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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

8・9長崎反戦闘争を闘う(1029号4面)

梁川公園で決起集会

 8・9長崎反戦集会実行委員会に結集する労働者・学生は、8月9日、長崎現地において、集会とデモを貫徹した。

 1945年8月9日午前11時02分、米軍爆撃機B―29は、原子爆弾を長崎の街に投下した。8月6日の広島に続くものだった。原爆は、その爆風と熱線によって一瞬で街を焼け野原に変え、膨大な労働者人民を虐殺した。さらに放射能は大地を汚染し、多くの労働者人民を被爆させ、1945年12月までに計7万3884人の命を奪った。その後も、放射能で白血病、ガンを発症するなど、「原爆症」の犠牲になる人々が相次いでおり、原爆犠牲者は今日までに、15万8000人を超えている。広島と合わせると、その数は約43万人にのぼる。生き残った被爆者も、「原爆症」の病苦と厳しい差別のなかで、過酷な生活を余儀なくされてきた。

 この原爆投下から67ヵ年を迎えて、長崎反戦集会実行委員会は、第1に、日帝の被爆責任・戦争責任の居直りと原爆犠牲者の「英霊」化のための「平和祈念式典」を粉砕し、首相・野田の「式典」出席を阻止する闘いとして、第2に、福島第一原発事故の居直り、原子力政策の維持・延命をとおした日帝の核武装を全力で阻止する闘いとして、第3に、帝国主義の国際反革命戦争の拡大・激化と、核使用の衝動の強まりに対決する闘いとして、とりわけ切迫する朝鮮反革命戦争を粉砕する革命的反戦闘争として闘いぬいた。

 午前9時30分、市内の梁川公園に結集した青ヘルメットの部隊は、断固たるシュプレヒコールで集会を開始する。「原爆犠牲者の『英霊化』のための『平和祈念式典』を粉砕するぞ」「首相・野田の式典出席を阻止するぞ」「日帝の核武装阻止」「朝鮮反革命戦争粉砕」という闘志溢れる声が周辺に響き渡る。

 まず最初に、福岡・築港日雇労働組合(福日労)の仲間が、青森の地で反核燃闘争を闘う仲間、天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会からの連帯メッセージを紹介する。

 続いて実行委員会の同志が基調を提起する。同志は、「首相・野田の『式典」出席の目的は、長崎に厳戒態勢を敷いて反戦闘争を鎮圧し、戦争責任を追及する被爆者の闘いを圧殺し、原爆犠牲者を『お国のために死んだ英霊』として祀り上げ、朝鮮反革命戦争と核武装に突き進むことだ。さらに、『式典』には、米駐日大使・ルースをはじめ、核保有国の英・仏駐日大使が参加する。大使が参加するのは初めてのことだ。原爆投下を居直り、核兵器保有を正当化するためだ」「野田政府は、関西電力・大飯原発の再稼働を強行し、これを突破口に全国で原発の再稼働を狙っている。中国電力資本による山口県・豊北原発建設計画を地元住民との共闘で中止に追い込んだ『日本電気産業労働組合』の闘いの地平を発展させ、原発労働者のストライキを組織し、原発の即時停止―廃止をかちとろう。日帝の核武装を阻止しよう」「日米安保の再編・強化を打ち砕こう。闘う沖縄労働者人民と連帯し、オスプレイの九月普天間配備阻止、普天間基地解体、名護新基地建設阻止を闘おう。決戦を闘いぬく陣形を構築し、朝鮮反革命戦争を粉砕しよう」と提起し、「被爆67ヵ年を弾劾し、闘う被爆者、二世・三世と連帯し、長崎反戦闘争を闘いぬこう」と締めくくった。基調は圧倒的な拍手で確認された。

天主公園まで戦闘的デモ

 集会の最後は、参加各団体からの決意表明だ。
 反戦青年委員会の同志は、「長崎の『式典』にも、原発再稼働と核武装化、朝鮮反革命戦争突撃の首相・野田が出席しようとしている。戦闘的デモでこれを粉砕しよう。闘う沖縄労働者人民と連帯し、オスプレイの9月普天間配備を全力で阻止しよう。闘う青年労働者は8・26第三五回全国反戦集会に結集し、革命的反戦闘争の爆発で、野田政府を打倒しよう」と訴えた。

 全学連の同志は、「8・6広島に続き、長崎でも、『在特会』などが戦争賛成、原発推進、核武装支持を叫んで街頭制圧と反戦闘争への暴力的敵対を強めている。右翼ファシストの敵対を粉砕して、本日の闘いをやりぬこう。わが青ヘル部隊が、長崎反戦闘争を革命的に牽引しよう。政府、権力に実力・武装で立ち向かい、プロレタリア解放へと進撃する革命的学生運動の前進と飛躍を切り拓く」と決意表明した。

 福日労の仲間は、「福島第一原発の原子炉近くの高線量の現場で、放射線量をごまかすために線量計を鉛のカバーで覆って、労働者が働かされていたことが明らかになっている。福岡から送られた労働者も、この現場で働かされていた。発注元の東電をはじめ、元請のゼネコン、末端の人夫出しや手配師などが、労働者に仕事がないことにつけ込んでこのような危険な現場に送り込んでいる。こいつらに責任をとらせる現場闘争が必要だ。こうした闘いと結合した『反戦・仕事よこせ』の闘いが必要だ。福日労は戦争も失業もない世の中を創るために闘いぬく」と発言した。

 最後に九州大学社会科学研究部の学生が、「政府の被爆者切り捨て政策や差別そして病苦との、被爆者の長い長い闘いがあるからこそ、私たちのこの集会場での闘いもある。野田政府の被爆責任・戦争責任に対する居直りも、核武装のための原子力政策の維持も、朝鮮反革命戦争への突撃も無視してやり過ごすことはできないし、被爆者の闘いに行動で応えたい。被爆者を差別し見捨てる社会が、原発での被曝労働を容認し、労働者を部品のように使い捨てる資本を擁護してきた。この状況、この社会を根本から変革する闘いが必要だ。8・6―8・9を闘いの日として位置づけ、先頭で闘いぬく」と決意を表明した。

 集会のしめくくりに力強いシュプレヒコールをあげたのち、実行委員会の青ヘル部隊は断固たるデモにうって出る。部隊は、沿道の労働者・市民の熱い注目を浴びつつ、「式典粉砕」「核武装阻止」「政府打倒」の声を轟かせて進撃した。「式典」会場の平和公園に近づくと、「被爆者英霊化のための『式典』を許さないぞ」「野田の出席を許さないぞ」という、ひときわ高いシュプレヒコールを会場に叩きつける。部隊は、権力の反革命弾圧、右翼ファシストの敵対を許さず、天主公園までの戦闘的デモを貫徹して闘いを終えた。