岸川貞雄
シリア・レバノン
新たな段階を迎えたシリア内戦
2011年3月に反体制デモが開始されて以降、シリア内戦で今年4月までに少なくとも約9万3000人が死亡している。シリア内戦は一向に収束の気配はなく、アサド政権と反体制派との攻防はアレッポ、ラタキア、イドリブ、デリゾール、ダマスカス郊外を主戦場として、一進一退の状況が続いている。内戦を主導する反体制派は、現在は米帝―帝国主義が主導する「シリア国民連合」が束ねる形となっている。しかし、実際には、現場で反政府デモを組織する「民主的変革のための全国調整委員会」(NCC)や、クルド人組織「民主統一党」(PYD)は「国民連合」に参加していない。さらに、アサド政権との武装闘争を続ける、「ヌスラ戦線」を筆頭とする10以上のイスラム原理主義組織は、シリアに「イスラム国家を樹立する」とし、独自の展開をしている。
米帝―帝国主義は、アサド政権打倒に向けてシリアへの介入を強めている。特に米帝は従来、リビア内戦介入のような、軍による直接介入は慎重に避けてきた。しかし6月13日、米帝・オバマはアサド政権が化学兵器を使用して約100人〜150人が死亡したとして、「一線を越えた」と言明。軍事的支援も含め、シリアの反体制派に提供してきた支援の範囲と規模を拡大すると表明した。反体制派が求めているシリア上空の「飛行禁止区域」設定については、オバマはまだ判断を示していないという。アサド政権の化学兵器使用について、ロシア側は「捏造だ」と否定している。
シリア内戦はゴラン高原にも波及し、最近では内戦の波及に恐怖するイスラエル軍による越境攻撃が頻発している。5月21日、アサド政権軍はシリア側に侵入したイスラエル軍車両一台を破壊した。大統領・アサドは、6月に入り、「ゴラン高原での抵抗部隊設立に関する長期計画がある」とし、アラブ民族運動を発生させてゴラン高原奪還に動く可能性を示唆してみせた。1月の自衛隊撤退に続いてオーストリア軍も6月に撤退を決定しているが、その後釜にロシアが名乗りをあげている。アサドは親子二代ともに、政権への労働者人民の支持を維持するためだけに「パレスチナ支援」をダシに使うのを常としている。
レバノンへの波及
アサドがいくら口先で「ゴラン高原解放」を語ろうとも、何ら直接行動を仕掛けず、最近のイスラエル軍空爆にも報復戦の一つもやろうとしないアサドの弱腰の姿勢は、イスラエル側も承知している。イスラエルはむしろ「アサド後」にイスラム原理主義勢力がシリアに台頭し、イスラエルに向かってくることに恐怖している。
シリア内戦の影響がレバノンにも拡大している。アサド政権側が、反体制派の拠点となっている隣国レバノンの国境の町をミサイルで攻撃するなどの越境攻撃が相次いでいる。6月12日、レバノン東部の町アルサルにアサド政権軍のヘリコプターがミサイルを撃ち込んだ。一方6月11日に、ヒズボラが実質的に支配するレバノン側の国境の町ヘルメルに、反体制派がロケット弾を撃ち込んだ。
5月26日、首都・ベイルート郊外にあるヒズボラの拠点であるシーア派居住区に、ロケット弾2発が着弾した。シリアが内戦状態になって以降、ヒズボラの拠点地区が直接の標的となったのは初めてとみられ、シリア内戦がレバノンに本格波及する可能性が強まっている。6月9日、ベイルートのイラン大使館前でヒズボラ支持派と反対派との間で衝突が起きている。ヒズボラは5月25日にも、最高指導者・ナスララが「いかなる犠牲を払っても勝利する」と、アサド政権側を支え続ける考えを強調している。
北部・トリポリでは、アサドの出身宗派であるアラウィ派住民と、反体制派を支援するスンニ派住民との衝突が頻発、5月25日までの6日間で30人が死亡した。
米帝―帝国主義はヒズボラの影響力の強いレバノンの動揺につけこむ機会をうかがい、レバノンへのさらなる介入を策動している。アサド政権を打倒した後は、後ろ盾を失うヒズボラの打倒に動くのは必至である。
米帝―帝国主義は、シリアを制圧することで「体制攪乱要因」を一挙に取り除き、パレスチナ解放闘争を圧殺しようとしている。米帝―帝国主義の思惑を粉砕しつつ、虐殺をくり返すアサド政権を踏みしだくシリア・レバノン労働者人民の新たな闘いと団結が形成できるか否かが、問われているのだ。
トルコ
全土で大衆決起が爆発
トルコで大衆決起が一挙に爆発している。エルドアン政権による長年の強権支配への労働者人民の怒りが噴出したものである。
大衆決起の発端は、イスタンブール中心部のタクシム広場に隣接するゲジ公園の取り壊し計画であった。市内ではまれな、緑に触れることのできるイスタンブール市民の憩いの場であり、メーデーなどの大規模デモの集会場所でもあった。エルドアン政権はこのゲジ公園を「経済政策の一環」として取り壊し、オスマン帝国時代の兵舎をモデルにした多目的ビルを建設する計画を立てた。5月31日、ゲジ公園取り壊しに反対する労働者人民が起こした小規模なデモに対し、警官隊が苛烈な弾圧に出た。警官隊は、丸腰の女性や老人が含まれる抗議者を、催涙ガスや放水車などを用いた容赦ない暴力で排除した。その映像が「フェイスブック」を通じて広がると、蓄積していたトルコ労働者人民の怒りに火がつき、タクシム広場にトルコ労働者人民が大挙集結した。さらに、国内ではメディアに規制がかかり弾圧の実態が報じられない状況に、トルコ労働者人民の反発が高まり、トルコ全土にデモの波が広がった。翌日の6月1日には、トルコ全土で10万人以上が参加するに至っている。6月15日までの約2週間、タクシム広場に巨万の労働者人民が結集し、「エルドアン政権は退陣しろ」「タクシムは俺たちのものだ」と反政府デモを爆発させた。
5労組団体がストライキに突入
しかし、エルドアンは「再開発計画中止」を拒否し、タクシム広場で6月11日夜から12日未明にかけ、警官隊がデモ参加者を催涙弾や放水で強制排除した。その一方、エルドアンは首都・アンカラで13日夜から14日未明にデモ参加者らの連合体「タクシム連帯」の代表者らと会談して「公園再開発計画の差し止め訴訟で裁判所の判断が出るまで、工事を見合わせる」なる欺瞞的集約を提示した。「タクシム連帯」は会談を「前向きなもの」と評価したが、多くのデモ参加者はエルドアンのやり方に反発した。13日、エルドアンは、デモを組織する中心勢力の「タクシム団結プラットフォーム」のメンバーらとアンカラで会談。エルドアンは、「再開発計画」について、「裁判所が中止を命じれば従い、続行が支持されても住民投票で判断を仰ぐ」と譲歩して収拾を図った。しかしエルドアンは、イスラム主義者らの支持をバックにしながら「デモ隊が20万人の人々を集めるのであれば、わたしは100万人の支持者を集めてみせる」と豪語し、デモ鎮圧を狙う強硬姿勢は断じて崩そうとしなかった。15日夜、エルドアンは警官隊を導入して、ゲジ公園を占拠するデモ参加者を強制排除した。この暴挙に反発し、17日に「トルコ公務員労働組合連盟」など5労組団体がストライキに突入した。大衆決起は、今も予断を許さない状況にある。
大規模デモ爆発の背景として、エルドアン政権がイスラム「穏健派」勢力である「公正発展党」(AKP)を基盤とすることから、マスコミでは「宗教色をつよめる政権に対する世俗派の反発」などと、あたかも宗教対立が原因であるかのごとく語られている。しかし、大衆決起爆発の背後には、米帝―帝国主義と結託して資本家を優遇する一方で、労働運動弾圧と戦争動員を強めてシリア内戦への介入に最先頭で乗り出すエルドアン政権への、労働者人民の広範な反発があった。エルドアンは「経済発展」の旗印の下で都市再開発を進めてきた。特にイスタンブールでは、モスク以外、歴史的な建造物も、文化・娯楽施設も、環境も、次々に破壊した。労働者階級が強制的に住居を追われる事態が続出した。そんななかで、労働者人民の結集場所となっていたゲジ公園までもが政府・資本に強奪されようとしていたのだ。ここで、エルドアンによる苛烈な強権支配にあえいできたトルコ労働者人民の怒りが一挙に噴出したのである。
正念場を迎えるクルド解放闘争
トルコ軍・警察は「クルド労働者党」(PKK)への掃討作戦を強め、それに抗してPKKはトルコ東南部を拠点とし、シリアのクルド勢力と連携しながら武装決起を続けてきた。PKKの武装闘争は1984年から30年近くに及び、これまでに4万人以上の犠牲者を出している。
獄中にあるPKK議長・オジャランは、今年3月「停戦と撤退を呼び掛ける声明」を発表した。エルドアンも「声明を歓迎する」と応じ、「和平交渉」を進めようという姿勢を見せた。PKKはこれまでも断続的に「停戦」を宣言してきたが、トルコ政府がこれを認めず、掃討作戦を続けた経緯があった。5月上旬以降、PKKはトルコ東南部からイラク方向への撤退を開始し、秋には完了する見通しとされる。オジャランは「停戦」を呼び掛けた声明で「銃より政治が優先する時代が来た」とし、今後は政治的にクルド人の権利拡大を目指す考えをうち出している。
しかし、「和平交渉」に際して、エルドアンはあくまでもPKKの武装解除を要求している。これに対してPKKは「政治犯」活動家の釈放を要求している。
6月3日、トルコ南東部に位置しイラク国境に近いシュルナク県で、クルド系武装勢力と政府軍による銃撃戦が起きた。「停戦宣言」をして以降、初めての衝突であった。そして、6月の大衆決起の爆発についてオジャランが、7日の段階で「抵抗運動に敬意を払う」という支持表明のメッセージを、面会したクルド系政治家を通じて公表している。大衆決起に追いつめられたエルドアンが一打逆転を狙って再度対PKK掃討作戦に踏み込む可能性もあり、クルド解放闘争の行方も予断を許さない状況にある。
トルコはシリア内戦に際して露骨に、反体制派に肩入れしている。トルコはアサド政権との本格的交戦に備え、厳戒態勢も敷いている。PKKがクルド人居住区のある北シリアを足場に攻勢をかけてくることへの警戒も強めている。
イラン
「経済制裁」下の大統領選
米帝―帝国主義による対イラン反革命戦争への衝動がより強まっている。米帝―帝国主義は、イランに対して「ウラン濃縮活動の完全な停止」を要求し、「制裁」を強めている。
国連安保理常任理事国に独帝を加えた六ヵ国とイランとの協議は、何ら進展していない。そんななか、米帝―帝国主義の代弁者として振舞う国際原子力機関(IAEA)は、イランへの追及をさらに強めている。イラン側は「協議の停止を求めたことはない」としながら、外交攻勢をかけて米帝―帝国主義と対抗しようとしている。
イラン経済は、米帝―帝国主義の「経済制裁」の影響で原油輸出が低迷し、インフレと高い失業率にあえぐなど経済危機が深刻になってきている。大統領・アフマディネジャドは危機を乗り切るために、農村部への「バラマキ」で支持拡大を図った半面、財政悪化を受け燃料への補助金を削減するなどで労働者人民の生活苦が強制され、反発を招いていた。
そんななか、6月14日に大統領選が行なわれた。今回の大統領選では、アフマディネジャドの強硬路線が引き継がれるか否かが焦点となった。「改革派」の支持をも集める「穏健派」の元最高安全保障委員会事務局長・ロハニと、ハメネイに近い「強硬派」のテヘラン市長・ガリバフ、最高安全保障委員会事務局長・ジャリリの3人を軸とした争いとなった。「核開発」については三者とも「推進」を明言したが、経済政策をめぐってロハニが米帝―帝国主義との協調をうち出したのに対して、「強硬派」候補はあくまで米帝―帝国主義の圧力と徹底対決する姿勢を鮮明にしていた。
翌6月15日の開票の結果、ロハニが1861万票、50・7パーセントの得票率を得て圧勝し、当選を確定した。独自候補を擁立できなかった「改革派」勢力が「穏健派」のロハニに相乗りし、さらに「経済制裁」に苦しむ有権者の、「強硬派」への批判票を吸収した結果であった。
戦争挑発を加速する米帝―帝国主義
ロハニはハタミ政権下での米帝―帝国主義との「核協議」の責任者であり、政治手法は「柔軟」とされる。しかし、イランの最高権力者はあくまでハメネイであり、大統領は行政府の長に過ぎない。「核開発」などをめぐる米帝―帝国主義との対立が続き、対イラン反革命戦争が切迫するなか、ロハニがどのような政権運営を進めるのかは不透明である。
イラン政府はシリア内戦をめぐってアサド政権支持を鮮明にし、さらにレバノンのシーア派勢力・ヒズボラを支援しており、米帝―帝国主義との対立もさらに拡大している。大統領・アフマディネジャドは、ペルシャ湾の交通の要衝であるホムルズ海峡の封鎖に言及するなど、軍事的包囲網を強める米帝―帝国主義を牽制してきた。しかし大統領がロハニになり、米帝―帝国主義はとりあえず「歓迎」を示した。イスラエルは外務省が、「イランの核政策は、大統領ではなく、ハメネイが決めるものだ」「選挙後のイランは引き続き、核やテロの分野における行動によって判断されるだろう」と警戒を決して緩めない姿勢をあからさまにした。
イランは独自の「核開発」を進め、「ミサイル開発」も進めている。米帝―帝国主義はイランに対抗するために、5月12日にペルシャ湾で、米帝が主導し日・英・仏など世界40ヵ国以上、計35艦船が参加した史上最大規模の国際掃海訓練が行なわれた。日帝からは海自が参加している。「あらゆる危機を想定し、国際社会が連携し、自由航行を確保するための訓練」と米第五艦隊司令官・ミラーが言い放つように、これが対イラン反革命戦争の予行演習であるのは明白である。イスラエルがイランの核関連施設などへの電撃的な空爆作戦に踏み込むことで、開戦の口火を切る可能性も高まっている。
米帝―帝国主義による対イラン反革命戦争への突撃を許してはならない。
|