安倍来沖抗議行動に決起
6月23日、日米安保強化と名護新基地建設の総責任者である首相・安倍、防衛相・小野寺、外相・岸田がそろって来沖し、「県」主催の「沖縄全戦没者追悼式」に出席した。基地強化を意図した露骨な来沖に怒りを燃やす沖縄労働者人民は、安倍来沖抗議行動に決起した。天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会と沖縄・首里日雇労働組合も結集し闘いぬいた。
午前10時前より「追悼式」の会場である糸満市摩文仁の「平和祈念公園」入口付近に、闘う沖縄労働者人民が三々五々結集する。闘うメンバーは入口の交差点に面する歩道上に横断幕を掲げ、抗議行動を開始した。すぐに権力が介入し、機動隊が壁をつくり抗議行動の妨害に入る。糸満署は、「集会は違法だ。すぐに解散しろ」「部隊をもって規制する」と警告し弾圧を強める。「抗議の意思表示を邪魔するな!」とメンバーが厳しく迫る。そうした中で、闘う労働者人民もどんどん結集し、緊迫感が高まった。
11時過ぎ、交差点を10台ほどの白バイが通過、その後ろに安倍らを乗せた車両の一団がやってきた。「帰れ!」「『慰霊の日』の政治利用をやめろ!」「辺野古への基地建設許さんぞ!」「普天間基地を即時閉鎖・返還せよ!」「オスプレイを撤去しろ!」とつきつけた。その後も「追悼式」開始の一一時五〇分まで抗議行動を展開し、安倍政府を徹底的に弾劾した。権力の不当な介入によって現場が混乱するなか、闘う沖縄労働者人民は身体を張って対峙し、抗議行動を貫徹したのである。
「沖縄平和市民連絡会」は6月20日付で「抗議声明」を発表している。「慰霊の日には似つかわしくない軍服の『国防軍』の敬礼を受ける『安保担当閣僚』らが遺族の前に立つことは、『日本軍』によってもたらされた沖縄戦の遺族の苦難の歴史を切り捨てるばかりでなく、犠牲者をも冒涜するものです」「天皇メッセージを踏襲した『4・28』によって、沖縄は米軍政下に投げ込まれましたが、苦難の始まりを刻印するその『屈辱の日』を、安倍首相は率先して『主権回復の日』とはしゃぎまわり、『天皇万歳』の音頭を一緒にとったといいます」「菅官房長官は『沖縄の方々に寄り添いながら基地負担の軽減等に取り組んで行くことが安倍政権の基本姿勢だ』と啖呵を切っていますが、これは沖縄に基地の負担と犠牲を今後とも押しつけていくとの表明であります。そして、今回の安倍政権主要閣僚の参列は日本政府の常套手段化している日本国民と沖縄県民を分断するための国民向けのパフォーマンスの一つであり、傲慢そのものです」「犠牲者を冒涜し、『慰霊の日追悼式典』を政治的に利用する安倍政権、糾弾!」。「抗議声明」は公園を訪れる市民たちに手渡されていった。
「国際反戦沖縄集会」に結集
午後1時半より、「魂魄の塔」そばの広場において「沖縄・一坪反戦地主会」を軸とする集会実行委員会主催の「第30回国際反戦沖縄集会」が開催された。炎天下の中、約200人が結集した。天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会は開会前に参加者へビラ撒きを行ない、「普天間基地解体・名護市基地建設を実力闘争で闘おう」と訴えた。
集会では、各団体・個人から闘争報告が行なわれた。
与那国島で自衛隊配備に反対するメンバーは、「自衛隊誘致反対運動の発端は、2007年6月に祖納港に米軍掃海艇が入港したこと。島民は、『戦争が始まった』とびっくりした。米軍を上陸させない闘いをやって、2時間上陸を食いとめた。そのとき米軍は、自衛隊誘致の人たちを呼んで掃海艇を見学させたり、バーベキューをしたりしていた」「これまで島の上空の半分が台湾であっても何の問題もなかったのに、その頃から自衛隊が来ると商店街にお金を落とすから歓迎するとか、外間町長がマラソン大会に自衛隊を招いたりするなど、自衛隊誘致の機運が強まった」「上陸阻止を闘ったメンバーは、2009年に『イソバの会』を立ち上げた。2012年には、島で平和行進も行なわれた。ある中学生は、防衛省の職員に『私たちも住民だ』と言って訴えた」「自衛隊誘致に関する住民投票の実施を求める署名の一部が漏洩し、私の職場にも送りつけられた」「町長は陸自・沿岸監視部隊の駐屯地となる町有地約21万4000平方メートルを1500万円で貸すと言っている。8月には町長選がある。マネーのかかる選挙だ。私たちは、誘致反対で頑張ってきた崎原正吉氏を推して闘う」と島内での熾烈な攻防を明らかにした。
教科書問題についての報告者は、「問題は二つある。与那国・石垣の中学生が問題のある育鵬社の教科書で今も学ばされていること。そして国の意向に従わなかった竹富町が無償給付されていないことである」とし、「2011年9月の教育委員全員の協議で育鵬社は否定されたが、その後チャチャを入れた人間がいる。これらの人間が今では文部大臣や文科政務官になっている」「軍隊が必要という価値観をすりこんでいく教科書は許されない」と訴えた。
名護新基地建設に関わる環境アセスと「埋立承認申請」について、弁護士の三宅俊司氏より詳細な報告が行なわれた。三宅氏は、「埋立申請」の埋立土砂に関わる問題について「国は土砂を業者から買うので採取先の環境アセスは必要ないとした。こんなものはまやかしだ」と批判し、「埋立申請」をめぐる闘いについて「知事に圧力をかけながらすすめなければならない。知事は埋め立てを拒否すべきだ。知事にだまされたふりをさせず、逃げさせない態勢をつくろう」とした。高江座り込みに関する報告者は、「昨年は7月に入ってすぐに工事が始まった。10月4日にはオスプレイが飛んできた」「司法を使って反対運動に圧力を加える高江スラップ訴訟は2008年末から始まっている。6月25日には控訴審判決がある。30日には『高江座り込み6周年報告会』が行なわれる。ぜひ来てください」と呼びかけた。
約二時間の「反戦集会」は、盛況のうちに締めくくられた。
名護新基地建設実力阻止へ
「追悼式」に出席した安倍は、沖縄戦の遺族を前にして「米軍基地の集中が今なお沖縄県民の大きな負担となっております。沖縄の負担を少しでも軽くするよう、全力を尽くすことを、ここにあらためて誓います」と語った。「負担軽減」とは基地を押し付けてきた歴代の首相が何度もくり返し使用してきたチリ紙のように薄っぺらい言葉である。こんなことで沖縄労働者人民がだまされるはずはない。それでも安倍は、「負担軽減」を突きつけ、名護新基地建設を凶暴に推し進めているのである。また安倍は、「慰霊の日」について「平和と安全と自由と繁栄を享受していることをかみしめる日」とも語った。「安保に感謝せよ」というのだ。安倍政府は、4・28「屈辱の日」を消し去り「主権回復の日」に塗り替えようとしたが、6・23もまた塗り替えようと意図しているのである。安倍政府は、沖縄戦の体験を継承し戦争への怒りを根幹にすえた反戦・反基地・反安保闘争を叩き潰したくて仕方がないのだ。その先に、沖縄の青年労働者や学生を朝鮮反革命戦争の尖兵に仕立て上げようとしている。断じて許してはならない。
駐日大使・ルースも「追悼式」に出席した。駐日大使の出席は1995年以来2回目である。ルースは6月21日、「米大使として沖縄県民と米国民の友好の絆を強化することは優先課題だ」と意気込みを語ったが、ちょうどその日に泥酔した米兵が暴れまわるという茶番である。6月22日には、オスプレイを載せた強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」がホワイト・ビーチに入港している。「友好の絆」なぞ何もない。普天間基地のゲート前で連日の抗議行動を闘う沖縄労働者人民は、「米兵に対し『あなたたちは良き隣人ではない。歓迎されていない』とつきつけている」と訴え闘い続けている。
知事・仲井真は普天間基地の「県外移設」要求を維持しつつ、安倍との非公開会談では「那覇空港第二滑走路早期建設」や「鉄軌道整備の協力」など「振興策」を要求している。
われわれは、「日米合意」に基づき名護新基地建設を推進する日・米両政府と全面対決し闘いぬいた6・23闘争の地平をもって、普天間基地解体・名護新基地建設阻止を実力闘争で闘いぬく。8月オスプレイ追加配備を阻止する。高江ヘリパッド建設阻止を闘う。沖縄―日本「本土」貫く団結を強化し、憲法改悪攻撃を全力でうち破ろう。 |