真実なんて、この世に一つも存在しない……のかもしれない、という 恐怖と不安と、そして…感じる自由と行う責任。 映画の冒頭でも言ってましたが、 私、自分の脳が自分に都合良く解釈してるんだろうと思うんだけど… あの『タクシー ドライバー』のスコセッシ監督はシャラマン監督止まりじゃあなかろう……? と思う訳で……、まあ この時点で監督の術中に嵌ってるのかもしれない。 某アニメキャラがいつも言ってるが、「真実は、何時も一つっ!!」って、 一つどころか、その一つでさえも存在しないかもしれないと感じてしまう、 考えようによってはかなり“怖い”映画かもしれない。 ラスト、主人公は果たして正気に戻っていたのか戻っていなかったのか、 そんなこともどうでもいい位、何を信じていいのか分からなくなっていた。 意味深な最後のセリフ“モンスターとして生きるか、善人として死ぬのか” 彼が正気であったのかどうなのかの指標なのだろうか…? 否、宣伝文句のように単に謎解きが中心の映画には、とてもじゃあないが思えない。 主人公を支配する世界は、確かなモノが存在しない不確実な現代社会と同じであり 彼の恐怖や不安、悲しみ、怒りはそのまま今を生きる我々の抱える心理そのものかもしれない。 深読みすれば、確かなものがないからこそ、自由な思想の上で起きる事象に 責任を持たなければいけないのだと、最後のセリフには込められているような気がする。 次々に主人公の目の前に現れては消えていく狂気の光景を見せられる度 益々そう突き付けられている気持ちになっていく。 細かなディテールは、敢えて“謎解き”に専念するならば大切なものかもしれないが 作品全体を覆い尽くす“疑惑”の前に、もはや“謎解き”は不要だ。 もしかしたらテディと一緒に観客も 島の住人たちに丸め込まれてしまっているのかもしれないのだから…… 夕景を背にぼんやりと佇む灯台を見ていると、 やっぱり恐怖に身が震えてしまう。 考え過ぎ?……かな?でも、この映画は謎解き的に観るよりも こういう恐怖に身を任せた方が、よっぽど面白いと思うけどナ。                                 2010.04.21. 鑑賞