秋葉山(あきばさん)                              [静岡・遠州] 865m
神と仏の山 No.6

 私の住む地域の神社には秋葉社の社額を掲げた祠があることが多い。地域の人々は親しみを込めて「秋葉さん」と言う。本殿とは別に、境内に祠を設け、そこに秋葉神社のお札を入れて祀っている。また、集落に古くからある常夜灯の後ろに、箱を付けた柱を建て、その箱にお札を納めてお参りしているところもある。
 火事は全てのものを失ってしまうので、昔から火除けの力がある神様は身近に祀られてきた。台所にお札を貼ったりもする。火除け、火伏せの神様としては秋葉社の他に愛宕社などもあるが、このあたりでは、秋葉社の本宮である遠州の「秋葉山」に近いので、秋葉社が圧倒的に多い。
 秋葉社の神様は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)で火を司る神様である。火の神様が防火の神様でもあるところが面白い。昔の日本人は自然の脅威である暴風、大雨、火事などを風の神、水の神、火の神の力によるものと考え、その神様ご機嫌を取り、それを恐れ敬うことで災難から逃れられ 、ご利益があると考えていたのだ。火事が怖いから水の神様に頼る、というようなことはしないのだ。

 はてさて、地域の神社に関わることになった私自身は「秋葉山」にお参りしたことがない。「秋葉山」は正式な名称を「秋葉山本宮秋葉神社」といい、南アルプスから派生した尾根の先の標高865mの山の上にある。神社の名前でもあるし、山の名前でもある。
 普通の人は車で境内のすぐそばまで上がるのだが、それではつまらない。調べてみると、麓の気田川のほとりに下社があり、そこから東海自然歩道が上社である本宮まで続いているようだ。これは昔の表参道であり、昔の参拝者 は皆これを歩いて登ったのだ。それでは私も歩いて登ることにしよう。

  新東名の浜松・浜北ICから車で一時間もかからずに下社の駐車場に到着。このあたりは、10数年ほど前にカヌーに凝っていたころ、気田川の川下りのためによくキャンプなどをしていたところだ。カヌーはシーズンオフなので見当たらないが、キャンプ場はまだあるようだ。

 まずは下社のお参り。ささやかな土産物店の間を通り、石段を登るとそこが境内。すでに御祈祷を受ける人が待合所でストーブに当たりながら待っている。手にしている古いお札を返して、新しいお札を受けるのだろう。
 この下社は戦時中の昭和18年に、山上の社殿が麓の鉱山から出火した山火事で類焼してしまったため、本殿が遷座された奉遷所で、昭和61年に本殿が山上に再建された後も、下社として参詣されている。杉木立に囲まれた社殿は、建てられて70年もたっているので、古色に包まれ威厳と落ち着きがある。
 

下社参道入り口 下社拝殿
 

  さあ、お参りを済ませたのでいよいよ上社へ。まずは東海自然歩道の標識に従って、車道を坂下の集落に向かう。 正面にこれから登る尾根が見えている。

 途中、車道のそばに表参道参拝者用駐車場があった。本当は下社の参詣者の邪魔にならないように、この駐車場に止めるべきだったのだ。

登る尾根を見上げる(下社駐車場から)
 


 車道から右に旧道に入ると赤い九里橋を渡る。ここは東海道の掛川から秋葉街道が分れ、九里の距離にあたるらしい。道の脇には昔、参詣者の宿泊や接待をしたような古い家々が残っている。 坂下の集落の中の道は コンクリートの恐ろしい程の急坂で、それを登りきると植林地の中の石畳の道になる。

坂下の九里橋
 

 石畳の道はすぐに、秋葉寺の大きな案内標識のところで土の道に変わる。ここからは杉やヒノキの植林地の間をジグザグに登っていく。古くからの表参道だけあって、道幅は2mくらいある。昔の1間というところだろうか。

 道の脇に四角い火袋の変わった形の常夜灯が何基も立っている。説明板によると、江戸時代末期の嘉永五年(1850年)の御開帳の時に個人が寄進したものだそうだ。他にも丁目石や茶屋の跡などもあり、往時の賑やかさが偲ばれる。

 それにしても急でしんどい道だ。徒歩の参詣の頃は、山頂の参籠所(さんろうじょ)で一泊し、翌朝5時頃、祈祷を受けて下山したそうだから、ここを登るのは午後3時〜4時くらいであったようだ。長い道のりを歩いてきて、最後にこの坂を登るのはやはり大変なことであっただろう。今とは周囲の様子は違っているだろうが、この展望のない単調な道はつらい。 信仰面の興味がないと、ハイキングコースとしては楽しいものではない。

周りは植林地ばかり
 

常夜灯 神社まで三十丁の石碑
 

 標高300mを過ぎたあたりからやや傾斜は緩くなった。
 かつて秋葉山の大祭の時に賭場が開かれたという「チョボイチ平跡」の説明板を見ていたら、下からエンジン音を響かせて何か上がってくる。振り返ってみると砂浜などを走るバギー車だった。ダウンジャケットを着た兄ちゃんが運転しており、荷台に畳を一枚積んでいる。奇 っ怪な光景である。
 後ろに積んだ畳は荷物なのか、それとも荷物を積むための台なのか?なんでここを通るのか?他に通る道は無いのか?それにこんな歩道を車で通っていいのか?
 疑問が言葉にならないうちに、バギー車は通り過ぎてしまっていた。

登っていくバギー車
 

 単調な展望のない道は相変わらずだが、道脇には崩れた鳥居の跡とか、子宝を願った子安地蔵などがあり、信仰の跡をうかがわせるものも見られる。

 東海自然歩道だからコースタイムは余裕を見てあるだろうと思い、山上までコースタイム2時間10分だが1時間半くらいで着くのではないかと考えていたが、秋葉寺 (しゅうようじ)に着いた時にもう1時間半になっていた。ほぼコースタイムどおりである。


子安地蔵
 


 この秋葉寺の由緒は少し複雑だ。
  神様と仏様への信仰が江戸時代までは混然一体となっていたという事実は、今の人々はあまり知らない。私自身、知識として知ってはいるが、どのような気持ちで神と仏を敬っていたか、というのは実感 として分からない。

 明治維新直後の神仏分離令により、 それまでの神社の中に寺があり、寺院の中に社があり、また神主と僧侶が同居しているという形態は改められた。神道、仏教の両方の要素を持つ修験道も禁止された。維新政府が天皇を担ぎ、天皇家の祖となる天照大御神などを信仰対象とした神道を国体の基にしたので、神社と寺院 に分離するときに仏教的施設を除去することが多く、それが廃仏毀釈の過激な動きにつながっていった。

 秋葉山も江戸時代は「秋葉大権現」と呼ばれ、神仏混淆の信仰が行われてきた。修験道の道場でもあり、今も続く「秋葉の火まつり」は修験者の火の行 につながる感じがする。
 神仏分離の時に秋葉山は神社となり、仏教的な要素は明治6年に、袋井市の可睡斎(かすいさい)に「秋葉総本殿」が建てられて移された。そこに祀られているのは「秋葉三尺坊大権現」と言われ、 越後で修業した僧で、神通力を得て天狗の姿になり、白狐に乗って秋葉山に飛来したと伝えられている。この三尺坊が火伏せの道場を開いたので、これが秋葉山の火伏せの信仰の起源と言える。
 今ある、この山上の秋葉寺は 神仏分離の時に廃寺となった秋葉寺が明治13年に再興された寺で、ここも三尺坊大権現を祀っている。そのため、袋井の可睡斎もここも、通称「三尺坊」で通っているが、秋葉寺と可睡斎がどういう関係にあるのかは、私にはよく分からない。
 

 はてさて、実際の秋葉寺はなんだか寂れた感じがする。山門は立派だが朽ちている部分もあるし、境内は広いが、人の気配がない。秋葉神社と同日の火まつりを知らせる看板だけが新しい。

 本堂の前で少し休んだ後、秋葉神社に向かうため裏に回ったところ、意外に奥まで建物があり、道場として泊まることもできるのかもしれない。建物の裏に先ほど登っていたバギーが止まっていたが、きっとここに畳を運んできたのだろう。火まつりが近いので畳を替えたのだろう。ここの寺には車道が来ていないようだ。

秋葉寺山門
 

 少し登ると秋葉神社の神門に着く。この神門は昭和18年の火事の時に類焼を免れたので、江戸時代の繁栄を偲ばせる唯一の建物となっている。彫刻が施された立派なもので、門内には神主姿の武神が収まっている。江戸時代後期に建てられたようだ。

秋葉神社の神門
 

 山門から少しの登りで秋葉神社上社に到着。結局下社から2時間かかってしまった。
 上社の再建は昭和61年でもう30年近くたっているのだが、社殿はとても新しい感じがする。まわりもあっけらかんと明るく、なんだか新興住宅地にできた新しい神社のような感じがして、霊験あたらかな感じがしない。もらい火とは言え、火の神様なのに焼けてしまった、というのもちょっと惜しい気がする。境内には金の鳥居が立っていて、これも少々世俗的。

上社拝殿
 

 それでも神仕えの身ではあるので、ちゃんとお参りをし、お札も頂いてきた。ウィークデイではあるが、駐車場の方から個人や会社での参拝者が三々五々上がってくる。

 鳥居下の手水舎のあたりからは南の方角の展望が開け、浜松方面が見える。逆光で混然となっているが、空と同じ大きさで遠州灘も広がっている。

金の鳥居と開ける展望
 


 昼時で腹も減ったので、斎館の食堂で昼飯にする。山の中という場所柄、蕎麦を食べるべきだろうが、蕎麦は当たりはずれが大きいので、うどんにする。大シイタケうどん(又は蕎麦)が名物らしいが、残念ながら売り切れ。しかたなく、かき揚うどんを食べるが、これがなかなか美味しかった。こういうところのかき揚はだいたい小麦粉のつなぎが多く、べちゃっとしているのだが、ここのはかりっと揚がっている。満足。
 


 帰りは同じ道を下る。登りには気が付かなかったが神社近くは杉の大木が多く、森としても見ごたえがある。林床のコアジサイが黄葉して彩りを添えている。

 道がいいので下山は早いがそれでも、コースタイムの1時間半とあまり変わらなかった。 登り下りですれ違ったハイカーは十名くらいだった。

コアジサイの黄葉
 

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[山行日] 2013/12/3(火)
[天気] 快晴
[アプローチ] 新東名・浜松浜北IC (R152、 R362号)→ 秋葉神社下社(浜松市天竜区春野町領家)     [約20km]
      
・下社前の駐車場利用。公衆トイレあり。
・東海自然歩道を少し歩いたところに表参道参拝者用の駐車場あり。こちらにもトイレあり。
[コースタイム]  
  行動時間 発着時刻 地点名 休憩時間  
0:30 9:50 秋葉神社下社駐車場 発    
10:20 標高318m地点 0:05  
0:55 10:25  
10:45 チョボイチ平跡    
11:00 子安地蔵    
11:20 秋葉寺(三尺坊) 0:05  
0:25 11:25  
11:50 秋葉神社上社 0:45  
1:20 12:35  
13:05 子安地蔵    
13:55 秋葉神社下社駐車場 着   全行動時間
3:10     0:55 4:05
登り 1:50        
下り 1:20        
[地図] 犬居、秋葉山 (1/25000)