天王山( てんのうざん)                              [近畿] 270

 

 2018年の歩き始めは山歩会に参加して京都の天王山へ。山歩会恒例の青春18きっぷを使った山行で、今回は7人が参加。名古屋から各駅停車を乗り継いで京都を目指すのだが、日曜日ということもあり列車は満員で、全員米原まで立ちっぱなしという羽目になった。
 米原からは何とかバラバラに座ることができて体力回復。天王山の前に、まず淀川対岸の男山に鎮座する石清水八幡宮に初詣という計画のため、京都駅到着後、奈良線で一駅行った東福寺駅で京阪電鉄に乗り換えて八幡市駅で下車する。

 八幡市駅前の観光案内所で地図を入手し、石清水八幡宮に向かって歩き出す。石清水八幡宮は標高130m程の男山の山上にあり、ケーブルカーもあるのだが、山歩会なので当然歩いて登る。
 一の鳥居をくぐり、大祭の時の御旅所になる頓宮の境内を抜け、二の鳥居もくぐって表参道の七曲りを登り始める。ケーブルカーがあるにもかかわらず、家族連れ、お年寄りなど 、老若男女歩いて登る人が多い。
 階段が続く七曲りは大扉稲荷社のあたりまでで、そこからは真っ直ぐな道が山腹に付けられていて、少しずつ高度を上げていく。明治の神仏分離の前までは、参道沿いに「男山四十八坊」と呼ばれる宿坊が並んでいたそうだ。

石清水八幡宮一の鳥居

 

 階段を登り切ったところが三の鳥居で、ここで参道は向きを変え、南総門へ向かう。参道は石畳になり、両脇にずらりと石灯籠が並んでいる。
 南総門前はケーブルカーで登って来た人も合流して、ごった返している。人波に押されるように南総門をくぐり、境内に吐き出される。

南総門前

 

 石清水八幡宮は平安京の裏鬼門を守る王城鎮護の神社であり、天皇の行幸もしきりに行われた 格式のある神社である。八幡さまの大元締めは大分の宇佐神宮であるが、霊験あらたかな神として都近くに迎えられたことから、本家をしのぐほどの崇敬を集めてきた。
 ということで、今も初詣の人々が押し寄せて賽銭箱の前は人だかり。参拝にずいぶん時間がかかった。
 本殿は回廊に囲まれていて見えないが、鮮やかな朱塗りの楼門が青空に映えて、華やかさと威厳を感じさせる。

石清水八幡宮 楼門

 

 回廊の周りを一周し、応神天皇を祀る若宮社などにお参りしてから南総門を出て、展望台に向かう。
 展望台はケーブルの山上駅に向かう途中にあり、京都方面の展望が開ける。眼下には木津川、宇治川、桂川の三川が合流し、京都の街並みの向うには比叡山や愛宕山が眺められる。東山の稜線が逢坂山附近で低くなったあたりに、遠く白い伊吹山がわずかに覗いている。
 向かいの山が天王山と思われるが、鳩ヶ峰から伸びる尾根が邪魔をしていてはっきりしない。後でわかったが、小さく見えていた鳥居が天王山山頂近くの酒解神社のものだった。

展望台から天王山を望む

 

 予定より少し遅れているのでここで昼食にし、男山ケーブルで下山した。ケーブルカーも満員だった。

 八幡市駅前からタクシーに分乗し、三川を越えて大山崎歴史資料館に移動する。
 資料館を見学した後、いよいよ天王山に登る。

 阪急のガードをくぐり、街並みを抜けてJRの広い踏切を渡ったところに登山口の石柱が立っている。
 宝積寺までは車道を歩くのだが、非常に傾斜のきつい車道で、たちまち脚に乳酸が溜まる。住んでる人たちはさぞ足腰が丈夫になるだろう。

天王山登山口

 

 宝積寺の金剛力士像はさほど大きくないが、鎌倉時代のもので、重文に指定されているらしい。境内の三重塔や本堂の十一面観音菩薩立像も重文とのことで、山門に懸けられた幕の菊の御紋も相まって、由緒正しいお寺であることがうかがわれる。

 本堂の右手に池があり、それを回り込むと山道が始まる。

宝積寺 山門

 

 山道はハイキングコースとして整備されていて、しばらく擬木階段の急登が続く。天王山は男山の方から見るとなだらかな稜線を持った山だが、淀川に削られた方向から登っているので、予想外 に傾斜のきつい道だ。たかを括って登り始めたが、なかなか苦しい。

 しばらく登ったところに平場があり、青木葉谷展望広場と標識が立っている。少々もやっている上に曇り始めた風景の中を、淀川が蛇行しながら光っている。流れの先の大阪のビル群の中に、ひときわ高い「あべのハルカス」が突き出ている。
 

擬木階段が続く

 

青木葉谷展望広場から大阪方面の展望

 

カナメモチ

 

 観音寺(山崎聖天)からの道を合わせ、なおも登ると石造りの大きな鳥居が現れる。これが男山の展望台から見えていた鳥居のようだ。
 鳥居の前には山崎合戦の石碑や合戦の時に秀吉が旗を掲げて志気を高めたという旗立松(もちろんその後継木)、合戦場を見下ろす展望台などがある。

 麓の歴史資料館でも解説があったが、「天下分け目の天王山」と言われるものの、合戦があったのは天王山の麓の淀川との間の狭隘地で、天王山の山上で戦いがあった訳ではないらしい。
 天王山の山頂には城跡があるが、この城も合戦の後に造られたもので、大阪城ができて西国への睨みが効くようになったら、すぐに破却されてしまったようだ。

酒解神社の鳥居

 

「山崎合戦之地」の石碑

 

旗立松展望台から合戦場を見下ろす

 

 旗立松から少し登り、近道の標識に導かれて石段を登ると十七烈士の墓。禁門の変の首謀者の一人である久留米藩士の墓らしいが、このあたりの歴史は良く分からない。
 なおも登ると酒解神社の拝殿の前を通る。この神社の正式名称は自玉手祭来酒解神社(たまてよりまつりきたるさかとけじんじゃ)。漢文の返り点が必要な名前で、延喜式内社の古社らしい。
 もともとは山崎の産土神であったが、中世に離宮八幡宮の勢力が増して山上に追いやられたと資料館の人は言っていた。ここの御祭神の一柱が牛頭天王(素戔嗚尊)であり、かつては天王社と呼ばれていて、天王山の名前はここからきている。
 また、社の左側に神輿庫があり、校倉造りならぬ板倉造りの建物として重文に指定されている。

十七烈士の墓

 

酒解神社の神輿庫

 

 酒解神社からはヒノキの植林地を進み、左手の小高い出っ張りに登るとそこが山頂だった。
 山頂一帯は平らな面が幾つかあり、城跡らしくなっている。平坦面の一角のわずかな高みに山頂の標柱が立っているが、三角点はなさそうだ。
 山頂には犬連れの家族など何組かのハイカーがいて、そこそこ賑わっている。歴史好きのハイカーが多いのかもしれない。ニューヨークから来たという女性もいて驚かされる。
 山頂の一角からは大阪の方面の展望が開ける。

 

天王山山頂

 

山頂で休憩

 

 ハイキングコースはまだ先に続いているが、駅から遠くなるので同じ道を戻って下山する。
 同行のMiさんの提案で、宝積寺の横から左にそれて「大山崎山荘美術館」に立ち寄る。無料の庭園拝観だけのつもりだったが、何となく入館することになり、開催されていた「濱田庄司」展を見る。
 ここの美術館は以前にも来たことがあるが、太い梁のイギリスチューダー様式の建物がかっこいい。二階のテラスからの眺めも良く、午前中にいた男山が淀川の流れを挟んですぐ近くに見える。

 時間がなくて展示をじっくり見られなかったのが残念だが、思わぬ美術鑑賞に満足して、JR山崎駅に下る。

庭園から美術館のテラスを見上げる

 

 天王山ルートマップ


[山行日] 2018/1/7( 日)
[天気] 晴れのち曇り   2018年1月の天気図(気象庁)
[アプローチ]

JR岡崎駅 (新快速) → JR金山駅 7:25 (特別快速)→ 8:44 JR米原駅 8:48 (新快速) → 京都駅 10:03 (奈良線、各駅停車) →10:05 東福寺駅(京阪東福寺駅)10:21  (京阪電鉄、準急)→ 10:48 八幡市駅

八幡市駅 (タクシー) → 大山崎歴史資料館

[コースタイム]  
         
  行動時間 発着時刻 地点名 休憩時間  
0:15 13:15 大山崎歴史資料館    
13:30 宝積寺 0:05  
0:10 13:35  
13:45 青木葉谷展望広場 0:05  
0:30 13:50  
14:00 旗立松展望台    
14:10 酒解神社    
14:20 天王山山頂 0:20  
0:30 14:40  
15:10 大山崎山荘美術館   全行動時間
1:25     0:30 1:55

 

[帰り道]

JR山崎駅 16:05 (各駅停車) → 17:37 JR米原駅 17:46 (特別快速)→ 18:58 JR名古屋駅 (特別快速) → JR岡崎駅

[ガイドブック] 大山崎町HP