反戦・全学連、天神・パルコ前で決起
6月3日午前10時から、福岡県糸島市の船越漁港をメイン会場にして、「福岡県総合防災訓練」が強行された。福岡県反戦と全学連九州ブロックの同志たちは、福岡・築港日雇労働組合の労働者たちとともに、粉砕闘争に決起した。
「総合防災訓練」は、全国的には、「関東大震災」を反革命的に教訓化して制定された「防災の日」―9月1日を前後して開催されるが、福岡県では、「風水害対策」を主な理由に、例年、梅雨入り前の5月下旬から6月上旬の時期に開催されている。しかし、この「福岡県総合防災訓練」が、労働者人民の虐殺と闘いの鎮圧のための反革命訓練であることに何の変わりもない。
すなわちそれは、第1に自衛隊の治安出動訓練であり、第2にこの自衛隊が主導し、行政機関を総動員した内乱鎮圧訓練であり、第3に、これに住民を動員することで、「非常事態」下の内乱鎮圧・治安維持作戦に人民を組織し総動員していくことを狙うものだ。今回の「総合防災訓練」も、自衛隊をはじめ、警察、消防など120機関、1400人を動員して大がかりに強行された。自衛隊からは、空自の航空機、陸自のヘリ、海自のホバークラフト艇などが投入された。
初の「原子力防災訓練」
とりわけ今回の特徴は、福島第一原発事故を受けて、九州電力・玄海原発(佐賀県玄海町)が同様の事故を起こしたという想定に基づく「応急対応訓練」を新たに加えていること、これを「防災訓練」の眼目に据えていることだ。福岡県で初めての「原子力防災訓練」だ。
玄海原発から約20キロにある糸島市鹿家地区の住民を福岡市にバスで移送する「広域避難」訓練や、防護服を着た陸自隊員による避難者に対する放射線量測定、簡易除染などの訓練が行なわれた。要するに「防災訓練」が、玄海原発の再稼働を前提にし、再稼働を準備するためのものになっているのだ。「訓練までやっているのだから、早く再稼働をやれ」と、九州電力や佐賀県に熱いエールを送るものになっているのだ。まったく許しがたい。
しかも「訓練」は、実際には形ばかりで無意味な代物だった。玄海原発から30キロ圏内に入る糸島市西部の住民は1万5000人だが、「訓練」は、たった四〇人程度を載せた1台のチャーターバスで海沿いの国道を移動するというものである。参加者からは「原発事故が起きてすぐにバスが来てくれるものだろうか」「地震の直後に海の近くを通るのか」などの声が出されている。「防災訓練」が労働者人民の命を守るためのものでないことは、ここでも明白だ。
暴露・弾劾の情宣戦
6月3日、反戦と全学連、そして福日労の部隊は、福岡市天神・パルコ前に登場し、この「防災訓練」の反革命性を暴露・弾劾する情宣戦に立ち上がった。「自衛隊は、決して労働者人民を守らない。外に向かっては戦争、内に向かっては内乱鎮圧のためにこそある凶暴な労働者人民殺戮の軍隊だ。自衛隊の治安出動訓練を許すな」「労働者人民の反戦決起―実力決起の圧殺を狙う内乱鎮圧訓練を粉砕しよう」「こんな訓練をやらなければいけない原発なぞ、最初から要らない。玄海原発の再稼働を準備するための防災訓練を許すな」というアジテーションが、一帯に響き渡る。行き交う労働者人民にビラが配布される。用意したビラをすべてまき切った部隊は、労働者人民の熱い注目と共感のなか、最後に全体でシュプレヒコールをあげて、この日の闘いを終えていった。
1923年の関東大震災では、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を投げ入れた」などのデマが政府―内務省によって組織的に流布され、戒厳令下で軍隊・警察主導のもとに、在日朝鮮労働者人民の大虐殺が強行された。この歴史を断じてくり返すことはできない。全国で「防災訓練」を粉砕しよう。
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