香登使信

日本イエス・キリスト教団香登教会

2020年10月4日第829号

「主の晩餐の恵み」マタイ26章26〜30節、ヨハネ6章52〜59節 工藤弘雄牧師

 今日は世界聖餐日です。コロナ渦の中で聖餐は行われませんが、聖餐の奥義と恵みを深く心に留めましょう。主イエスは十字架に向かわれる前に弟子たちと過越の食事をとられました。この「最後の晩餐」は「主の晩餐」として今日に至る聖餐式の原型となりました。この主の晩餐において、過去、現在、そして未来における主の御姿と主のみわざを覚え、主の晩餐を意義あるものとしましょう。

過去における贖いのみわざを想起する

 主イエスは、パンを取り、これを裂き、「取って食べなさい。これはわたしのからだです」と言われ、また、杯を取り、感謝の祈りをささげ、「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です」と言われました(26〜28)。

 これは明らかに真の過越の子羊として主が十字架にかかられ、肉を裂き、血を流されることを意味しております。ですから、私たちは二千年前にカルバリーの十字架において私たちのために主が肉を裂き血を注がれたことを聖餐式の度ごとに深く覚えたいものです。

 使徒パウロは第一コリント書十一章で、「私は主から受けたことを」と述べているように、私たちも主の贖いのみわざが自分のためであったことを信仰により受けとめねばなりません。また、パウロは「わたしを覚えて、これを行いなさい」(同書11:24、25)と記していますが、この「覚える」という用語、アナムネーシスは、「想起する、再現する」という意味があります。単に昔物語とするのではなく、過去になされた贖いのみわざを今ここで体験することを意味しているのです。

 私たちは、「主の晩餐」の恵みを月に一度どころか日々想起し、再現し、新しくこの恵みを体験しましょう。ここに主イエスの新しい契約があります。古い契約は、「これを行え、そして生きよ」でしたが、新しい契約は、「生きよ、そしてこれを行え」です。「主の晩餐の恵みにより、罪赦され、新しく生れ、心に神の律法が記され、それを行う者とされるのです(エレミヤ31:31〜34参照)。

現在、臨在される主と交わる

 次に、聖餐式は現在、臨在される主と交わることです。主と交わるとは、主と結ばれ、主と一体とされることです。「食べる」、「飲む」という行為は交わりの極地を表します。主と食を共にする。これはすばらしい交わりです。私たちお互いも様々な交わりを持ちますが、食卓を囲み、談笑しつつ食事を共にするほど親密な交わりはありません。

 しかし、主イエスはそれ以上の交わりをここで示しています。主イエスは「わたしと食をともにする」以上に「わたしを食べなさい、わたしの血を飲みなさい」と言われるのです。ヨハネの福音書六章を見ると、これを聞いた人々は、「これはひどい話だ」とあきれました。事実、初代のクリスチャンたちは、人の肉を食べ、人の血を飲むという恐ろしい儀式を行う者として迫害されました。

 私たちが、信仰をもって聖餐式のパンとぶどう汁を食べ、飲むとき、まさに主イエスと一体となることを示しています。聖餐式とは何という奥義的な聖礼典でしょうか。そして、同じ主イエスの肉と血にあずかった兄弟姉妹とも一つとなるというのです。

 ここに真の交わりがあります。ですから聖餐式はホーリー・コンミュニオン(聖なる交わり)とも言われてきました。そこにキリストのからだなる教会の一体感があります。ですから使徒パウロは、この厳かな聖礼典にあずかるために「ふさわしくあること」と聖餐式の意義を深く「わきまえること」の二つを強く勧めているのです。

未来における御国の交わりを待望する

 次に、聖餐式は常に未来を指向します。十字架を前にしての主の晩餐は地上における「最後の晩餐」となりました。「今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません」(29)と言われたように、主イエスは十字架上で贖いのみわざを成し遂げ、復活し、昇天されました。「主の晩餐」は以後、主イエスの再臨を待望しつつ、キリスト教会において継続され、今日に至っています。

 ですから、私たちは御国における主の晩餐を待望しつつ、聖餐式にあずかるのです。主の裂かれた肉と流された血は永遠に生きています。御国における交わりにはほふられた子羊への大讃美が伴います。御国においては主の裂かれたからだと流された血潮が常にほめたたえられるのです。

 

 御国おける栄光の聖餐式を待望しつつ、今私たちが心に留め、なすべきことは二つです。

 第一は、御国での聖なる交わりは待望するとともに、今、聖餐式において御国の恵みを先取りすることです。御国の聖なる交わりの前味にあずかることです。

 第二は、「主が来られるまで主の死を告げ知らせる」(Tコリント11:26)ことです。主の晩餐ごとに主の贖いの恵みを確かめ、そこから遣わされ、主の十字架による救いを涙と祈りを持ってできるだけ多くの人々に知らせることです。

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