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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

安井健彦氏を追悼する (1084号16面)

                      刑法改悪阻止関東活動者会議

 11月23日、報徳会宇都宮病院(宇都宮病院)の元入院患者であり、「宇都宮病院事件」の告発者である安井健彦氏が、虚血性心不全により、東京都目黒区内の自宅において逝去された。1933年、岐阜県中津川市生まれ。享年80歳。

 「入院患者と連帯し宇都宮病院を糾弾し解体する会」のメンバーが11月10日に会ったのが、われわれとの最後となった。その日も安井氏は、「石川文之進(当時の病院長・理事長)だけは絶対に許さない」と語っておられた。まさに、死の直前まで闘い続けた人であった。

 安井氏は、1978年から1983年まで、「5年3ヵ月10日と2時間」(安井氏)にわたり、宇都宮病院に隔離・収容された。そこで強いられた氏の過酷な体験や、石川らによる入院患者に対する虐待の実態は、氏の著作『悪魔の精神病棟―報徳会宇都宮病院』に詳しい。この病院で氏は、2人の入院患者の暴行・虐殺の事実をつかむ。1人は「飯がまずい」と言っただけで、もう1人は面会に来た家族に「ひどい病院だから早く退院させてくれ」と訴えただけで、看護人らから鉄パイプや木刀で暴行され、虐殺されたのである。

 退院後の1984年3月、安井氏はこの事実を暴露する。その命がけの告発は、日本はもとより世界的にも衝撃を与え、政府にも、「精神衛生法」を「精神保健福祉法」に代えざるを得ないほどの影響をもたらした。われわれは、氏の闘いを力に、共に宇都宮病院を糾弾し解体する闘い、「精神衛生法」―「精神保健福祉法」下の精神医療と差別を糾弾し、「精神障害者」解放を切り拓く闘いを続けてきた。

 安井氏は、宇都宮病院で受けた暴行による後遺症に悩まされながらも、体調の許す限り闘争に参加しては、宇都宮病院の実態、今日の精神医療の実態をくり返し暴露し、われわれに熱い檄を発していた。宇都宮病院が患者集めのために山谷労働者を刈り込んで、勝手に「精神病」と診断し入院させていた事実を、怒りを込めて暴露する氏の姿に共感し、決起した山谷労働者も多い。

 今年7月、東京・小平市で行なわれた「心神喪失者等医療観察法」施行8ヵ年糾弾―対国立精神・神経医療研究センター(旧武蔵病院)闘争にも駆けつけてくれた。同月の宇都宮病院糾弾闘争では、「宇都宮病院が何で今も続いているのか。その理由は3つある。1つは社会がいまだに容認していること! 2つにカネの力! 最後に警察だ! このようなことを許している限り、宇都宮病院はいつまでも続く。こんなことが通用するかってんだ! みんな頑張ってくれ。1人でも頑張ってくれ」と参加者に熱く呼びかけ、集会とデモを共に闘った。

 安井氏は、全国「障害者」解放運動共闘会議に結集する意思を表明していた。結成大会を目前にしての逝去は、本当に残念でならない。心から哀悼の意を表するとともに、氏の遺志を引き継ぎ、その怒りと闘いに応え、宇都宮病院を解体するまで、「障害者」解放の日まで闘いぬいていくことを決意し、追悼とする。