2013年12月22日、ついに、全国の闘う「障害者」が待望する全国「障害者」解放運動共闘会議(全「障」共)の結成がかちとられた。
全「障」共は、その結成宣言で、「(介護の商品化は、)介護に資本の論理を貫徹させることによって、共闘・共生を根底から破壊するものに他ならない」「これを批判しえぬ多くの運動体の体制内化と運動的衰退が進み、全障連もまた、その生命力を失うに至った」「われわれは、いかなる困難な条件のもとでも、差別糾弾闘争を闘い、『障害者』の自立と解放の道を切り拓いていく」ことを宣言している。
結成大会は、全障連中四国ブロックの代表的人格であった西山和行氏の司会ではじまった。最初に、全障連東北ブロックの代表者であり、全国「障害者」解放運動共闘会議結成準備会の中心になって結成大会を準備してきた冨山哲夫氏が結成大会開会を宣言。
つづいて、全障連相談役の楠敏雄氏からのメッセージ(別掲)が読み上げられる。これは、楠氏からは、「『障害者』解放運動の地平と課題」と題する全「障」共結成に際しての記念講演をいただくことになっていたものが、楠氏が、「腎臓結石」の手術で入院中に、思わぬことに意識不明の重体となり生死の境をさまようほどの容態におちいったことによるものである。
各団体・個人からの発言が続く。「暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議(釜共闘)」で闘い、「全国『精神病』者集団」で闘いぬいていた鈴木国男氏が、大阪拘置所の保護房で虐殺されたことを胸に刻み込みながら闘いぬき、全「障」共に組織加盟を決めた「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」、「ボランティアサークル・清瀬」の在宅の「身体障害者」の仲間、同じく施設で暮らす「精神病者」であり「身体障害者」でもある仲間、「健常者」であるがこの「ボランティアサークル・清瀬」を中心になって推進してきた黒田憲氏、そして「刑法改悪阻止関東活動者会議(刑関活)」の「精神病者」の仲間が発言する。「刑関活」の仲間は、安井健彦氏の追悼文(別掲)を読み上げた。発言はさらに続く。仙台の「『障害者』の法的介護保障を求める会」の「身体障害者」の仲間、香川のまんのう裁判を支援する「健常者」の仲間、広島の「『障害者』解放を進める会」の「身体障害者」の仲間、福岡の「『障害者』解放をめざす会」の「視覚障害者」の仲間、そして最後に、沖縄の「精神病者」である大城良二氏が発言した。
結成宣言と規約(別掲)を採択し、全国幹事会の選出に入る。選出された役員は、議長に富山哲夫氏、副議長に大城良二氏、事務局長に西山和行氏、会計に黒田憲氏となっている。
「ブルジョア政府にエールを送る運動を突破し、資本主義社会の変革―普遍的人間解放の実現をとおした「障害者」解放を展望していく」と結成宣言で宣言したように、全「障」共は、4月1日の「障害者総合支援法」施行1ヵ年糾弾闘争を突破口に「障害者」解放運動の最前線に踊り出なければならない。
楠敏雄氏からのメッセージ
容態は良くなっておりますが、どうにも、約束が果たせなくなってしまいました。残念な気持ちでいっぱいであり、また、皆さんには大変申し訳なく思っています。
大会の成功と全「障」共の発展を、心より願っています。「障害者」解放に向けて、どうか、頑張ってください。私もあくまで共に闘いぬきます。
安井健彦氏を追悼する
刑法改悪阻止関東活動者会議
11月23日、報徳会宇都宮病院(宇都宮病院)の元入院患者であり、「宇都宮病院事件」の告発者である安井健彦氏が、虚血性心不全により、東京都目黒区内の自宅において逝去されました。1933年、岐阜県中津川市生まれ。享年80歳でした。
「入院患者と連帯し宇都宮病院を糾弾し解体する会」のメンバーが11月10日に会ったのが、われわれとの最後となりました。その日も安井氏は、「石川文之進(当時の病院長・理事長)だけは絶対に許さない」と語っておられました。まさに、死の直前まで闘い続けた人でありました。
安井氏は、1978年から1983年まで、「5年3ヵ月10日と2時間」(安井氏)にわたり、宇都宮病院に隔離・収容されました。そこで強いられた氏の過酷な体験や、石川らによる入院患者に対する虐待の実態は、氏の著作「悪魔の精神病棟―報徳会宇都宮病院」に詳しく述べられています。この病院で氏は、2人の入院患者の暴行・虐殺の事実をつかみます。1人は「飯がまずい」と言っただけで、もう1人は面会に来た家族に「ひどい病院だから早く退院させてくれ」と訴えただけで、看護人らから鉄パイプや木刀で暴行され、虐殺されたのです。
退院後の1984年3月、安井氏はこの事実を暴露しました。その命がけの告発は、日本はもとより世界的にも衝撃を与え、政府にも、「精神衛生法」を「精神保健福祉法」に代えざるを得ないほどの影響をもたらしました。われわれは、氏の闘いを力に、共に宇都宮病院を糾弾し解体する闘い、「精神衛生法」―「精神保健福祉法」下の精神医療と差別を糾弾し、「精神障害者」解放を切り拓く闘いを続けてきました。
安井氏は、宇都宮病院で受けた暴行による後遺症に悩まされながらも、体調の許す限り闘争に参加しては、宇都宮病院の実態、今日の精神医療の実態をくり返し暴露し、われわれに熱い檄を発していました。宇都宮病院が患者集めのために山谷労働者を刈り込んで、勝手に「精神病」と診断し入院させていた事実についても、怒りを込めて暴露していました。氏のその姿に共感し、決起した山谷労働者も多くいます。
今年7月、東京・小平市で行なわれた「心神喪失者等医療観察法」施行8ヵ年糾弾―対国立精神・神経医療研究センター(旧武蔵病院)闘争にも駆けつけてくれました。同月の宇都宮病院糾弾闘争では、「宇都宮病院が何で今も続いているのか。その理由は3つある。1つは社会がいまだに容認していること!
2つにカネの力! 最後に警察だ! このようなことを許している限り、宇都宮病院はいつまでも続く。こんなことが通用するかってんだ! みんな頑張ってくれ。1人でも頑張ってくれ」と参加者に熱く呼びかけ、集会とデモを共に闘いました。
安井氏は、全国「障害者」解放運動共闘会議に結集する意思を表明していました。結成大会を目前にしての逝去は、本当に残念でなりません。心から哀悼の意を表するとともに、氏の遺志を引き継ぎ、その怒りと闘いに応え、宇都宮病院を解体するまで、「障害者」解放の日まで闘いぬいていくことを決意し、追悼とします。
2013年12月22日
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