オスプレイ配備阻止訴える「県民集会」に決起
天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会は、1972年「返還」から40年目を迎えた5・15沖縄人民解放闘争を、5波にわたる連続闘争として闘いぬいた。
5月13日午後5時より普天間基地第一ゲート前広場において、「基地の県内移設に反対する県民会議」、「普天間爆音訴訟団」、「ヘリパッドいらない住民の会」など4団体による共催で「オスプレイ配備を断じて許さない怒りの県民集会」が行なわれた。
はじめに、「普天間爆音訴訟団」は「与那国での平和行進にも参加した。わたしたちの怒りはますます大きくなっている。怒りのスタートをここで切ろう」、「米軍はオスプレイを那覇軍港に持ち込もうとしている。許してはならない」と訴えた。「訴訟団」は3月30日に3129人の第2次普天間爆音訴訟を提訴し、新たな闘いを開始している。次々と発言が続き、「普天間基地の第一ゲートと第3ゲートで座り込み、基地を包囲しよう」という呼びかけに大きな拍手が沸き起こり、「今日の深夜から明日にかけて、米軍は普天間基地、嘉手納弾薬庫、キャンプ・コートニー、伊江島などでPAC3の移動訓練をしようとしている」と暴露されると会場は騒然となった。
「県民会議」の構成団体からの発言では、「ヘリ基地反対協」の安次富浩氏が「本日の闘いをオスプレイ反対の第1弾として闘おう」、「配備されれば、必ずかつての宮森小学校へのジェット戦闘機墜落のような事件が起こる。アフガニスタンやモロッコで墜落し、その原因も分かっていないのに配備するなぞ許せない」と訴えた。高江でヘリパッド建設阻止を闘う「住民の会」のメンバーは「現地で闘い続ける。オスプレイ配備させない」と決意を語った。
最後に主催者よりオスプレイ配備阻止行動への決起が呼びかけられ、集会は閉じられた。
キャンプ・キンザー包囲デモに決起
5月14日、「軍港反対! 浦添市民行動実行委員会」が主催する「浦添軍港反対! キャンプ・キンザー包囲デモ」が行なわれた。青年実は那覇軍港の浦添移設=浦添新軍港建設を阻止し、キャンプ・キンザー(牧港補給地区)の「移設」条件なしの完全撤去をかちとるために、沖縄・首里日雇労働組合の仲間とともに決起した。
午後2時、「国立劇場おきなわ」そばの広場に参加者が結集した。はじめに主催者より、「米軍はPAC3の訓練を18日までやるとしている。『復帰を問う』闘いの最中に訓練を強行するなど許せない」、「今日は一四回目のキャンプ・キンザー包囲デモだ。浦添市は基地内の退役軍人施設の建設に1億2000万円も出した。施設は昨年8月に完成している。『思いやり予算』を、国が出すだけでなく市が出すことなぞあるのか。キンザー全面返還の市議会決議をあげているにもかかわらず、その裏で米軍に1・2億もプレゼントしているのはどういうことか。退役軍人施設はいらない。恒久的な米軍施設はいらない」、「西海岸道路の建設が進んでいるが、米軍の郵便局が工事にかかるということでその移設のために、今度は『県』が『思いやり予算』を出そうとしている。許してはならない」と集会主旨が説明された。
参加者は隊列を整え、ただちにデモにうって出る。すぐにキャンプ・キンザーの第5ゲートに到着する。「浦添新軍港建設反対!」、「建設のための環境アセスやめろ!」、「キャンプ・キンザーを撤去しろ!」、「キンザー内道路を市民に開放しろ!」とシュプレヒコールを叩きつける。デモ隊が58号線に入ると、さらに多くの注目を集める。「『40年復帰式典』反対」、「沖縄戦の歴史改ざんを許すな」、「オスプレイ配備反対」、「高江オスプレイパッド建設反対」、「与那国への自衛隊基地建設反対」、「PAC3訓練反対」、「米軍再編反対」、「日米安保粉砕」、「基地も原発もいらないぞ」、「アジア民衆と連帯して闘うぞ」と訴えながらフェンス沿いを歩くデモ隊に、クラクションを鳴らして連帯を表明する者や、ビルやマンションの窓から手を振って応える市民も少なくなかった。第3ゲート前では、警察と警備員がデモ隊に敵対してくるがこれを一蹴し、約3キロのコースを1時間半にわたるデモで闘いぬいた。
解散地点の泉公園では、一坪反戦地主会浦添ブロックの黒島善市氏よりあいさつをうける。黒島氏は、「復帰40年を迎えたが、今も基地はなくならない。権力は自分たちの都合のいいやり方をする。このまま進めば戦争という同じ過ちをくり返す」と警鐘を鳴らし、「自民党の谷垣は、4月28日を『主権回復の日』といっているが、われわれにとっては屈辱以外の何ものでもなかった。ともに闘おう」と呼びかけた。
最後に、5・15闘争を闘いぬくこととともに11月天皇上陸阻止闘争への決起が呼びかけられ、シュプレヒコールで闘いを終了していった。
国際連帯沖縄集会が開催される
5月14日午後四時より、宜野湾市民会館大ホールにおいて「沖韓民衆連帯」が主催する「韓・琉ちむどんどん2012~アジアから基地をなくす国際連帯沖縄集会~」が開催された。デモを闘ったわれわれは、済州島の海軍基地建設阻止の実力闘争に決起する韓国労働者人民と連帯し、沖縄において普天間基地解体・名護新基地建設阻止、高江ヘリパッド建設阻止の実力阻止闘争を巻き起こしていく決意をうち固め、集会に合流した。
第1部では済州基地ドキュメント上映と韓国伝統民俗芸能プンムル集団「トヌム」によるパフォーマンスが行なわれた。
午後6時半からの第2部は、基調講演(新崎盛暉氏)と特別報告(カン・サンウォン氏)を軸に進行した。
新崎氏は「復帰40年、沖縄を民衆連帯の架け橋に」と題する講演において、「『返還』を前後して沖縄に基地が押しつけられ、在日米軍基地の75パーセントが集中した。日本政府はそれによって基地問題を地域の問題にした。安保は日本政治の争点でなくなっていった」とし、「1972年沖縄返還は、日米軍事同盟再編強化の節目」と位置づけた。1995年米兵による「少女暴行事件」を契機とする今日まで継続する反戦・反基地闘争について「住民の闘いが日米の政策に破綻をもたらした」とし、韓国の反基地運動との連帯について「1997年の公開審理に韓国からやって来た。そこで初めて大衆的なつながり、顔の見える関係ができた。韓国の運動は沖縄の運動の重要性を見抜いていた」、「沖縄と韓国の連帯運動は、台湾、中国へと広がっている」とした。
「平澤平和センター」所長のカン・サンウォン氏は、冒頭「4月11日の国会議員選挙で与党セヌリ党が単独で過半数の議席を得た」と厳しい政治情勢をふまえつつ、海軍基地建設を詳述していった。「韓国政府は『国家安保次元で、北朝鮮の挑発を抑制し海洋領土保護のための機動戦団収容基地の必要性』と『国家経済、戦略的側面で南方海域海上交通路と豊富な海底資源確保のために必要』と主張している」が、いずれもウソであることを明らかにした。また、済州島カンジョン村に海軍基地建設が強行されているが、その選定作業と闘争鎮圧がいかに暴力的なものであるかを暴露した。「2007年から現在まで、80人あまりの住民、活動家を、業務妨害嫌疑などで告発することによって、これまで約2億6000万ウォンに上る罰金が科せられている。また、2011年7月初め、カンジョン住民および平和活動家72人と団体を対象に、海軍と施工業者は業務妨害禁止の仮処分申請を行ない、8月30日、裁判所はこれを認める判決を下した」。さらに、基地建設の軍事目的について、「海軍基地建設は米軍が発表した海洋打撃・海洋防御・海洋基地化を盛り込んだ『海軍力21』戦略に沿ったものだ」、「最近米軍はイラク、アフガニスタン戦争での自国の軍事力運用が困難になるに伴い、同盟国の海軍力の動員を極大化させアメリカ主導の制海権を維持しようという海洋戦略を展開している。それを保障するものがいわゆるグローバル海洋パートナーシップである」、「李明博政府成立以降2009年韓米首脳会談を契機にアメリカとの戦略的同盟関係を宣言し『地域かつ世界安保必須』に共同対処するとともに韓米同盟の『地域的かつ地球的協力』、特に海洋における協力はいっそう具体化されている」、「建設されている海軍基地は、韓米相互防衛条約にもとづいて米軍の機動戦団が使用する寄港地として使用される可能性が非常に高い」。詳細な分析・評価に大きな拍手が沸き起こった。
その他、オスプレイの危険性を示す映像と解説、今年1月の訪米報告、歌によるメッセージなどが行なわれた。
「復帰式典」粉砕デモに決起
5月15日、政府と「県」が主催する「沖縄復帰40周年記念式典」が開催された。式典には野田をはじめ、衆参両院議長、最高裁裁判官、駐日米大使・ルースらが参加した。
普天間基地の「固定化」をすすめオスプレイ配備をゴリ押して何を祝うのか。こんな「式典」なんぞ粉砕あるのみだ。この日、「5・15を問う沖縄行動実行委員会」が主催する「式典」抗議デモが闘われた。青年実と沖日労も結集し闘いぬいた。
午後1時、宜野湾市ましき児童公園に参加者が結集した。参加団体からアピールがなされた後、1時半にデモは出発した。「式典」会場である沖縄コンベンションセンターにむけて「基地押しつけ『式典』を中止しろ」、「野田は帰れ」、「ルース駐日大使帰れ」、「米軍再編反対」、「海兵隊のグアム移転反対」、「オスプレイ配備反対」と怒りをぶつけていく。校舎からは高校生が手を振ってエールを送り、病院の窓からは患者たちがじっと見守っている。「復帰40年」を祝う沖縄労働者人民なぞ皆無である。だからこそ「式典」粉砕を訴えるデモ隊に関心が集まったのである。デモ隊はその後、普天間基地ゲートに向けて行進をつづけた。
「式典」で野田は「普天間飛行場の固定化は絶対にあってはならない」と言い放った。沖縄労働者人民の要求する普天間基地の「全面返還」を押しとどめているのは誰なのか。名護新基地建設をゴリ押しするために、普天間基地の「固定化」で恫喝してまわっているのは誰なのか。沖縄労働者人民の怒りを恐れてオスプレイ配備を隠蔽し続け、米側が発表するや「ただの機種変更だ」と強弁しているのは一体誰なのか。沖縄労働者人民は政府の本音を見抜き、怒りを爆発させているのだ。さらに野田は、「那覇空港第二滑走路の早急な整備」を目玉とする「振興策」を手土産として、知事・仲井真の「謝意」を引き出した。「式典」は、政府と沖縄ブルジョアジーが基地と「振興策」を取り引きするという、この40年間変わらぬ構図を満天下に示すセレモニーとして強行されたのである。
オスプレイ反対の緊急行動に結集
われわれはデモ終了後、5月15日午後2時から普天間第1ゲート前広場において開催された「普天間爆音訴訟団」主催の「復帰40周年に抗してオスプレイ配備阻止と普天間基地閉鎖を求める緊急行動」に合流した。集会には220人が結集し、次々とマイクをとった発言者から1972年「復帰」への痛苦な想いと、今日の基地と戦争への怒りが表明された。
「沖縄平和運動センター」は「40年前の5・15は悔しくて涙した」、「復帰万歳、復帰万歳というが何が万歳なのか!」と煮えたぎる怒りを爆発させ、全体へシュプレヒコールをうながした。「沖縄は歓迎しないぞ!」、「野田総理は帰れ!」、「基地のない沖縄を返せ!」。「ヘリ基地反対協」の安次富浩氏は「『復帰』前の米軍の植民地支配下では怒りを直接ぶつけることができた。しかし『復帰』後この40年間、怒りを抑える防波堤があった。その役割を担ってきたのは日本政府だ」と喝破し、「基地問題に絞れば、『復帰』前より悪くなっている」と訴えた。さらに、「〝空飛ぶ棺桶〟とも呼ばれるオスプレイについて日本政府は『機種変更にすぎない』といって配備を認めている。野田は普天間基地の『固定化を避ける』と言いながら、オスプレイ配備をすすめている」と弾劾し、「普天間基地にオスプレイを配備させない闘いをつくっていこう」、「辺野古も年末が山場だ。埋立申請がくる。これを絶対につぶす」、「普天間基地の機能を止める闘いをやろう。コザ暴動に日・米は震撼した。そうした怒りをオスプレイ配備にぶつけよう」とさらなる闘いの飛躍を訴え締めくくった。高江で座り込み闘争を続ける「住民の会」のメンバーは「高江の工事はいろんな人たちが支え合って止まっている。これからも続けていかなくてはならない」、「オスプレイを止めよう。軍港で止めよう」、「沖縄の人が動かないとダメだ」と闘う決意を表明した。「沖縄平和市民連絡会」の高里鈴代氏は「わたしたちは平和憲法の下に復帰するんだと言って『復帰』した。しかし憲法という看板の裏には安保があった。安保をなくしていくことを視野に入れる必要がある」と呼びかけた。
集会ではグアムと韓国から参加したメンバーが紹介され、米軍再編で海兵隊の配備がすすむオーストラリアのダーウィンで反基地運動を闘う団体からのメッセージも紹介された。集会はガンバロー三唱で閉じられた。
青年実は4・28―5・15沖縄人民解放闘争を闘いぬいた地平を拡大し、普天間基地解体・名護新基地建設阻止を闘いぬく。普天間基地へのオスプレイ配備を実力阻止し、普天間基地の「固定化」をうち破る。高江ヘリパッド建設阻止、与那国への新たな自衛隊配備阻止を闘う。沖縄―日本「本土」貫く団結をうち固め、安保粉砕・政府打倒闘争の爆発をかちとろう。
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