観終わって、一番に頭の中に浮かんだことは、 “個は全であり、全は個である”という、何とも東洋的というか 前キリスト教的な宇宙観を感じる映画だったなあ…という印象。 キャメロン監督の意図は果たしてどうだったのかは分からないけれど……。 全知全能の創造主たる神を信じる民族が、宇宙や自然を従属的に考える傾向が強いのに対し 宇宙や自然そのものの中に神を見出す民のごとく、 日々の糧を与えてくれる、それらを造り給うた神に感謝するのではなく 糧そのものに神を見、感謝の念を抱くことや、 自然は守られるものではなく、自然を畏れ敬い、むしろ自然に守られ自らもその一部として 生きることに“恋する”主人公には、我々東洋人にはとても分かりやすく共感を持つことが出来る。 本作の魅力は、更に進化した映像技術は言うに及ばず、 それにも益してコンピューターネットワークに例えられ 至極コンピューター時代の人間に分かりやすく表現された、 個としての生命と、全としての宇宙の関係性を ドラマで魅せたということに尽きるのではないだろうかと思う。 つまりは、そういった思想観を、上手くSFアクションファンタジーに絡ませて 説教臭さを出来るだけ払拭し、上質のエンターテイメント作品に仕上げているということだ。 誰しもが主人公の目を通して無意識に、ナヴィの生き方に少なからず“恋した”に違いない。 主人公の行動や思いの変化も、計算された丁寧な設定によって描かれ 無理なく納得出来るよう配慮されている。 彼を下半身不随の体にしたのも、 双子の弟で、彼のアバターは本人のものでなく、実の兄のDNAが使われたものであることも、 総てはラストの彼の行動に理由を与えることに成功している。 総ては自分と同じであり、自分は総てと同じならば、当然の思いだろう。 またロマンティストなキャメロン監督らしく、ジェイクとネイティリの恋愛模様を 丁寧に描写しているが、それが主題の中心ではなく、あくまで素材的位置にあり 出しゃばり過ぎないのに好感が持てる。 とにかく、キャメロン監督が描きたかったのは、 安っぽい自然保護やロミジュリ的ラブロマンスではなくて、 宇宙と生命の根源的な関係への畏れと尊敬ではないだろうかと考える次第だ。 まあ、その流れから行くと、いくら“正義”のための戦いと言えど 力で押し切る“戦争”という戦いは似つかわしくはないのだけれど こういう戦闘シーンは、エンターテイメントに華を添えるためには致し方ないのかもしれない。 惜しむらくは、最終決戦の前にジェイクの本体をネイティリに直接見せるシーンが欲しかったこと。 危機に陥ったジェイクの本体を見つけ、懸命に守り蘇生させ、愛おしげに抱くネイティリを 観客が、しっかり違和感なく理解するためにはドラマとして必須のシーンではないかと思う。 にしても、メジャーな洋画では久々の画像良し、テーマ良し、演出良し、の 超大作に仕上がった佳作だと思う。 ところで、ナヴィと人間のDNAで作られたアバターには、 もともと生物としての生命もしくは魂と言えるものは持ってないのでしょうか? まあ、これを考えると、もっともっと複雑でややこしいことになるので、 とてもとても描き切れるものではなくなりそうですネ。                               10.01.14. 鑑賞