ポケモン映画を劇場で観たのは、第1作目以来2度目。 10年ぶりです。 ポケモン映画は、毎回作りが丁寧で、 “作る姿勢”としては好感が持てる“良質”のシリーズ作品だと思う。 今作は、動き 特にシェイミがスカイフォルムに変身して 大空を自由に飛び回る描写が、アニメーションらしくて好きだ。 ポケモンも他作と同じで、御多分に洩れず、特殊効果、エフェクト、CGに頼る傾向があり、 画面の迫力のみ追い求めている感じが否めない。が、 今回のように、アニメでしか出せないような空飛ぶ感じ、 動かして“魅せる”真摯さを、もっともっと出してくれると ワクワク出来るんじゃあないのかなあと思う。 残念なのは、主人公サトシとピカチュウの 単なるポケモンマスターとポケモンという関係を超えた結びつきが、 第1作をピークに、あまり感じられなくなってきている、ということだろうか。 まあ、サトシとしては手持ちのポケモン達を 分け隔てなく思っている、ということなんだろうが、 テレビ第1回からモンスターボールに入ることを拒み続け 常にサトシと行動を共にするピカチュウは、 やっぱり、観ているこっち側にとっても “特別”なものに違いないと思うのだけれど…。 平等に博愛主義というのは、聞こえはイイが、物語の向こう側として観るときに、 これほど退屈で、面白みが無く、想像力を削がれてしまうモノはない。 “好き”あるいは“嫌い”の感情の対象は、 特別であるからこそ、物語として輝くのだと思う。 ポケモンは、毎度登場のロケット団との絡み然り、 永遠のワンパターンでイイと思う。 それは、『水戸黄門』のクライマックスのパターンを知っていても 毎回期待しているのと同じで、それがなければ落ち着かないのに似ている。 『ポケモン』のキモは、サトシとピカチュウの 主人と使役動物を超えた“友情”の姿だと断定できるだろう。 それが薄れるような作品であっては 「え〜い!静まれ!静まれ!! この紋処が目に入らぬか〜!!」 の無い『水戸黄門』になってしまう。 毎回毎回、作品としての印象が薄くなっているのは 大切な“キモ”をおさえてないからだと思うのだが…。 シェイミのキャラの立ち方は、今風で成功しているように思う。 可愛い外見に小生意気な ちょっとツンデレ風味? 変身すると強気で無鉄砲になってしまう。 匙加減もまあまあの塩梅で、可愛いと思わせてくれる。 今後、ポケモン映画を作るにあたり、 第1作目に立ち返り、おもいっきりサトシとピカチュウの友情を描いてみては如何だろう。 きっと、観客は安心してポケモンを観た、という満足感に浸ることが出来るんじゃあないだろうか。       *第1作は、テーマも秀逸。       哲学的命題を扱い、大人も唸らせた。       サトシとピカチュウの絆には、不覚にも目頭が熱くなったものだ。                            08.07.31. 鑑賞