東北大学
12月16日午後6時半より、東北大学川内キャンパスにおいて、東北大社会科学系3団体(社会思想研究会、朝鮮史研究会、部落解放研究会)主催の反原発講演会が開催された。講演会は、参加した学生たちと講師の熱気で、成功裡にかちとられた。
冒頭の社会思想研究会の開会あいさつに続き、「原発の危険性と狙われる女川原発再稼動」と題する講演が行なわれた。講師として、東北大工学部原子核工学科出身の原子力研究者で、「仙台原子力問題研究グループ」の一員である篠原弘典氏が熱弁をふるった。
篠原氏は、「福島第一原発事故」と放射能汚染の現状を明らかにしていく。「『福島第一原発事故』の現状は、2年8ヵ月が経過した今でも、中の状況をいまだに確認できず、想像することしかできない」「最近になって、4号機の燃料プールに保管してある1500体もの燃料棒の取り出し作業が開始されているが、そもそも建屋の破壊が著しく、危険極まりない作業だ」「もともと福島第一原発のあたりに地下水が多いことは、建設当初からわかっており、そのうえで冷却作業のために水をかけ続けなければならず、汚染水が蓄積する一方となり、対策が後手後手に回ることになる」と、東京電力のお粗末さを明らかにした。
次に、放射能汚染について、その危険性を明確にする。「事故直後と比べると40パーセントほど減少しているものの、今後は半減期の関係からなかなか減らなくなること、甲状腺に蓄積されるヨウ素の影響でガン患者が増加するのは、1986年のチェルノブイリ原発事故の時でも4年後のことであったことから、今後の状況を注視する必要がある」「そもそも原子力発電そのものが、大量の放射能と崩壊熱を生み出す危険な存在であり、日本の原発では、既に広島型原爆120万発分の放射能が蓄積され、その最終処分方法も決まっていない。そもそも人類と原子力との関わりも、19世紀後半から開始された歴史の浅いものでしかなく、不明な点も多い。しかし、政府は『事故』以降、年間放射能被曝限度の数値を勝手に変更し、1ミリシーベルトを20ミリシーベルトにしている。こうして原発被害そのものを『なかったこと』にして、愛媛・伊方原発を皮切りに原発再稼動をしようとしている」と、政府の姿勢を強く批判した。
さらに女川原発について、「3年後の2016年の再稼動が語られているが、福島第一原発以上の強い揺れで、強いダメージを受けている」「原発労働者たちは、強い放射線を浴びて被曝労働をしなければならず、健康被害にさらされる。この労働者の実情を見すえながら、女川原発再稼動策動に対する粘り強い闘いを続けなければならない」と提起して、講演をしめくくった。
「独法化」をテコとした全国国公立大学での「改革」の攻撃は東北大をも覆い、「国家と企業に貢献する大学」への再編攻撃が進んでいる。特に革命的学生運動解体攻撃については、川内キャンパス内のいたるところに「政治セクトに注意」、「安易に署名に応じるな」、「学外者の勧誘活動禁止」なる貼り紙や看板を掲げ、弾圧姿勢をむき出しにしている。われわれはあらゆる規制強化を粉砕し、東北大の拠点化を何がなんでもやり切っていく決意である。
宇都宮大学
宇都宮大学では、11月23日から24日の2日間、「第六五回峰ヶ丘祭」が開催された。宇大新聞会は、その期間中の11月24日、学外の市民会場において、「反原発企画」として、「原発導入のシナリオ」「『大間原発』を問う地域住民」の2本立てによるDVD上映会を行なった。
1950年代、米帝の支援の下に、日帝が核武装を見据えて原発導入を強引に進めた過程を克明に暴いたドキュメンタリーである「原発導入のシナリオ」。地域で孤立を強いられながらも、大間原発建設を阻止するために苦闘する大間住民の格闘を取り上げたルポルタージュである「『大間原発』を問う地域住民」。新聞会は、日帝原子力政策の根幹には核武装の狙いがあることを暴き、そして新たな原発建設である大間原発の建設阻止闘争への結集を訴えていくものとして、今回の企画に取り組んだ。そのために新聞会は、企画当日までの期間、宇都宮市内や大学正門前での情宣活動を精力的に展開してきた。
国家権力―警視庁公安は、2011年12月、宇大で組織化にあたっていた同志に対して、「電子計算機使用詐欺」をデッチ上げ、不当逮捕した。これを受けて宇大当局は、警視庁公安と露骨に連携しながら、新聞会の「公認停止」、新聞会の破壊に踏み込んだ。今回の新聞会企画に際しても、「峰ヶ丘祭」当日に新聞会のメンバーが宇大正門前において情宣を開始するや否や、待ち構えていたかのように公安刑事が現れて、情宣活動の監視を始め、さらに間髪入れずに宇大当局が登場して、正門前路上での情宣活動にさえも執拗な妨害をくり返した。しかも、大学祭実行委員会のテントには、新聞会のビラが貼り付けられ、「大学とは無関係の団体」なる「警告」まで出されていた。大学祭実行委員会が、宇大当局の完全な手下に成り下がっているのだ。許しがたい。
新聞会は、国家権力と一体となった宇大当局による情宣への妨害を許さず、宇大正門前にくり返し登場して宇大生にビラを手渡し、「反原発企画」を貫徹した。
新聞会は、革命的学生運動の根絶を狙う国家権力、これと一体となって学生支配を強化し、新聞会潰しの攻撃を続ける宇大当局を許さず、闘う宇大生の組織化を推し進め、宇大学生運動の再生をかちとるべく奮闘している。
明治大学
11月1日から3日間、明治大学和泉キャンパスで、御用大学祭=「第129回明大祭」が開催された。これに対して明大学生会中執・学苑会中執は、初日の11月1日、「『明大祭』粉砕」を訴える情宣行動に決起した。
午前10時、「明大祭」が開会式を迎えるなか、京王線・明大前駅に学生会中執・学苑会中執の部隊が登場する。駅頭では「明大祭実行委員会」が道案内を行なっていたが、学生会中執・学苑会中執の登場で、一帯の空気は一変する。直ちにアジテーションを開始し、駅頭を通過する明大生に対するビラまきを行なった。道行く明大生は、情宣行動に注目し、次々にビラを受け取っていく。明大当局の規制や公安警察の監視―弾圧策動をものともせず、学生会中執・学苑会中執は、駅頭情宣をやりぬいた。
そもそも「明大祭」は、明大学生運動に対する解体攻撃の末に、2003年に当局主導で作られた御用大学祭であり、「第129回明大祭」なる名称自身が、詐称、僭称である。明大当局は、2003年に「大学祭実行委員会」を勝手に組織し、御用大学祭を新たに起ちあげた。しかも、駿河台地区での大学祭「駿台祭」を潰した上で、和泉地区の「和泉祭」に無理やり統合したのである。これが御用大学祭=「明大祭」の起源である。以降、11回を数えるだけの薄っぺらな代物に過ぎない。
言うまでもなくこの御用大学祭には、政治・社会の矛盾に正面から切り込む学生独自の文化・芸術・学問を創造しようという気概は皆無となっている。とりわけ、従来の大学祭で前面に掲げていた反戦・反差別の企画は、完全に抹消されている。そんな御用大学祭の精神は、企画にもハッキリと示されている。従来の自主大学祭の予算では到底実行不可能な企画がやたらと林立している。パンフレットの協賛には、大企業の社長や代議士らが軒並み名を連ねている。
明大当局は、現在でもキャンパスに監視カメラを設置し、ファシスト・ガードマンを常駐させ、「悪質な団体(政治セクト等を含む)の活動に注意を」「安易に署名に応じるな」なる呼びかけを続けている。そして、今なお自主的サークル活動への規制を強めている。気に食わないサークルに対する処分を乱発し、息もできないような閉塞状況を強制している。
「受験者数は日本一」なる「バブル」に浮かれる明大当局は、「世界へ! ―『個』を強め、世界をつなぎ、未来へ―」なる、どこまでも舞い上がったスローガンを新たに打ち出した。「人類の未来を見据えて、『世界へ』飛び立つ人材を育成する」と標榜して、日帝の世界戦略の尖兵となる人材育成をさらに進めようとしているのだ。
そのために当局は、「定額漸増制」による学費値上げをくり返し、さらに二部を廃止した。低所得者層の子供は来なくていい、と言うわけだ。そしてかき集めた学費や受験料を使って際限のない設備投資を続けているのである。明大資本は、国家とブルジョアジーに自らの存在意義を売り込もうと躍起である。いかなる困難があろうとも、当局の敵対、権力の弾圧を突破し、明大の反革命的再編を断ち切る革命的学生運動の前進を切り拓いていく決意だ。
駒沢大学
駒沢大学では11月4日午後3時から、大学近くの会場において自主駒沢祭企画として、社会福祉研究会主催の「障害者」解放企画がかちとられている。親の過干渉から決別し街に踏み出す「障害者」の格闘を描いたドラマ「車輪の一歩」のDVD上映を行なった。
駒大当局は、「社会福祉研究会は非公認サークルである」として、不当にも学内への立ち入りを禁止しているため、門外での情宣を余儀なくされてきた。学内では、公認サークルであっても、学生部への申請がなければポスターを貼ることも、ビラをまくこともできないという困難な状況が強いられている。駒大当局は、新入生の革命的学生運動への決起―合流はもとより、学生の自主的な活動そのものをキャンパスから一掃し、もの言わぬ学生、当局に従順な学生を育成しようとしているのだ。駒沢大学駅から大学にいたる道々に「駒沢大学」の腕章をしたガードマンを配置し、登下校の時間帯には、日頃閉鎖されている裏側の門を出入りするよう、ガードマンが誘導している。学生の一挙手一投足を監視し、管理・統制を強化しているのだ。
今回の「障害者」解放企画は、11月2日〜3日に駒沢キャンパスで行なわれた駒大当局主導の御用学園祭=「駒沢大学オータムフェスティバル2013」に対抗してかちとられた。駒大当局は、2004年、反戦・反差別を掲げて行なわれてきた学生の自主的祭典である「駒沢祭」を、大学祭実行委員会の「準備不足」を口実に「中止」に追い込んだ。さらに2005年以降、学生への管理強化―革命的学生運動解体攻撃の一環として、御用大学祭=「オータムフェスティバル」を開催してきたのである。それは今回で9回目となる。2004年以降、新歓でのビラ、ポスターの検閲が行なわれ、日常的な学生に対する管理支配は強化される一方である。
今年の「オータムフェスティバル」は、「開かれた大学」を演出するために、キャンパスの軒先には出店が並んだが、サークル活動への規制・統制を強化した上での御用大学祭であるがゆえに、教員が主導したゼミ生の参加でようやく持ちこたえているだけであり、内容的にも見るべきものは皆無という代物だ。その「埋め合わせ」のつもりなのだろうか、今年も、「ミス駒沢コンテスト」なる女性差別企画が開催され、インターネットをも使った宣伝がさかんに行なわれた。これが、学生運動禁圧の果てに行なわれる大学祭の典型的な姿だ。
このような閉塞と腐敗の状況を食い破る〈戦時下の新たな革命的学生運動〉の創出を、何としても駒大から成し遂げていかなければならない。駒大当局の管理支配体制強化―革命的学生運動解体攻撃と対決し、闘う学生を組織し、自主大学祭=「駒沢祭」の再生をかちとるべく、奮闘していかねばならない。
千葉大学
千葉大学では、10月31日〜11月3日、西千葉キャンパスで「第五一回千葉大祭」が開かれた。その期間中の11月3日、医療問題研究会が、学外の市民会場において、「障害者」解放企画として、『車輪の一歩』DVD上映会を行なった。1970年代の「障害者」解放運動の勃興期を反映し、「障害者」の自立に焦点を当てたドラマである。医療問題研究会は、革命的「障害者」解放運動への決起を提起していくものとして、今回の企画に取り組んだ。
千葉大当局は、医療問題研究会に対する排除攻撃を続け、千葉大では、南門付近での勧誘活動ですら当局職員やガードマンが出てきて逐一監視するという状況が続いている。そんな厳しい条件の下ではあったが、医療問題研究会は、「千葉大祭」期間中、千葉大生や大学祭参加者に対する情宣を粘り強くやりぬいた。その上でこの日の上映会をやりぬいたのだ。
千葉大当局は、日常的に「公認サークル以外の勧誘に気をつけろ」「安易に署名に応じるな」とするポスターを学内に張り巡らすなど、課外活動に対する管理・統制を強めている。大学祭や新歓活動についても、学生の実行委員会があるものの、当局の下請け機関に成り下がっている現状である。千葉大当局によるサークル活動への規制強化を跳ね返していかなければならない。当局の妨害を打ち破り、医療問題研究会の強化に向けてさらに奮闘していく。
日共・民青との競合にかちきり、〈戦時下の新たな革命的学生運動〉の台頭を、千葉大から切り拓いていく決意だ。
福井大学
11月29日、福井大学社会思想研究会は、全国の大学祭闘争の一環として、地元福井で反原発闘争を闘う若泉政人氏を講師に招き、大学近くの市民会場で反原発講演・学習会を開催した。これに先立ち、社会思想研究会の学生は、福井大生に対してこの企画への参加を呼びかける情宣を意欲的に展開した。
講演・学習会は、「福井の地から全国の闘いに思いをはせる〜西川福井県政への闘いから見えてくるもの〜」と題して行なわれた。社会思想研究会の学生による主催者あいさつの後、講師のプロフィール紹介を行ない、講演がスタートする。
若泉氏ははじめに、「2012年7月の大飯原発3、4号機の再稼働後、県行政のトップとして再稼働を推進した知事・西川の責任を追及する闘いとして、福井県庁前アピールと県庁一周デモを、毎週金曜日の定例行動で続けている。行動には県内のみならず県外からも応援の人が来てくれている。その取り組みは、福井県内の闘いを県外の人に発信していく役割もある」と定例行動の意義を明らかにした。
講演は本題に移っていく。さる10月7日、福井県は、国際原子力機関(IAEA)と、「原子力の人材育成に関する覚書」を交わした。知事・西川とIAEA事務局長・天野が署名した。氏の話は、この覚書の批判を軸に進められていく。
まず第1に、この覚書の目的は「放射線利用に関する人材育成・共同研究の協力」とされており、「原発を導入しようとしているベトナムなど東南アジアから中東までの国々から研修生を受け入れるという、日帝の原発輸出に沿ったもの」であるとしたうえで第2に、「IAEAは住民の命には関心を持っていない。そんなIAEAと福井県が覚書を交わすというのは、将来の福井や日本に住む人たち、世界中の人たちの命を『原子力利用』のために売り渡すことと同じなのではないか」と西川県政を厳しく批判し、第3の問題として、「人材育成計画」なるものが高速増殖炉原型炉「もんじゅ」を存続させる目的であることも強調した。
さらに氏は、今回の覚書締結の前段階として、福井県が2005年に「エネルギー研究開発拠点化計画」を策定したことに言及し、福井大が2009年に開設した「国際原子力工学研究所」は、これに呼応するものだと指摘し、福井大での闘いの重要性を提起した。
講演・学習会を通して、日帝の原子力政策に積極的に寄与しようという福井大の姿勢があらため浮き彫りになった。福井大は、学長自らが「国のエネルギー政策はまだ不確定。東南アジアでは原発の建設ラッシュが続き、日本の持つ知識や技術が必要とされている。県や国への提言など使命を果たしていきたい」と発言するほど、原子力政策の尖兵役を買って出ている大学だ。しかも、福島での「除染ボランティア募集」だけに飽き足らず、覚書締結後に行なわれたIAEA事務局長・天野の講演会には、福井大生を多数動員している。
社会思想研究会は、「原発銀座・福井」の地で反原発闘争を断固担いぬく。福井地元で反原発闘争を闘う諸人士との連帯を深め、高速増殖炉「もんじゅ」の廃止、大飯原発、高浜原発の再稼働阻止の闘いの大爆発をかちとる。その闘いへの福井大生の決起を全力で推し進める決意である。
関西大学
「『障害者』の解放をめざす会」は、関西大学学生に「障害者」解放運動への決起を呼びかけるべく、企画を行なった。11月11日、吹田市立勤労者会館にて、DVD「こんちくしょう―障害者自立生活運動の先駆者たち」の上映と、全障連に結集し地域で自立生活を送る「障害者」を囲んだ懇談会を行なった。
DVD上映に続く懇談会では、「障害者」が、自身の生い立ちと教育から排除されてきた体験、そしていかに多くの「障害者」が社会から排除され抹殺されてきたかを怒りを込めて明らかにし、「私が目指すのは『障害』からの解放ではなく、差別からの解放だ」と語った。さらに、「今年4月、『障害者総合支援法』が施行されたが、これは『障害者自立支援法』を一部『見直し』ただけで、あとは法律のタイトルを付け換えただけのものだ。この法律を貫くものは介護の商品化であり、それは『障害者』と介護者との間に資本を介在させることで、介護を資本による利潤追求の手段にするものだ。その必然的帰結として、『障害者』と『健常者』の〈共闘・共生〉を奪い、破壊し、『障害者』解放の闘いを解体していくものだ。現在もなお、介護の商品化のもとで、自立と解放の条件が奪われている」とし、「『障害者総合支援法』を糾弾し、その撤廃をかちとるとめに、一緒に行動しよう」と呼びかけた。
安倍極右政府のもとで、優生思想の強化がもくろまれている。「安楽死・尊厳死」法制化をはじめとする優生思想の強化を許してはならない。全国「障害者」解放運動共闘会議(全「障」共)の結成を力に、全障連運動の歴史的地平を革命的に継承・発展させ、「障害者」解放運動の飛躍をかちとろう。
世界大恐慌爆発情勢の深化と戦時国家体制形成の攻撃の中で、学生は資本への貢献度を日々競わされている。しかしだからこそ、闘う条件さえあれば学生は必ずや決起する。学生に闘う場所と手段を指し示すことが、われわれの責務だ。〈戦時下の新たな革命的学生運動〉の全面展開で、闘う関大生の一人も漏らさぬ組織化をかちとっていく決意だ。
徳島大学
徳島大学では、11月2日〜4日の3日間、「常三島祭」が行われた。
徳大新聞会の学生は、3日間にわたり、「反戦・反核パネル展」を開催した。この企画には、多くの学生や労働者が来場した。パネルでは、安倍政府が未だかつてない勢いで、戦争準備に突き進んでいることを暴露した。「敵基地攻撃能力の保有」や「海兵隊的機能の整備」を盛った新たな「防衛大綱」が年末にも閣議決定されようとしている動きや、沖縄へのオスプレイ追加配備、名護新基地建設などの〈基地・沖縄〉の再編・強化の動き、そして「集団的自衛権の行使」容認から改憲―核武装へ向けた突撃などを取り上げ、徳大生に革命的反戦闘争への決起を呼びかけていった。
また部落解放研究会の学生も、同じく3日間、「狭山パネル展」を開催して、第3次再審闘争の勝利へ向け、狭山闘争に決起していくことを訴えるパネル展示を行なった。来場者から、狭山差別裁判への怒りが沸き起こる。
11月3日には、文化団体連合会の主催で、「伊方原発反対・八西連絡協議会」の近藤誠氏を講師に招き、「原発はどう造られたのか―伊方原発に反対して40年」という演題で、反原発講演会が開催された。近藤氏は、住民の意見なぞ最初から無視して、強引に原発が造られてきた経緯を話された。「原発とは一言も言わずに、発電所の予定地だ」とだましたり、「いま土地を売らなければ、どうせいつかは強制収用で取られるよ、今の値段で提示されているぶんで応じなければ、本当に損するよ、困るよ」と脅して用地買収を進めたこと、「四国電力・愛媛県・伊方町・警察が一体となり、反対派住民を精神的にも経済的にも追いつめ孤立させてきた」こと、「反対決議が一度は上がった漁協の総会で、休憩に合わせて採決が強行された」こと、住民たちが起こした訴訟でも、「原子力は絶対であるという考え方が司法の中にもあったので、住民の証言は信用されず、住民は十分に内容を知った上で契約したと裁判所が認めて、結局、土地を取られることになった」ことなど、当時の経緯を具体的に語られた。逮捕も経験した40年以上にわたる講師の反原発運動の経験は、国策―原発への怒りなしには聞くことはできない。最後に近藤氏は、毎月11日の伊方原発ゲート前での座り込み行動を紹介し、学生の参加を熱く訴えた。
伊方原発の再稼働阻止、伊方原発の廃止の闘いへの徳大からの大量の決起を実現していかねばならない。伊方現地における実力闘争を担う徳大生の組織化を何としてもやり切っていかねばならない。この闘いを基軸に、徳大における革命的学生運動の巨大な隊列を建設していく決意だ。
九州大学
九州大学では、7度目の御用大学祭―「九大祭」が11月23日から2日間にわたって行なわれた。「九大祭実行委員会」は2007年度以降、学生による選出ではなく、大学当局によって担い手が指定されて結成されている。2年前に「実行委員会」が、「授業時間の確保のため」という当局の意向をそのまま呑んだため、実施期間が丸1日以上短縮され、2日間だけの開催に切り縮められて現在に至っている。「従来の日数の維持」を望む文化系サークルを中心とした学生たちの声は、当局にも「実行委員会」にも、聞き入れられなかった。
この御用「九大祭」の実態は、「ミスコン」「ミスターコン」が今や「恒例」となってしまったことに象徴されるように、学生の視点から社会の不正・腐敗を批判するどころか、むしろこれらを助長する方向へと向かっている。学生の承認なしに結成された「実行委員会」に、学生の総意に立つことなぞできはしない。学生を統制し、批判の精神を潰し、腐敗を満開させるだけだ。御用「九大祭」を許さず、九大祭を学生のもとに取り戻さねばならない。「『障害者』の解放をめざす会」は、その熱意のもとに、御用「九大祭」に対抗して独自企画に取り組んだ。
「めざす会」は、11月23日、伊都キャンパスの最寄り駅にある市民会場において、地域で自立生活を営む「障害者」を講師に招き、公開学習会を行なった。これに先立ち、伊都キャンパスや駅頭で学生たちに参加を呼びかけた。
学習会は、九大生の参加を得て、「共に生きる会」のメンバーの司会で始まった。
最初に、「めざす会」についての説明と講師の紹介が行なわれた。講師は、30年にわたり、「脳性マヒ者」として自立生活を営んでおり、2年前に、旧友や学生らとともにアフリカ・タンザニアを旅している。「障害者」福祉制度のほとんどない国で、「障害者」がどんな暮らしをしているのかを知るためだ。学習会では、訪問先現地で撮影された映像を観た後、活発な議論が行なわれた。
「日本では『障害者』福祉制度拡充のためということで、多くの『障害者』や支援関係者が、『福祉制度が進んでいる』と言われる欧米に学ぼうと、海外へ赴くことが多い。しかし欧米が『進んでいる』と言われていようと、そこにも能力主義による差別・選別が厳然として存在することに、ずっと疑問を抱いていた」と、講師は言う。また、「地域社会で『障害者』が生活するために、必要な制度はあるにせよ、制度を利用するかどうかは本来個々人が決めることであり、制度を利用しないと『障害者』は生きていけないというのは、社会のあり方としておかしいのではないか」と提起した。
「めざす会」は今後も、「障害者」差別と闘い、「障害者」と「健常者」の〈共闘・共生〉を実現する運動の意義を学生に粘り強く訴えながら、九大学生運動の戦闘的革命的再生に向かって奮闘する決意だ。
沖縄大学
沖縄大学では、11月3日から4日にかけて「第54回沖大祭」が開催された。今年は、露骨な恫喝をもって名護新基地建設をゴリ押しする自民党・安倍政府への怒りが渦巻く中での開催となった。だが「沖大祭」は、この緊迫する状況とは無関係だった。社会の矛盾をつき出しその根本的解決を探るといった企画は見当たらず、お遊び企画ばかりが立ち並んだ。これでテーマは「地参地笑」というのだから恥ずかしい限りだ。学生参加が減り、大学祭の熱気が萎むのも無理はない。運営も人手不足なのだろう、これまで参加団体で担ってきた駐車場警備を、今年は「学生課」が「学生アルバイト募集」のポスターを貼り出して募集し対処するという状況である。見学する市民の姿もパラパラだ。ステージでの「客寄せ」企画の効果もなく、「沖大祭」は、ただ身内で「カラオケ」や「ビンゴゲーム」を楽しむだけの「戯れ」と化してしまった。
こうした流れに抗して、この間ねばり強く〈基地・沖縄〉の現状変革を呼びかけてきた社会思想研究会は、11月4日、市民会場において「辺野古―過去・現在・未来」と題する公開学習会を開催した。社思研は、各種資料を持ち寄って沖縄戦以後の辺野古の歴史をたどり、問題を提起した。「辺野古住民を先頭に、闘う沖縄労働者人民は反戦・反基地の大きなうねりをつくり出した。怒りは爆発寸前にまで蓄積している。学生もこの怒りと闘いを共有して起ち上がろう」と提起した。また、2004年からの辺野古現地における海上阻止闘争に決起した学生のインタビューを題材として、体を張った闘いの意義、実力闘争で闘うことの意義を明らかにした。辺野古の闘いの蓄積は、普天間基地解体・名護新基地建設阻止の勝利のために、何度でも立ち返らねばならない重要な教訓に富んでいる。討論は熱を帯びた。
闘う沖縄労働者人民は、安倍極右政府と国家権力の横暴に怒り、闘いへの情熱にあふれる学生の決起を渇望している。反戦・反基地闘争の飛躍にとって、自ら身体を張って闘う大量の革命的学生の登場は焦眉の課題だ。われわれはこの課題に応え切るべく、闘う学生の組織化を全力で推し進め、沖大学生運動の再建をかちとっていく決意だ。
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