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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

全国寄せ場で2012―2013年越年・越冬闘争を闘いぬく〈福岡、沖縄〉(1046号7面)

「寒さにも失業にも負けるな! 力を合わせて闘って、仕事をかちとろう!」と越年・越冬闘争をやりぬく 12・31―1・4 福岡・築港

 2012―2013年福岡日雇い越年・越冬闘争は、「寒さにも失業にも負けるな! 力を合わせて闘って、仕事をかちとろう!」をスローガンに、市内博多区の明治公園を拠点にして闘われた。

 福岡では、日雇い・野宿の労働者が、朝の暗いうちから築港の寄せ場に立って仕事を探しても、求人業者がまったく来ない日が続く。福岡市行政は、生活保護の受給条件を緩和したかと思えば、今度は「生活保護費が予算を圧迫している」として、国と歩調を合わせて、急激な生活保護の締め付けに入っている。この越年・越冬闘争におけるアンケート調査にも75パーセントもの仲間たちが「生活保護より仕事がほしい」と回答しているが、行政はこうした声に一向に応えようとはしていない。このような厳しい状況をはね返し、共にやりかえすべく、福岡・築港日雇労働組合が先頭になって、越年・越冬闘争が取り組まれたのだ。

 事前に積み重ねられた実行委員会の会議には、多くの日雇い・野宿の仲間が参加した。越年・越冬闘争をはじめて経験する仲間たちや、生活保護をとった仲間たちの参加もあった。会場の明治公園には、常時100人を超える仲間たちの顔があった。「会場内でのケンカや宴会の禁止」という、実行委員会で取り決めたルールによって、会場内には、常に和気あいあいとした雰囲気がただよっていた。仲間たちは、テントの設営をはじめ、炊事、洗い場、警備などの各班で、朝早くから夜遅くまでの炊事作業、冷たい水を使った食器等の洗い物、寒風のなかでの不寝番、薪作りや薪運び、企画・ゲームの進行などの仕事を懸命にやりぬいた。この取り組みを成功させるために、支援物資の収集や整理の作業、カンパ活動や集中的な準備作業、さらには後片付けにも、たくさんの仲間たちの積極的な参加があった。

 「国防軍創設のための改憲」を主張する安倍極右内閣の誕生、さらには、「自主憲法制定」を叫び、民主、自民のもっと右を行く「日本維新の会」なるファシスト政党の台頭により、9条破棄の改憲がにわかに現実問題となるなか、多くの労働者・市民が危機感を募らせている。政府や行政に依存せず、自らの力で助け合って生きぬくことの重要さを、改めて多くの人びとが感じているのだ。厳しい時代だからこそ、力を合わせて生きぬこうという実行委員会の闘う姿勢は、多くの労働者・市民の共感を呼んだ。「自分で何かをしたい」と会場にかけつけ、炊事や洗い場の仕事を担ってくれた人も何人もいる。衣類や布団や食料品などのカンパ物資とカンパの資金も、これまでにも増して寄せられた。会場まで直接届けてくれる人も、後を絶たなかった。「労働・生活・医療の大相談会」には、司法書士や看護師、歯科医師をはじめとした人びとが、仲間たちの相談に丁寧に向き合ってくれた。多くの人びとに支えられて、越年・越冬闘争の成功はかちとられた。

12月31日

 朝も暗いうちから、多くの日雇い・野宿の労働者が集まった。会場の設営に、手慣れた仲間も初めての仲間も、力を合わせて作業を進めていく。炊事班が用意した温かい炊き出しの頃には、ほとんどのテントが建て終わっている。さらに、寝床やステージを完成させ、会場が形を整えていく。

 昼の炊き出しの後は突入集会だ。「越年・越冬闘争をやりぬくぞ」「一人の野垂れ死にも許さないぞ」というシュプレヒコールが響き渡る。まずは九州大学社会科学研究部の仲間からのあいさつだ。「来年も今年以上に、仕事をかちとるための取り組みをみなさんといっしょにやっていきます。越冬の成功をかちとりましょう」。続いて、越年・越冬闘争の意義を全体で確認し、「今年こそ、みんなの力で仕事をかちとろう。失業も戦争もない世の中を作るために、福日労のもとに団結して闘おう」という決意を固める。寄せられた連帯メッセージが代読される。東京・山谷日雇労働組合からは、「玉姫公園を拠点に越年・越冬闘争を闘います。全国の寄せ場で越年・越冬闘争を闘いぬいた仲間たちとともにガッチリとスクラムを組んで、『1・13金町一家解体!日雇い労働者全国総決起集会・デモ』をやりぬく決意です。ともに闘いぬきましょう」。「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」からは、「今、世界中で労働者が自らの未来を切りひらくため、闘いに起ち上がっている。このような体を張った闘いこそが社会を揺り動かし、きびしい状況を変えることができるのだ。『非正規雇用』労働者の闘いをはじめ、全国の労働者の闘いとガッチリと連帯し、『反戦・反失業』の闘いを爆発させていこう」。沖縄・首里日雇労働組合からは、「12月23日には、普天間基地へデモでおしかける大行動に沖縄内外から3000人が結集しました。選挙後すぐに『辺野古移設』を表明し名護新基地建設推進を宣言した安倍のもとで、普天間基地ゲートを実力封鎖した闘いの真価が問われます。沖日労は断固として闘います」。さらに、福岡の教育労働者からは、「政権が如何に変わろうとも、ここに働き、仕事を求め、手をつなぎ、生き続ける私たち労働者が、厳しい境遇の中でも決して諦めず、声をあげ、手をつなぎ行動している限り、労働運動の灯は消えることがありません。誇りを持って行動を続けましょう」というエールが寄せられた。実行委員会からは、「力を合わせて、野垂れ死に攻撃をはねかえそう」「餓死・凍死・病死から仲間を守りぬこう」という、越年・越冬闘争の目的が明らかにされる。

 続いて、午後3時からは、「笑福・望年演芸披露」と銘打ったお笑いの数々だ。歌謡ショーやマジック・ショー、掛け合いの漫談、さらには即興の一人芝居などに、仲間たちはステージ前で腹を抱えて大笑いだ。

 午後5時からは人民パトロール隊の出発だ。越年・越冬の取り組みを知らずに、一人で寒さにふるえている仲間がいないか、また病気などによって会場までたどり着けない仲間はいないかと、市内をパトロールして回るのだ。人パト隊員募集の呼びかけに応えた仲間たちが、仲間たちに配る毛布やカイロ、防寒着や食料品、飲み物などを携え、会場全体の拍手に送られて出発する。

 夜の炊き出しの後には、お馴染みとなった「大みそか抱腹絶倒ライブ」だ。女性アーティストの唄と三味線によるパフォーマンスが、仲間たちを笑いの渦に引き込む。

 ライブの後は集会だ。各班でがんばる仲間たちからの発言だ。「皆のお腹を満たすために、温かい食事を作ります」は炊事班。「縁の下の力持ちとしてがんばっていきたいと思います」は洗い場班。警備班からは「不寝番に参加してください」。労働・医療・生活相談班からは、「1月2日には大相談会をやります。いつでも気軽に相談に来てください」。本部からは、はじめて参加する学生の仲間から、「まだ要領がわからないのですけど、明日は来年ですけど、明日になったらうまくいくようにしますので、よろしくお願いします」。発言に、「がんばれよー」という声と拍手がこたえた。最後に実行委員長が、「元気に新しい年を迎えましょう」と、「団結ガンバロー」で締めくくった。

 10時の就寝までにも、映画上映会が行なわれ、年越しそばが振舞われるなど、皆が夜の更けるまで楽しんだ。その間に夜の人民パトロールが出発し、夜を徹しての不寝番が行なわれ、夜中の大雪にも直ちに対応がなされた。

1月1日

 朝の炊き出しは雑煮とみかん。「今年もみんなでがんばろう」と、実行委員長の音頭でお屠蘇のカンパイだ。皆が無事に新年を迎えた安堵が広がる。穏やかな新年の幕開けだ。

 会場がゲームで盛り上がっている最中に、ニセ「福日労」=ゴロツキ組合がデモで向かって来たという報が入る。明治公園の盛況をねたみ、妨害することだけを目的としたくだらぬデモだ。行政が窓口を閉ざすからこそ、この時期に越年・越冬闘争をやるのであって、「行政糾弾」などというスローガンを並べようとも、それがつけ足しにすぎないことは誰にでもわかる。みんなでハチマキをしめて、組合旗を先頭に表通りに打って出る。30人に満たないショボクレ行進を3倍する仲間たちで「お出迎え」だ。このところ、ひと頃のように、ピーピー・キャーキャーとわめく元気もすっかりなくなり、「お焼香デモ」が馴染んでしまっている。惨めなものだ。労働者たちはその姿を見て、「しょぼかあ」と失笑している。「ゴロツキ組合を追い返したぞ」という声を、ショボクレ行進の後ろ姿に浴びせ、「ワッショイ、ワッショイ」と元気一杯に明治公園に引き返す。

 昼食の後は、新年総決起集会だ。「仕事がほしい」という仲間たちの切実な声を市役所に対してぶつけようと、1月4日のデモと「対市役所木曜行動」が呼びかけられた。

 夜の炊き出しの後は、労働者交流会だ。昼間の「労働・生活アンケート」の結果も発表される。七五パーセントもの仲間が生活保護より仕事を望んでいるという結果だ。仕事がないことは切実だ。政府の役人どもが何の根拠も示すこともできず、ますます失業と野宿を強いられる労働者が増えているにもかかわらず、「失対事業方式は採らない。民間雇用の拡充」など言い続けることを許してはならない。「仕事よこせ」の闘いに勝利しようという決意がうち固められた。

 夕方と夜の人民パトロールにおいて、「3日間食べていない」、「2、3日前からはじめて野宿をしている」という老若の仲間たちを何人も明治公園に結集させた。ますます失業の強制が強まるなか、野宿を強いられる仲間たちが増えているのだ。

 この日は小雨が降ったりやんだりの1日であったが、夜が更けるまで福島第一原発の危険性を訴える映画や娯楽映画の上映も行なわれ、仲間たちはこの日も楽しく元気に過ごした。温かい寝床に守られて、皆快適に眠りについた。不寝番の仲間たちが会場を守りぬき、皆が一丸となった越冬は続く。

1月2日

 午前中の「団結もちつき大会」は、小雨がぱらつく天気ではあるが、もちをつく元気のいいかけ声に、まわりの仲間も呼応して大盛り上がりとなった。次々とつきあがるもちを、みなで頬張る。代わる代わるもちをつく時間はあっという間だ。

 昼食の後には、「労働・医療・生活の大相談会」が開かれた。司法書士の方からは、「生活上で困ったことがあれば、何でも相談に来てください」。看護師の女性からは、「健康のことでたくさんの人とお話ができたらと思います」。歯科検診をしてくれる歯科医師の先生と学生のグループからは、「歯が痛いという方やお口のなかで気になることがありましたら、遠慮なく相談に来てください」との呼びかけが行なわれた。さらに整体師の仲間からは、「首の痛い方、骨盤のゆがみ、何でも治していきます」と訴えがなされた。プロのマッサージ師や指圧師の方も治療に当たってくれた。医療相談の22人をはじめ、たくさんの仲間たちがそれぞれの相談に訪れた。とりわけ生活相談には例年になく多くの仲間が切実な訴えを持って、相談会終了時間が過ぎてもまだ相談を続ける仲間がいた。「大相談会」の終了後には、相談に乗ってくれた方々に対して、惜しみのない拍手が送られた。
 夜の炊き出し後の会場は、カラオケ大会や表彰式などで大いに沸いた。

1月3日

 この日は朝早くから片付けだ。軍手・タオルが配られ、作業の段取りと注意事項が説明される。テントが一斉にたたまれ、公園の掃除が行なわれていく。昼食の温かい弁当を食べ、片付けを終了した後は、恒例の「新春ジャンボ三角クジ」だ。見事に拠点越冬をやり終えたという安堵がただよう。翌日の対市役所デモでの再開を誓って、実行委員長の音頭による「団結ガンバロー」で、拠点越冬は幕を閉じた。

1月4日

 会場の須崎公園には、越年・越冬闘争を共にやりぬいた50人ほどの笑顔が並ぶ。まずは、福日労が用意したカレーライスで腹ごしらえを済ませ、シュプレヒコールで集会がはじめられる。「福岡市は仕事をよこせ」「日雇い労働者に仕事を出せ」「野宿の労働者に仕事を作れ」。要望書を確認し、天神のど真ん中をデモ行進だ。「仕事よこせ」「アブレ許さん」のコールが響き渡り、人びとの注目が集まる。デモ解散地点の天神中央公園から福岡市への要求書を携えて市役所に向かう。市役所の玄関では、対応に現れた保健福祉局総務部保護課「ホームレス担当」主査の職員に、要求が突きつけられた。生活保護一辺倒の施策はすでに破綻していること、アンケート結果でも、圧倒的多数の労働者が「生活保護より仕事」を求めていること、今年こそ公的就労対策事業の実施をするべきだということが叩きつけられた。しかしまたしても、「要望書は受け取りました」とだけ言い残して、職員は引っ込んでしまった。弾劾のシュプレヒコールを叩きつけた仲間たちは、今年こそ仕事をかちとる決意を、さらに固めた。

 行政を追いつめる闘いは、すでに開始されている。1月10日からはじめられた毎週の「木曜行動」において、福岡市に対する「仕事よこせ」の声が叩きつけられている。全国の寄せ場の仲間たち! 越年・越冬闘争の成功を力に、この2013年、「反戦・仕事よこせ」の闘いを、ともに闘いぬこう。


炊きだし・労働相談を通して団結強化を訴える
12・31―1・2 沖縄・首里

 沖縄・首里日雇労働組合は、12月31日から1月2日までの3日間にわたって、首里の寄せ場、与儀公園、平和通りを貫いて2012―2013越年闘争を貫徹した。

 沖日労は12月に入るとすぐに仲間たちに越年闘争の企画案を提示し、越年闘争への協力を呼びかけた。首里・与儀公園・平和通りだけでなく市内各所の公園もまわって越年闘争の宣伝活動を行ない、休日には仲間たちとともに街頭カンパを精力的に行なった。1年間の闘いの中で結集する仲間も増え、よりきめ細やかな準備をすすめることが可能となったのである。

 12月31日は、首里の寄せ場では仕事はなかったが、越年闘争の初日であることを知る仲間たちが集まった。沖日労の一年間の闘いを紹介したビラが配布され「沖日労とともに闘おう」と呼びかけられた。越年闘争への協力を申し出る仲間もいた。与儀公園では組合の仲間がハンドマイクで呼びかけを行なった。越年闘争の開始を告げると、顔なじみの仲間や公園まわりで新たに知り合った仲間たちが結集し、瞬く間に行列ができあがった。ビラが手渡され闘いへの結集が訴えられた。配食がはじまると、準備したおにぎりと豚汁は、あっという間になくなった。ある労働者が「なかなか仕事につけない」と組合に相談を寄せてきた。沖日労は首里寄せ場の状況や全国の状況などを説明しながら、親身になって相談にのった。風邪など体調不良を訴える仲間にも積極的に対応した。平和通りでは野宿の仲間が多く集まり、近況が報告された。その中では「教会の炊きだしはどこか労働者を見下しているようなところがあり、俺はメシを受け取らない」、「某団体の野宿者支援は営利活動だ。労働者の自立なんて考えてない」といった声も寄せられた。準備したおにぎりやお茶だけでなく、夜間の冷え込みに対処するためカイロも配布された。

 1月1日は、首里の寄せ場にはほとんど仲間は顔を出さなかったが、与儀公園は初日以上に多く集まった。沖日労が公園に荷物を運び込んだ段階で、すでに仲間たちの手によって配布場所の設置作業が完了しており、スムーズに準備をすすめることができた。組合の仲間は配食前のわずかな時間を利用して、全国各地の寄せ場の闘いを紹介した。そして東京・山谷日雇労働組合、福岡・築港日雇労働組合、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」から寄せられた連帯メッセージを読み上げた。「『黙って野垂れ死ぬな』を合言葉に、仲間の命を仲間同士の団結で守り抜き、越冬闘争でうち固めた団結で、東京都、厚生労働省を追及する闘いを貫徹していく決意です」(山谷)、「おれたち日雇い労働者が血を流し、体を張って闘いぬくべき荒々しい闘いの時代の到来だ。この時代を切り拓く闘いの最先頭に、おれたち日雇い労働者こそが起とう」(築港)、「ポリ公やヤー公と命がけで闘ってきた俺たち寄せ場労働者の力を、今こそ爆発させる時だ」(釜ヶ崎)といったメッセージに、多くの仲間が耳を傾けた。弁当も予備として準備したおにぎりも残らず配食された。野宿の仲間が多く集まる平和通りでは衣料放出もなされた。

 1月2日の与儀公園では、沖日労とともに地域で闘う青年労働者より連帯あいさつを受けていった。「失業は厳しいが、団結して闘おう。オスプレイ撤去・普天間基地解体・名護新基地建設阻止をともに闘おう」という訴えに、仲間たちから自然と拍手が沸き起こった。沖日労の仲間は「今日で最後となるが3日間の越年闘争で培った団結をうち固めて、ともに闘おう。昨年に引き続き今年も組合は集会やデモを闘います」としめくくった。

 越年闘争の3日間を通して延べ230食以上を配食し、新たな仲間との交流もかちとった。越年闘争を闘いぬいた力をもって、組合運動の前進と反戦・反基地闘争の飛躍を切り拓く。