「寒さと失業に負けるな! 力を合わせて闘って、仕事をかちとろう!」と越年・越冬闘争をやりぬく
12・31―1・3 福岡・築港
2013―2014年福岡日雇い越年・越冬闘争は、「寒さと失業に負けるな! 力を合わせて闘って、仕事をかちとろう!」をスローガンに、今回から初めての会場である市内中央区の須崎公園を拠点にして闘われた。
福岡では、朝の暗いうちから築港の寄せ場に立って仕事を探しても、求人業者がほとんどまったく来ない日が続く日雇い・野宿の労働者に対して、福岡市行政は、生活保護一辺倒の施策を推し進めてきたが、今やその縮小―締め付けに入っている。そればかりか、失業にあえぐ労働者の貴重な現金収入源となっているアルミ缶の回収まで、「条例」によって禁止しようとしている。仕事保障をすることなく、アルミ缶の回収を禁止することは、「生活保護より仕事がほしい」「体が動くうちは働いて生活したい」と願う労働者に、「死ね」と言うに等しい暴挙である。この越年・越冬闘争で福岡・築港日雇労働組合(福日労)が行なったアンケート調査でも、多くの労働者たちが「生活保護より仕事がほしい」と回答しているが、行政はこうした声に一向に応えようとはしていない。このような厳しい状況をはね返し、共にやり返すべく、越年・越冬闘争は取り組まれた。
事前に積み重ねられた越年・越冬闘争実行委員会の会議には、多くの日雇い・野宿の仲間が参加した。越冬をはじめて経験する仲間たちや生活保護をとった仲間たちの参加もあった。「会場内でのケンカや宴会の禁止」という、実行委員会で取り決めたルールによって、会場の須崎公園内には、常に和気あいあいとした雰囲気がただよっていた。仲間たちは、テントの設営をはじめ、炊事、洗い場、警備、本部などの各班で、朝早くから夜遅くまでの炊事作業、冷たい水を使った食器等の洗い物、寒風のなかでの不寝番、企画・ゲームの進行などの仕事を懸命にやりぬいた。この取り組みを成功させるために、支援物資の受け取りや整理作業、カンパ活動や資材搬入作業にも、たくさんの仲間たちの積極的な参加があった。とりわけ12月31日の立ち上げ作業、1月3日の片付け作業には、60人を超える仲間たちが携わった。
安倍極右政府の暴走が止まらず、戦争政策と人民抑圧が一気に強まる時代であるからこそ、政府や行政に依存せず、労働者人民自らの力で、共同の力で生きぬくことの重要さを肌身に感じている人々が多くいる。厳しい時代だからこそ、力を合わせて闘い、生きぬこうという福日労と実行委員会の姿勢は、多くの労働者・市民の共感を呼んだ。「何かをしたい」と、炊事や洗い場の仕事を担ってくれた人も多い。衣類や布団や食料品などのカンパ物資や資金も、これまでにも増して寄せられた。会場まで足を運んで直接届けてくれる人も後を絶たなかった。「労働・生活・医療の大相談会」には、司法書士や看護師、歯科医師をはじめとした人びとが、仲間たちの相談に丁寧に向き合ってくれた。多くの人びとに支えられて、越年・越冬闘争の成功はかちとられた。
12月31日
朝も暗いうちから、多くの日雇い・野宿の労働者が集まった。須崎公園における初めての会場設営ではあるが、力を合わせて作業を進めていく。炊事班が用意した温かい炊き出しが出る頃には、大体のテントが建て終わっている。さらに寝床やステージが完成し、会場が形を整えていく。
昼の炊き出しの後は突入集会だ。「越年・越冬闘争をやりぬくぞ」「一人の野垂れ死にも許さないぞ」というシュプレヒコールが響き渡る。越年・越冬闘争の意義を全体で確認し、「2014年こそ、みんなの力で仕事をかちとろう。失業も戦争もない世の中を作るために、福日労のもとに団結して闘おう」という決意を固める。寄せられた連帯メッセージが代読される。東京・山谷日雇労働組合からは、「玉姫公園で越年・越冬闘争を闘います。『仕事よこせ』の闘いをやりぬこう。安倍政府による朝鮮反革命戦争とファシズムへの突撃を打ち砕き、右翼ファシストどもと対決していこう。佐藤さん・山岡さん虐殺報復、金町一家解体の1・12日雇い労働者全国総決起集会に結集しよう」というメッセージが、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」からは、「アオカン(野宿)の仲間の命を守る人民パトロールをうちぬきます。ポリ公、ヤー公の敵対・妨害を粉砕し、アブレ地獄―野垂れ死に攻撃を粉砕し、闘っていきます。労働者が活き活きと生きていける社会を、闘ってかちとっていこう」というメッセージが、沖縄・首里日雇労働組合からは、「いま沖縄では、名護新基地建設阻止をめぐる状況が大きく動き始めています。沖縄側が容認する形で半永久的に使用できる基地の建設を認めてしまえば、沖縄の抵抗の歴史に泥を塗り、これから先の展望を描くことがまったくできなくなります。われわれは今、身体をはって阻止する決意をうち固めています」というメッセージが寄せられた。さらに福岡の教育労働者から、「今年は、日本の歴史においても最も恥ずべき時期の幕開けとなった。年末が押し迫っての首相自らによる靖国神社参拝、国会議員の数の暴力により粗末な議論しか経ずに強行採決されている数々の法案、そして軍備強化。しかし、政治は変えられます。ともに社会を変えていきましょう」というエールが寄せられた。すべてのメッセージに、会場全体の拍手が送られた。
午後3時からは、「笑福・望年演芸披露」と銘打ったお笑いの数々だ。歌謡ショーや漫談、マジック・ショーや「博多にわか」、さらには即興の一人芝居などに、仲間たちはステージ前で腹を抱えて大笑いだ。この後、プロの歌手による弾き語りの友情出演もあった。
午後5時からは、「人民パトロール隊」の出発だ。越年・越冬の取り組みを知らずに一人で寒さにふるえている仲間はいないか、また病気やケガで会場までたどり着けない仲間はいないかと、市内をパトロールして回るのだ。「隊員募集」の呼びかけに応えた仲間たちが、仲間たちに配る毛布やカイロ、防寒着や食料品、飲み物などを携え、会場全体の拍手に送られて出発する。
夜の炊き出しの後には、これまたお馴染みとなった「大みそか抱腹絶倒ライブ」だ。女性アーティストの唄と三味線によるパフォーマンスが、仲間たちを笑いの渦に引き込む。
ライブの後は集会だ。各班で頑張る仲間たちからの発言だ。「何日も前から本日まで、事故なく、資材搬入・設営の仕事ができました。片付けもがんばります」は、物資運搬に携わった仲間。ステージ上に並ぶ大勢の仲間たちに惜しみのない拍手が送られる。「3日間、混乱や事故のないように会場の内外を警備します。不寝番の募集もしています」は警備班の仲間。「今年は暖かくてほっとしています。洗い物をやることで協力させてもらいます」は、洗い場班の仲間。「おいしいご飯をたくさん食べてもらえるよう、一生懸命作ります」は炊事班。「須崎公園での始めての開催ということで不安も大きかったのですが、何とか開催にこぎつけました。楽しく有意義な3日間を過ごせるよう、ご協力をよろしく」というのは本部から。この他にも、散髪などで仲間たちががんばっていることが紹介される。どの発言にも会場からの声援と拍手が応えた。最後に、実行委員長の音頭で「団結ガンバロー」が行なわれ、集会は締めくくられた。
10時の就寝までにも、福岡市による「アルミ缶回収禁止条例」とそれに反対する福日労の取り組みを紹介したテレビ録画などの上映会が行なわれ、年越しそばが振舞われるなど、皆が夜の更けるまで楽しんだ。その間に夜の「人パト」が出発し、夜を徹しての不寝番も行なわれた。
1月1日
朝の炊き出しは雑煮とみかん。新年の幕開けだ。衣類の放出が行なわれ、皆が新しい服に着替える。カンパの衣類は例年にも増して多く寄せられている。様々なゲームに興じるうちに、時間はあっという間に過ぎてゆく。
昼食の後は、新年総決起集会だ。「仕事がほしい」という仲間たちみんなの切実な声を市役所に対してぶつけようと、「対市役所木曜行動」と、1月30日の対市役所デモが呼びかけられた。
夜の炊き出しの後は、労働者交流会だ。昼間の「生活・労働アンケート」の結果も発表される。長引く失業状態の強制や高齢化が手伝い、生活保護を希望する仲間の割合が、これまでに比べて増えている。それでも「生活保護より仕事が欲しい」と回答した仲間の数は半数を超えている。仕事がないことは切実だ。政府―厚生労働省の役人どもが何の根拠も示すこともできないにもかかわらず、「効率の悪い失対事業方式は採らない。民間雇用の拡充に委ねる」なぞ言い続けることを許してはならない。「仕事よこせ」の闘いをさらにやりぬこうという確認がなされた。
娯楽映画の上映も行なわれ、夜には冷たい風も出てきたが、参加者たちは温かい寝床に守られて、快適に眠りについた。不寝番の仲間たちが会場を守りぬき、皆が一丸となった越年・越冬闘争は続く。
1月2日
午前中の「団結もちつき大会」には、大みそかの「抱腹絶倒ライブ」で会場を沸かせてくれた女性アーティストが飛び入りの応援にかけつけてくれた。三味線と唄ともちをつく元気のいいかけ声に、まわりの仲間も呼応して大盛り上がりとなった。次々とつきあがるもちを、参加者全員で頬張る。代わる代わるもちをつく時間はあっという間だ。
昼食の後には、労働・医療・生活の「大相談会」が開かれた。相談に先立ち、ステージに登壇したスタッフから挨拶を受ける。歯科検診をしてくれる歯科医師は、「歯ブラシも配ります。歯のこと、口のなかのことで気になることがあったら、是非来てください」。司法書士からは、「労働・生活の相談をやっていますので、困ったことがあったら遠慮なく相談してください」。看護師は、「お薬は出せませんが、ちょっとしたケガの処置はできますし、健康管理のことで相談に乗ることはできますので、どうぞいらしてください」。さらに整体師、マッサージ師からも呼びかけがなされた。歯科相談の16人、医療相談の15人をはじめとして、たくさんの仲間たちがそれぞれの相談に訪れた。「大相談会」終了後には、相談に乗ってくれた方々に対して、惜しみのない拍手が送られた。「大相談会」の最中にも、「人パト隊」は市内をまわった。
夜の炊き出し後の会場は、「ゲーム優勝者表彰式」などで大いに沸いた。「新春映画上映会」も行なわれた。
1月3日
この日は朝早くから片付けだ。軍手・タオルが配られ、作業の段取りと注意事項が説明される。テントが一斉にたたまれ、公園の掃除が行なわれていく。昼食の温かい弁当を食べ、片付けが終了した。その後、みんなが和気あいあいと協力し合い、ともにこの一年を闘いぬく決意が共有化された。新たな闘いの決意を込めて、実行委員長の音頭による「団結ガンバロー」で、2013―2014年福岡日雇い越年・越冬闘争は幕を閉じた。
福岡市を追いつめる闘いは、すでに開始されている。毎週の「木曜行動」において、福岡市に対する「仕事よこせ」「アルミ缶禁止条例阻止」の声が叩きつけられている。1月30日には、福岡市に対する「仕事よこせ」のデモが予定されている。福日労は、越年・越冬闘争の成功を力に、この2014年、「反戦」「仕事よこせ」の闘いを断固やりぬく決意を固めている。共に闘おう。
炊き出し・労働相談に集中的に取り組む
12・31―1・2 沖縄・首里
沖縄・首里日雇労働組合は、12月31日から1月2日にかけての3日間、那覇市内の公園などで炊き出し・労働相談を集中的に取り組んだ。
沖日労は、12月初旬より2013―2014年越年闘争の準備を進めた。越年闘争の準備会を開催し、仲間たちの協力・支援を求めた。昨年の越年闘争の結果をもとに活発な討議が行なわれ、炊き出しのメニューや3日間の大枠などを決定した。仲間からの提案により、昨年以上に街頭カンパ活動に力を入れた。市民からは多くの期待の声とカンパが寄せられた。市内の公園まわりも行なった。こうした準備は、普天間基地解体・名護新基地建設阻止の激闘の只中で進められた。名護新基地建設に関する「埋立申請」に対する知事・仲井真の「年内承認」が迫る中で、抗議集会や「県庁前座り込み行動」が連続的に行なわれ、仲間たちも積極的に結集した。沖日労は全力で闘いを推進する中で、2013―2014年越年闘争をかちとったのである。
12月31日は雨交じりで肌寒い天気だった。与儀公園では沖日労のメンバーがマイクで呼びかけると、待ってましたとばかりに仲間たちが集まる。日常的な情宣活動で知り合った仲間たちがやってくる。沖日労の闘いを紹介するビラも配布された。2013年は、組合のもとに緊急入院―生活保護や賃金未払い問題などの相談が寄せられ、可能な限り対応してきた。こうした組合活動は徐々にではあるが、確実に仲間たちにも拡がっている。
1月1日朝の首里の寄せ場はまばらな集まりだったものの、与儀公園では早くから待っている仲間もいて、配食待ちの列ができた。この日、「2014年の激闘へ!」と題するビラが配布され、沖日労への結集が呼びかけられる。さらに全国の寄せ場から寄せられた連帯メッセージも読み上げられた。「行政も窓口を閉鎖する年末年始の時期を『一人の 野たれ死にも許すな』という決意のもと団結の力で仲間の命を守っていこうではありませんか」(東京・山谷)、「ピンハネ・ボッタクリのない社会、差別・抑圧のない社会、俺たち労働者が本当にいきいきとして生きていける社会を、闘ってかちとっていこう!」(大阪・釜ヶ崎)、「おれたち寄せ場―日雇い労働者にとって、身体を張った闘いは当たり前のものだ。ここに確信と誇りを持ち、闘いの地平を拡大させ、すべての労働者の先頭に起って、闘う喜びと気概を満開させて進撃しよう」(福岡・築港)。仲間たちは全国から寄せられた連帯メッセージを聴き、温かい弁当を次々と受け取っていく。夜は平和通りで衣料放出も行なわれた。寒さで体調を壊した仲間にも声をかけ、丁寧に対応した。
1月2日は、沖日労とともに地域で闘う労働者より連帯あいさつを受けていった。「厳しい不況が続いているが、一人ひとりバラバラにならずに団結して闘えば必ず道は拓ける。団結して闘おう」という訴えに仲間たちが耳を傾ける。さらに沖日労より反戦・反基地闘争への結集が呼びかけられた。「仲井真が『埋立承認』した。断じて許せない。名護新基地建設阻止の実力闘争に決起しよう」「若い世代の決起を促すために仲間たちの協力が必要だ。沖日労とともに闘おう」と訴える。仲間からは、「これからは積極的に集会にも参加するよ」「首里の寄せ場にあがってくるのは君らだけだ。組合には頑張ってもらいたい」といった声が寄せられた。
3日間で200食を超える炊き出しを配った。2013―2014年越年闘争は、昨年に比べると集まる人数がわずかに減少した。暦の関係で生活保護の受給が年末に行なわれたため身銭に幾分余裕があったことも影響しているだろう。だが、長期にわたって野宿を強いられる仲間たちは、例年以上に顔をそろえた。年末年始の厳しい時期に、本当に困っている日雇い・野宿の仲間たちが沖日労の越年闘争に結集したということだ。われわれは、これを力に2014年の激闘を断固として闘いぬく決意である。
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