」と訴えるビラを配布する。ビラは、辺野古でともにスクラムを組み闘いぬいている仲間や、全国から駆けつけたメンバーに次々と手渡されていく。
12時45分、集会が開始される。高江からの報告では、「小学校に近い2つのヘリパッドが造られてしまったが、止めるまでがんばる」と表明される。ダンスが披露された後、司会より山城博治氏が紹介される。山城氏は、辺野古の現場指揮者として昨年7月からキャンプ・シュワブゲート前に立ち続けてきたが、今年4月に闘病生活に入っていた。2ヵ月ぶりの再会に、会場全体から喜びの声が上がる。山城氏は、「4月21日にゲートを離れたが、この通り元気だ」「夏が過ぎた頃には現場に立てる。必ず現場に戻る」「摩文仁では『帰れコール』が上がったと聞いている。安倍に沖縄を託すわけにはいかない。戦争をさせない。われわれの未来をつくっていこう」。最後に、帽子を脱いで丸坊主になった頭を深々と下げ降壇する。
若者からの発言や子どもたちの唄の後、辺野古海上で闘うメンバーより発言を受ける。「午前中は摩文仁で抗議行動をやった。『安倍帰れ!』と叩きつけた」「カヌーを毎日漕いでいる。海保は、安倍政府から阻止闘争を抑えつけろと命令を受けて、われわれを拘束する」「昨年、『基地建設はさせない』『弾圧するなら来てみろ』とフロート内に入った。今ではフロートを設置しても何もできない状況になっている」「ゲート前は24時間態勢でやっている。一人でも多くのみなさんがゲート前に集まろう。カヌーを漕ごう」。力強い発言に拍手が鳴り響く。
泡瀬干潟(沖縄市)を守る行動を続けるメンバーからの報告などが続く。福島の浪江町で「希望の牧場」を営むメンバーもマイクを握る。「黒毛和牛の身体に白い斑点が出ている。国は原発事故との因果関係を認めない」「福島の苦しみ、沖縄の苦しみはつながっている。安倍政府を打ち壊して、乗り越えていくしかない」。海外からは、歴史学者でオーストラリア国立大学名誉教授のガバン・マコーマック氏が登壇し、「歴史をつくっている人たちと接触できることは刺激的である」「沖縄の状況を海外から世界に伝える」と語る。
名護新基地建設阻止・安倍政府打倒へ
在日朝鮮人3世のキム・キガン氏によるミニコンサートをはさみ、高里鈴代氏が閉会の挨拶に起つ。「昨年の6月23日から今日まで激動の1年だった。昨年7月1日に、『集団的自衛権』容認の閣議決定と辺野古での工事強行が同時になされた。この1年で、『島ぐるみ会議』が結成され、20あまりの市町村からバスが出ている。辺野古に多くの人たちが集まり、世界の人たちにも伝わっている」「この1年、希望をもって抵抗してきたことを確認し、ここからつながって力を出し合い、支え合いながら、来年に良い報告ができるようそれぞれの場に立とう」と締めくくる。
集会は、若者を中心とした構成であった。だが、沖縄戦体験の継承や安倍政府による名護新基地建設強行について根源的に問う問題意識の未熟さが目立った。われわれは、辺野古の現場で阻止闘争を先頭に起って闘いぬく学生・青年労働者の組織化を推進する。
「県」と「県議会」が主催する「沖縄全戦没者追悼式」に出席した安倍は、「帰れ」「戦争屋は出て行け」などと沖縄労働者人民の怒りにさらされた。怒号が飛び交う中、安倍は〈基地・沖縄〉に怒る沖縄労働者人民の訴えを暴力的に封じ込めておきながら「筆舌に尽くしがたい苦難の歴史を経て、今を生きる私たちが、平和と、安全と、自由と、繁栄を享受している」と述べ、国会で戦争法の強行成立を画策していながら「この70年間、戦争を憎み、ひたすら平和の道を歩んできた私たちの道に誇りを持ち、これからも、世界平和の確立に向け、不断の努力を行なっていかなくてはならない」なぞと平然と言ってのけた。さらに名護新基地建設を凶暴に推進し、次々と新たな自衛隊配備を打ち出しておきながら「この3月末に西普天間住宅地区の返還を実現したが、今後も引き続き沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていく」と口にした。「負担軽減してやるから新基地建設も自衛隊配備も受け入れよ」ということだ。傲慢にもほどがあるではないか。「安倍帰れ!」の訴えは、戦争と基地に怒るすべての沖縄労働者人民の声に他ならない。
辺野古海上におけるボーリング調査は、加速している。報道によれば、6月22日までに予定する19ヵ所のうち14ヵ所で調査が「終了」したとされる。阻止闘争と台風の影響で、調査は2ヵ月ほど遅延しているとされており、埋め立て着工は、「9月以降」と報じられている。われわれは、「慰霊の日」の闘いを権力との実力攻防として闘いぬいた地平をもって、名護新基地建設実力阻止を闘いぬく。7月から8月にかけて辺野古へのより多くの結集を呼びかけ、埋め立て着工実力阻止の闘いの爆発を実現する。基地機能に打撃を強制する実力闘争を闘いぬく。沖縄―日本「本土」を貫く共同闘争をよりいっそう強化し、名護新基地建設阻止・戦争法粉砕を闘いぬこう。安倍極右政府打倒・日帝国家権力解体へ進撃しよう。
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