全国寄せ場・日雇い労働者
3・26対厚生労働省団交、対日本経団連・日本建設業連合会(日建連)追及―弾劾行動が闘われる
全国の闘う日雇い労働者が首都・東京に結集
3月26日、全国寄せ場交流会が呼びかける寄せ場春闘集中行動が東京で闘いぬかれた。
日帝資本は世界大恐慌の爆発が必至となり、「円高」と世界市場の収縮のため自動車・電機など輸出産業を中心に売り上げが減少し、利益率も縮小している。日帝の基軸輸出産業の落ち込みが、「三一年ぶりの貿易赤字」に日帝経済を突き落としている。各国帝国主義は自国金融資本と大資本救済のために公的資金を市場に注ぎこんで恐慌回避を図らんとしてきたが、結局財政赤字を拡大させ、国債の暴落、国家財政の破綻を招いている。
日帝ブルジョアジーはさらに東北・関東大震災によって生産基盤を喪失し、また東京電力・福島第一原発事故以来、次々と全国の原発が稼働停止となり、大資本のために電力・エネルギーを供給し、労働者人民に対しては割高な独占的な料金で利潤をあげてきた電力資本の経営危機を招いている。このため日本経団連は、労働者家族に対しては、賃下げ・首切りリストラ、「九割非正規化」攻撃をしかけ、農・漁業などの中小零細の経営に対してはこれをすりつぶして、大資本延命に奔走している。日本経団連は「横並び春闘の終焉」を叫び、ベースアップゼロ、定期昇給凍結を早々と打ち出しているのだ。野田連合政府は日帝資本の危機のりきりのため、朝鮮反革命戦争への突撃と労働者人民からの大収奪を狙った消費税の税率アップの大増税攻撃に踏み込もうとしている。
大手ゼネコン―サブコン業者や建設日雇い労働者を供給するだけの人夫出し業者(これらの一部には暴力団ヤクザが経営している悪徳業者が含まれている)が「ビジネスチャンス」とばかりに東北被災地に乗り込んで、「復興特需」に群がり暴利をむさぼってきている。しかし、全国の寄せ場では恒常的な失業状態(アブレ地獄)が続いている。野宿と野たれ死に追い詰められている大多数の日雇い労働者は「野たれ死にか、または命とひきかえの被曝労働か」という選択をつきつけられているのだ。
日本経団連、資本の春闘つぶしの攻勢の前に「連合」傘下の自動車・電機・金属大手の労組は、「定昇維持のためにはベースアップはガマンする」などという屈服的な春闘方針を資本・経営側に見透かされて、ストライキを配置することもなく、3月14日の集中回答日には軒並み「ベアゼロ・定昇凍結」「一時金の減少」などで妥結してしまった。また、野田連合政府は、復興税・消費税増税の攻撃と一体となった公務員労働者への給与削減=賃下げのための「給与削減法」を翼賛化する国会の場で可決成立させている。
こうした帝国主義労働運動=「連合」の屈服を踏みしだき、反戦・反合・政府打倒の2012年春闘の一環として、東京・山谷に全国で闘う日雇い労働者の仲間が、闘う労働者が結集し、全国寄せ場春闘集中行動が取り組まれた。
山谷での総決起集会で春闘集中行動の決意をうち固める
早朝より山谷の城北労働・福祉センター前には赤ハチマキをしめた全国の寄せ場の労働者が結集する。山谷の仲間はビラを手にして玉姫職安、玉姫公園に赴き、寄せ場春闘集中行動を呼びかける情宣の行動にうってでた。センター前では炊き出しの準備が進められ、情宣の部隊が戻ってくると朝食を済ませ、七時半からいよいよ春闘集中行動にむけた決起集会を開始する。東京・山谷、大阪・釜ヶ崎、福岡・築港の赤旗を先頭にセンター前の路上は赤ハチマキの労働者でビッシリと埋め尽くされた。
「高齢者特就」も終わり、センターの仕事紹介もほとんど皆無というこの日、唯一残っている荒川区が発注している南千住地区の道路清掃の仕事紹介だけを期待して集まってきた仲間たちが全国寄せ場交流会の総決起集会に熱い視線を注いでいる。この日の道路清掃の仕事が回ってきたある仲間は、仕事開始の八時ギリギリまで、春闘集中行動に参加する仲間たちのために炊き出しの準備と片付けを買って出た。
「2012年寄せ場春闘を闘うぞ」「『反戦・仕事よこせ』を闘うぞ」。シュプレヒコールをあげる。全国寄せ場交流会の仲間が春闘集中行動の基調と方針を提起する。建設資本・日建連、厚生労働省、日本経団連に対して突きつけている要求の内容が簡潔に提起される。「ピンハネと劣悪な労働条件、そしてアブレの押しつけに対してゼネコン・建設資本を追及しよう」「厚生労働省に対して失業対策で仕事を出させよう。日雇い・野宿労働者向けの仕事をつくらせよう。『労働者派遣法』を撤廃させよう」「春闘つぶしを許さず、賃下げ・首切り、『非正規雇用』労働者を拡大する日本経団連を怒りで包囲しよう」と基調と行動方針が提起された。そして、この日の春闘集中行動にかけつけた東京都地域連合労働組合、神奈川県地域連合労働組合、反安保労研全国センターの仲間が連帯あいさつをのべる。東京の仲間は「越冬、夏祭り、金町解体の闘争、そして金曜朝行動など日ごろから山谷にかけつけ支援・連帯してきた。今日は大事な寄せ場春闘、ともに闘おう」。神奈川の仲間は「3人に1人が『非正規雇用』労働者で、日雇い労働者の『仕事よこせ』の闘いはますます重要なものとなっている。『非正規雇用』労働者も山谷の闘いに熱い注目を寄せている。『労働者派遣法』改悪を許さず撤廃をかちとろう」。反安保労研の仲間は「戦後労働運動の限界を越えていくべく、全国労働組合運動交流会(全労交)結成にむけ、2012年春闘の大爆発に邁進しよう」。さらに、沖縄・首里日雇労働組合の仲間から寄せられたメッセージが紹介される。沖縄の仲間は「沖縄の首里の寄せ場では、年度末になってもほとんど業者がみえず、仕事にありつけない日々が続いています。野宿を強いられている仲間からは『仕事さえあれば』という声があがっています。基地問題をめぐる政府の横暴な対応にも怒りが高まっています」「3月25日には全国寄せ場交流会の闘いと連動し、春闘・討論会を開催しました」。これらの連帯あいさつ・メッセージを全体の拍手で確認していった。
最後に、各寄せ場からの決意表明が行なわれた。福岡・築港日雇労働組合、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」、そして東京・山谷日雇労働組合がそれぞれ春闘集中行動を最後まで戦闘的に闘う決意を明らかにしていった。
前段の集会をうちぬいた全国寄せ場交流会の部隊はマイクロバス、ワゴンに分乗して、春闘集中行動の第一弾として八丁堀の日建連に向かって山谷を後にした。
アブレと野垂れ死にを強制するゼネコンに怒りが爆発
日建連が入る東京建設会館前の歩道は、全国から結集した寄せ場・日雇い労働者で埋め尽くされた。日建連の事務局職員の「今日は担当役員が不在です。代表団との交渉は後日必ずもちます」との対応に、仲間たちからは「なぜ、この日に用事をいれた。理由を言え」と怒りの声が巻き起こった。寄せ場交流会の代表の仲間が交渉を延期させた日建連に対して弾劾と春闘要求(申入書)を読み上げた。「1 ピンハネせず正当な賃金を出せ 2 重層下請をなくし、ゼネコン・元請けは直接雇用をしろ」とする要求だ。日建連は「要請書も受け取りました。交渉の約束もしました。早く引き上げてください」と悲鳴をあげる。しかし仲間たちは弾劾・追及の手を緩めることなく行動を闘った。中央警察署の私服が「約束の八時五〇分を過ぎているぞ」などと言いがかりをつけ、介入を図る。警察の介入なぞいっそう仲間たちの怒りを倍加させるだけだ。再び日建連への怒りのシュプレヒコールをたたきつけ、日建連追及行動をやりぬいた。そして日建連を後にして、厚生労働省(霞ヶ関)へと移動した。
「仕事を出せ、仕事をつくれ」と厚生労働省を追及
午前10時、厚生労働省前の歩道において、シュプレヒコールをあげ、団体交渉にむけた春闘要求書の中味について提起がなされる。そして、各寄せ場からの団交参加者の選抜と編成が行なわれた。
厚生労働省に対して「1『緊急雇用』による仕事出しを継続・拡充しろ 2『公的就労事業』を行なえ 3 『労働者派遣法』を撤廃しろ 4 日雇雇用保険未加入の違法業者を一掃しろ 5 『貧困ビジネス』をなくし生活保護の居宅保護原則の徹底をはかれ」という要求を突きつけた。同時に、団交代表団を送り出した部隊は、厚労省前で集会・シュプレヒコールで団交を激励し、そして東京・山日労のビラを配る。
団交では全国から結集した仲間が役人たちを鋭く追及する。「『緊急雇用』は一部事業については1年間延長しています。自治体からの申請があれば雇用対策の予算はでます」という国の責任は金を自治体に渡せば終わりという対応に怒りが爆発する。そして、「日雇い労働者向けの仕事を確保しろという通達を自治体宛に出せ」「民間まかせの態度を改め、失業対策事業のような国の責任での仕事を失業者につくれ」と追及する。また、日雇雇用保険の未加入業者の問題では「そのような業者がいれば、各職安に申告してください」なぞという木に鼻をくくった対応に怒りが爆発した。さらに、「労働者派遣法」をめぐる問題、生活保護制度の改悪の問題など団体交渉に臨んだ仲間からは積極的に活発に意見を役人どもにたたきつけていった。一時間四〇分にわたる団体交渉で厚労省を追及した。団交代表団の仲間たちは外で抗議・情宣行動を闘う仲間と合流し、簡単な交渉の報告をすませ、再び厚生労働省に怒りと要求のシュプレヒコールを響かせた。
抗議文を受け取ろうともしない日本経団連に日雇いの仲間の怒りが爆発
寄せ場春闘集中行動の締めくくりとして、大手町の経団連会館前に集結した仲間たちが日本経団連を包囲する。赤旗がはためく下、赤ハチマキとゼッケンで身を固めた仲間たちが会館前歩道を完全に制圧する。ただちに怒りのシュプレヒコールがたたきつけられ、弾劾の闘いが火ぶたを切った。寄せ場交流会の仲間が用意した「抗議文」を読み上げる。「日本経団連労働政策委員会報告(経労委報告)では震災による収益力低下・国際競争力低下のため『適正な総額人件費を管理を』として賃下げの号令を発している。また、『TPP参加』『特区』、原発再稼働を野田政府に要求している。そして、資本による労働者家族の社会保障負担を軽減させ、労働者人民からの大収奪のために消費税などの増税政策を野田政府に出させようとしている。『武器輸出の解禁』を掲げ、兵器産業を強化するために、野田政府の戦争政策の尻押しをしている」「おれたち全国の寄せ場労働者、野宿労働者は自らの生存をかけて、全国5000万労働者の先頭に立ち『仕事をよこせ』『生活できる賃金よこせ』の怒りの声を日本経団連に叩きつける」。
「抗議文」を読み上げて、代表の仲間が抗議文を持って会館正面玄関に赴くとガードマンが立ちはだかり、入れさせまいとする暴挙にでた。「経団連に取り次げ。職員を出せ」と要求するが、ガードマンは「申し入れは郵送でお願いしています」などと言って取り次ぎすらしない。
全国寄せ場交流会の仲間は「日本経団連は出てこい」「抗議文を受け取れ」とコールを繰り返した。そしてあらためて「春闘破壊を許さないぞ」「震災の犠牲を労働者におしつけるな」「アブレ、野垂れ死にやり返すぞ」と怒りをシュプレヒコールにこめてたたきつけた。
寄せ場春闘集中行動の全行程をやりぬいた部隊は経団連会館の近隣にある公園に移動し、集約の集会をもった。仲間が「三つの集中行動をやりぬいた団結の力で、さらに各地区・各寄せ場での業者・手配師に対する春闘要求行動、対行政の『仕事よこせ』の闘いにただちに起ち上がろう」と集約提起を行ない、締めくくりに「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」の仲間の音頭で「団結ガンバロー」を三唱しこの日の闘いを終えていった。
3・25沖縄・首里日雇労働組合が「春闘・討論会」を開催
3月25日、沖縄・首里日雇労働組合は全国寄せ場交流会が呼びかける「対厚生労働省団交、対日本経団連・日建連追及―弾劾行動」と連動して、「春闘・討論会」を行なった。組合の呼びかけに応え首里・与儀公園・平和通りの仲間が参加した。この間、組合とともに闘いぬいてきた仲間に新たなメンバーも加わって、討論会は盛大にかちとられた。
討論会は午後2時から開始された。討議資料として「対厚生労働省団交の要請書骨子」、「全国寄せ場の状況について」、「沖縄の状況について」が配布され、2時間の討議に集中した。
はじめに、司会より厚労省への要請書にふれて提起を受けていく。「日雇い雇用保険」について報告を受けた仲間は「首里でも持っている人がいるにはいる。しかし業者が印紙を貼ることをしない」、「そもそも給付条件を満たすだけ仕事がない」。制度が制度として機能していないことが浮き彫りとなった。また、「緊急雇用対策」の実態も明らかにされた。「県」や市町村が取り組む「ふるさと雇用再生特別事業」、「緊急雇用創出事業」(以上二事業は2011年度で終了)、「重点分野雇用創造事業」(2013年度まで)は、2011年度全体で約3300の雇用を生んだとされる。そのうち那覇市の雇用数は約300だが、その3分の1は情報技術(IT)分野に偏っている。寄せ場労働者や野宿労働者の求める失業対策が決定的に遅れていることに対し溜息が洩れた。
全国の寄せ場の状況が報告されていく中で、沖縄の状況について労働者から次々と意見が出された。「首里では年度末調整の仕事が去年と比べても3分の1程度しか出ていない」、「業者が寄せ場にこなくなった理由に、シルバーセンターから仕事をとる業者が増えたこともある。仕事数も減り、賃金も低く抑えられている」、「下請け、孫請けになるほど労働条件が悪い」、「10時、3時の休憩がとれる仕事は少なくないが、その分労働時間を延長する業者もある」、「いろいろ悪知恵を働かせて休憩時間を短縮させようとする親方もいる」、「残業代は正規の金額がもらえることはない」、「アスベスト対策が薄いマスクだけだったときはイライラした」、「職安では45歳以上は仕事にありつけない」、「生活保護で稼ごうとする『慈善団体』もあるから注意が必要だ」。現場ならではの意見が次々と出されていった。
反戦・反基地運動をめぐって、普天間―辺野古、高江、与那国に関する簡潔な報告がなされた。じっと聞き入っていた仲間は、「日・米両政府の人間性を疑う。沖縄戦から何年経つか。またコザ暴動でもやらないと分からん!」と憤りを表明した。怒りを共有するなかで、高江ヘリパッド建設の工事が開始される7月をみすえて、現地闘争への決起が提起された。
討論会の最後に「今後の取り組み」として、4・28―5・15沖縄人民解放闘争、6・23「慰霊の日」の闘いに取り組むこと、地域の労働者や学生の闘いに連帯していくこと、全国で闘う労働者との交流を深め団結をうち固めていくことなどが提起され、討論会は終了した。
その後、簡単な交流会の場が設けられた。交流会では、軍事占領下でのスクラップ拾いや不発弾の切断作業などの実体験が語られた。また山谷・寿・笹島・釜ヶ崎へ行ったことがあるという仲間は、当時の激闘を振り返り、ともに闘う意気込みを語った。四月以降の仕事がなくなる時期が間近に迫るなか不安を口にする仲間が多くいる。締めのあいさつで組合は「お互い助け合っていこう。もっと仲間を拡げよう」と呼びかけた。さらなる奮闘を互いに確認し合い解散となった。
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