香登使信

日本イエス・キリスト教団香登教会

2020年8月30日第826号

「聖霊に満たされる喜び」ローマ8章1〜11節 工藤弘雄牧師

 香登修養会の恵みに基づく夏期聖別礼拝の最終主日は「聖霊に満たされる喜び」がテーマです。これこそキリスト者の最高の祝福と言えるでしょう。「むしろ、聖霊に満たされなさい」(エペソ5:18)。これは聖書の命令であり、かつての体験だけでなく、現在進行形の恵みなのです。今、聖霊に満たされるために重要な二点をしっかり心に留めさせていただきましょう。

肉の磔殺

 ローマ書八章は御霊の文字が躍る聖霊の章です。七、八節を見ると、肉の思いは神に敵対し、神の律法に従えず、「肉のうちにある者は神を喜ばせることができません」とあります。ところが九節を見ると、「しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです」と記されています。肉に属する者か、御霊に属する者か。これが聖別会の一大テーマなのです。

 イエス様のものとなり、御霊に満たされるために極めて大切な第一のことは、肉の人から御霊の人へ切り替えられることです。どうしたら肉から脱却できるでしょうか。それは肉を十字架につける以外にありません。ガラテヤ書五章二十四節をご覧ください。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。」

 主イエスの十字架信仰には二つの面がります。第一は、主は私たちの身代わりとなり、私たちの全ての犯した罪をご自分のものとして負われ、私たちに代って神の裁きを受けられたという側面です。

 説教者がしばしば語ってきたアメリカの小さな田舎町の小学校における身代わりのムチの例話にあるように、「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた」のです(Tペテロ2:24)。 「正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです」(同3:18)。その身代わりの十字架信仰ゆえに、私たちは犯した罪を赦され、その罪を犯す以前にまで戻される義認の恵みを受けたのです。これが「赦しの十字架」です。

 もう一つの側面は磔殺(たくさつ)の十字架信仰です。罪を犯す本体である生れながらの罪、古き人、肉、内在の罪、古い自我性と呼ばれる、その罪の本体が十字架につけられていることを知ること、認めること、信じることです。十字架を信じ仰ぐとき、私の犯してきた罪が赦されているだけでなく、罪を犯してきた私自身もキリストと共に十字架につけられて死んでいると信じ受け取ることです。

 沢村五郎先生の六甲山での証し、小島伊助先生の松山での取り扱いなど私たちはよく聞かされてきました。私自身も磔殺の福音を初めて長島幸雄先生から聞き、本当に驚きました。この真理は、ローマ書六章六節、ガラテヤ書二章十九、二十節、五章二十四節に明示されています。少し短絡的になるかもしれませんが、雑草よりも雑草の根を抜く、蜘蛛の巣よりも蜘そのものを殺すなどの例えでも語られる十字架のメッセージです。聖霊充満、キリストの内住、その恵みを受けるために、この磔殺(たくさつ)の十字架信仰は避けて通れません。

全き明け渡し

 聖霊に満たされるためにもう一つ重要なことは、全き明け渡しです。自分の肉を十字架につけた、私がキリストと共に十字架につけられたと証しできる人は、自分自身を全く神に明け渡し、献げた人と言えるでしょう。ローマ書六章には、きよめの恵みにおいて重要な三つのキーワードがあります。知ること(6節)、認めること(8節)、そして献げること(13節)です。

 「自分の手足を罪の道具として神に献げなさい」、「あなた自身を神に献げなさい」と御言葉は迫ります。「自分自身を神に献げる」こと、これが神への全き明け渡しです。古き人がキリストと共に十字架につけられ、死んでよみがえった者の実際的な行為です。

 イエス様は私たちのためにすべてを献げてくださった。ですからそのご愛がわかれば、私たちもその主に全てを献げることは当然と言えば当然です。献げることは愛することの具体的な行為でしょう。さらに信じ任せること、従うことも献身の表われなのです。

 主は私たちの最も良いもの、大切なものをもって、どれだけ、主を愛し、信じ、従っているかを試されるでしょう。モリヤの山で「あなたのイサクをささげなさい」と主はアブラハムに命じられました(創22章)。ヤコブもついに最愛のベニヤミンを手放しました(創43:14)。エステルも「私は死ななければならないのでしたら死にます」(エステル4:16)と全てを明け渡しました。私自身もしばしば証しするように、若き日に磐梯聖会において、「ただみこころが成りますように!」と全てを明け渡しました。そのときの聖霊のえい満は今も継続しています。

 処女マリヤのように、御子イエスのように、「わたしの願いではなく、みこころがなりますように」(ルカ22:42)と明け渡すところにこそ、真の自己の磔殺があり、きよめの真髄があるのです。

 古き人、肉の磔殺、自己の全き明け渡し、そこに聖霊えい満の恵みがあります。さらに日々、十字架を仰ぎ、磔殺の十字架を確認し、日々己れを献げ、日々聖霊に満たされ続けようではありませんか。

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