都教育委員会は2003年「10・23通達」で卒・入学式等での「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱を現場の教育労働者に強制してきた。その命令に屈せず、不起立等で闘った都立学校教育労働者に対しては都教委は懲戒処分(戒告・減給・停職)を乱発してきた。東京「君が代」一次訴訟は、「10・23通達」直後の2004年時に、処分を受けた教育労働者が都教委による処分の取り消しを求めて争ってきた裁判闘争である。
2009年3月26日の東京地裁判決(裁判長・大西)では原告敗訴、2011年3月10日の東京高裁(裁判長・大橋)では都教委の処分取り消しを命じる逆転勝訴の判決が出された。
最高裁第一小法廷(裁判長・金築)は1月16日、原告169人の内、減給処分を受けた1人の処分取り消しを認めたものの、その他の戒告処分取り消し請求については棄却判決を打ち下ろしたのである。同日、第一小法廷は、他の「君が代」処分取り消し裁判でも判決を出している。そのひとつである停職処分の撤回を求めて闘ってきた根津・河原井裁判では、河原井氏の停職処分については取り消しを命じたものの、根津氏の停職処分については、原告の取り消し請求を認めず、棄却している。
2011年5月以降の一連の「君が代」訴訟での最高裁判決では、都教委発出の「日の丸」「君が代」強制の「10・23通達」に関して合憲のお墨付きを与えてきた。その上で、都教委による処分の軽重について裁量権を超えているか、否かについて今回、最高裁の判断を1・16判決で示した。最高裁の基準によれば「戒告は妥当だが、それ以上の処分(減給・停職・免職)は慎重に」ということだ。「日の丸」「君が代」の強制がそもそも許せないしろものだ。抵抗する教育労働者側に100パーセント大義がある。にもかかわらず戒告処分くらいは甘んじて受けろ、というのが今回の最高裁の不当な判決なのだ。
さらに最高裁第一小法廷は、「君が代」強制に対して、現場で抵抗する教育労働者の闘いについて「規律、秩序を乱す行為については絶対に認めない」という意志をも示している。「式の進行に影響を与えない程度に静かに座っているだけなら大目にみるが、それ以上の抵抗の闘争に対しては絶対に許さない」ということなのだ。
根津・河原井裁判での判決文では「10・23通達」以前の「日の丸」「君が代」強制に抵抗した現場の闘いに言及し、「(根津氏のように)国旗の掲揚の妨害と引き降ろし」の行為や、再発防止研修時に「ゼッケンを着用して」「研修の進行を妨害」したこと―つまり「日の丸」「君が代」強制に対して現場で実力で抵抗する闘争については徹底的に処分して構わない、と根津氏に対する都教委の停職処分を是認しているのだ。
最高裁1・16判決は、「日の丸」「君が代」処分についておとなしく座って抵抗の意志を表示するだけなら「戒告」ぐらいの処分を受け入れろ、それ以上の実力闘争は絶対に許さない、とする反革命判決だ。
教育労働者の現場での闘いへの抑圧に道を開く1・16判決を徹底的に弾劾する。
1・16最高裁前では、「請求棄却」の判決に対して、結集した多くの労働者人民が怒りをたたきつけていった。
そして、東京「君が代」一次訴訟原告団、また「河原井・根津さんの『君が代』解雇をさせない会」などの団体が、判決直後に、社会文化会館でそれぞれ抗議の報告集会を開催した。どの報告集会も会場からあふれるほどの労働者人民が結集し、「不当判決」への怒り、また抵抗闘争を頑強に闘った労働者には「処分は当然」とする最高裁判決に「分断判決弾劾」の怒りが巻き起こった。
これから卒業式を迎える。石原都政の都教委は「10・23通達」撤回はおろか、さらなる処分をねらっての「日の丸」「君が代」強制を策動している。また、大阪府や大阪市などでは橋下徹ら「維新の会」が「処分条例」の可決・成立をねらっている。
1・16最高裁判決を粉砕し、卒業式・入学式等での「日の丸」「君が代」強制をはねかえしていかなくてはならない。「日の丸」「君が代」強制に対する現場の抵抗の火を絶やさず、教育労働者の不起立・不伴奏の決起をかちとっていかなければならない。現場で決起する教育労働者の闘いを孤立させることなく、卒業式の現場での教育労働者の不起立決起を支え、闘いぬこう!
写真:1・16請求棄却判決に怒る原告団と支援の労働者人民(最高裁南門)
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