以前、ふらりと入った書店で手に入れた本『自由訳 老子』/新井 満 著の中の一節に “―…もし怨みに思うことがあれば 水に流してやりなさい 報怨以徳 怨みには徳をもって報いなさい 憎悪の念は 慈愛の心をもって許してあげなさい            ☆ ―…たとえ先方に非があったとしても 深く刻まれた怨みというものは 和解したあとも 見えないしこりや心の傷となって残り 死ぬまで消えないものなのだ だからはじめから怨みなど買わないようにしなさい 憎まれないようにしなさい…―” という文章がある。 天下の老子であっても、“憎しみ”に対して 扱いを如何にすべきか苦慮しているように思えるのは私だけだろうか… どんなに屁理屈並べても、結局あれこれ矛盾した曖昧な 「死ぬまで残って消えないけど、我慢して水に流しなさい」なんて 誰が聞いても不公平で納得いかない“説教”じみた 忍耐の押しつけのような見解しか導き出せないモノに思える。 それは今日まで何千年経っても その確かな答に至らず、あまり変わり映えのしないままの 厄介な代物であり続けているようだ。 本作、松 たか子演じる森口先生には、とんでもない迫力がある。 その力は作品を支える重要なファクターだと感じるし、 寧ろ、これなくしてこの作品は成立しないのではないかと思うくらいだ。 彼女の持つ“チカラ”とは、 彼女の並々ならぬ“覚悟”であり、 至極真っ当な、彼女の内縁の夫の死の間際の忠告に対する“挑戦”であり、 その行動には、ある意味爽快感さえ漂う。 その“チカラ”の前に最早「生命とは?」などという問い掛けは意味を成さない。 ターゲットになってしまう少年たちの、 さもありなんな妙なリアリティにも感心し、 その存在感に作品から目の離せない緊張感が劇場内を支配はすれど 兎に角、その彼らさえも凌駕する圧倒的な森口先生の存在力の源は その“覚悟”の差にあると言える。 多くの犯罪を犯す者に対して人として興味が半減してしまうのは、 犯した行為の大きさにも拘らず簡単に意を翻してしまう “覚悟の無さ”の為である。 一体どのような覚悟を持って人の心と体を踏み躙る行為に及んだのか!? 途中で反省するくらいなら始めから“反社会的”と思われることを行うべきではない。 世に溢れる様々な作品の中で、 この“甘さ”と“温さ”が、時には腹立たしくさえ感じることもある。 言っておくが、私は“復讐”を正当化してはいない。 社会的に考えるなら死刑制度にも反対だ。 ただ、人が人である以上、私たちはこれからも老子のように 矛盾した答しか出せない問題に悩み、 自らを無理やり制御し生きて行くしかないのだということに尽きる。 総ての人間が納得できる答えなど、今は存在しないのだ。     それにしても人間歳は取りたくないなあ…。     人物の名前がね…一度の鑑賞で覚えられんのです……(涙)     岡田将生の熱血バカ教師役は、演技力は申し分ないけれど     勿体ないって感じがする。     それまであんまり好きじゃあなかった松 たか子は     今作で好感度UP。     こういう役も出来るんだ……というより     寧ろこういう役をやる方が何倍も魅力的。     中島監督は、本当にパワーに溢れた映画が作れる監督ですネ。     本編が始まった途端、あっという間に作品の中に引き込まれる、     この作品の力はただモンじゃあないです。 終わった後にチラチラ上がった「…グロかった…」という声に反して 自分にはそんな“グロさ”は感じませんでした。 寧ろ、噴き上がる血とか、振り上げた凶器とか、可笑しみにも似た狂気とか、 心に受けた傷の具象化のようで、痛くて哀しくて……辛かった。                                 10.07.10. 鑑賞