8月13日から15日までの3日間、福岡・築港日雇労働組合を軸とする福岡日雇い団結夏祭り実行委員会の手によって、博多駅前の明治公園において、団結夏祭りが開催された。今年の夏祭りは、「失業に負けるな!
夏の暑さにも負けるな! 力を合わせて生きぬこう」をメイン・スローガンに闘いぬかれた。
会場の設営から撤収までの作業や、洗い場や警備などの実行委員会の各班には、4年半余りにわたる「仕事よこせ」の対市役所行動に関わってきた仲間たちをはじめ、多くの日雇い・野宿の労働者が積極的に参加した。新たに野宿を強いられた労働者も多く参加した。生活保護をとっている仲間たちも参加した。これらの仲間たちがさまざまな催しに参加することによって、活気ある夏祭りがかちとられた。また、反原発運動に関わる労働者や市民など、多くの人々が支援に加わり、設営をはじめ、炊事、洗い場などの仕事を担ってくれた。「一人の野垂れ死にも許すな」と、労働者自身の手で仲間の命を守りぬくこの取り組みには、多くの労働者人民の共感が集まり、多くの資金と物資のカンパも寄せられた。こうした力で、夏祭りの成功はかちとられた。
「大恐慌時代の再来」が叫ばれ、安倍極右政府のもとで朝鮮反革命戦争の危機が急速に煮詰まるなか、労働者の労働と生活をめぐる状況はますます厳しくなる一方だ。「アベノミクス」なるものがしきりに語られているが、いくら「景気回復」のムードが煽られようとも、実際には、「非正規雇用」の労働者が増大し、賃金は下がり続け、失業者は増え、労働者への競争と切り捨て、タダ働きと過労死の押しつけが強まっている。円安で潤ったのは一握りの輸出産業だけであり、労働者人民には生活必需品の値上がりがもたらされ、消費税の増税まで襲いかかろうとしている。
福岡における日雇い・野宿の労働者の状況も、ますます厳しいものとなっている。築港の寄せ場では、朝の5時から立っても、業者が来ない日々が続いている。仕事がない日雇い・野宿の労働者の足元を見て、人夫出しの手配師が公園などで、「福島原発事故処理の仕事」などの声をかけてくる。
仕事のない多くの仲間たちが、アルミ缶を集めて辛うじて命をつないでいる。それがほとんど唯一の現金収入の道であるからだ。ところが福岡市はこの夏、アルミ缶を集めることを「資源物持ち去り」と言いなし、「犯罪行為」であるかのごとく決めつけて、来年度から「条例」で取り締まることを打ち出している。「生活保護より仕事がほしい」「体が動くうちは働いて生活したい」―これが圧倒的多数の労働者の声だ。これを受けて福日労は、4年半余りにわたって毎週のように市役所に押しかけ、「仕事よこせ」の対市役所行動を続けてきた。こうした要求を無視して仕事も出さず、「条例」でアルミ缶回収まで禁止しようという福岡市の姿勢は、仲間たちに「野垂れ死ね」と言うに等しい暴挙だ。
労働者を使い捨てにし、野垂れ死にを押しつける資本家どもと政府は、労働者の不満を戦争で外にそらそうと躍起になっている。やつらが原発にこだわるのも核武装のためだ。反戦の闘いを強め、こんな政府をぶっ倒し、資本主義社会を葬り去らないかぎり、労働者に未来はない。反戦と「仕事よこせ」の闘いの前進をかちとっていかなければならない。今回の夏祭りでは、政府―厚生労働省の出先機関である福岡労働局に対するデモと要求書の提出が行なわれた。後日、これへの回答をめぐって、福日労と労働局との交渉が持たれる予定だ。民間企業による首切りが強められるなか、「民間企業における雇用の拡充を促進する。失業対策事業の方式はとらない」と言い続ける政府の労働行政に対して、さらなる闘いを叩きつけていかなければならない。「民間における雇用の拡充」なぞまったく期待できないなかで、「原発労働があるではないか」という居直りを、絶対に許してはならない。被災労働者をはじめとして、全国で失業に呻吟する労働者の先頭に起って、寄せ場―日雇い労働運動こそが、仕事をかちとる闘いの大爆発を切り拓いていかなければならない。
〈一日目〉
8月13日、朝六時の集合時刻には、すでにたくさんの日雇い・野宿の仲間が集まっている。軍手とタオルが手渡され、全員そろってのあいさつと打ち合わせを済ませたら、さっそく作業開始だ。朝食ができる頃にはすべてのテントが建ち、パレットも布団も敷かれている。会場の中にも外にも、団結夏祭りの開催を告げる横断幕が張られた。例年以上の猛暑のなか、仲間たちは力を合わせて作業を進め、会場の形は早くから整った。
昼食の後、突入集会が開始され、夏祭りの幕が切って落とされた。実行委員会の各班からの決意表明が行なわれる。企画・進行班の仲間が発言のトップに立ち、「猛暑のなかですが、進行に全力を尽くしますので、ご協力をよろしくお願いいたします」。続いて、物資・運搬班の仲間が、「8月10日から3日間、物資・運搬班として準備をがんばってきました。片付けの時も一生けんめいやります」。洗い場班の仲間は3人登壇した。「洗い物がどれだけあっても、くじけずにやっていきます」。最もきつい仕事を、こうした仲間たちがやってくれることに、惜しみのない拍手が沸き起こった。警備班の仲間からの「夜も、朝もがんばります。くれぐれも警備班のお世話になって、退場にならないように」との発言には大きな笑いが起こる。本部の仲間からは、「あいさつがわりに注意事項を連絡させていただきます」と、さまざまな注意事項やルールなどが提起された。炊事班、労働・生活・医療相談班の仲間たちも、散髪を担当している仲間たちも元気に発言した。そして、実行委員長の「3日間、事故もなく、ケンカもなく、楽しく意義ある夏祭りにするために、よろしくお願いします」の言葉でしめくくられた。最後は、福日労のテーマソングである「燃えよ福日労」の大合唱で集会を終えていった。
夕食の後には、夏祭りの総決起集会だ。全国の寄せ場でも夏祭りが取り組まれていることが紹介され、連帯メッセージが読み上げられる。東京・山谷日雇労働組合からは、「アブレが続き、熱中症に悩まされる夏に、さらに追い討ちをかけるのが安倍極右政府による悪政だ。朝鮮反革命戦争とファシズムの道を断ち切るために、『反戦・仕事よこせ』の闘いをいっそう前進させよう」。「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」からは、「俺たちは『生きんがための闘い』をやっているのだ。正義の闘いだ。ポリ公、ヤー公、右翼ファシストの敵対を粉砕し、これからも団結して闘っていこう」。沖縄・首里日雇労働組合からは、「沖縄では、普天間基地へのオスプレイ追加配備に対する怒りが燃え広がっている。結集した仲間たちは今、『沖縄から日本の政治を変える』気概をもって、身一つで身体ごとぶつかっていくような実力闘争を展開している。ともに闘おう」。福岡の教育労働者からは、「『暑さ』を団結の熱さ、人の情けの厚さに変えながら、この最も厳しい時代に、誇りうる夏の歴史を新たに刻んでください。教職員の仲間とともに心から応援しております」というメッセージが寄せられた。続いて実行委員会を代表して、福日労の仲間から、今年の団結夏祭りの基調が提起された。「夏祭りを労働者自身の手で作り上げよう」「『仕事よこせ』の闘いの前進をかちとろう」「反戦の声と闘いを強めよう」という提起を、全体の盛大な拍手で確認していった。
カラオケ大会に続いて、「漁師だけの問題じゃない! ―原発建設に抵抗する祝島の人々」の上映や娯楽映画の上映で夜も更け、10時の就寝時間となる。その後は多くの労働者が不寝番を担った。
〈二日目〉
午前中、皆がゲームに興じている最中に、夏祭りの妨害だけが目的のニセ「福日労」=ゴロツキ組合によるデモが明治公園近くまでやってきた。もちろん妨害などできるはずもない。わずかばかりのゴロツキに「社会党」(旧ハザマ私兵グループ)の水増し要員がくっついた、いつもながらのショボクレデモだ。3倍する数の労働者でこのデモを「お出迎え」してやったのに、シュプレヒコールの声すらまともに聞こえて来ない。どいつもこいつも、横断幕や旗を気だるそうに肩に担いで寝かせたまま、足取り重く通り過ぎてゆく。まるで敗残兵の撤退行列だ。これを見た労働者たちからは、「しょぼかねえ」という失笑や、はたまた「元気を出さんかー」というヤジまで起こる始末だ。「ゴロツキ組合を追い返したぞー」という歓声を上げた仲間たちは、「ワッショイ、ワッショイ」のかけ声で、意気揚々と明治公園に引き揚げた。
その後、衣類放出が行なわれ、仲間たちは新しい衣類に着替えた。夕食前の労働者交流会では、前日のアンケート結果が発表された。回答した仲間の半数近く(約46パーセント)が野宿をしており、23パーセントが生活保護を受給している仲間たちである。あとは、年金や日雇い仕事などと様々である。「生活保護より仕事がほしい」という声は、全体の53パーセントに上っている。他方、生活保護を受給している仲間からは、「生活保護を続けたい」との回答が多く寄せられている。政府、自治体がこの8月から生活保護費の削減を行ない、受給する仲間たちに対して「仕事を探せ、さもなくば保護を打ち切るぞ」と脅すだけの施策を続けているからだ。福岡市のアルミ缶の回収を「条例」で禁止するという暴挙に対しては、ある労働者から「アルミ缶回収で生活している仲間たちから条例反対の署名を集めたらどうか」という提案があったことも報告された。最後に、「仕事よこせ」の闘いがますます重要であることが確認され、次の日の福岡労働局に対するデモが呼びかけられた。
夕食後は、三味線の演奏で独特の歌をうたう「ベンテンズ」の恒例のライブだ。労働者が太鼓を叩き、いっしょに歌を歌い、会場を爆笑の渦に巻き込んで、文字通りの「抱腹絶倒ライブ」となった。
〈三日目〉
朝食をすませ、さっそく「仕事よこせ」の対労働局デモだ。暑い日差しに負けず、「仕事よこせ」「労働局追及」と、若い仲間たちも年をとった仲間たちも、元気良く一生懸命に声を張り上げて、福岡労働局が入っている合同庁舎を目指す。合同庁舎に着くと、全体で「福岡労働局は仕事を作れ」「失業・野宿の押しつけを許さんぞ」「国は責任を取れ」と、何度もシュプレヒコールを叩きつけた。労働局の役人に、夏祭り参加者の総意として「公的就労対策事業の実施を求める要求書」を手渡す。その後、労働者たちは再び福岡の街をデモ行進して、明治公園に帰った。
昼食の後には、「労働・生活・医療の大相談会」が行なわれた。歯科医師や歯学関係の方々からは、「皆さん、いきなり歯を抜いたりしませんから、心配しないでぜひ相談してください」。看護師からは、「健康上、心配事のある人もない人も是非来てください。血圧測定だけでもこの機会に」。司法書士からは、「生活保護のこと、借金のことなど、悩みがある方の相談をお受けします」。さらには、マッサージや整体師による施術コーナーも設けられ、呼びかけがなされた。歯科相談には28人、医療相談には25人、整体とマッサージには20人と、多くの仲間が行列を作って相談に訪れた。
午後4時からは、恒例の「福日みこし」が始まる。ハッピ姿にねじり鉢巻の十数人の仲間たちが福日労ののぼりが立ったみこしを担ぎ、「わっしょい、わっしょい」と威勢のいいかけ声で、会場内を練り歩き、そして駆け回る。洗い場班の仲間たちが、バケツやホースで思いっきりこれに水をかけていく。全員ずぶ濡れに、会場は大盛り上がりだ。爆笑と温かい野次に包まれてみこしが会場を沸かせた。
夕食時には、これまたお馴染みの米国人プロ・ミュージシャンによる「ジャズ&ボサノバコンサート」が行なわれた。夕暮れ時から夜のとばりが下りるまで、心地よい演奏は続けられた。夜は、在沖米軍のオスプレイのためのヘリパッド建設に反対する東村・高江の住民の七年間を追いかけたドキュメンタリー作品である「標的の村」などが上映された。
翌日の片付けにも、50人もの仲間たちが参加し、作業に汗を流した。こうして、2013年福岡日雇い団結夏祭りは、大成功のうちに幕を閉じた。
夏祭り後の8月19日、福岡市は「アルミ缶回収禁止条例」を制定することを決定したが、福日労に結集する労働者たちは「おれたちを殺す気か」と怒りに燃えて、これを阻止する闘いを準備している。労働者たちは、仲間たちの闘志と笑顔の絶えない夏祭りで打ち固めた団結を武器に、「反戦・仕事よこせ」の闘いのさらなる前進をかちとっていく決意に燃えている。
8・15「暑気払い団結・交流会」を開催 〈沖縄・首里〉
8月15日、沖縄・首里日雇労働組合は「暑気払い団結・交流会」を開催した。
8月に入り、沖日労はオスプレイ追加配備阻止闘争を全力で取り組んできた。普天間基地野嵩ゲート前闘争に結集し、実力攻防を担ってきた。寄せ場の仲間からは「ぜひゲート前闘争に行ってみたい」と声があがるなど、日雇い・寄せ場の仲間から沖日労の闘いに多くの注目が集まった。こうした闘いの只中、沖日労は闘いの現場と首里の寄せ場を行き来し、よりいっそうの組織化と団結を強化するため「交流会」の準備に奔走した。
「交流会」は、この間の闘争を中心的に担ってきた首里寄せ場のメンバーをはじめ新たな仲間も参加し、にぎやかな催しとなった。午後7時、沖日労の仲間が司会に立ち開会が宣言された。全国寄せ場から寄せられた連帯メッセージが読み上げられ、各地の闘いと沖縄の闘いが密接につながっていることが再確認された。とりわけ、福日労から寄せられた「仲間たちの唯一の収入源であるアルミ缶の回収を、『条例』で禁止しようという動きが強まっています」という報告に仲間たちの関心が集まった。首里の寄せ場は今のところ比較的仕事が出ているが、いつ切れるか分からない。「唯一の収入源」を禁止されれば生きる術がなくなる。決して他人ごとではないのである。最後に、「沖縄からはオスプレイ追加配備阻止闘争が盛り上がっていること、安倍政府への怒りが充満していることを全国寄せ場に発信している。全国の寄せ場労働者と連帯し闘おう」とまとめられた。
開始当初は結集するメンバーが少なく緊張した空気に包まれていたが、仕事を終えた仲間たちが徐々に集まり出すと、われ先にとあいさつが飛びだすほどにぎわった。ある仲間は、「寄せ場の仲間はいろいろ事情があって集まってきている。それでもお互い団結して生きぬくことが大切だ」と真剣に語った。ふだんは仕事現場での様子など口にしない仲間たちであるが、「ここに集まったメンバーは一生懸命仕事をして仲間思いだ。現場でも信頼されている」と紹介されると、「明日からも寄せ場で声をかけ合いがんばろう」と語りあった。また年配の労働者は、「いま首里城のある場所に琉球大学が建っていた頃、男子寮前に立つ学生を業者が連れていくようになったのが寄せ場の始まりだ」と、当時の喧騒などを生き生きと語った。
夜も更けてくると、政府や基地への怒りも口を継いだ。「基地やオスプレイを押しつける安倍政府は許せない。嘉手納基地を爆破してやりたいくらいの思いはもっている」「『アベノミクス』なんて誰も信用してない。生活は悪くなるばかりだ」「下地幹郎のように政府の顔色ばかりうかがっているような政治家はダメだ」「沖日労が寄せ場で配っているビラは毎回読んでいる。闘いは必要だ。例え小さくてもボディ・ブローのように効いてくる」。真剣な討論の輪も拡がった。
最後に組合の仲間が、「いつも感謝の気持ちを忘れず、明日からまた寄せ場で声をかけ合っていこう。これからも組合の催しがある時は協力して下さい」と呼びかけると、温かい拍手に包まれた。
沖日労は、新たな仲間も迎えながら着実に組合運動の前進をかちとっている。何より、仲間たちの熱い期待が寄せられている。さまざまな課題もあるが、「交流会」で仲間たちから寄せられた要望に対応しつつ、さらなる闘いを構築していく決意である。全国寄せ場の闘いと結びつき、「反戦・仕事よこせ」の闘いの飛躍を切り拓くため奮闘する。
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