香登使信

日本イエス・キリスト教団香登教会

2020年11月15日第832号

「なぜ、と人から打たれたとき」マルコ2:15〜28 工藤弘雄牧師

 「なぜですか」と人から非難されたとき、その人から何が出てくるか。それによってその人の真価が問われます。主イエスはここで三回、「なぜですか」と問われています(マルコ2:16、18,24)。そのとき、主イエスは何と答えられたでしょうか。

なぜ、罪人と食事をするのか

 「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか」(16)。パリサイ人や律法学者の問いかけです。厳格に律法を守る彼らは、取税人や罪人と打ち興じて食事をしている主イエスを非難しました。そのとき、主イエスは言われました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」(17)と。驚くべき答えです。主イエスは救いの岩です。かつて、打たれた岩から水が出たように(出エジプト17:6)、ここでは、人を潤し、癒やし、生かす水のようなお言葉が出てきました。

 天の御国には正しい人が招かれると誰もが思うことでしょう。ところが、主イエスは、天の御国は罪人が招かれているとおっしゃるのです。使徒パウロは、かつては「律法による義については非難されるところがない者でした」(ピリピ3:6)と自負していましたが、救いの喜びも確信もありませんでした。しかし、あのダマスコ途上で回心したとき(使徒九章)、彼は一変し、後日、このように記しています。「『キリスト・イエスは罪人を救いために世に来られた』ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです」(Tテモテ1:15)。自らの罪におののき、悲しむ者にこそ、天の御国は開かれ、その人にこそ主イエスは友となってくださるのです。

なぜ、断食しないのか

 次に主イエスは、「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか」(18)と非難されました。そのとき、主イエスは「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、断食できるでしょうか。花婿が一緒にいる間は、断食できないのです」(19)と答えられたのです。

 主イエスは花婿です。その主イエスが共におられるのにどうして断食することができるでしょうか。「わたしは岩から滴る蜜で/あなたを満ち足らせる」(詩篇81:16)とありますが、主イエスは打たれたとき、蜜のような甘い、喜びの言葉を発せられたのです。「だれも、真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません」(21)、「まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません」(22)。もはや難行、苦行、克己によって救いを得る古い時代は終わりました。神が無代価で与えられた恵みによる救いをただ信仰によって受け取る時代が来たのです。それなのにどうして断食する必要があるでしょうか。

なぜ、安息日を守らないのか

 ある安息日のことです。弟子たちは進みながら穂を摘み始めたのです。すると、パリサイ人たちは、主イエスを非難してこう言いました。「なぜ彼らは、安息日にしてはならないことをするのですか」(24)。すると主イエスは、昔、ダビデが、供の者たちが空腹時に、神の家に入り、祭司以外の人が食べてはならない聖別された臨在のパンを食べさせたことを引き合いに、「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません」(27)と答えられたのです。宮のパンの律法も、安息日の律法も、すべて人のためにあるというのです。思えば、今日の交通規則も人のためにあるのです。「赤」は止まれ、「青」は行け、このルールは事故や混乱から守ります。しかし、人が生死にかかわるとき、「救急車」はこのルールに縛られません。

 すべての律法、法律は人のためにあるのであって、人が律法や法律のために造られたのではないのです。安息日の律法は、人のためです。一週に一日安息し、すべての働きから解放され、神を礼拝し、神と交わるとき、霊的にも、精神的にも、肉体的にも、その安息日がどれほど有益なものとなり、新しい一週間の働きと生活が生かされることでしょうか。

 「なぜ、安息日を守らないのか」と非難されたとき、「岩は私に、油の流れを豊かに注ぎ出してくれた」(ヨブ29:6)とあるように何という油のような自由を与える恵みの言葉が出てきたことでしょうか。

 「人の子は安息日にも主です」(26)。主イエスは安息日を生かすお方です。律法を真に人のために生かすお方です。自由であって律法を犯さない、真の安息、自由を与える救いの岩です。「なぜですか」と主イエスが打たれたとき、救いの岩である主イエスから、水のような癒やす言葉、蜜のような喜びの言葉、油のような自由の言葉が出てきました。その主イエスの救いの岩に立つ私たちも、罪人の友となり、花婿なる主とともに喜び、律法に束縛されず、律法を生かす者となりましょう。

 

 また主イエスを心の内に宿し、「なぜですか」と人から非難されたときに、いつも水のような、蜜のような、油のような言葉が出てくる者にさせていただきましょう。

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