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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

7・7「心神喪失者等医療観察法」施行8ヵ年糾弾
対国立精神・神経医療研究センターデモを闘いぬく
 (1071号2面)

安井健彦氏が連帯あいさつ 

 刑法改悪阻止関東活動者会議(刑関活)は、7月7日、全国の闘う仲間と共に、東京・小平市中央公民館での集会と国立精神・神経医療研究センター(旧武蔵病院)に対するデモとして、「心神喪失者等医療観察法」施行8ヵ年糾弾の闘いを闘いぬいた。

 午後1時半、全障連で闘う「障害者」をはじめ全国から闘う仲間が結集するなか、福岡で介護闘争を闘う仲間の司会で、集会の開始が宣言される。「『心神喪失者等医療観察法』撤廃!」「保安処分施設を解体するぞ!」。シュプレヒコールが鳴り響く。

 はじめに、優生思想と闘う富山市民から集会に寄せられた連帯メッセージを司会が代読する。「『心神喪失者等医療観察法』は1990年代半ば以降、日本社会全体の閉塞感・不安感の増大の中から生まれてきた。2011年の大阪・池田小学校殺傷事件が精神科通院者によって引き起こされたということで、事件による社会不安を鎮めるスケープゴートの対象として、行為者のみならず、『精神障害者』全体、更には精神医療界も巻き込んだ。その結果として形成されたのが『心神喪失者等医療観察法』である」「社会に向けたデモや集会などの取り組みの継続、『精神障害者』自身による様々な取り組みが必要である」。

 次に、「宇都宮病院事件」告発者である安井健彦氏からの連帯あいさつだ。「宇都宮病院で最後に殺されて直接の証拠になった方は、『こんなところにいられないから』と、面会に来た母親に泣きついた。そのとき職員は手を出さなかったが、母親が帰ったらぶん殴った。別の病棟にいる私に大声で『助けて』と叫ぶので、なおのことやられた。私が宇都宮病院を告発したとき、警視庁は私の告発に対して『できません』と言ってきた。『心神喪失者等医療観察法』も同じ。『正当な手段』では変わらない。といってやめて良いというわけにもいかない。一人でも増やしてください。これを基盤にして、大きな運動にしてください」と、運動の拡大への期待を込め、檄を飛ばした。安井氏の発言に圧倒的な拍手がおくられた。

刑関活が基調提起 

 刑関活が本闘争の基調を提起する。基調ははじめに、「心神喪失者等医療観察法」が「精神障害者」差別にもとづき「精神障害者」を治安対策として隔離・拘禁する保安処分法であることを暴露する。そして、「法」成立に至る過程で大々的な「精神障害者」差別キャンペーンがなされ、「法」施行下では適用を受けた「精神障害者」が「自殺」に追い込まれ、抹殺されている実態を明らかにする。旧武蔵病院(現国立精神・神経医療研究センター)は「法」施行時、全国で唯一の保安処分施設であり、今日では全国の保安処分施設の中心的な存在であるとしたうえで、「法」撤廃を実現するための有効な闘いは保安処分施設を解体する闘いであるとし、国立精神・神経医療研究センターを糾弾し直接デモをぶつける闘争の意義を明らかにする。安倍極右政府による今国会での「刑法」・「更生保護法」改悪―新たな保安処分導入を弾劾し改悪「法」施行を許さず闘うこと、現行法では「後見人」・「保佐人」、「配偶者」や「親権者」のうち一人が「保護者」となるか、それ以外の家族が「保護者」となる場合は裁判所で選任の手続きが必要とされている「医療保護入院」について、この「保護者制度」をなくし、家族等のいずれかの「同意」があれば入院させることができるようにする「精神保健福祉法」改悪を弾劾し改悪「法」施行を許さず闘うことを提起する。そして、差別糾弾闘争で、戦時「障害者」差別―抹殺攻撃と対決し、改憲と核武装に突き進む安倍極右政府を打倒しようと訴える。この基調が、会場全体の拍手で確認された。

全国から結集した仲間が決意表明 

 基調の次は、全国から結集した仲間の決意表明だ。

 はじめに、全障連東北ブロックで闘う仲間だ。「われわれは1970年代から赤堀―刑法を一つのものとして、宮城の地で全国の仲間と共に闘いぬいて来た。権力は、治安のための法として『心神喪失者等医療観察法』を推し進めようとしている。『精神障害者』を隔離する保安処分施設が全国に建設されようとしている。これを絶対に許してはならない。地区の『病者』と共に山形における保安処分施設新設策動を阻止すべく闘いぬいていきたい。『精神障害者』に対する強制収用法である『精神保健福祉法』が改悪され、『安楽死―尊厳死』法制化の攻撃が強められている。これらと対決し『障害者総合支援法』を打ち砕く強固な陣形が必要だ。対権力闘争を闘い、差別には徹底した糾弾闘争を闘い、『病者』、『障害者』と労働者の共同した闘いを実現する新たな組織が必要だ。全障連の闘いと思想を継承しながら、全国『障害者』解放運動共闘会議の建設に向けて奮闘していこうではありませんか」と訴える。

 刑関活で闘う「病者」の仲間は、「『心神喪失者等医療観察法』施行8ヵ年を糾弾し、戦闘的デモを闘いぬくことを冒頭明らかにする。日帝は、戦時『障害者』抹殺攻撃をかけてきている。介護を商品化し『障害者』と健常者が共に闘う関係を建設することを破壊する『障害者総合支援法』が4月から施行された。この悪法を何としても粉砕しなければならない」と闘う決意を明らかにする。

 関西で「障害者」解放闘争を闘う仲間は、「国立精神・神経医療研究センターは『心神喪失者等医療観察法』のもとで真っ先に保安処分施設つくり、今も『病者』『障害者』を、研究対象と治安維持の目的で隔離し続けている。許すことはできない。政府は、『脳死―臓器移植』を推進し、『尊厳死法』の制定を狙い、価値なき命の選別をしている。優生思想と対決し、政府、国家と闘っていける運動は『障害者』自身が命をかけて闘う差別糾弾闘争しかない。どんな権力の弾圧があろうとも自分自身の命をかけて闘います。介護の商品化を問題にしなかった多くの『障害者』団体が、差別糾弾闘争を闘わず、『障害者差別解消法』など、政府に対して法の『改正要求』をしていくための運動を続けている。差別糾弾闘争を一人でも多くの人たちと闘える全国組織が必要です。全国『障害者』解放運動共闘会議の結成を何としてもかちとり、『障害者』解放運動を前進させていく決意です」と力強くアピールする。

 全障連中四国ブロックで闘う仲間は、「『心神喪失者等医療観察法』は、『再犯の恐れ』を理由に、『犯罪』を犯した『精神障害者』を、収容所に一生閉じ込めておくこともできる悪法、差別法です。『精神障害者』にとって本当に必要なのは、本人のための医療と介護体制の充実、そして人との繋がり、社会との繋がりのはずです。しかし現実に進められているのは、それと正反対の『保安処分』の動きです。『社会防衛』の観点からの隔離・収容・抹殺の動きです。われわれは、これに全力で対決していく必要があると思います。地元でも、『精神障害者』との連帯・結合をかちとり、『保安処分』施設解体の闘いを進めていきたいと思います。『精神保健福祉法』の改悪を糾弾し撤廃させる闘い、在日外国人『障害者』の無年金問題など、『障害者』解放運動の課題はたくさんありますが、しっかりと取り組みながら、全国『障害者』解放運動共闘会議の結成に向けて、頑張っていきたいと思います」。一言ひとことに力を込めた発言に、会場の仲間も集中して聞き入り、「よし!」の掛け声で応える。

国立精神・神経医療研究センターへ怒りのデモ 

 東京・山谷日雇労働組合の仲間は、「俺たち山谷労働者も『精神障害者』の仲間と連帯し旧武蔵病院を糾弾するデモを闘いぬきます。山谷でも、仕事にあぶれた労働者を社会から隔離していくため、『精神病院』にぶち込まれて殺されていった仲間たちが大勢います。絶対に『心神喪失者等医療観察法』をなくしていきましょう。今、政府は、労働者人民の権利を剥奪し、戦争に動員できる国家をつくろうとしています。原発を推進しています。これ以上原発で犠牲者になるのは真っ平ゴメンです。俺たちは、こんな差別と野垂れ死にを強制する社会を変えていくために団結して闘わなければならないと思います。今夏も生き抜くために、山谷夏祭りを闘っていきます。俺たちと共に、安倍政府打倒の『反戦・仕事よこせ』の闘いを闘っていきましょう」と、仲間の「病者」と共に闘いぬく決意を明らかにする。

 決意表明の最後は、反安保労研全国センターだ。「この悪法が適応され5年の間に、未遂も含めて40人の仲間が自殺に追い込まれている。さらに3年を経て、更に多くの仲間が痛めつけられている。『精神障害者』に対する差別法を徹底糾弾し、国立精神・神経医療研究センターに対して、怒りも新たに戦闘的デモを闘いぬいていこうではありませんか。『労働者派遣法』の下で『非正規雇用』や『不安定雇用』が強いられています。私たちは、全労交の拡大をかちとり階級的革命的全国統一センターの建設に邁進するのみです。全国でプルサーマル中心に原発の再稼働が申請されようとしている。これを許さず、改憲―核武装阻止の革命的反戦闘争を断固として、闘いぬいていこうではありませんか」と訴えた。

 集会を終え、いよいよデモに出発だ。デモ隊は国立精神・神経医療研究センターに向けて進撃し、怒りも新たに「保安処分施設を解体するぞ!」「『心神喪失者等医療観察法』粉砕!」「『刑法』・『更生保護法』改悪弾劾!」「『精神保険福祉法』改悪弾劾!」とシュプレヒコールを叩きつける。小平市の住民をはじめ労働者人民の注目を集め、戦闘的デモを闘いぬいた部隊は、本闘争を力に、「心神喪失者等医療観察法」撤廃に向けた闘いを強めるとともに、7月21日「入院患者差別・虐殺29ヵ年糾弾! 報徳会宇都宮病院糾弾! 現地闘争」に決起することを確認して闘争を終えていった。