国際通りのデモに決起(17日)
11月17日、天皇アキヒトが来沖を強行した。糸満市で開催された「第32回全国豊かな海づくり大会」に出席し、久米島にも初めて足を踏み入れた。闘う沖縄労働者人民は、断固拒否をつきつけ天皇来沖阻止闘争に起ちあがった。
11月17日、闘う沖縄労働者人民が先頭に起って、天皇来沖に反対する国際通りデモが闘われた。130人が結集した。「海づくり大会への天皇出席反対!アクション」の呼びかけに応え、天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会も結集した。
午後3時半より牧志公園(那覇市)において集会が開催された。沖縄靖国訴訟を闘う金城実氏が開会あいさつにたち「オスプレイ反対の闘いの中で忘れてはならないのは天皇制だ。1947年の『アメリカが琉球諸島を軍事占領下に置くことを希望する』とした『天皇メッセージ』が問題の根っこにある」と訴えた。つづいて、司会より天皇来沖について簡潔に説明がなされた。「『海づくり大会』の天皇警備で機動隊3000人体制が敷かれている」、「前回の来沖は自衛隊を南西諸島に配備し強化する狙いがあった。今回は久米島を初訪問する。人口8500人の島で、町は『日の丸』5000本を買いあげて歓迎しようとしている。久米島では沖縄戦の時に、皇軍が朝鮮人一家をはじめ住民虐殺を凶行した。そうした事実を消し去り、住民を慰撫して皇民化する狙いがある」。
東京で天皇訪沖反対の緊急行動に起ちあがった一坪反戦地主会関東ブロックの連帯メッセージが読み上げられ、締めのあいさつを受けて集会を閉じていった。
午後4時、デモ隊が出発する。「海づくり大会・天皇出席反対」、「基地押しつけの天皇来沖反対」、「皇軍の住民虐殺を忘れないぞ」、「オスプレイ配備反対」、「米兵の暴行許さないぞ」、「日米安保条約を破棄せよ」、「与那国の自衛隊配備反対」、「アジア・太平洋の人々と連帯して闘うぞ」というシュプレヒコールが国際通りに響きわたった。市民の圧倒的な注目と関心を集め、デモ隊は進撃していった。高校生の一団から「オスプレイ反対!」とエールが送られた。
途中、「日の丸」を掲げた右翼ファシストの弱々しい敵対に出くわしたが、軽々と一蹴した。闘う沖縄労働者人民は、首都圏などからかき集められた警察の厳戒体制をうちやぶり、反天皇闘争に起ちあがったのである。
来沖反対・式典出席阻止の現地闘争に決起(18日)
翌11月18日、「第32回全国豊かな海づくり大会」が開催されている糸満市現地において、「海づくり大会への天皇出席反対!アクション」の呼びかける集会・デモが開催された。集会会場である報得(むくえ)橋公園には赤旗がひるがえった。青年実と沖縄・首里日雇労働組合は、青ヘルメットで結集し闘いぬいた。
午前9時半、集会開始。はじめに金城実氏があいさつに起ち「靖国裁判と天皇制の問題はひとつの問題だ」、「沖縄の住民に『日の丸』を渡して歓迎させるというのは許せない」と怒りを表明した。
そうした中、反共右翼ファシストが「県」警に守られてやってきた。参加者はすぐに集会防衛の万全の態勢をとる。ファシストらは「日の丸」や「旭日旗」を掲げてあらん限りの暴言を吐いてくるが、反戦・反基地・反天皇の闘いが実力闘争として発展する姿に恐怖し顔がゆがむ。闘う沖縄労働者人民は、右翼ファシストの集会破壊策動を木っ端みじんに粉砕したのである。
午前10時、デモ隊が出発した。「辺野古の海をつぶすな」、「天皇は沖縄人に謝罪せよ」、「『尖閣』想定の日米軍事訓練やめろ」、「沖縄からすべての基地を撤去せよ」、「在日朝鮮人と連帯して闘うぞ」、「アイヌ民族と連帯して闘うぞ」とシュプレヒコールで訴えながら、国道331号線を北上していく。デモ隊に手を振る市民もみられた。わずかに右翼どもが「日の丸」の小旗を振るだけで、関連行事を含め「5万人を動員する」と豪語した「海づくり大会」への歓迎ムードはほとんどなかった。式典会場である「糸満市西崎総合体育館」に向かうコースに入ると、デモ隊全体に闘う決意がみなぎった。「海づくり大会・天皇出席反対!」、「皇軍の住民虐殺を忘れないぞ!」、「沖縄人は闘うぞ!」。徹底的に怒りを叩きつけ、約70分のデモが終了した。
解散地で総括集会が行なわれた。呼びかけ人があいさつに起ち、「天皇が税金を使って頭なでなでしにやってくることは許せない」、「沖縄人は仰々しく声は出さないが、深く静かに怒りをもっている」、「いま排外主義があふれている。国家権力の危機感の表れである。それは天皇制にいきつく動きだ。しかし絶望する必要はない、われわれの存在があることこそが希望だ」、「米軍基地を封鎖し、身体をはって闘っていく」とそれぞれ訴えた。
警察は闘いを破壊しようと集会やデモに逐一介入・制動をかけてきたが、そうした策動をはね返し、闘う沖縄労働者人民は2日連続の天皇来沖阻止闘争を断固として貫徹したのである。
沖縄人民解放闘争の前進を
天皇アキヒトの来沖は2004年一月以来8年ぶり4度目である(皇太子時代を含めると9度目)。1972年「返還」以降の反革命沖縄統合支配の最先頭にたつアキヒトは、天皇制護持のための「捨て石」として強制した沖縄戦に対する天皇・天皇制の戦争責任を居直り、来たる朝鮮反革命戦争の尖兵として沖縄労働者人民を組織化することを第一級の課題としてきた。
死期が迫る天皇アキヒトが出席した「海づくり大会」は、「復帰40周年」の一大イベントとして準備された。アキヒトは11月5日から16日まで沖縄周辺などで実施された日米共同統合実動演習直後に来沖を強行し、基地撤去をめざす反戦・反基地闘争の高揚を叩き潰すために大量の警察権力を引き連れて17日から20日まで滞在した。初訪問した久米島では沖縄戦時の米軍の島への上陸作戦に興味を示し、「犠牲になった方は少なかったんですね」と語ったと右翼マスコミは報じている。「皇軍の住民虐殺による犠牲」を消し去ろうとしているのである。
天皇・天皇制を頂点に強化される同化・差別攻撃に積極的に呼応する動きも強まっている。仲井真「県」政は、沖縄戦の歴史の歪曲・隠蔽に力を注いでいる。首里城の地下にある「第32軍司令部壕」の説明板を設置するにあたり、「県」環境生活部は検討委員会で決定した文案を一方的に反故にして「慰安婦」「日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺」「捨て石」「女性軍属」という文言を削除した。また、石垣市と与那国町の教育委員会は、反対の声を押し潰し天皇賛美・自衛隊賛美を全面展開する「育鵬社」版の中学校公民教科書を採択している。
これらの動きを支えているのが、「中国脅威」などを煽り「日の丸」を押し立ててオスプレイ配備賛成・名護新基地建設賛成をがなりたてる反共右翼ファシストどもだ。辺野古テント村を襲撃した「在日特権を許さない市民の会」や闘争現場での敵対をくり返す「幸福実現党」をはじめ、普天間基地解体・名護新基地建設阻止・日米安保粉砕を闘う沖縄労働者人民に照準をしぼって向かってきている。
わが内戦勢力の武装は、基地解体・軍隊解体の実力闘争を飛躍・発展させる武装であるとともに、反共・排外主義をまき散らす右翼ファシストに突きつけた武装でもある。ファシストとの対決を避けて沖縄人民解放闘争の前進をかちとることはできない。天皇制打倒を掲げ天皇来沖阻止・式典出席阻止を闘いぬいた地平を引き継ぎ、市民主義・議会主義の限界を突破して実力・武装の闘いを拡大し沖縄人民解放闘争の前進を切り拓く。基地機能停止をめざす実力闘争を飛躍・発展させ、普天間基地解体・名護新基地建設阻止をかちとる。高江ヘリパッド建設阻止、与那国への自衛隊配備阻止。沖縄―日本「本土」貫く安保粉砕・政府打倒闘争の爆発をかちとろう。 |