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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

 8・3 法相・滝による死刑執行を弾劾する(1027号8面)

二人の死刑執行を徹底弾劾する

 8月3日、法相・滝実の死刑執行命令により、2人の死刑囚の死刑執行が東京・大阪の各拘置所で強行された。東京拘置所に収監されていた服部純也死刑囚と、大阪拘置所に収監されていた松村恭造死刑囚が、国家権力の手によって虐殺されたのである。

 民主党主導の連合政府下では3度目の死刑執行であるが、野田政府になってからは2度目である。前回の3月29日の執行からわずか約4ヵ月しか経っておらず、しかも前回同様、異例とされる国会会期中の執行となった。これによって、全国の拘置所に収監されている死刑囚は130人となった。

 法相・滝による二人の死刑執行を徹底弾劾する。

 今回の死刑執行について、執行当日に滝は「就任以来、死刑執行について刑事局で資料を整理してもらっていた。その整理が出来上がったので、今回執行を決意した」と、今年6月の法相就任直後から死刑執行を狙っていたことを明言した。死刑執行への見解については「冤罪の恐れがない限り、裁判所の結論は尊重しなければならない」「司法が出した結論を行政が無視するわけにはいかない」とした。そもそも滝自身、かねてから「一つ一つの案件をどう判断するか考えて、職責を果たす」と死刑執行を肯定しており、はじめから「死刑執行ありき」の態度であった。特に今回の、前回の死刑執行から約4ヵ月での死刑執行は、民主党内にあった死刑執行「慎重」論を踏みしだくものであり、民主党主導の連合政府の下での死刑推進の姿勢をあけすけにしたものである。反革命国会が流動化し、いつ衆院が解散するかも分からず、総選挙となれば民主党敗北が必至の状況のなかで、滝は自身の任期期間中に死刑執行の既成事実を作ろうとしたのだ。なお、滝はかつて自民党議員であり、2005年に当時の小泉政府が「共謀罪」を国会に提出した時の法務副大臣である。その後、「新党日本」を経て民主党に鞍替えしているが、現在も「共謀罪」推進の姿勢を変えていない輩である。

 日帝・法務省は、死刑執行にあたり今回も死刑囚の名前と犯罪事実、執行場所を公表している。ブルジョア・マスコミを使って犯罪事実を大々的に宣伝することで、死刑囚が「凶悪な人格」であることを印象づけさせている。このことで、「これだけ凶悪な人間ならば、死刑で当然」ということをアピールし、「死刑推進の世論」を形成しようというやり方である。法務省は、今回もまた、死刑執行に対して都合の悪い情報は伏せたまま、ただただ「死刑執行支持の世論」を作り、死刑反対運動を圧殺することを目的に「情報公開」を行なったのである。その上で、松村死刑囚に対して刑確定からわずか2年4ヵ月で死刑執行するなど、間を置かない死刑執行の既成事実化を進めようとしている。こんな法務省のやり口を許すことはできない。

死刑制度撤廃をかちとれ

 政府主導で形成された、「死刑執行を望む世論」なるものを「追い風」に、司法権力による死刑判決が乱発されている。殺人事件の起訴に対する第一審での死刑判決の割合が、直近の五年間で、戦後の混乱期並みに増加するまでになっている。裁判員制度導入の結果もあり、厳罰化傾向が顕著に出てきている。こうして死刑囚の数はついに130人を超えるようになった。「収監されている死刑囚の数が多すぎる」なぞとする「世論」を受けながら、野田政府は死刑執行を強行しつづけている。

 そんな野田政府に対する非難が、世界中から上がっている。元々歴代の日帝政府は、国連総会決議、国連人権理事会の普遍的定期審査、そして国際人権規約委員会の勧告等で、再三、死刑の廃止に向けて努力することを強く要請されているが、一切無視を決め込んでいる。今回の死刑執行に対して、8月3日に欧州連合(EU)は「非常に遺憾だ」「死刑を廃止した国々の仲間に日本も入ることを望む」とする声明を発表した。世界の趨勢を見れば、死刑は廃止の方向にある。現在、全世界の7割に当たる141ヵ国が、法律上または事実上死刑を廃止している。東アジアでは、韓国が2008年以降、現在まで14年間、死刑執行を停止している。さらに、今年3月13日にはモンゴルが、そして7月5日には西アフリカのベナンが、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第2選択議定書(いわゆる死刑廃止議定書)に公式に加入した。死刑制度を維持している米帝でも、今年4月25日にはコネチカット州で死刑が廃止された。現在、全50州のうち17州とコロンビア特別区が死刑を廃止しており、死刑廃止州の割合はついに3分の1を超えた。さらに、昨年11月22日にはオレゴン州知事が任期中の執行停止を表明している。2011年に、実際に死刑を執行したのは、13州にとどまっている。

 「死刑執行を望む世論」にしても、世界の国々では死刑廃止を決定するにあたり、「世論」の多数が死刑支持であったところを転換させている。日帝足下では、政府の「まず死刑執行ありき」の姿勢が、「世論」を誘導しているにすぎない。

 法務省内では、死刑執行継続への非難をかわすための議論を秘密裡に進めている。滝は、前法相・小川から引き継いだ「死刑制度に関する議論」について、非公開の政務三役会議に留め、進捗状況もろくに公表していない。しかも議論の対象が、現行の絞首刑を見直すかどうかにとどまっている。「絞首刑は残虐な刑罰を禁じた憲法に反する」との声を抑えるために、米帝の一部の州で採用されている「薬物注射」についての情報収集を進めているという。絞首刑にしても「薬物注射」にしても、国家権力による虐殺の本質はまったく変わらない。

 実際には、国家権力による虐殺行為そのものである死刑執行自身にたいする、労働者人民の広範な疑問があるのは間違いない。「足利事件」「布川事件」などの「冤罪」事件が続発し、最近では「東電OL殺人事件」で「犯人」とされたネパール人に対する再審開始が決定している。警察権力が無実の労働者人民を不当逮捕してウソの「自白」を強制し、「物的証拠」を平気で捏造し、司法権力が追認して労働者人民を監獄に叩き込んでいく横暴ぶりが暴露されている。労働者人民のあいだで、そんな国家権力に対する広範な怒りが噴出しているのである。

戦時体制形成をみすえた治安管理強化を許すな

 2009年5月に裁判員制度が導入され、今年5月で3ヵ年となった。

 裁判員制度は、国家権力が裁判員制度を通して「国家とともに社会の秩序を守る」という意識と習慣を育て、労働者人民を治安強化に動員し、戦時司法を実現するためのものだ。

 裁判員制度では、裁判員への辞退者が続出し、また、審理が始まるまで時間がかかりすぎ、大幅に審理が滞っており、裁判員裁判制度は破綻状態だ。「公判前整理手続き」などで裁判の迅速化が進み、被告や弁護士の負担が増え、公判で被告側が不利になっていくとともに、「被害者参加制度」も導入されている。「遺族」「犯罪被害者」が裁判に加わり、感情に訴えて法廷で証言することで、死刑判決を煽っている。裁判員は、圧倒的な検察側の情報の洪水にまみれながら、死刑判決に参加しなければならない。最近では公判の長期化も目立つようになり、事件によっては選任手続きから判決まで約100日もの間、裁判員としての職務従事期間を強制される例も出てきている。裁判員の負担がさらに増大しているのだ。こうした裁判員制度の下で、2010年11月16日に横浜地裁において死刑判決がうちおろされて以来、死刑判決は計14件に上っている。今後は、裁判員裁判で確定した死刑囚の死刑執行も現実味を帯びることになる。今年、裁判員制度導入時に言われていた「3年後の見直し」の時期を迎え、「定着に向かっている」なる悪辣なキャンペーンとともに、裁判員制度のさらなる改悪が策動されている。国民の裁判員に指名された者が死刑判決に強制的に参加させられる裁判員制度なぞ粉砕あるのみである。

 〝帝国主義の最弱の環〟である日帝は、戦時体制形成に突き進むなかで、治安管理強化に突撃している。その前提として、死刑制度がある。日帝国家権力は、あたかも死刑制度に「凶悪犯罪」に対する「抑止力」があるかのように幻想を持たせながら、「死刑制度存続」へと世論を誘導している。あたかも犯罪それ自身が犯人個人の「自己責任」であるかのごとく言いなしながら、死刑判決が司法権力によって乱発され、国家権力による虐殺が正当化され、既成事実化されていくのである。

 何より、死刑制度そのものが戦時体制形成の一環としての攻撃であることを見逃してはならない。反朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)―反共・排外主義攻撃を激化させながら一挙に朝鮮反革命戦争に突入しようとする日帝国家権力は、死刑制度を堅持することで、かつての治安維持法弾圧のように、戦争に反対する者や勢力を極刑によって〝みせしめ〟として虐殺し、あるいは死刑執行を恫喝することで組織壊滅型弾圧を加速させようとしているのだ。そして、日帝国家権力は、東アジア反日武装戦線や連合赤軍の死刑執行にも踏み込もうとしているのである。

 政府の戦争政策の一環としての治安管理強化なぞ、断じて許してはならない。労働者人民の闘いで死刑制度を撤廃しよう。戦争遂行の野田政府を打倒し、日帝国家権力解体へ進撃しよう。